第1部:城塞都市の翳り 第7章:寄宿舎

 アラードと別れたリアはラーダ寺院に隣接する寄宿舎の自室に戻っていた。彼女の部屋は一階だった。五階建の寄宿舎は小さな砦のような造りになっており、年長者になるにつれ下の階を割り当てられる決まりだった。アルデガンに生まれた者の常として、彼女も物心がついたころからこの建物で暮らしてきたのだ。

 扉に閂をおろすとリアは簡素な寝台にあおむけになり、ラーダのシンボルが描かれた天井を見上げた。多分集会室からだろう。子供たちがラーダの神にささげる破邪の祈りが、今もずっと上の階からかすかに聞こえていた。


 子供たちは小さいうちから僧侶によって、魔物がいかに邪悪であり、これを滅ぼすのがどれだけ聖なる義務であるかを教えられて育つ。もちろんリアも例外ではなかった。魔物は人間とは異質でかけはなれた存在だと信じていた。

 だから自分が焼き殺した魔獣の断末魔に魂を感じたこと自体が彼女には衝撃だった。しかもあの一瞬にさらけだされた魔獣の魂は、狂暴で荒々しくこそあれ人間の魂となんら変わるところがなかった。

 自分が考えてはいけないことを考えているのはリアにもわかっていた。魔物たちは敵なのだ。決して人間と相容れぬ、どちらかが滅びるまで戦い続けるほかない相手だとわかってはいた。

 しかし今の彼女には、自分が人間であり相手が魔物であるということが、ほんのちょっとしたきっかけで逆でもありえたようなものとしか感じられなかった。かつてリアを支えていた自分への確信というべきものは、あの魔獣の断末魔とともに砕け散ったのだ。

 リアの脳裏にアラードの上気した顔が浮かんだ。魔物を初めて倒した喜びを語る彼の表情には迷いの影などみじんもなかった。彼がうらやましく思えてならなかった。


 ではアザリアはどうなのだろうと彼女は思った。魔法を自由に使えた時に、師は魔物との闘いにどう臨んでいたのだろうかと。師は戦うことにより自分が救う者たちのことを考えるようにと諭した。その言葉はもちろんリアにも正しいことだと受け取れた。しかし、それ以上に彼女には、師の思慮深さが何らかの苦しみを克服した結果得られたものであるように感じられたのだ。

 旅に出れば師に尋ねる機会もあるだろうかと思ううち、リアはいつしか眠りへと落ちていった。




 異様な悪寒の中、リアはめざめた。暗闇に塗りつぶされた視野の奥から、見慣れた自室の天井がおぼろに浮かびあがる。

 ここはアルデガンの中心部、ラーダ寺院に付属する寄宿舎の自室。窓から寺院の尖塔が見える、アルデガンで一番安全なはずの場所……。


 その部屋が、いまや妖気に満ちていた。


 少女は動けなかった。声も出ず、まばたきさえできず。ただ、研ぎ澄まされた感覚がなにかをとらえた。視野の外、足元の床で凝固しつつある妖気を。やがて床にわだかまる闇から気配が伸び上がり、のしかかるように迫ってきた。

 一瞬、リアの視線が双眸をとらえた。おぼろな影の中に燃える緑色の……。

 とたんに双眸が妖光を放ち、リアは意識を失った。

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