第30話 星屑が齎すは希望の光②
(1)
二年という月日は瞬く間に流れていく。
十五歳になったスターは、ミランダ達の家を出て独り立ちする日を間もなく迎えようとしていた。
「いらっしゃい」
店頭に置かれたショーケースに、焼き上がったばかりのパンを並べていたスターが、客が訪れた気配を感じて声を掛ける。
「あっ、ポール。久しぶり」
「やぁ、スター。元気だった??」
客ーー、ポールと呼ばれた、スターとさほど年が変わらなさそうな青年はこのパン屋の常連らしく、親しげな様子でスターに話しかけた。ポールに話し掛けられたスターも、他の客に向けるものよりもいくらか華やいだ笑顔で応対する。
「いつもの食パンで良かった??それとも、別のものにする??」
「うーん……、値段によりけりかなぁ??でも……、今回はいつものでいいや」
スターはポールの言葉に従い、焼き立ての食パンを一斤、手際良く紙袋に包むとささっと彼に受け渡す。
「ありがとう」
代金を手渡しながら、ポールはスターに笑顔を向けた。彼の笑顔を目にしたスターは、早鐘を打つような胸の鼓動に気付かない振りをして、平静を取り繕う。スターはポールの爽やかな笑顔になぜか弱い。
ポールが店から去った後、スターは引き続きパンを店頭に並べながらしばし物思いに耽る。ただし、それはポールについて、ではなかった。
一か月前、スターが十五歳の誕生日を迎えると、リカルドとミランダは彼女が一人で暮らす為のアパートを探し始めた。すると、すぐにリカルドの知人から女性専用のアパートを紹介され、あれよあれよとそこに住むことが決定してしまったのだ。
思いがけず住居が早く決まったことで二人の協力の元、そのアパートに移り住む準備が着々と進んでいき、気付くとあの家で過ごす時間が今日で最後となってしまっていた。
(……どうせなら、最後の日は安息日にすれば良かった……)
パンを一通り並べ終わったスターは、店の奥でパンを作っている店主に聞こえないよう、小さく溜め息をついてみせる。
天涯孤独の上に、無知で軽薄な不良娘だった自分に世間の常識や家事など、一人でも生きていける術を身に付けさせてくれただけでなく、「母親になる気なんかない」と言いつつも、実の娘のように時に厳しく、時に愛情深く接してくれた。
だからこそ、スターには二人と離れるのが寂しいという気持ち以上に、どうしても気掛かりに感じていることがあった。
自分が家から出て行くことで、ミランダのアルコール依存が再発しないだろうかーー。
スターが二人の元で暮らしていた二年間、ミランダは一滴も酒を口にしていない。
だが、それはスターを一人前の娘に育て上げるという目標に奮起していたからこそであり、その目標は今日限りでひと段落ついてしまう。目標を失い、抜け殻状態となったミランダが、寂しさを埋める為に再び酒に手を出してしまう可能性は充分あり得る。
そうなってしまわないようにと、スターはミランダにどうしても伝えたいことがあった。
ミランダの性格上もしかしたら、「何を甘えたことを言ってるのよ」と厳しく叱責されてしまうかもしれない。けれど、自分の嘘偽りない、正直な気持ちを知ってもらうだけでも、ミランダにとっての救いになれば……、酒を飲みたくなった時の歯止めとなれば……と思っての事。
ミランダがアルコール依存症を完全に克服できれば、リカルドもずっと抱え続けていた肩の荷を、ようやく降ろすことができる。
スターだって、死が二人を分かつ時まで、二人にはいつまでも仲良く暮らしていて欲しいと願っている。
二人は最早スターにとって、実の両親以上にかけがえのない大切な存在へと変化していたのだった。
(2)
閉店間際になってから相次いで客が訪れたためスターが帰宅する頃には日がとっぷりと暮れ、空一面には暗闇が降り立ち始めていた。
「ただいまー」
いつものように帰ってきたことを玄関先で知らせ、居間にいるであろう二人の元へ足を進める。廊下を歩いていると、台所から漂ってきた夕餉の匂いが鼻先を掠める。
「お帰り」
「あら、お帰り。遅かったわね」
いつものように、ミランダとリカルドもスターを迎える。
「ひょっとして、またシェパーズパイ?!」
「また、って何よ。贅沢言わないの!」
いつものように、夕食の内容に文句をつけるスターをミランダがぴしゃりと叱りつける。そのやり取りを、苦笑しつつもリカルドが黙って眺めている。
いつもと変わらない、何気ない日常の光景。でも、これも今日で最後だ。
考え出すと気分が落ち込むばかりなので、スターはいつもと同じように、いや、いつも以上におどけた態度をしてみせ、その都度ミランダから注意されたのだった。
「……まったく、いつまで経っても子供なんだから。こんな調子で、本当に明日から一人で暮らしていけるのかしらね」
いつになくふざけまくるスターに、ミランダはすっかり呆れ果てている。
「えぇー、別にいいじゃない。アタシ、ずっとミランダとリカルドの子供でいたいもん」
スターのこの言葉を聞いたミランダとリカルドは、すぐさまスターの方へと視線を集中させた。二人共、心なしか表情が強張っている気がする。
そんな二人の様子に一瞬たじろいだものの、先程とは打って変わり、スターは真剣な面持ちで見据えた。
「……アタシにとって、ミランダとリカルドは父ちゃんと母ちゃん同然だと、勝手に思ってるから……!明日からはこの家には帰らないけど……、それでも……、これからも二人の子供でいさせて欲しいんだよ……!!」
スターがずっと伝えたかった言葉を二人に告げると、つぶらなマリンブルーの瞳から大粒の涙をボロボロと零れてきた。普段は強気なスターが初めて見せた涙にミランダとリカルドに動揺が走る。
二人は慌てて席を立つと、声を上げて泣きじゃくるスターを囲むようにして寄り添い、二人掛かりで彼女の背中を撫でさすった。
「スター、私達にとっても貴女は家族みたいなものなの。『母親になんかなるつもりはない』と言ったのは甘やかすよりも、まずは自分の足をしっかりと地につけた生き方を学ばせたいと思ったから、あえてそう言っただけ。だから、貴女が一人で暮らすようになったこの先、何かあったら、ううん、何もなくても、いつでもいいから家に遊びに来てくれればいいのよ」
「……へ??……」
ミランダの言葉が思いがけなかったのか、スターは目を丸くして彼女を見つめる。
「もしかして……、明日から僕達とは二度と会ってはいけない、とでも思っていた??」
「え……、だって……。独り立ちしたら、もう二人とは関わっちゃ駄目なのかもって……、思って……」
「馬鹿ね、そんな訳ないでしょ??そりゃあ、独り立ちした以上ある程度のことは自分でやって欲しいけど、私達に会いに来るくらい全然構わないのに」
やれやれ、相変わらず困った子ね、と言いたげに、ミランダは肩を竦めてみせる。スターは妙な思い込みをしていた自分に恥ずかしくなり、憮然と顏を俯かせた。
「ほらほら、そんな顏しちゃ駄目だろう??そうやって、すぐにむくれるのは君の悪い癖だよ」
「何度も言うけど、本当に明日から大丈夫かしらね??」
スターがつい見せた子供っぽい仕草を口々に窘める二人に、「……あー!もう!うるさいなぁ!!ちゃんと一人暮らししてみせるから、そう心配なんかするなよ!!」と、鬱陶しそうに叫び散らす。
「じゃあさ、安息日はこの家に遊びに行こうかな。それで、ミランダが酒飲んだりしてないか、じっくり調べてやるんだから」
「言ったわね??それじゃ、家中くまなく調べつくしても酒瓶が見つからなかった時の、スターの口惜しがる顔を見るために、絶対お酒を飲まないようにするわ」
「うっわ、何それ?!酷っ!!そこまで言うんだったら、きっちり守ってもらおっと」
涙で顔をくしゃくしゃにさせて泣き笑いしながら、この様子なら自分が心配しなくともきっと二人は大丈夫。
そう確信したスターはこっそりと胸を撫で下ろした。
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