希望、園児。そのいち
ここまでくると、最早疑いの余地もない。心のどこかで、ワンチャン期待していたのかもしれない。犬だけに―――。
ノゾミとノゾムは、すくすくと育ち、幼稚園という場所に通うようになった。二本足でしっかりと立ち上がり、動き回っている。そして、人間の言葉を流暢に話すのだ。ノゾミは、相変わらずおとなしく、一人で絵を描く事が好きなようだ。そして、弟のノゾムなのだが、彼は活発でじっとしている事が苦手のようだ。そして、タブレットでお笑い芸人という職業の人を見て、彼らの真似をしている。ノゾムが悩みのタネであり、非常に僕を困らせている。きっと、僕だけではなく、ママも頭を悩ませている場面をちらほら見るのだ。活発で元気いっぱいなのは、喜ばしい事なのだけれど、問題は性格の面だ。
あ、ほら、またやった。
二階には三部屋あって、一つが両親の寝室、もう一つが空き部屋、そして、最後の一つが共同の子供部屋となっている。眠る時は、僕達五人で両親の寝室で一緒に寝ている。子供部屋とは名ばかりで、ノゾミとノゾムの私物が詰め込まれた倉庫のようになっている。子供部屋に入ったノゾムは、早速玩具が入った箱をひっくり返したのだ。使いたい玩具を取り出して遊べばいいものを、ノゾムはいったん全部引っ繰り返してから、何で遊ぼうか物色する。これは、毎度毎度、ママに注意されているが、改善されない。ノゾムなりのルールでもあるのだろうか。百歩譲って、ひっくり返すのは、まだいいとしよう。一番の問題は、片付けずそのまま放置する事にあった。いや、違うな。本当の問題は、この後だ。僕の悩みのタネ。
僕の耳がピクンと跳ねた。おもちゃ箱をひっくり返した事に、ママが気が付いたのだ。僕は慌ててノゾムの周りを走り回った。玩具を踏んづけて転びそうになる。
ママが気づいたから、急いで片付けるんだ。
「ノゾム!」
階下から、ママの怒鳴り声が鳴り響いた。怒りに満ちた足音が聞こえる。ノゾムは、小さな背中をビクッと震わせて、慌てて床に散った玩具を拾い集める。両手いっぱいに玩具を抱えて、ポロポロと零していく。一つ拾って、二つ落として。僕もノゾムの手伝いをしようとして、一つ咥えたところで、部屋の扉が開いた。僕は恐る恐る振り返ると、仁王立ちしたママが腕組みをしていた。あまりの恐怖に、口から玩具が零れ落ちた。僕は頭を下げて、ゆっくりとママの足元へと歩み寄る。すると、突然、尻尾を掴まれて動けなくなった。
「ち! 違うよ! 僕じゃないよ! ホップがやったんだよ! 本当だよ!」
毎度の事ながら、僕は耳を疑って、振り返った。眉を下げたノゾムが、泣き出しそうな顔でママを見上げている。いや、泣きたいのは、こっちだ。僕が、歩こうとすると、ノゾムの手の力が増した。痛くはないけど、放して欲しい。しかし、想いは届かず、ノゾムは体を伸ばして、僕を抱きかかえる。僕を盾にするのは、やめてくれ。体を捻って、ノゾムの腕から逃れようとするが、彼は必死で僕を掴む。
「こら! ホップ! 逃げるんじゃないよ! 散らかしたらダメじゃないか。仕方がないから、僕が手伝ってやるよ!」
なんだ、その芝居がかった台詞は!? そして、大根役者ノゾムは、ママの顔をチラチラ伺いながら、玩具を箱に入れていく。いやいや、僕を離した方が効率がいいだろうに、どうしても盾は手放したくないようだ。すると、上の方から呆れたようなママの溜息が聞こえた。
「ノゾム。まずは、ホップを離しなさい。嫌がっているでしょ?」
有無を言わせない迫力のあるママの低い声が、五臓六腑に染み渡る。僕まで、背筋に悪寒が走る。ノゾムは、両手を震わせながら、ゆっくりと僕を解放した。僕は、ママの足元に擦り寄る。ママに抱きかかえられ、まるで玩具になったように、体が動かなかった。
「ノゾム。何か言いたい事はない?」
「ぼ、僕がやったんじゃないよ。ホップが・・・」
ノゾムは、ママを見上げた後、俯いてボソボソと零す。
「ノゾム。何か言いたい事はない?」
「・・・ごめんなさい」
ノゾムは、泣きそうな声で、小さく小さく呟いた。しかし、僕は知っている。ママはこれで許してくれないのだ。謝ってお終いとは、ならない。いい加減、ノゾムも学習するべきなのだが。
「どうして、謝っているの? 誰に謝っているの?」
「・・・ママに。玩具を散らかしちゃダメだって、言われていたから」
「うん、私に対しては、分かった。それで? 他にあるでしょ?」
ノゾムは、涙を一杯に溜めて、こちらを見上げる。そして、小さく首を傾ける。
おいおい、それもいつも言われている事だぞ。
ママは何も言わず、真っ直ぐにノゾムを見つめている。壁に掛けられた時計の針の音が、鳴り響いている。すると、ノゾムから、鼻を啜る音が混ざってきた。
「・・・ホップのせいにしたから・・・ごめんなさい」
「はい、よくできました。玩具片付けなさい」
ママは、僕を片手で抱え、もう片方の腕を伸ばし、ノゾムの頭を撫でた。そして、部屋から出て行く。背後からは、玩具を箱に入れていく音が聞こえていた。ママが階段を下りながら、僕の脇を両手で持ち、顔を近づけてきた。
「ホップ、ごめんね。嫌な想いをさせちゃったね。許してあげてね。あの子は、何回同じ事を言われれば気が済むのかな? 後、百回二百回は、繰り返さないとダメかもしれないね。まあ、何回でも同じ事を言い続けるけど」
僕は、まったく気にしてないよ。ありがとう。ママは本当に大変そうだ。僕は、ママの頬を舐めた。
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