第89話秘めたる想い
山間に位置するビムガン自治区は太陽が沈むと、夜の闇が辺りをすっかり暗くする。
そんな闇の中へ激しく燃える赤い炎が点在し、周囲を真昼のように明るく照らし出している。
加えて酒精や美味い食べ物で興奮するビムガンの豪快な笑い声が響き渡っていて、宴は盛り上がりの絶頂にあった。
これはすべて、フルバ族長と五分の拳闘をしたクルスの検討を湛える宴らしい。
彼はフルバと共に宴を見渡せる上座に着き、酒を煽って、供出された豪快な料理の数々に舌鼓を打っていた。
「よぉ、お飲みになりにゃす。どうぞ、もう一献」
「す、すみません。先ほどから……」
盃が空になるとすかさずフォン第一夫人が、ほのかに甘いニュアンスのある少し白濁した酒を注いでくれた。
「まこと、お強い方にゃすにゃ? お子はさぞかし逞しく育ちそうにゃすにゃ?」」
フォン夫人の甘い視線に、クルスの心臓が脈を打つ。
「にゃー! クルスは僕の漢にゃー! かか様ダメにゃー!」
フルバとフォン第一夫人の娘で、姫君のゼフィはより一層クルスが気に入ったらしく、腕に抱き着いたまま離れない。
「まさかフォンまで落とされるたぁ参った! がはは!」
フルバはそう豪快に笑いながら、大きな盃の中身を一気に飲み干し、獣のように骨付き肉へ食らいついた。
「こんな良い漢へ手を出さないなんて、ゼラは全く……」
ブラウン第二夫人は少し離れたところで、瓢箪を独占し、ひたすら酒を飲み続けている。
クルスは後のゼラへのフォローが、思った以上に大変そうだと思い肩を落としたのだった。
「そうだ、クルス! おめぇたぁ盃交わしたい。どうじゃ?」
フルバは突然そう叫び、盃を突きつけてくる。
「盃を交わす?」
「同じ盃で酒を飲みあえば、それが兄弟の契りとなるんじゃ! ビムガンの習わしじゃけん!」
「宜しいのですか?」
「もちろんじゃけ! クルスはワシが認めた漢じゃ! ほれ! 半分飲みい!」
言われた通りクルスは盃の中身を半分飲む。そして残りをフルバは飲み干した。
「五分の盃じゃ! じゃから今からわしらは生まれた時場所、血も種族も違えど、対等な兄弟じゃ! 宜し頼むけ、クルスの兄弟!」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
「なんじゃ! ワシらはもう兄弟じゃ! 身内にそがな言葉使う必要ないけぇ!」
「そ、そうか……わかった。ではこれからもよろしく頼む、フルバの兄弟……?」
「おう! よろしゅう頼むわ兄弟! ついでにゼラかゼフィをもろうてくれると良いんじゃがのぉ! 勿論、二人でも良いがの! がはは!!」
族長との兄弟盃。彼の存在を祝う、盛大な宴。
楽しく、ありがたい時間だった。しかし、いくつか彼へ冷たい視線を向ける者もいる。
それはセシリーとベラである。
二人はもくもくと肉にかじりながら、上座でへらへらとしてるクルスへずっと冷たい視線を送っている。
「ライバルがまた一人増えましたね、お嬢様?」
少し酔いの回っているマタンゴのフェアは、軽い調子で聞く。
「まったくよ……ちょっとまたあのちびっ子へ文句言ってくるわ! ついでにデレデレしてばっかりで、全然こっちに来てくれないクルスにも! 行こう、ベラ!」
「そうなのだ! ちびっ子枠の元祖は僕なのだ! へにゃへにゃしてるクルスにもお仕置きなのだー!」
「ちょ、ちょっとお嬢様がた!? それは流石にマズイかと!!」
かくして上座でクルスを巡っての、女ビムガンと魔物少女たちの戦いが始まったのは言うまでもない。
「クルスさん、楽しそうですねぇ」
ロナはニッコリ頬んだまま、上座のクルスを眺め続けている。やはり真意は分からない。
「あ、
すると、脇からビムガンの男が、赤い果実を差し出してきた。
「あらまぁ! ありがとうございます!」
「そ、そんなこたぁ……へへ!」
「姉さん、こちらも!」
「俺のも!」
「こっち見てくだせぇ姉さん!!」
ロナもまたすっかりモテモテだった。
宴は延々と続き、熱気の上昇は留まるところを知らない。
そんな中、宴の輪の外で、ゼラは一人膝を抱えながら茫然としていた。
「ゼラ、どうかしたの?」
ゼラを心配して、宴の輪を抜けた相棒のビギナが声をかけてくる。
「いやぁーあはは……みんな先輩のことが大好きなんだなぁって思ってっすね」
「それはゼラもでしょ?」
「まぁ、そうなんす……って!! 何言わすんっすか! ウチは別に……」
ゼラは長耳を力なく垂らし項垂れた。
「じゃ嫌い?」
「なんで好きか嫌いかの選択になるんっすか! そ、そりゃ、まぁ……す、好きっすよ、クルス先輩のことは……ああ、でもビギッちのとはち、違うっすよ。うん……」
「ふーん……」
「なんすかぁ、ビギッチまで……みんな意地悪っす……」
「とりあえずたくさん食べよ! うん、それが良いよ! 食べれば元気出るって!」
「わわ、ちょっとビギッチ!?」
ビギナはゼラの手を引いて、無理やり宴の輪の中へ連れてゆく。
ビギナが一番辛かった時にゼラが現れてくれた。その日から片時も離れず傍に居て、時に笑い、時に喧嘩し、そして支えあってここまで来た。
生まれて初めての親友で、かけがえのない仲間であるゼラ。
今度は自分の番と言わんばかりに、ビギナはゼラを連れ歩く。
(やっぱりゼラのことはちゃんとロナさんに報告したほうが良いかな……)
●●●
「そうですか、ゼラさんもクルスさんのことを……」
宴が終わり、皆が寝静まった頃を見計らって、ビギナはロナを人気のない場所へ連れ出し、ゼラの件の相談をしていたのだった。
きっとゼラは、自分やロナ、セシリーと同じく“クルス”のことを強く欲している。だけども輪を尊ぶゼラの性格は、本人の気持ちへ強いブレーキを掛けさせている。
気持ちと理性が常に葛藤していて、傍で見ていると、とてもやるせないと。
一通り、ビギナからみたゼラの様子を話し終えると、ロナは閉口する。
自分やセシリーに続いて、ゼラも――昨今では族長の娘ゼフィの件もある。
(さすがのロナさんでも……)
無二の親友であるゼラの助けになりたいのは確かである。しかし無理を通して、ロナを傷つけたくはないし、揉めるの良くはないと思う。
実際、クルスやロナに受け入れてもらった自分自身も、もやもやとした感情を抱いている。
これ以上、ロナの優しさに甘えてはいけないような気がする。
「すみません、変なことを言って……。無理はしなくて良いですから。ロナさんに受け入れて貰ってる私が言うのもアレなんですけど……」
「あっ! いえ、そういうことではありません! ゼラさんとクルスさんはどうしたら喜んでいただけるかぁな、と考えてまして」
「へっ……? あ、あの! 良いんですか!?」
思わずそう聞き返してしまった。しかし当のロナは首を傾げるだけ。
「だって、クルスさんが誰かに好かれるのは、それだけ彼が必要とされ、認められているということですから。彼の幸せは私の幸せでもありますし」
「で、でも! えっと、ゼフィ様の時はなんで……?」
ロナはクルスとゼフィが触れ合っている時は、いつも笑顔を浮かべて、一歩下がっているような態度を取っていた。
「ああ、そのことですか。確かにあの子の件だけは良しとできませんね。だってまだゼフィ様は本当に子供ですし。もしもゼフィ様のいうことをクルスさんが本気にして手でも出したら、それだけはきちんと怒ろうと考えているだけでして。さすがに子供はダメです。人として!」
「はぁ……? だけどベラちゃんもいますよね?」
「ベラ? えっ? もしかしてあの子もなんですか!?」
ロナは素っ頓狂な声を上げる。さすがのビギナも顔をひきつらせた。
「もしかして気づいてませんでした?」
「え、ええ、まぁ……よくクルスさんに懐いているなぁ、とは思いましたけど……そうですか、ベラも。だったらそこも注意しないと……子供はダメです。って、ベラは子供でしたけ、ええっと……」
「はぁ……もう、ロナは……。貴方、魔物じゃなくて愛の女神か聖女様なんじゃないの? 心が広いってか、そこまで行くといっそ馬鹿よ! 馬鹿!」
木の上からセシリーが飛び降りてきて、盛大なため息を着く。
するとロナは、苦笑いを浮かべた。
「そうですね、私は馬鹿かもしれませんね……。確かにクルスさんに私だけを見てもらいたいっていう気持ちが全くないといえば嘘になります。だけど……彼にビギナさんやセシリー、そしてゼラさんが向けている気持ちを無視したくはないんです。だって、たぶん……」
「ロナさん?」
言葉を切ったロナの顔を、ビギナは覗き込む。少し表情が強張っているのは気のせいか。
「とにかく! ゼラさんの件は分かりました! 私は構いませんし、できることはします!」
ロナはビギナの脇に居たセシリーへ視線を向ける。するとセシリーはため息を着きつつも、
「まったく……まぁ、良いわよ、私も協力しても。私だって、そういうロナの優しさのおかげで、こうして今もみんなと一緒に居られるんだから」
「ありがとうございますセシリー!」
「ビギナ、この件、ベラとフェアにも伝えるわよ。あの二人にも協力させるわ。良いわね?」
「は、はい! ありがとうございます、セシリーさん」
ビギナはセシリーへ頭を下げた。するとセシリーは、頬を赤染めながら、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
セシリーは態度は悪いが、根はすごくいい人なのだと、ビギナは思うのだった。
「三人揃えば妙案も浮かぶはず! さっ、ではゼラさんの件をみんなで考えましょう!」
かくしてロナの中心に、クルスとゼラの件に関して話し合いが始まるのだった。
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