【夢スト】オチなし short story集

小箱エイト

いつかのリクエスト

国道を渡ろうとしていた。

手押しの信号待ちは、けっこう長い。

車の轟音を聞きながら、うっすらと広がる空の水色を眺めていた。

土曜日の午後、ほどいい心地の五月。季節はいつのまにか巡ってくる。


信号が変わると、潮が引いたように道が開く。

歩行者は私だけ。

チン、チリ。

歩くとおなかのあたりで音が鳴る。

留め金が無くなったせいで、ベルトループの二本のリングがぶつかる。

チン、チリ。


半分ほど歩くと、右手に風がからんで、誰かの気配を感じる。

自転車に乗ったコウダイだった。

さっぱりとした短髪と、少し下がった眉尻は、いつものとおり。

会わなくなってから、どのくらい経ったかしら。

不思議と気持ちの揺さぶりはなく、ふたり並んで道のラインを行く。

横断歩道を渡りきった正面には、古い自転車屋がある。


「パンダ」

コウダイが指を差す。

店頭で自転車にまたがっている、大きなぬいぐるみ。

全盛の頃は、モーターを唸らせペダルを踏んでいた。

今は、ただ乗っかっているだけの店のシンボル。


ここで、小さな車輪の自転車を買ったことがある。

そのときはコウダイも一緒だった。

彼はすでに自前のものに乗っていて、

私は支払いを済ませると、すぐに漕ぎ出した。

コウダイと一緒に、西にむかって。


パンダに手を振って、東に折れる。

チン、チリ。


アーケード通りの、雑貨屋の前で足をとめた。

かわいらしい小物が、ワゴンいっぱいに積んである。

夏柄が気になって、化粧ポーチに手を伸ばしかけると、

隣にいたコウダイが振り向いた。

白くて四角いものを私の手にのせる。

手鏡? と思ったけど、裏を返すとパスケースだった。

定期はつかわないよ。

苦笑いして、元の位置に返す。

淡い藤色のステッチと、皮の感触が穏やかだった。


その店からまた歩く。

コウダイは、私の歩調にあわせて、ゆっくりと自転車を漕いでいる。

器用だね。

器用です。

チン、 チリ。


アーケード下の空気はひんやりとしている。

国道を行き交う騒々しさを、バスのラッパが追い越して行った。


やがて角のビルが見えてくると、アーケードは途切れた。

柔らかい陽が半そでの下に落ちる。

目の前には信号がある。その先には大きな橋がある。


ふと、コウダイが止まった。

私も足を止めようとしたとき、

するするとおなかのベルトがほどかれていった。

コウダイが高く放りあげる。

薄い水色の空に、ベルトはゆるい弧を描いて、消えた。


シャララ。

ウインドチャイムが鳴った。


空に吸い込まれそうなくらい、身体が軽くなって、

喉の奥にあった小さな石ころが、声になって飛びだした。


「ねえ、朝野球を見にいきたいの」

「あ。そっか」


眩しそうに空を眺めるコウダイの眉毛、少し、跳ねた。



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