告白三日目

 高志と遥の家は近所である。

 小学一年で同じクラスになって以来の腐れ縁だとお互いに言い合ってきた。


 パジャマ姿の高志が眠い目をこすりながら朝ご飯を食べているさなか、玄関のチャイムが鳴った。

 インターホンに出た母から「遥ちゃんよ」と呼ばれて、高志は玄関を開ける。

 ビデオカメラを構えた遥が待ち構えていた。ブレザーの制服姿だ。

「おはようッ!」

 朝から元気はつらつな挨拶をしてくる。

 パジャマ姿で寝ぼけ眼の高志とは対照的だ。

「こんな姿を撮るなよなあ」

 遥は高志の文句を気にも留めず、

「今日の準備はできたかな?」

「書いたけどさあ」

「よしッ!」

 遥は勝手知ったるなんとやらで、

「お邪魔しまあす!」

 上がり込んで、そのまま高志の部屋へ。

「お、おい、待てよ」

 慌てて高志は追う。


 遥は高志の部屋のドアをちゅうちょせずに開けて入る。


 高志の部屋は質実剛健、飾り気といえば陸上競技大会のポスターが貼られているぐらいで、モノクロなベッドに目覚まし時計、スチールデスクに事務っぽい椅子と参考書類が並んだ棚があるだけ。

 その部屋にはどうにも不似合いな、クマさん柄の封筒と便箋がデスクの上に載っている。

 遥は便箋を取り上げた。


「読むなよ!」

 高志は叫ぶも、

「映画の撮影用なんだから監督は読むでしょ。どれどれ」

 遥は便箋に書かれた文字を目で追うにつれ肩を落としていき、露骨にがっかりしたポーズをとる。


「いやあ高志クン。昼休みに体育館裏で会いたいですってだけじゃあ、ただの用なのか決闘の果たし状なのかラブレターなのか全然わからないじゃないの」

 クマさんレターセットの便箋を遥は左右に振ってみせる。

「せっかくあたしがかわいいレターセットを見繕ってあげたっていうのに」


 高志は顔を真っ赤にして、

「初めて書いた、ら、ラブレターなんだ。仕方ないだろ」

 遥はペン立てからピンクの蛍光ペンを取って、

「どこにもラブがないぞ? あたしが足しておいてあげよう」

 便箋にピンクのハートマークを大きく描く。

 高志の全身が赤くなる。


 遥は便箋をきれいに畳んで封筒に入れ、クマさんシールで封をした。

「よっしゃ、これで今日の告白も準備万端、先輩が登校する前に届けようじゃないの」

「まだ朝飯食い終わってねえよ!」


 昨日の帰り、いい加減に今後の予定を教えろと抗議した高志に対し、明日は体育館裏の告白だから呼び出しのラブレターを書いておけと遥はレターセットを渡したのだった。

 広阪先輩は明日が最後の登校日。上履き入れに手紙という定番ネタをやるにはラストチャンスだ。

 長距離走で疲れた体に鞭打って、一晩悩みきったあげくに書いたのが、昼休みに体育館裏で会いたいですの一行だったのである。


 急いで朝飯をかきこんだ高志を引きずるように遥は、

「行ってきまあす!」

「はあい、行ってらっしゃい」

 高志の母に見送られて出発したのだった。


 先輩が登校するよりも前に手紙を上履き入れに届けておく必要があるから、朝もまだ早い。

 朝七時の寒風が肌を打つ。

 二人で電車に乗って、今日の計画を練っていると高志もなんだかんだワクワクしてくる。

 今日も先輩に会える。昨日よりも話をしてみせるぞ。


 早朝の校門をくぐる。

 人影はまばらだ。

 遥はビデオカメラを取り出した。

「さあ出番だぞ。行くのだ高志」

 

 遥のビデオカメラが動き出す。高志を捉えている。

 高志はカバンから封筒を取り出し、先輩の上履き入れを探す。


 早朝練習に来ていた同級生の陸上部員が通りかかるも、ビデオカメラに気付いて素通りしていく。

 カメラの嘘はすべてを許すという遥の口癖を高志は実感した。

 これがいつもだったら、さんざっぱらクマさん封筒をからかわれたことだろう。


 高志は先輩の上履き入れを見つけた。

 そっと扉を開くとなんだか犯罪者気分になる。

 通りすがりの女生徒たちがこちらに目をやる。

 しかし彼女たちもビデオカメラに気付いて、何も言わずに去っていく。

 封筒を上履きの上にそっと置き、高志は扉をゆっくり閉めた。


 高志が自分の上履きを取り出して教室に向かおうとしたところで、

「カットーッ!」

 後ろから遥の声が響いた。

 ひとまず撮影終了、高志は肩の力を抜く。

 遥は教室を指さし、先に行っておけとのジェスチャー。

 先輩が手紙を見つけるシーンも撮るのだろう。

 その様子を見るのは恥ずかしすぎて耐えられない。

 高志はそそくさと教室に向かった。


 他の生徒がまだ登校していない教室で、高志はひとり待つ。

 気もそぞろで何かする気になれない。

 ぽつりぽつりと生徒が教室に入ってくる。

 挨拶されたことに気付いて、慌てて挨拶を返す。

 ようやく遥が教室に入ってきた。

 遥はにやりと笑ってサムズアップ。

 高志はほっとすると共に、なにか妙にうれしくなった。

「先輩は来てくれるそうだからさ、昼休みはがんばるのだぞ」

「ん、ああ」

 生返事をしながら、高志は自分のうれしい気持ちがどこから来たのか分からずに戸惑っていた。


 昼休みのチャイムが鳴った。

 いよいよ今度こそ告白シーンである。

 体育館裏へと向かう。

 今回は、壁ドンや長距離走といった難しいアクションは要求されていない。

 ただシンプルに告白すればいいのだ。

 そう考えて高志は自分を奮い立たせる。


 高志とてこれまで好きになった女の子は複数。

 告白に挑戦したことだってあるが、ひどい思い出だけが残されている。もう二度と告白なんてするものかと思うほど。

 今回はそのトラウマを拭い去るチャンスなのだ。

 

 廊下の奥には、遥がビデオカメラを構えている。

 その前をなるべく自然に通り過ぎる。

「右手と右足がそろって前に出てるよ」

 遥がそっと言う。

 高志は足の動きをなんとか修正。

 動揺を隠そうと深呼吸する。


 下履きに履き替えて校舎を出ると、体育館のほうへ。

 人影もまばらになってくる。

 体育館裏のほうには、ビデオカメラやレフ板を用意した映研の部員たち。

 そして広阪先輩が待っていた。


 高志はごくりとつばを飲み込む。

 離れたところから見ても広阪先輩の存在感は別格だ。

 まるで体育館裏が華やいだステージであるかのように見える。


 高志に気付いた先輩が楽しそうに大きく手を振ってきた。

 振り返す高志は微笑もうとして表情を強張らせる。

 一歩一歩、ギクシャクと近づいていって、とうとう先輩が目の前に。

 空気が香しく感じる。


「せ、先輩、こんなところまで来てもらいまして、その、ありがとうございます」

「構わないわよ。何の話なのかしら?」

 先輩はわかっていて話を振ってくる。にこにこして実に楽しそうだ。


 ビデオカメラが高志たちを撮影している。

 そう、これは映画の一シーンだ。全ては嘘。

 失敗なんて気にせず、気軽に愛の言葉を伝えればいい。

 高志は自分にそう言い聞かせる。

 この後にどんなシナリオが用意されていようとも。


 さあ、言うんだ。

 ずっと好きでした、付き合ってくださいと。


 高志は深呼吸で大きく息を吸い込み、心を落ち着かせて、はっきりと先輩に向かって告げる。

 そういえば昼休みだ、お腹が減ったな。


「先輩、ご飯を一緒に食べませんか。今までのお礼におごらせてください」

 自分から出てきた思わぬ言葉に、高志自身がきょとんとする。

 先輩は楽しそうな困り顔になって、

「今日はこれから家族と約束があるのよ。明日の夜だったら付き合えるわ」

「ありがとうございます! では明日の夜に」

「フフフ、ディナーを楽しみにしているわ、連絡を待っているわね」

 先輩は手を振り、去っていく。

 後ろ姿も様になっていて、高志は見とれる。


「カット!」

 遥の声で高志は我に帰った。

 遥が寄ってきて、

「おやおや、告白はどこに行ったのかな?」

 高志は自分の気持ちがよく分からなくて少し逡巡してから、

「明日のディナーを付き合ってもらえるって約束できたんだ。大進歩だろ」

「う~ん、ディナー告白シーンでもいっか」

「やっぱり撮影するのかよ!」


 そこで遥はいつになく真剣な顔になった。

「ねえ高志、広阪先輩に出していいディナーってなに? 学食とか、いつものラーメン屋じゃだめだよね?」

 高志が自信なさげに言う。

「フランス料理のフルコース…… とか……?」

「予算的に無理だねえ…… う~ん、そうだ、手作りしよう! あたし定食屋でバイトしているから、特訓したげるよ」

 高志がきょとんとする。

「どうして特訓するんだ?」

「告白なんだから、高志が愛をこめてディナーコースを作るでしょ」

「そういうものか?」

「そういうものじゃないかな。先輩が高志の作った料理を食べて喜んでくれたら高志もうれしいでしょ」

「それはそうだが」

 高志は納得がいったような、いかなかったような表情を浮かべる。 

「そうと決まれば明日まで特訓だ!」

 遥がガッツポーズを決めた。


 放課後、遥と高志は近所のハニマートに向かった。

 高志の母もよく利用しているハニマートは安くて品ぞろえもよいスーパーだ。

 遥がアルバイトしている定食屋の定食山海にも材料を卸しているそうで、同じ材料をそろえることができる。

 さすがに遥もここでは撮影する気はないようだ。


 スーパーの中は冷えた冷蔵庫の中みたいな匂いがする。温度も低くて肌寒い。

 遥がぐいぐい先導して高志はついていく。

 高志が提げた買い物籠に遥がひょいひょい豚肉やキャベツを放り込んでいく。

 これはこれでお金がかかりそうであり、支払うのは自分に違いないと高志は覚悟を決める。


 夫婦で買い物をしている人たちも多い。

「なんだか俺たち家族みたいだな」

 ぽろっと高志がつぶやくと、遥の動きが止まった。

「何を言っているのかね君は!」

 遥は目を泳がせてから、

「十年早いよ!」

 高志の背中をばんばん叩く。


 十年経ったらどうなんだよと想像して、高志はかなり恥ずかしいことを言ってしまったことに気付く。

 これではまるで二人が付き合ってるみたいじゃないか。

 小学生以来の腐れ縁が続いている遥のことをそんな風に意識したことはなかった。


「いかんいかん」

 高志はつぶやく。

 遥は俺の告白を応援しようとがんばってくれてるのに、もっと告白に向けて集中せねば。


 そのつぶやきを聞いてか、遥にしては珍しく微妙な表情を浮かべたが、すぐに、

「定食屋のプロとして、ベストな買い出しをしてあげるよ!」

 いつもの調子で言い出した。

「任せたぞ!」

「おう、任された!」

 普段のリズムを取り戻せたと高志はほっとする。


 買い物はやはり高志の財布からで、明日の本番分も買ったら今月の小遣いが吹き飛ぶのは確実だった。高志は涙を飲んだ。


 遥はアパートに一人暮らししている。

 女性入居者専用アパートで防犯はしっかりしている。

 両親が急に海外赴任となり、日本の学校に通うためにひとり残ることを遥が選択した結果だ。

 親と離れて寂しかったのか遥はしばらく落ち込んでいたが、高校に入って映研で活動を始めたら元気を取り戻した。


 今晩は遥と食べてくるので夕食不要だと、高志は家に連絡してある。母は妙に嬉しそうだった。

 遥がアパートの部屋に鍵を開けて入り、スーパーの大きな袋を提げた高志が後に続く。


 間取りはダイニングキッチンと寝室に居間の2DKだ。

 居間は映研の部室に似ている。

 ビデオカメラなどの機材が所狭しと置かれ、棚にはびっしりと映画のソフトが詰め込まれている。ハリウッドアクション映画が多い。

 机に鎮座しているのは編集用のコンピューター。勉強机には使えそうにない。

 女子高生らしさはみじんも感じさせない部屋だった。


 脚本を試し読みしろやら新作映画の研究に付き合えやらで、高志はこのアパートに時々来ている。遥を女性と意識したことがなかったので、普通に男友達の部屋まで遊びに行く感覚だ。

 それが今日な妙な緊張を感じた。

 どうもスーパーで変なことを言ってしまったせいだなと高志は後悔する。


 二人でダイニングのテーブルに座り、買ってきたペットボトルのお茶を遥がコップふたつに注ぐ。

 遥がコップをひとつ高志に寄こして、

「まあ飲みたまえよ」

「買ったのは俺だけどな」


 遥はぐっとお茶をあおって一息に飲み干す。

 なぜか喉の動きが目について、高志は目をそらした。


 遥がテーブルにスケッチブックを開いて置き、ペンを手に取る。

「作戦会議を開始するッ!」

 スケッチブックにディナー告白シーンと書いてから項目を並べていく。


1.料理は愛をこめて高志が作る

2.料理は告白にふさわしいディナーコースである

3.料理はおしゃれな部屋で食べてもらう


 高志は眉をひそめる。

「1だけど、言ったとおり俺は料理したことないぞ」

「明日まで特訓だッ!」


「ディナーコースってどんなのだ。食べたことないぞ」

「ディナーコースすなわち夜の定食だッ!」


「おしゃれな部屋……?」

「この部屋を飾るッ!」


「さすがに無理がないか」

 高志が見回す。

 本来は女性専用アパートなのでそれなりにおしゃれな作りのはずなのだが、機材の山と主のセンスがそれを帳消しにしている。

 カーテンは暗幕、壁にはB級アクション映画のポスター、食器類はアウトドア撮影用にそろえたテント用品。


 遥が胸を張る。

「女性部屋のシーンを撮影するときに備えて研究済みだ。安心するがいい」

 高志は遥から目をそらしつつ、不安な気持ちでいっぱいになる。


 遥が勢いよく立ち上がった。

「さあ、作戦はできた」

「えっ」

「料理の特訓を開始するッ! エイエイオー!」

 遥がこぶしを突き上げる。

 その目に促されて、仕方なく高志も立ち上がった。

「えい、えい、おー」

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