ただ君に夢あれ

本田玲臨

第一章

第1話 アングヒルの調律師

「もう目を開けていいよ。それからゆっくり体を起こして座って」

「はい、先生」


 エーデルの指示を受けて、清潔な白いベッドに横たわっていた少女は体を起こし、ベッドの端に座ってエーデルと視線を交わす。

 エーデルは改めて、にこりと形よく微笑む少女を観察するように見た。

 愛らしく滑らかな発声をする声。白い肌にスカイブルーの瞳。栗色の髪は肩の辺りまでの長さで、柔らかな質感を持っている。設定年齢である十六歳に相応しい体を、深緑色のワンピースに包んでいた。

 一瞬見ただけでは、彼女が人間ではない存在だと思わないだろう。それほど彼女は人間らしかった。


「それでは、まずは簡単な応答から。型式と番号、登録呼称を教えて欲しい」

「はい。私は、オーヴァイル社製汎用アンドロイドのFH250型。個体番号はFH250‐9000671‐GW。登録名称はリリスです」

「じゃあ次は、君の職務内容。簡単に説明して欲しい」

「はい。私の仕事は、ご主人様の身の回りの手伝い、食事や洗濯といった家事、アリスお嬢様の子守りなど、ご主人様達が快適な生活が送れるようサポートすることでございます」


 エーデルの手元にある診療用端末の画面に出ているリリスのパーソナルデータと合致していることを確認し、今度はテーブルの上に置かれている小さなペンライトを手に取った。

 その動きに驚いたのか、テーブルの上で丸くなっていた子猫が、ぴょんと飛び上がった。そして、座っているリリスの足元へ飛び乗る。

 リリスの瞳孔が動く。表情は笑みから驚きへ。コンマ数秒もかからない表情の変化に、オーヴァイル社の技術力の高さが窺える。


「っこら、リアン! ……申し訳ない、リリス」

「いえ、問題ありません。私が先生の質問に答えることに支障はありませんので、このまま続けていただいても結構です」

「……ありがとう。次は瞳孔収縮システムの動作を見たいから、この光を目で追って」

「はい」


 リリスは、エーデルの指示に従順に応じる。

 その後もエーデルがリリスへ質問し、それに彼女が答え、エーデルが内容を端末に書き込んでいくという作業が続く。

 最初の質問から十分。エーデルは、端末に打ち込む手をようやく止めた。


「うん、基礎中枢と情操領域の相互性能に問題なし、と……。では、最後にリリス。そのリアンを見て、どう思う? どう感じる?」

?」


 明瞭に答え続けていたリリスに、初めて『疑問』を表現する顔を見せる。

 リリスはリアンに視線を落とし、じいっと観察し始める。エーデルは特に急かすことはせず、彼女が答えを導き出すのを待った。

 時間にして、約三秒後。


「……子猫型のオーソドックスな愛玩用ロボットですね。黒い毛並みにエメラルド・グリーンの瞳で、しなやかな肉体をしています。愛玩用ロボットらしく、人に愛されやすい容姿をしていると思われます」

「……最後に。君は、ご主人様やアリスお嬢様に、早く会いたい?」

「はい、勿論でございます」


 エーデルはリリスの答えに首を縦に振って応え、彼女の膝の上からリアンを何とか引き取る。リアンは子猫型だが、その重さは三歳の子どもの体重ほどあるのだ。

 研究者気質の出不精であるエーデルには、持ち上げて移動させることだけでも、かなり大変な作業だ。

 小さく息をついてから、リリスの方へ改めて向き直った。


「お疲れ様、リリス。検査結果は極めて良好。異常は見られなかった。あとは、君のご主人様を、私達の同僚が探し出すだけだ」

「はい」

「君の情操領域や論理機能に関する定期メンテナンスを、誰が担当するかはまだ決まっていないけど、もしまた私になったら、その時はよろしく」

「はい」

「じゃあ、以上で今日のすべきことは終了だ」


 エーデルはテーブルに立てかけていた杖を手に取り、数歩移動する。そして、目の前の扉を開けると、扉の傍で待機していた管理局持ちの保安用アンドロイドが、スムーズな動きで扉の前へ立つ。


「FH250‐9000671‐GWを保管室へ。その後は、主任の下で指示を仰いでくれ」

「了解しました」


 エーデルの指示を受け、筋骨隆々な男性型アンドロイドはエーデルを避けて、リリスの元へ歩いて行く。

 リリスはすくっと立ち、先行する保安用アンドロイドの後ろをそのままついて出て行った。

 エーデルは、その後ろ姿が廊下から見えなくなるまで見つめ、歩行にも問題がないことを改めて確認する。


「どこにでもある家庭用アンドロイドね。ご主人様とやらが、ちゃんと引き取るといいけど」


 芯のある女性の声に、エーデルは声のした方へ顔を向けた。

 立っているのは、すらりとした百七十センチ前後の体躯に、赤いタイトなワンピースと白衣を纏う女と、その女の数歩後ろには白ずくめの執事服に身を包んだ少年。

 エーデルは、くっと眉を寄せた顔をすれば、女はつかつかとエーデルの傍へとやって来る。その動きに合わせて、張った胸元の『テレーゼ・ハウシュミット』と書かれたホログラム式の名札が揺れていた。


「あの子もどうせ、オークションで買い手は付かないでしょうね。解体されるわ」

「………だろうね」


 エーデルはテレーゼから匂う強い香水を避けるべく、彼女からすぐに距離を置く。


「──リリスの型は去年発売されたモデルの旧バージョンで、稼働年数はもう五年目。大方、飽きて捨てたんだろ」


 エーデルは自分でそう言って、嫌悪感が這い出してくるのを感じていた。

 遠目から見れば人間と変わらぬ機械人形――アンドロイドは、「生命を持たない労働力」として誕生した物だ。

 五十年ほど前。アルスリア国を始めとする世界各国で戦争や超少子高齢化社会が進行し、崩壊しかけていた社会体制を何とか支えるべく、当時の最先端テクノロジーを組み合わせて生み出された彼らは、人の代わりの労働力としてはうってつけの『道具』だった。

 肉体は創造主人間の思いのままで、仕事内容もあらかじめプログラミングしておけば、指示がなくとも行なう。「覚える」という時間も必要なく、別の仕事を任せる為の後付けも楽々だった。給料の代わりに、数十時間おきの充電と定期メンテナンスさえやればいい。金さえあれば、様々な用途に応じたオプションも可能。

 特にここ二十年ほどは、アンドロイド製作技術の向上により、顔のパーツを入れ替えたり、笑ったり泣いたりといった「感情豊かな」個体も発売されるようになった。

 それと並行して、アンドロイドの不法投棄問題が出てくるまで、そう時間はかからなかった。

 無料修理の保証期間が過ぎた。新型に買い替えたい。単純に気に食わない。飽きた。とにかく様々な理由で、アンドロイドは放棄された。

 放棄されたアンドロイドの運命は悲惨なもので、違法の廃品ジャンク業者にろくな処置をされないままに解体されたり、人身売買業者に捕まって不当に改造されてしまったりする。最近では、定期メンテナンスを受けられないばかりに暴走を起こし、人に危害を加えるという案件も報告されている。

 それが、近年アングヒルを始めとする主要都市で問題となっている、「廃棄アンドロイド」だ。

 それらの問題に対処すべく、主要都市にはアンドロイド問題を引き受ける『アンドロイド管理局』が設立された。

 エーデルは、その管理局のアングヒル支部で、主に保護されたアンドロイドの感情領域部分のメンテナンスを受け持つ、調律部門に属している。テレーゼもだ。

 テレーゼは、艶のある鳶色の髪の毛を掻き上げ、大きな溜息を吐く。


「ほんと、犬猫とか不用品を捨てるみたいにやるんだから。はぁ、同じ見た目のものを捨てることが出来るなんて……。そんな人間とは、あたし絶対に付き合えないわ」

「だな。──リアン」


 エーデルが名を呼ぶと、テーブルの上で丸まっていたリアンが、みゃうと愛らしい鳴き声を上げて、エーデルの足元に擦り寄ってきた。

 その動きはまさに本物の猫そのもの。だが、その身に詰まっているのは、金属と透明のアンドロイド専用油なのだ。

 愛らしく振る舞うリアンの様子にエーデルが目を細めていると、テレーゼは小さく溜息を吐いた。


「あんたもさ、そろそろサポート役のアンドロイドを付けたら? それか、護衛人」


 テレーゼは、くいっと顎をしゃくって傍に仕える少年を指し示す。

 彼の名は、ルーカス。テレーゼの所有しているアンドロイドだ。彼は、彼女の身の回りの世話や護衛、調律作業の助手アシスタントとして働いている。

 一般的な調律師は作業の効率化のため、アンドロイドの助手アシスタントを持っている。だがエーデルのように、愛玩用ロボットを連れた調律師はほとんどいない。いざという時に使えないからだ。


「違法業者に連れ去られるとか、暴走アンドロイドに管理局の人間が殺されるとか、他の市だと起きてるんだからね。主任も心配して、あんたに護衛用のアンドロイドを付けるとか言ってたわよ」

「……要らないのに。アングヒルではゼロ件だし、リアンには電気ショック機能を搭載してる。何より私は童顔すぎて、学生と見間違われることはしょっちゅうだ。誰も身分証を提示しない限りは、管理局に勤める人間だとは思わない」


 エーデルは、空いている手の方でとんとんと自身の顔をつつく。愛らしい仕草だが、彼女の無表情では操り人形と錯覚してしまう動作だ。

 テレーゼは再び大きく溜息を吐き、「まぁいいわ」と話を切り替えることにした。


「そんなことよりも、今日はあんたもう終わりでしょ。今から付き合って欲しいところがあるのよ、あんたに」

「……言っておくけど、婚活パーティーの数合わせに付き合う気はない」


 エーデルが先手を打つと、テレーゼはぴたりと口を閉じてしまう。その反応に、エーデルは肩を竦めながら、ひょこひょこと自身の研究室ラボに戻り、白衣から夜色のケープコートへ羽織りものを変える。


「それ以外に用事がないなら、それじゃあ先輩。また明日」

「っちょ、待ちなさいよ、アンドロイド馬鹿! あんたの為にも言ってんだからね! 数年後に売れ残りとか言われてても、知らないわよ!」


 エーデルは、テレーゼの言葉を背に浴びながら、一度も振り返らずにエレベーターへと乗り込んだ。

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