僕一人、宇宙船にて。

なんぶ

僕一人、宇宙船にて。

 同封されたメッセージには、「観たいと思った時に観なさい」とだけ書かれていた。

 窓の外、流れ星がすれ違う。

 レーダーに生命体の反応は今日もない。

 13歳の誕生日プレゼントとして入っていたのはUSBメモリと、メッセージと、スターチスの種。

 USBの中には、動画が入っていた。

 一日じゃ終わらない量。

 一体、何だろう。

 「1日目」と書かれた動画をタップする。



 「ええと、この動画は誰宛てなのかな」

 「この子宛て」

 「性別も、名前も、まだ決まってないからなあ。何て言えばいいかな」

 十代後半か、二十代前半ぐらいに見える男女二人。何度も見たことがある。だけど、こんなに若い二人を見るのは初めてだった。

 「ええと〜、僕は、君の、ううん、えっと、君はまだここにいるんだけどね。どうしよ、カメラじゃなくてこっちに向かって喋った方がいいかな」

 「でも未来のこの子に宛てるものだから、カメラを見たら?」

 女性のお腹と、こちらを交互に見る男性。

 「そうかな。じゃあ、そうしようか。ええと、君のお父さん。に、なる予定です。トトと言います」

 「なに緊張してんの。君のお母さんになる、メメです」

 「今は西暦2321年の13月34日で、ええと、えっと……」

 「昨日、あなたがお腹にいるって分かったの」

 父と母。毎朝昼晩、動画で僕に呼びかけてくれる二人。まだ若い二人。窓の向こうは多分庭? 木が見えて、太陽の光のせいなのか、明るく見える。とすると、二人がまだ地球にいる頃の動画だ。

 僕は実際に父と母に会ったことはない。他の人とも会ったことがない。他の生命体とも会ったことがない。

 今日13歳になった僕が、地球について知っているのは物凄く断片的で、今どうして僕一人だけ宇宙船に乗っているのか、地球はどうなったのか、父と母はどこにいるのか、知らない。

 「ねえ、この子、何歳になったらこの動画を見るのかな。やっぱり、やめないか?」

 「どうして?」

 「知らぬが仏って言葉もあるし……。この子が真実を知りたいと思えば、自分で調べればいいんじゃないかな」

 「自分で調べるほどの文献が今後残っていると思う? 何が残るかも定かじゃないのに」

 「そもそも、この子が生き残るかだって」

 「やめて。まだ生まれてないのよ」

 そこで「1日目」の動画は終わった。意図的にカットされたようだ。

 「2日目」の動画をタップする。

 「昨日はごめんね。私もトトも、この状況をまだ飲み込めていなくて。今日は私だけで話すね」

 窓の外は薄暗く、雑音が一緒に入ってくる。

 「ええと今日は雨で、私とトトはひどいケンカをして、トトは怒ってジョギングに行っちゃった。この最高の天気の中ね」

 これが雨か。案外、うるさいんだ。

 「この動画、本当にこの子が……あなたが、見てくれるか、今の私には確信はないんだけど。だけど、せめて私たちがここにいたこと、あなたを思っていたことを知っていて欲しくて、動画を撮ろうと決めたの」

 過去形だ。

 やんわりと浮かんでいた考えに、骨組みと彩りが与えられる音がした。

 「今は西暦2321年13月35日で、ええと……3年後だから……2324年か。3年後に地球に隕石が衝突するの」

 こちら側の窓の向こうを彗星が流れていく。

 「一般人はほとんど逃げられない。お金持ちでも、どうだろうなーってぐらいの。もう隕石のサイズも判明してて、当たった瞬間地球は真っ二つか真っ四つになるんだって。氷河期どころか、地球が終わるの。あと3年で」

 理科のビデオで見た風景を上回ることが、今の若い両親に降りかかろうとしている。

 「私たちは今年結婚したばかり。このニュースは1ヶ月前に報じられたばかり。世間はとっくにパニックで、私たちもパニックを起こしているのは確か」

 今度動画を止めたのは僕の方だった。

 ひどいネタバレを見た。


 じゃあ、地球には隕石が衝突してしまったということでしょ?

 だから僕はこうして宇宙船にいるんでしょ?

 二人はもういなくて、ほとんどの人がもういないということでしょ?

 じゃあ、一体、僕に、知った知識に、この設備に、何の意味が?


 孤独なのはとっくに気づいていた。そんなわけないと思いながら過ごしてきた。

 見なきゃよかった。知らなきゃよかった。

 それでも。

 震える手で「3日目」の動画をタップした。



 「えーと、昨日僕が撮影をストライキしたので、今日は僕だけで動画を撮るようにメメからの指令です。ひどい気分。とても」

 同じ気持ち。

 「やっと結婚できたのに、あと3年したら死ぬことが決まってるって本当に最悪。先に逃げたいね、僕は。こんなひどい毎日を送るくらいなら、先に自分で終わらせてしまいたい。だけど」

 コーヒーを飲んでいる。父もコーヒーが好きだったのか。

 「君がお腹にいると分かっちゃったから。君にだけはこの先を生きて欲しいと思ったから。だから僕らは天才になることにしました。たくさんケンカしてるし、泣いたり怒ったりしてるし、色々と現在進行形でしんどいけど」

 天才になるとは?

 「手始めに、宇宙船を作ろうと思うんだ」

 父の目の下のクマは、動画が進むごとに深くなっていった。

 母のお腹は、動画が進むごとに大きくなっていった。

 30日目。試作品ロケットが完成。墜落。

 50日目。試作品40号が無事に大気圏突破。

 100日目。ゴミを食べられるものに変える物質を開発。

 200日目。無重力下での運動不足解消プログラム、ひとまず完成。

 300日目。

 「今日は、会わせたい人がいます! ジャジャーン!」

 「退院、おめでとう! 初めまして、ココ!」

 白い布に包まれた赤ん坊は小さなあくびをした。

 母のお腹はすっかり萎んでいた。

 生まれたばかりの自分を見たのは初めてだった。

 左目の下のアザ、生まれた時からあったんだ。

 僕が地球にいた時からあったんだ。

 その事実が、何だかとてもくすぐったいような、声を上げてしまいそうに嬉しかった。


 500日目。母に抱かれた僕が、宇宙船の壁にタッチして、声を上げて笑っている。

 ああ全然憶えていない。当たり前のことだけど、すごく悔しい。

 700日目。作業をする母の後ろで、ギャンギャン泣く僕の声がする。父が必死にあやしている声がする。

 「分かった分かった。ママが行くから!」

 そこで動画が終わる。13歳の僕は、膝を抱えてわあわあ泣いている。ママは来ない。

 900日目。

 「暴動がひどくなってきたので、我が家は今日から地下暮らしです。ココは……君は、何にも知らずにスヤスヤ寝てる。大成しそうで何より」

 1000日目。

 「準備はほとんど終わって、後は発射のタイミング」

 「なあ、思ったんだけど、あの話、しておいた方が良くないか?」

 「……そうかな」

 「そうでしょ。何で一人なんだって、いつか思うでしょ」

 「政府が民間機の脱出を禁じていてね。大人二人隠せる宇宙船は作れなかった。子供一人なら細工が間に合ったけど、もう物資も手に入らなくて。だから、あなただけ行かせるしか……」

 泣き崩れる母。

 そっとその肩を持つ父。

 「ひどいことをした両親だって、憎まれても構わない。ただ、君に生きて欲しいだけ」



 1100日目。

 家の中を一周するカメラ。思い出話をする両親。何も分からずに笑っている僕。

 カメラは家を出て、僕と共に宇宙船に装着される。

 ありったけの愛の言葉を、両親が口々に言う。

 フカフカの布団に寝かされた僕のほっぺを、ずっと撫でている。

 カメラは僕の方へ向けて固定されて、両親が宇宙船から降りる。

 映るのは僕の寝顔と、宇宙船の窓の外。

 振動。

 斜めになる背景。

 色んなところから煙が出ている町。初めて見る地球の町。

 空の青さと、宇宙の暗さが混じり合う。

 閃光。

 宇宙船の外、何百もの光の群れ。

 隕石。

 スヤスヤ眠る僕。上昇を続ける宇宙船。地球から遠ざかっていく。

 ゴウゴウ唸る音。下降を止めない隕石。地球へと引き寄せられる。

 すれ違う僕ら。

 すれ違う運命。



 USBに入っていた動画は、そこで終わる。



 「おはようココ。今日は月曜日ね。今日は数学と理科かな? 時間割。ココは文系なのかな、理系なのかな?」

 朝食のタブレットが出てきて、口にする。トマト味かぁ。ハズレだ。

 窓に映る自分の顔がブサイクで、思わず苦笑いしてしまう。

 ああだって、あんなに泣いたことは生まれて初めて。

 「そう言えば、そうか、もう13歳だから、あの動画は見たのかな。私たちも最後まで作ってないけど」

 「最後の動画撮った後のプログラミング、失敗してないといいなー」

 見たよ。どんな気持ちで過ごしていいか分からないよ。

 「今君は宇宙の中を飛んでいるとして、もしかしたら、何かあったら、きっと出会えるはずだから」

 「うん。姿も形も変わっても、必ず会いに行くからね」


 今日も生命体の反応はない。旅路はあとどれぐらい続くのか見当もつかない。

 何のために生きているか、宇宙を駆けているか、今はまだ分からない。

 いつか分かる日が来るのかな。

 来るといいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る