185. 予想通りともしも
白を基調とした明るい病室。飾られた色鮮やかで綺麗な花々もよく映えていて、手術前の母さんも元気をもらえているのではないかと思う。
もっとも、それは俺が買ったものではないのできっと一華さんによる心遣いだろう。花の種類についてはまったく知識がないものの、花言葉や縁起を考えたものなのかもしれない。
これまで相対することを避けてきた話題に踏み込んでいくこともあって、心の迷いに合わせて視線まできょろきょろとせわしなく動いてしまっている俺は、そんなことを思いながら母さんの言葉を待っていた。
「――――最初に結論を、っていうのが大人の話し方よね」
「・・・・・・そうなのか?」
どこか得意げな表情でよく分からない切り口から話しを始められて反応に困ったものの、だからこそわざわざ一緒に話を聞いてくれているみんなに受け答えさせるわけにはいかない。
若干の間を空けて言葉をひねり出したわけだが、メインスピーカーもよく考えての発言ではなかったらしく返答も適当なものだった。
「たぶん! まあ変に結論を長引かせても話がまとまらないだろうし、その方がいいかなって」
「母さんの話したいように話してくれ・・・・・・」
ある程度予想ができているとはいえ、こちらは覚悟を決めてここにいるわけで。母さんなりに空気が重くならないように気遣ってくれているのかもしれないが、俺としてはさっさと切り出して欲しいところではある。
それでも母さんのペースに合わせると決めて意志を伝えると、母さんは本当にいつも通りのテンションでさらっと真実を言葉にした。
「言われなくてもそのつもりだから。じゃあ早速、大也の父親についてね。たぶんみんななんとなく分かってるとは思うけど、あの紫乃藤家のご当主様よ」
「ああ、なんとなくそうだろうなって思ってた」
俺がその可能性を意識したのは、バイト先で出会った紫乃藤家のご令嬢たちの反応を見たときだ。それと、彼女たちに対して俺自身も謎の親近感というか甘やかしてしまいそうなる感覚を覚えたことも一因だろうか。
うちの家計事情を鑑みるに相当な金持ちであることは分かっていたし、その事実はすんなりと受け入れることができた。このことが俺の中で確定してしまえば父親に対して今とは別の感情が湧き上がるものかとも思っていたが、今のところこれといって心に動きはない。
一緒に話を聞いてくれているみんなの顔色を窺ってみても、紫乃藤家と関係の深い雪華とマリー、母さんから聞いていたであろう瑠璃さんに驚いた様子はなかった。菜月も同様なのは、誰かから情報提供があったためだろうか。
いざその事実を知ってしまえば、直視できていなかったことが馬鹿馬鹿しくなるくらいにあっさりとしている。世の中、やってみてから自分が勝手に大きな壁にしていただけと気づくことも往々にしてあるものだ。
想像以上に冷静な頭でそんなことを考えていると、母さんがたいしたカミングアウトにならなかった要因を分析し始める。
「いやぁ、まさか大也が紫乃藤家の人と知り合うとは思ってなかったなぁ。雪華ちゃんとマリーちゃんもそうだけど、私たちとは住む世界が違うし。まさか執事喫茶に来るなんてねぇ」
「母さんだって実際に知り合ってるだろ」
そもそもの始まりは俺が雪華と知り合ったこと。あれもただの偶然ではあったが、そこからマリーと紫乃藤姉妹にも繋がったと思うと運命の出会いだったと思えてくる。あのときには今の状況など想像も出来なかったわけだし。
雪華の小さく綺麗な顔を見つめながら数ヶ月前のことを思い出しつつ、母さん自身も俺と同じように接点を持っていたことを指摘する。
「まあそうなんだけどさ。あっ、そういえばこれだけは言っとかないと。大也はあの人のこと恨んでるかもしれないけど、きっと自分に息子がいるってこと認知してないと思うの。だから、許してあげて」
母さんの話し方に違和感はないものの、ここまで名前を呼んでいないことや会話の流れ的に聞けると思った出会いの話をしなかったことから、積極的に思い出そうとしていないように思った。
とはいえ、今は母さんが思い出しかのように告げてきた事柄の方が大事だ。たしかに俺は顔も名前も知らない相手へと憎悪の感情を持っていたことがある。母さんの体調が悪くなったのはすべてそいつのせいだと、子どもらしく責任を押しつけていたから。
でも今は違う。少しだけ大人になったからだろうか。原因はすべてあいつにあるのだと、おぼろげにしか覚えていない母さんの元友人を思い出しながら黒い感情を心の内に仕舞い込む。
そんなことよりも気になるのは、その相手が俺の存在を知らないという点だ。
「・・・・・・別にもう恨んでないから。でもなんで知らないんだ? その・・・・・・そういうことやったんだろ」
「当然の質問ね。子どもは勝手に出来たりしないし」
みんながいる前で直接的な単語を使うこともできず曖昧な言葉で尋ねると、母さんはうんうんと頷いた。周囲を見渡すと、聞いてもいいのだろうかというような表情で顔を見合わせている俺の大切な人たち。しかしながらここまで聞いて真相を聞かないという選択肢はなかった。
「で、どういうことなんだよ」
「そんなの決まってるでしょ。私が彼のことを酔わせて襲った――――ううん、襲わせたのよ。あの人すごいお酒弱くて、すぐ記憶なくすからこれしかないって思って。本能的な欲求のすさまじさを実感させられたわね、うん」
「・・・・・・は?」
あまりに予想外の回答に間抜けな声を出してしまった俺には、周囲の反応を伺う余裕などない。今度はしてやった感のある満足げな表情で、母さんが呆けた表情をしているはずの俺を笑ってくる。
「ふふふ、何その顔。まあ、それだけ彼のことを愛してたってこと。婚約破棄されてもう二度と会えないってなったから、最後の思い出にね。これで子どもができたらもう恋愛はしないって決めて実行して、運良く大也を授かることができたの」
母さんはもう誰のことも好きになりたくなかったのかもしれないと、なんとなくそう思った。たとえ俺が生まれてなくても、一人の相手を思い続けていたはずだと。
それを言葉にすることはためらわれたため、嬉しそうに俺の方を見つめている母さんを見つめ返しながら、他に気になった点を聞いてみる。
「・・・・・・相手も同じ気持ちなら同意の上ですればよかっただろ」
「むりむり。あの人すごく真面目で、婚前交渉はぜったいしないって決めてたから。それに、そうしたらきっと彼が苦しむことになるでしょ。別の女性と結婚して跡取りをつくるように言われるんだから。過去の女は潔く身を引くべきなのよ」
黒い瞳の奥に映っているかもしれないその人が大切だからこその行動だったということは、当然察することができた。俺にはある意味で父親が存在しないということも。
ただ、潔くと言うなら思い出にそういうことをするのはどうなのかと思わなくもない。
「母さんの行動が潔いのかどうかはともかく、俺の出生についてはよく分かったよ。最初から父親はいなかったってことも」
「まあそういうことになるかもね。だから大也も私も捨てられたってわけじゃ――――」
「分かってるよ。俺も人を好きになったから、わかる。でもそうするしかなかったのか、とも思う」
母さんがすべて言い切る前に答えてしまったのは何故だろうか。遮ってでも理解しているということを伝えたかった? いや、そんなことはどうでもいいか。
俺自身もみんなのことを好きになって、ずっと一緒にいたいと思う気持ちを強く持っている。それでも別れが来る可能性はあって、本人たちにはどうしようもないことであったなら受け入れるしかないのかもしれない。
そのときに母さんがどんな気持ちで受け入れたのかはわからないけれど、大切な人のことを思った結果現状が生まれたというなら、そこに間違いなどないと俺は思う。
ただ、ずっと母さんと一緒にいた俺からすれば素直に飲み込むことができない部分もある。名家の御曹司なら何かしらの力を持っているはずなのに、それ以外の道は無かったのかと。
「彼のお父さんとお兄さんが事故で亡くなって、突然紫乃藤家を背負うことになったのよ。名家の当主が私みたいな家に何の繋がりも力も無い女と一緒になることは許されなかったの。当時はまだ白宮守も橙宝院もライバルだったし、政略結婚で名家のお嬢様を迎えて家の力を高めることを求められるのは当然だった。まあ今はその三家で政略結婚してるんだから世の中分からないものよね」
どこか暗い、けれど重たくはない声で事情を説明されて、これ以上口を挟むことはできないと直感的に思った。今更どうにもならないことであり、そこに触れると俺自身が後悔するような気がしたから。
そう、今は前を見て話をするところだ。母さんが望むのであれば、手術の前に行動しなければならないことがある。
「・・・・・・母さんは、その人に会わなくてもいいのか?」
考えたくはないが最悪の場合、母さんがもう一度その人に会うという機会はなくなってしまう。相手の気持ちは分からないものの、会いたいと言うならなんとかしたいという気持ちでそれを尋ねた。
対する母さんの答えは、曖昧な苦笑い。
「うーん、わからない。大也がいてくれるだけで幸せだし、あのとき決別も済ませてるから。それに、今はたくさんの孫の顔を拝むことが最大の望みなんだから」
そして未来を見据えた楽しげな笑みだった。
大丈夫だと安心したものの、そういう気の早い話をされると俺としては困るわけで。さっきも子どもの話が出てきて、襲うだの何だの言ってたのだから意識してしまうではないか。
「だからいちいち空気を気まずくしないでくれ・・・・・・」
静かに話を聞いてくれているみんなの様子を見渡しても、どことなく気恥ずかしいという感じでチラチラと視線が合ったり合わなかったり。
俺たちのそんな空気感が面白かったのか、母さんは意地悪な表情と声色で爆弾を投下してくる。
「別にいいでしょ、これくらい。それで、誰が一番最初に私の夢を叶えてくれるの?」
「「「「・・・・・・」」」」
回答はない。もちろん俺も何も言えない。
しかしチラチラと視線を向け続けられて無言が続けば、何かアクションを起こさざるを得ないという気になってくる。
「えっと・・・・・・どうして俺の方を?」
「だ、大也くんはどうしたいの?」
偶然パチッと視線が合った菜月が代表して確認の問いかけをすると、他の皆もうんうんと頷きながら俺の回答を待っていた。
最初に、と言われてもまだ高校生だし。雪華は中学生で、瑠璃さんは担任教師。そして何より、まだ結婚はもちろんのこと婚約だってしていないわけで。
もしそのあたりの問題をクリアしたとしても、順番をつけたくない俺はどうしたらいいのだろうか。いや、先のことを考えていると沼にはまってしまう。ここはとりあえず逃げるしかない。
「あの、そういうことはまだ早いというか、話の本筋から離れてるというか・・・・・・」
みんなのことを大切に思っているからこその回答だと分かってもらえると信じて呟くと、やれやれといった様子で母さんがみんなに謝る。
「ごめんね、みんな。大也も結婚するまでは手を出さないタイプみたい」
俺『も』という点に引っかかっていると、面白がっている感じだった母さんが急に穏やかな笑顔を浮かべて言葉を続けた。
「・・・・・・まあそういうところとか顔とか似てるところもあるし、私にもしものことがあったら紫乃藤家を頼りなさいよ。一華さんにも手を回してもらえるように頼んであるし、学校のこととかも瑠璃ちゃんに頼んであるから。紫乃藤本家には女の子しかいなくて困ってるみたいだから歓迎されると思うわ」
もしものとき。考えないようにしていても、そうなってしまったときの対応は考えておかなければならない。
けれど、今し方父親はいなかったのだと自分を納得させたところなのに紫乃藤家を頼れと言われてもなかなか難しい。
ほかに親戚がいない以上、俺に選択肢が多くないことは分かっている。
それでも、俺は―――――。
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