希望、小四。そのに
あれは、木村さんちの次男坊のタクミ君と柴犬のランクだ。以前、僕がこの公園で待ちぼうけをしている時に助けてくれた、シズヤ君の弟だ。確か、ノゾミやノゾムと同級生だったか。いち早くランクが反応して、タクミ君は引っ張られるようにやってきた。物凄い勢いで、僕の鼻先にやってきたランクは、風圧を感じるほど尻尾を振っている。シュートほどは大きくないけど、それでも僕の何倍も大きいランクに接近され、少々腰が引けた。別にランクが怖い訳ではないけど、これは防衛本能というものだろう。
「久し振りだね、ランク。この前は、世話になったね」
「この前? なんの事だっけ? そんな事より、遊ぼうよ! 追いかけっこしよ!」
「嫌だよ。君の方が、でかいし早いし。君に追いかけられたら、恐怖でしかないからね」
「えー遊ぼうよー」
ランクは僕よりも大きいけれど、僕よりもずっと若い。そのせいか力加減が分からないらしく、彼と遊んでいると身が持たない。ランクは、不満そうにその場でグルグル回っている。ランクを眺めていると、目が回りそうになる。すると、ノゾミが僕の隣でしゃがみ込んで、ランクの頭を撫でた。両手でランクの顔を挟んで、わしゃわしゃとこね回している。
「中居が公園にいるの珍しいね? どうしたの?」
「えーそうかなあ? 希ちゃんと、犬の散歩をしてるんだよ。犬が大好きだからね」
「へー以外。犬飼ってないから、嫌いなんだと思ってた」
「美麻は好きなんだけどぉパパとママが、ペットを飼うの許してくれないの」
ふーんと、タクミ君は気のない返事をしている。なんだか分からないけど、ミマの声が変わって、背中の辺りがムズムズする。どこから、声を出しているんだ。それにしても、ミマは急に人が変わったように、口が軽やかだ。表情も明らかに違う。不思議な子だ。
「あ! そう言えば、拓海君? 最近、静哉君見かけないけど、どうしたの?」
ノゾミが顔を上げると、タクミ君は目線を合わせるように、しゃがんでランクを撫でた。
「ああ、兄ちゃん忙しいんだよ。部活の後、塾に通いだしたからさ。高校受験なんだって。だから、俺がこいつの散歩してんの。あ、なんか前に望がやらかしたみたいじゃん? 兄ちゃんから聞いたよ」
タクミ君は、僕に視線を向けて、頭を撫でた。ノゾミとタクミ君は、ノゾムのやらかし話で盛り上がっている。例の僕の置き去り事件だ。あれには、本当に参った。出来る事なら被害者として、盛大に語ってやりたい。
「ねえねえ! タクミ君は、いつお散歩してるの?」
ノゾミとタクミ君の間を割って入るように、ミマがしゃがみ込んだ。その瞬間、ランクがミマに飛びついた。ミマは、ランクに押し倒されるように、地面に転がった。
「こら! ランク止めろ!」
タクミ君がランクを抱えて、ミマから引き剥がした。きっと、近寄ってきたから、遊んでくれるとランクは勘違いしたのだろう。慌てて立ち上がったミマは、距離を取って体についた砂を払っている。ノゾミは、ミマの後頭部や背中の砂を払う。
「もう、最悪。超ウザイ」
「え? なに?」
屈んでミマの尻を払っているノゾミが、顔を上げて尋ねたが、ミマはブツブツ言って答えない。ノゾミは、首を傾げながら、一生懸命ミマについた砂を払っている。僕には、ミマの言った言葉がはっきり聞こえた。その後の小さな舌打ちも。
「中居、ごめんな。大丈夫か?」
タクミ君は、ランクのリードの根元を掴んで、頭を掻きながら眉を下げる。ランクは、意にも介さず、大暴れだ。元気溌剌に、飛び回っている。
「全然、大丈夫だよ。気にしないで」
ミマは、表情をコロッと変えて、満面の笑みを見せた。不思議に思いながらも、僕はランクの元へと歩み寄った。
「ダメじゃないか、突然飛びついたら」
「どうして?」
「君は、でかいんだから、気を付けないと危ないだろ? 怪我でもさせてしまったら、大変だ。もう遊んでもらえなくなるよ」
僕がランクに顔を寄せると、彼は尻尾と耳を力なく垂れさせた。遊んでもらえなくなるのが、余程嫌なようだ。
「あれ? ランクが急におとなしくなった」
タクミ君がしゃがみ込んで、項垂れるランクの顔を覗いている。突然、元気がなくなったランクを心配しているように見えた。
「ホップが説得してくれたんじゃない?」
「ああ、そうか。ありがとな、ホップ」
ノゾミの言葉を素直に受け入れたタクミ君が、僕の頭を撫でてくれた。いえいえ、どういたしまして。次の瞬間、僕とランクがほぼ同時に顔を上げた。視線の先には、目が合った瞬間に、顔を逸らしたミマがいる。僕とランクは、互いの顔を見合って、首を捻った。
『そんな訳ないじゃん。馬鹿じゃないの?』
先ほど、ミマはそう呟いた。僕とランクにしか、聞こえていないだろう。これで僕の疑問は、確信に変わった。
ミマは、僕達が好きではない。ミマは、僕達に触れるどころか、近寄ろうともしない。では、なぜ一緒に散歩をしたがったのだろう。ただノゾミと遊びたかったのだろうか。
「じゃあ、俺行くわ。またな、ノゾミ、中居」
「ねえ、拓海君!」
ノゾミとタクミ君が手を振っている中、ミマがタクミ君に接近した。タクミ君は、片手を宙に浮かせたまま首を傾けている。
「これからは、美麻の事を中居じゃなくて、美麻って呼んで」
「は? なんで? 中居でいいじゃん?」
「希ちゃんは、名前で呼んでるじゃん?」
「それは、望がいるからだって。昔からそう呼んでるし。今更、呼び方変えるの面倒。じゃあな」
素早く振り返ったタクミ君は歩き出し、『あ、そうだ!』と言って、立ち止まった。
「なあ、希! 望に明日、貸してた漫画持ってくるように言っておいて」
ノゾミは頷き、タクミ君は白い歯を見せ、走って公園を出て行った。ランクは、名残惜しそうに、遊び足りない様子で、何度も何度も振り返っていた。垂れ下がった尻尾が、寂しそうに見えた。
その後、『ちょっと、話があるんだけど』とノゾミはミマに詰め寄られた。僕は咄嗟に歯を剥き出しにして、唸り声を上げた。ミマは、怖気づいた様子で、後退りをする。なぜかは分からないけど、僕がノゾミに怒られ、二人は会話をしていた。
その日の夜、ノゾミはベッドの中で、静かに泣いていた。
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