159. 未来と手助け


 賑やかだった空間から一転、いつも通り二人だけの静かな我が家。五月の太陽が沈んでしまったせいもあるのか、心なしか室温も低下している気がする。


 ただ、個人的には慣れ親しんでいることもあって今の方が落ち着くかもしれない。先ほどまでの幸せな時間も当然かけがえのないものだと思っているが、これぞ自宅という染みついた空気感は何物にも代えがたい。


 もっとも、唯一の家族である母さんは残念そうにため息をついて未練を表しているのだが・・・・・・。


 「―――――はぁ。みんな帰っちゃったわね」


 「また無理してテンション上げてたんだから少し休めよな」


 雪華と一華さん、マリーの三人は先ほどまとめて岐路に着いた。橙宝院家のいざこざも解決したようで、白宮守家が送迎するという流れになったわけである。


 せっかく買い物に行ったのだから、と雪華は帰り際にお泊まりの日程を決めたがっていたが、一華さんがまた今度にしなさいと少し強めに言ったこともあり保留となった。そのときの可愛い不満顔を見てマリーと笑い合ったりもして、最後まで幸せな時間だったと思う。


 だからこそ、母さんの状態も心配になるというものだ。昼に俺が帰ってきてからずっとハイテンションだったし、体調を思えば当然無理をしているだろうから。


 「えぇー、心は元気いっぱいなのに?」


 「一華さんだって母さんの体調が良くないから先に話をしたんだろ」


 唇を尖らせて文句を言ってくる母さん。若いと言えば良いのか幼いと言えば良いのか分からないが、もう少ししっかりして欲しいところではある。


 ただ、それもこちらに心配をかけたくないからわざとやっているだけなのだと、なんとなく分かった。ここはその真意を優先して話を終わらせるべきかと思ったものの、ここは踏み込んで聞いておくべきだと何故か直感的にそう思って尋ねる。


 「・・・・・・分かっちゃうのか。流石私の息子ね」


 「まあな。それで、一華さんはなんて?」


 少し驚いたように目を見開いた母さんが苦笑しながら頷いたので、その話の内容についても確認した。あまり重たい空気にならないように、明るい声を心がけて。


 「手術してくれるって。たぶん今この国で手術できるのは一華さんだけで、早ければ早いほうが良いってさ」


 「・・・・・・断ったのか?」


 困ったような笑顔で告げられたせいだろうか。その一華さんの提案に対して母さんが乗り気ではないとすぐに理解できた。これまでに手術の話はなく、唯一のチャンスかもしれないのに、どうして。


 そんな疑問を抱きながら、まとまらない感情を隠して問いかけると、母さんも誤魔化すことなく本音で答えてくれる。


 「うーん、保留中。精密検査受けて成功率聞いてから決めようかなって」


 「・・・・・・そっか。判断は母さんに任せるよ。母さんが一番幸せだと思う道を選んでくれ」


 本心を言えばすぐにでも手術を受けて欲しい。もちろん絶対に上手くいくわけじゃないと分かっているが、長く生きられる可能性があるならばその道を選んでもらいたいのだ。


 それでも、母さんの真意を知らないまま俺がそれを言葉にしてしまうのは違う気がした。だからそれを確かめるためにも、考えを聞かせてもらわなければならない。


 家族としてそんな思いを込めて返すと、母さんは今にも泣き出しそうな表情で言葉を紡ぎ始める。


 「1 % でも失敗の可能性があるなら、私は手術を受けたくない。大也と雪華ちゃんの間に余計な感情を残し――――」


 「俺のことは気にしなくていいから。それに、もし失敗したとしてそれで一華さんや雪華に八つ当たりするほど子どもでもないって」


 でもそれが俺のことを思いやった答えだと分かった瞬間、反射的に声を出して遮ってしまった。優先して欲しいのは母さん自身の気持ちだと、改めて黒の双眸を見つめながらそう伝える。


 「私にとって、大也はいつまでも子どもなの。大切で、大事で、かけがえのない宝物なの。大也の幸せが、私の幸せなの。だから手術を受けて死んで、要らないものばかり残して一人にさせるなんて、絶対にできるわけないじゃない・・・・・・」


 ただ、見つめ返された瞳にも強い意志が宿っていて、母さんにとっても譲れないことなのだと理解させられた。


 気持ちは嬉しいし、大切にも思われていることも幸せなことだ。それでも、そうであるからこそ、俺の気持ちを取り違えて欲しくない。


 俺にとっても同じだということ。母さんに幸せであって欲しいということ。


 頭に最悪の事態がちらつかないわけではない。けれど、願う幸せはそれを信じなければ掴み取ることなどできないと思うのだ。


 「こういうときはさ、失敗したときのことより成功したときのことを考えようぜ。長生きしてくれたら俺は嬉しいし、母さんの夢だって叶えられるかもしれない。いや、俺が叶えてみせるから。そんな明るい未来を願って生きたいと強く思えば、きっと成功率だって 100 % を超えるって」


 自分でも根拠のない絵空事を言っている自覚はある。母さんの意思を尊重したいと考えておきながら、選択を誘導してしまうような発言をしているという自覚も。


 これはただの我が儘だ。目指す未来に母さんがいて欲しいという、久しく表に出してこなかった親へのお願い。


 だから、涙ぐむ母さんの言葉は俺に相応しいものではないのだ。


 「・・・・・・ほんと、立派になっちゃって。どっちが親か分からないじゃないの」


 「いろいろと覚悟を決めたからな」


 それでも偉ぶって見せたのは、自分の言葉に責任を持つ意思表示。まっすぐにその未来を信じて進んでいくという。


 「ふーん。だからさっきもあんな大胆なことしたのね」


 「これからは恥ずかしいことだと思わずに気持ちを伝えていこうと思ってさ」


 弱々しい姿を見せたことが恥ずかしかったのか、いきなりいつもの雰囲気に戻ってニヤニヤしながら別の話題でいじろうとしてくる母さん。追求されているのは、雪華とマリーを見送った際の出来事である。


 昨日マリーが余裕の表情で挨拶のハグくらいいつでもオッケーという雰囲気だったので、少し試してみようと思い二人を抱きしめて耳元で囁くということをやってみたわけだ。気恥ずかしさはあったものの、二人の真っ赤な顔を見られて満足している。


 先のことを考えればいつまでも恥ずかしがっているわけにもいかない。みんなから愛想を尽かされないように気持ちを行動で表現していくことに決めたのだ。


 そんな俺の覚悟が伝わったらしい母さんが微笑みながら尋ねてくる。


 「そっか。まあ頑張りなさい。ということは、そろそろ話を聞く気になった?」


 「・・・・・・とりあえずテストが終わってからでもいいか?」


 何の話か、それは当然理解できた。けれど今の俺は学校が差し向けてくる強敵に立ち向かっている最中なので、まずはそこに集中させてもらいたい。


 その壁を越えたなら、全集中で向き合おうと思う。


 「はいはい。そんな感じでずるずる先延ばしにしないことを祈ってるわ」


 「分かってるから、母さんも早めに一華さんに診てもらえよな」


 母さんの声にはどこかバカにしたような雰囲気もあったが、本心だと理解してくれているような気がした。


 こちらとしても、先ほどから母さんが携帯を片手に会話している理由については察していたため、返事をしつつ分かっているぞという雰囲気を出す。


 「善は急げってね。もうメールしたわ! たくさんの孫と幸せに暮らす未来のために!」


 「・・・・・・その調子なら大丈夫そうだな」


 やっぱりこうでないと。


 いつもの落ち着く空気が戻ってきたことにホッと安堵しながら、大切な唯一の家族を見つめるのだった。


―――――――――――――――――


 ところ変わって、白宮守家所有の白塗り高級車の車内。


 執事の桃瀬が運転席に座り、広々としたリビングにも見えてしまう後部座席に一華、雪華、茉梨衣が腰掛けている。


 外界の光を遮り白い電灯の明かりに照らされた車内では、後部座席に座る内の二人の顔色はとてもわかりやすく朱に染まっていた。


 「――――ねえ、二人ともいつまでぼーっとしてるつもり?」


 「「・・・・・・」」


 それだけでなく、一華が呼びかけても上の空でまったく反応がないという状態である。


 こうなってしまった原因を思い出しながら、一華はため息をついた。


 「はぁ。しばらくダメそうね。まあいきなりあんなことされたら、とは思うけど・・・・・・。大也くんが女たらしなのか、それともこの子たちがチョロいだけなのかしら」


 玄関先での突然のハグ。順序をつけたくないためか二人同時に抱きしめ、端から聞いた一華からすればこそばゆい言葉を囁く。女子校育ちのお嬢様たちには刺激が強く、親として心配になるくらい完全に機能を停止させられてしまっている。


 幸せそうな表情なので無理に覚醒させるのも忍びないと思った一華ではあったが、こんなことで将来大丈夫なのだろうか、とも思ったようで、その声には不安やら呆れといった感情が宿っていた。


 そんな母親の呟きに対し、車を運転する老執事が自然に言葉を返す。


 「黒菱様がそれほど魅力的な殿方、ということでは?」


 「それはそうね。あの子とても良い子だし、ついつい手助けしたくなるのよね。あ、そうだ。いろいろ事情も分かったから、とりあえず裏取りと証拠集めしておいてくれる?」


 娘たちから反応がなく多少つまらなさを感じていた一華は、会話相手を見つけて少しテンションが上がったらしく生き生きと執事に頼み事を告げた。


 「仰せのままに」


 「・・・・・・私は百合花ちゃんの手術に全力を尽くすから、そっちは頼んだわよ」


 短い了承の返答を聞いた一華が表情を一変させ、真剣な顔つきでもう一度執事に依頼する。百合花の一件に関してここまで一華が何も言っていなかったことから、返答が芳しくなかったのだろうと推測していた老執事であったが、先ほど鳴った通知音によって状況が変わったのだろうと察したらしく、どこか安堵したような雰囲気をほんのわずかに見せつつ答えた。


 「承知いたしました」


 「ついでだから琥珀くんも巻き込もうかと思うんだけど大丈夫?」


 分かっていた回答を聞いた一華は、続けて老執事へと確認を取る。橙宝院家も黒菱親子のサポートにつけようという提案だった。茉梨衣だけでなく兄も琥珀も大也という人間を大切にしていると知っていたためだろう。


 かつては敵対していたこともあったが、だからこそ味方になれば頼りになることも知っている。今後の関係性を考えても、この協力関係は築いておくべきだろうと一華は考えているようだった。


 もちろんその思考は老執事も共有しているため、返事は当然イエスとなる。


 「もちろんでございます。老いぼれたこの身だけでは些か時間が掛かりますので」


 「できないと言わないあたりは流石ね。とりあえずマリーちゃんと一緒に話つけてくるから、上の空な雪華のこと任せたわ」


 「お嬢様のことはお任せください」


 そろそろ橙宝院家の屋敷に着く頃合いということで、一華は茉梨衣の荷物と一緒にぽけーっとしている茉梨衣の腕を掴んだ。


 本来であれば執事が荷物を持って同行するところだが、雪華のことを優先しろという命令であることが明らかで、一華が自ら話をつけにいくと言っているため、老執事は主人の意向を汲んで忠実に自身の役目を果たそうと簡潔に返答する。


 「・・・・・・だいやさん、ダメですよぉ」


 謝罪の際にも抱きしめられているはずなのに、そのときよりも重症化して普段は見せないだらしない表情で幸せそうに何事か呟いている雪華。そんな彼女の知らないところで、強力な大人たちが動き出したのであった。


 

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