第35話 トモエのブレーキ、壊れる
村は殆ど焼き払われてしまったが、住民たちの避難はほぼ完了した。セイ国軍は仕切り直しだと言わんばかりに南の方へと退いて行った。
あの大きな攻城塔……井闌車の姿は見えなかった。前線に運ばれてはいないのだろう。もっとも、あれが姿を現したとて、攻撃する余裕はなかったであろうが。
その後、トモエたち一行は避難先となった小さな城郭都市に迎えられ、兵士が寝泊まりする兵舎の部屋二つを与えられた。一行は前と同じようにリコウ、エイセイ、トウケンとトモエ、シフの二組に分かれて宿泊することにした。
「その、トウケン。今更なんだけどさ」
「ん?」
トウケンが床に座り込み、ナイフに油を引いて手入れをしている時のこと。剣の手入れを済ませたリコウが話しかけてきた。その声色は、何処か申し訳なさそうで、普段の彼よりもいっとう弱々しさが感じられる。
「トウケン。オレ、今までお前のこと疑ったりしてさ、謝罪の一つもしてなかった。本当に、ごめん」
トウケンが顔を上げてリコウの方に視線を向けると、深々と頭を下げるリコウの姿がそこにはあった。
「いいや、いいのだ。ぼくは疑われて当たり前の、とんでもないことをしたんだから。皆が迎えてくれたことが不思議なぐらいなのだ」
確かに、トウケンが以前したこと――トモエたちの情報を仲間のケット・シーに教え、その仲間がエン州軍の大将ガクジョウに情報を伝えたことである――は、許されざる背信行為であった。トウケンは仲間として迎えられた後であっても、その罪の意
識を忘れたことはなかった。
「……ボクも、リコウと同じだ。……すまない」
リコウの後ろからか細い声で謝罪の言葉を述べたのは、エイセイである。エイセイはある意味リコウ以上にトウケンを疑惑の目で見ていたところがある。
「これからは三人……いや五人で力を合わせよう」
そうリコウが言うと、右手を前に差し出し、トウケンの右手を掴んだ。そこにエイセイも上から手を添え、三人で手を握り合った。
……その時である。
「きゃああーっ!」
隣の部屋から叫び声が聞こえた。シフのものよりは少し低い。あまり考えたくはないが、おそらくトモエのものであろう。彼女が叫び声を上げてしまうようなものが、部屋に現れたということだ。
男子三人組はトウケン、リコウ、エイセイの順に部屋を飛び出し、トモエとシフのいる隣の部屋に駆け込んだ。
「どうしたのだ!?」
「どうした!?」
「そ、そこに……」
トモエが指さした先……そこには細長い生き物が胴をくねらせているのが見えた。黒い背をしていて、赤い頭からは二本の長い触覚が伸びている。体は二十いくつの節に分かれていて、その節の一つ一つからは一対の細い脚が生えている。その脚を波打たせながら、体をくねられて床を這っていた。
「……オオムカデなのだ!」
その生き物の正体を確認するや否や、トウケンは素早く飛びついた。目にもとまらぬ速さでトウケンはオオムカデの首根っこを掴んで捕獲してしまった。早業、というより他に形容しようのない素早さである。
「こいつは毒の牙を持ってるから危ないのだ……よかった……」
そう言って、トウケンは窓からオオムカデを放り投げてしまった。
ネコに類する獣は狩りに巧みというが、ネコ耳のついたトウケンにも、そうした形質が備わっているのだろう。そうとしか思えない所業であった。
「あれ……オレたちが知ってるムカデか……? 大きすぎるだろ……ここら辺にはあんな変な生き物が住んでるのか……?」
「森であれに似たような虫は見たことあるけど……あそこまで大きくはなかった」
ロブ村やエルフの森にもムカデは生息している。だが、寒冷な北地では先ほどトウケンが捕まえたような大型の種類は見ることができない。リコウにとってもエイセイにとっても、ムカデというのは石の裏などに身を潜める小さな虫という印象であった。
怖いものなどなさそうなトモエが怯えたのも無理からぬことである。見たこともない大きなムカデが自分の部屋を這い回っていれば、驚くのも当然至極であろう。
「……惚れる……」
声を聞いたトウケンが振り向くと、そこには頬を赤らめたトモエが立っていた。彼女の目は、まっすぐトウケンに向けられている。
「ああああああああああトウケンくぅん!」
突然、トモエはトウケンを正面から抱き締めた。
「なっ……いきなり何なのだ!? っていうか胸が……」
突然固く抱き締められて困惑しているトウケンは、彼女の豊満な胸を顔に押し当てられて二重に戸惑ってしまった。柔らかく、そして張りがあり弾力に富んだ肉の塊がトウケンの頭部に押し当てられて潰れている。トウケンの頬も、トモエと同じように朱色に染められていった。
「はぁ……はぁ……あたしと結婚しよ? 子どもは何人欲しい? あたしは三人欲しいなぁ……あ、でも人間とケット・シーって子ども作れるのかな?」
トモエは息を荒げながらまくし立てる。トウケンはと言えば、目をぐるぐると回しているような有様であった。
「ちょっとトモエさん!」
ただならぬ事態だと判断したリコウが、トモエを引きはがしにかかった。しかし、怪力無双のトモエのホールドを解くのは容易ならざることである。強弓を引くリコウの腕力でも、彼女には敵わない。
「そこまでーっ!
シフは机の上に置かれていた威斗を掴むと、その先端をトモエの頭に押し当てて「
解放されたトウケンは、のぼせ上がった頭をふらふらと揺らしながら、寝台の上に横倒しに倒れてしまった。
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