第1部:城塞都市の翳り 第3章:洞門

 洞門番になって一刻もせぬうちに、アラードたちはコボルトの襲撃を迎え撃った。

 亜人と称されるコボルトは犬に似た顔を除けば小柄な人間のような姿で、粗末な胴着や蛮刀を作ることもできた。豚に似たオークともども人間族にとっては生活の場における厄介な競争相手であり、武装が貧弱な小さな村などは滅ぼされることさえあった。しかしここアルデガンではつい最近まで、訓練を終えたての新米たちにも組しやすい相手と見なされていた魔物だった。


 コボルトの一頭の突進にアラードはまっこうから立ち向かい、錆びかけた蛮刀の力任せの一撃を剣で受けた。だがほぼ同じ体格の敵の一撃には思いがけぬ勢いがあった。反射的に体をかわすアラードを蛮刀の切っ先がかすめた。そのとき、コボルトの動きが一瞬止まった。体勢が崩れた敵に二度斬りつけると亜人は倒れ、そのまま動かなくなった。

 アラードは周囲を見回した。そこは洞窟の前に広がる砂地だった。正面の洞窟から城壁で三方を囲まれた砂地に攻め込んできた敵の一群は、待ち受けた魔術師たちの呪文にあえなく眠らされ、そのまま戦士たちに斬り伏せられていた。絵に描いたような完勝だった。初陣での圧勝に高ぶる気持ちを抑えきれず、若き戦士はこの戦いを指揮した青年魔術師のもとへと駆け寄った。




 足音に振り向いた魔術師ケレスは、砂地を駆けてくるまだ少年といえそうな姿を認めた。さっきコボルトに押されていた赤毛の剣士だ。礼でもいいに来たかとの思いはその輝くばかりの笑顔に打ち消された。呪文の援護に若者が気づいていないのがあまりに明らかだったから。

「他愛のないものですね」

 息を弾ませていうその姿に、相手が初陣だったことをケレスは思い出した。ならば周囲がまだ見えなくて当然だ。はやる気持ちに水を差しても益はないと判断し、彼は赤毛の剣士に慎重に応えた。

「地の利がこちらにあるからね」

 少年のような剣士は頷くなり、魔法にかかった亜人にとどめをさす仲間たちのところへ走り去った。自分の言葉が素通りしたのに苦笑しつつ、ケレスはボルドフの言葉を思い出した。剣だけは速いが筋力は足りず周りもまだ見えん奴だ。それでも欠けた穴を埋めるために送り出せるのはこいつしかおらん。すまんが面倒をみてやってくれと配属を告げた戦士隊長は頭を下げたのだ。

 それでも援護すれば敵を倒せる以上、貴重な戦力であることにかわりはない。そんな段階に達していない者がいまや大部分なのだから。とはいえ自分たちも人のことをいえた義理ではないと、魔術師の青年は心中ひそかに自嘲した。十分な威力の攻撃呪文に未だ届かず眠りや目潰しの援護呪文で勝機を稼ぐのがせいぜいの自分たち。だからこそ亜人の相手がやっとの新米戦士たちの援護に徹しているのが不本意ながら現状なのだ。


 けれどそれは大事な任務だ。しかもその重要性は月日とともにいや増すばかり。人間と亜人の力がせめぎ合うなら勝敗を決するのは数の力。だが外部からの人的支援を失った人間側は、もはや数の上でも劣勢を隠せなくなりつつある。だからこそ新米たちを無駄死にさせずに必要な実戦経験を積ませなければならず、そのためにも直接敵と切り結ぶ戦士が容易に持ち得ぬ全体を見る目を養うことが魔術師たる者には喫緊の使命なのだから。そう思ったときアザリアの、敬愛する師の顔が脳裏に浮かんだ。単に魔術系呪文の全てを自在に使いこなせたのみならず、同行したパーティから一人の死者も出したことがなかった至高の守り手。魔力だけなら勝る者はいた。無謀にも単身洞窟に挑んだかの火術師がいい例だ。だが師のなし遂げたことはガラリアンにはもちろん、現存するいかなる術者もなしえなかったことなのだ。この城塞都市の最高指導者ゴルツさえも自分にはできなかったことだと、かつてアザリアを称える中で公言したというのだから。その師の導きを受けるとき、常にいわれる言葉がある。魔術の修得自体は資質に左右されるものでも、全体を見る目は修練で磨き、極められる。それが仲間の命のみならず、ひいては人の世の命運をも左右するのを忘れないでと。そう語るアザリアから痛いほど伝わる思い、託されるものの重みを自分たちは心に刻み、決して犠牲を出さぬとの誓いを誰もが新たにしてきたのだ。


 新米戦士たちは当分昼の警護に専従するが、自分たちは今夜も当番だ。このところ夜は敵の数がとみに増えている。休めるうちに皆を休ませなければとケレスは見習い魔術師たちを呼び集め、交代するため砂地に降りてきた次の班のリーダーに状況を引継ぐのだった。

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