194. ため息とメイドさん
紅色に染まった中でも際だって美しい輝きを放つ、マリーゴールドを思わせる宝石のような二つの大きな瞳。愛おしくその双眸を見つめながら、彼我の距離を徐々に詰めていく。
口の中の甘さが増すにつれて、欲望に突き動かされた身体はより甘美な果実を求めているようだった。
突然の出来事に驚いているのか、マリーはピクリとも動かずただ俺のことを見つめている。これを承諾と受け取ってしまえば、もう止まる理由はない。
己の内にある感情を、ありのまま――――。
「――――はーい、そこまでね」
しかし、もう目と鼻の先というところまで迫ったところで俺はマリーから引き剥がされた。マリーしか映っていなかった視界がパッと広がり、周囲の視線が一気に意識へと入り込む。
このような場で欲望に突き動かされて周囲や相手への配慮も忘れてしまうとは、本当に自制心が足りていない。かといって抑えすぎてみんなを不安にさせるわけにもいかないし、なかなかどうして難しいものだと痛感する。
ただ、この状況を作り出すような命令を作った藍葉さんに止められたということに対しては抗議する気持ちを持つのは当然だろうと思う。
「・・・・・・どうして止めたんですか?」
「だってもうただのキスになっちゃってるじゃん。お姫様の命令に従ってないってことで審判権限により終了でーす」
藍葉さんはどこ吹く風といったように意地悪な笑みを浮かべながら正論を説いてきた。母さんにしてもこの人にしても、論戦で勝てる気がまったくしない。いや、この二人に限らず俺は女性には勝てないのかもしれない。
とはいえ、何も言い返さずにこのまま負けを認めることもできないため疑問をぶつけておくことにする。
「藍葉さんが俺のことをいじめたいだけでは・・・・・・?」
「さて、気を取り直して二回目のくじ引きやっちゃおっか!」
ここで完璧なスルーを決め込まれるあたり、弟の存在に憧れていた藍葉さんにとって俺はちょうどいい遊び甲斐のある従兄弟ということなのだろう。
個人的にも新鮮な感覚ではあるのだが、決して嬉しいことではないのでため息も零れるというもの。
「はぁ。・・・・・・えっと、マリー? どうかした?」
ここで、俺が引き剥がされてからも正面でしばらく固まっていたマリーが何か言いたげに様子を窺ってきていることに気がついた。声をかけると、いまだに少し赤く見える顔に躊躇の色を滲ませながらも、意を決したようにマリーが口を開く。
「い、いえ。なんでもございません。ですが、その・・・・・・止められなかったら、そのままマリーの唇を奪っていましたか?」
「もちろんそのつもりだったけど、説明もせずにいきなりやろうとしてゴメン。皆の目もあるし、もっと配慮するべきだったって反省してる・・・・・・」
心の準備とかもあるだろうし、こんなゲームで初めての口づけを済ませるというのも改めて考えるとどうなのかと思った。マリーがどういった感情でこの確認をしたのかははっきりしないものの、俺に非があることは間違いないため謝ると、どこか嬉しそうな表情になったマリーが得意げに笑いかけてくる。
「マリーは強引に迫っていただくのも嬉しかったですよ?」
「そっか。じゃあこれからも余裕がなくなった可愛いマリーを見られるように工夫を凝らしてみるよ」
取り乱して固まっていたわけではないのだと、俺が反省しているところを好機と見て負けず嫌いな一面を見せて言い張るマリーは愛らしい。
「い、意地悪なことをおっしゃらないでください・・・・・・」
けれどそれを崩したときの方がもっと可愛いのだと分かってきた。
このまま抱きしめたらどうなるだろうかという考えが頭に浮かんできたところで、ちょんちょんと背中を突かれたので振り向くと、そこには次のくじ引きを始めていた藍葉さんが楽しそうに容器を差し出している。
「ほら、大也くん。次引かないと」
「・・・・・・どうしてそんなにワクワクしてるんですか?」
残る棒の数は二本。俺とマリー以外のみんなはすでに引き終えたということだろう。そんなことよりも気になる藍葉さんの表情の理由を尋ねると、包み隠さず素直に教えてくれた。
「いやぁ、別に残り二本のうちに当たりがあるから期待してるってわけじゃないよ、うん」
「みんなの俺への命令がそんなに楽しみなんですね」
お姫様になれない俺が印のついた棒を引いてしまうと、強制的に誰かから命令される立場となる。何を期待しているのか分からないが、俺が困るところを見たいということだろうか。
「そりゃあさっきのゲームを見てみんなやる気が上がったみたいだからねぇ」
「たしかに視線は痛いです。・・・・・・ちゃんと審判の仕事はしてくださいよ」
「任せといて!」
接触はしていないものの、最初の命令であのような行為をしたのだ。命令の許容ラインがあまり良くない位置に設定されたことは間違いない。
だからできれば引き当てたくはないと思いながら二分の一を信じて引いたのだが、その棒は藍葉さんが期待していたもの。
まったく期待せずに審判へと公正なジャッジをお願いすると頼りにならない返事が返ってきたため、俺はまた内心でため息をつくのだった。
「はい、二回目のお姫様は大也くんが当たりを引いたのでまだ決まってません! 特別ルールが発動して、このもうひとつの容器から引いた数字の棒を持っている人が大也くんに好きな命令ができるお姫様になります。じゃあ大也くん、どうぞ!」
意気揚々とハイテンションで進行する藍葉さんから先ほどとは別の容器が差し出され、七本ある棒から一つを手に取って先端を確認する。
しかし、想定外の事態が視界に入ってきたため困惑気味に笑顔の審判へと疑問を投げかけた。
「・・・・・・あの、番号が二つあるんですが」
「お、早速引いちゃったかぁ。これはダブルチャンス棒、特別に二人がお姫様になれるの。運が良いね!」
通りでワクワクしていたわけだ。こんなものまで入っているなんて。もっと人数が多いものも入っているかもしれないわけなので、これ以上当たりを引くのは遠慮したい。
それ以前にこのシステム自体への文句を言いたいところではあったが、きっとこの実質的な王様には何を言っても敵わないため諦めて数字を読み上げる。
「えっと・・・・・・三番と七番の人」
「七番はアタシ!」
嬉しそうに持っていた棒を掲げる菜月は先ほどのマリーとのゲームを羨ましそうに見ていたので、近いことをお願いされるかもしれない。それでもきっと想定内の要求になると思われるためまだ安心できる。
「・・・・・・三番はわたしです」
もう一人は誰だろうかと思っていると、遠慮がちに手を挙げたのは紫乃藤家のメイドさんだった。
「あれ、藤森が当たったのね。まあ特に気兼ねなく何でも命令しちゃって! 普段メイドやっててストレスもあるだろうし」
「わたしにはもったいない環境で働かせていただいておりますので、そのようなものはございません」
藍葉さんから軽い感じで冗談交じりの言葉をかけられた藤森さんは、綺麗な姿勢で凜と立ったまま即座にそれを否定した。
オリエンテーションという意味では初対面の相手との交流は良いものだと思うが、このゲームが適切なものだとは到底思えない。
ただ、このメイドさんから無茶な命令は来ないという気がするので安心しつつ、紫乃藤家の主従のやり取りを見守る。
「もー、真面目なんだから。でもさ、すっごく気になってることがあるんだよね?」
「・・・・・・それは藍葉さんが伝えてないからでは」
黙っているつもりだったのに、意味ありげな視線を向けてきた藍葉さんへとついツッコミを入れてしまった。
「うん、まあそれはそうなんだけどさ。しょうがないでしょ。タイミングがなかったんだから」
おそらくわざと伝えていないのだとは思うが、ここでその議論をする必要もない。
「あの・・・・・・」
「あ、ごめんごめん。数字が早い藤森からやっていこっか。何してもらう?」
言い合いが続くと何も始まらないことは藍葉さんも当然分かっているらしく、戸惑い気味のメイドさんに声をかけられてすぐに進行を再開する。
「それではその、よろしければわたしの質問にいくつか答えていただけないかと」
「俺に答えられることなら答えますよ」
ゲーム上の立場としてはお姫様と従者なのだが、藤森さんは丁寧かつ謙虚な姿勢でお願いを言葉にした。なんとなく察しのつく問いに答えるくらいならまったく問題はないため首肯すると、メイドさんは意を決したように俺へと問いかける。
「・・・・・・黒菱様は紫乃藤家のご当主様とどのようなご関係なのでしょうか」
「血の繋がりで言えば親子です。まだ会ったことはないですけど、遠くない未来に話はしようと思っています。詳しい事情は後ほど藍葉さんに聞いてもらえれば」
母さんのことを持ち出すと話が長くなるしパーティーという場で複雑な話を展開するのも忍びない。核となる部分だけを答えて後は藍葉さんに丸投げした。
「はい、ありがとうございます。失礼でなければもう一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。お姫様のご命令のままに」
一つ目の問いに対する回答にはいったん満足してもらえたようだが、答えを聞いたときにメイドさんの表情はいっさい動いていないためどのような感情で受け止めたのかまでは分からない。
続く質問はこれだけ多くの女性を連れていることに対してだろうかと予想しつつ、与えられた配役をわざとらしく演じてみたのだが、俺が彼女の仕えている家の関係者と分かったためか焦らせてしまった。
「わ、わたしなどにそのようにかしこまらないでください」
「ほら、早くしないと後ろも詰まってるよ」
誰も急かす気持ちはない雰囲気で、むしろどこか温かい目で見守っているという感じがする。けれど藍葉さんから急ぐように言われたメイドさんは遠慮がちに予想通りの問いを投げかけてくれた。
「はい・・・・・・。それでは、あの・・・・・・お連れの方々とはどういったご関係なのでしょうか」
「みんな俺の大切な人です。何を言ってるのかと思われるかもしれませんけど、全員と結ばれるように努力しているところです」
一夫多妻の計画がどのように捉えられたとしても、この道を進むと決めている俺には関係ない。胸を張って堂々とそう答えると、メイドさんは若干戸惑いながらも肯定的な雰囲気を見せてくれた。
「い、いえ。とても親密なご関係に見えていましたし、少ししか接していませんが黒菱様が素敵な殿方だということも分かりましたので。ですが、その・・・・・・わたしの通っている学校の先輩と教員のお二人とはどちらでお知り合いになったのでしょうか。最初は黒菱様に気を取られて気づけませんでしたが、黄波菜月先輩と青星瑠璃先生ですよね?」
「「「え?」」」
まったく想定していなかった問いが投げかけられて、俺を含めた当事者三人の驚きの声が重なるのだった。
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