第256話 雨の中

 朝早くに自由貿易都市を出発し、走ること数時間。山を一つ越えた辺りから、天気は生憎の雨となった。


 視界は悪く、土の道はぬかるんでは走りにくい。運転にも気を遣う。


「アスファルトの道路が恋しいな~……」


 ついでにトンネルも恋しい。道が舗装されて、山を突っ切れるようになれば、移動時間は半減するんじゃないだろうか。


 まあ、そんな大規模工事を誰がやるのかという話だけど。魔物がいることを考えれば、工事の費用と規模は想像もできないくらいに膨れ上がるはず。

 少なくともこの先数十年は実現しないだろう。同じ理由で鉄道も厳しいな。


「今のところは地道に走るのが近道ですっと」


 呟きながら、取り付けたミラーで背後にチラリと視線を送る。


 小さな鏡の中では、リーゼがチャイルドシートに収まったまま、ひたすら窓の外に流れる景色を見ていた。

 通り過ぎていく木々も、窓を叩く雨も、リーゼにとっては珍しいものらしい。集中しているのか小さな口が半開きだ。


 隣ではロゼがその様子に笑いながらタローの背中を撫でている。平和だ。その代わりにオレは話す相手もいないんだけど。


 リーゼが大人しい今、ロゼと会話をして気を引くのは避けたい。

 悪路でそれなりに揺れているので、リーゼにチャイルドシートから降りたいと泣かれたら困る。

 さすがのオレも、運転しながら魔術妨害を行うのは難易度が高い。


 この改造馬車には搭載した魔石の容量にものを言わせて“慣性制御”の機能まで持たせているが、燃費が悪すぎて事故時以外には使えないのだ。


「雨はいつまで続くかな」


 降りしきる雨越しに、黒い空を見上げる。重そうな雨雲はどこまでも続いているようだった。いつ雨が止むのかは、さっぱり分からない。


「稲作も規模が大きくなって来たし、天気予報にも手を出すべきかなあ……。まずは気圧計の開発?」


 当たり前だが、農作物は天候の影響をとてもよく受ける。アンドリューさんなどは長年の経験から数日先までの天気がなんとなく分かるらしいが、オレには無理だ。


「行商人を束ねるギルバートさんと、水運のカルロスさん、農地を持ってるリリーナさん辺りと協力すればいけるかな」


 少なくとも興味は持ってくれると思う。


「……いや、そこまで手を出したら、忙しくてオレの手が回らないか……?」


 最近は色々なことに手を出し過ぎている。既存のお米作りに加えて、新しい田んぼの開拓、収穫量と味の向上を目指した品種改良、それにもち米の扱いの検討も。お米関係だけでも忙しい。


 それに魔道具作りの仕事と、弟子であるルカの教育、今回のようなリーゼに関する案件もある。

 余裕が全くないとは言わないが、これ以上増やすと不測の事態への対応が難しい。


「……他のことに手を伸ばすのは、リーゼがもう少し大きくなってからだな」


 オレにとって一番大切なのは、やっぱり家族だ。




 太陽は全く見えないが、時間的には昼になった。相変わらず雨はそのまま。今日は降り止まないのかもしれない。


「そろそろ昼食にしようか」


「うむ。そうだな」


「ごはん?」


 後ろに声をかけて、馬車を道から外れた場所へと停める。車体が静かになったおかげで、屋根を叩く雨音がよく聞こえた。


「ふう……」


 ずっと揺れるハンドルを掴んでいたせいか、腕に痺れるような感覚がある。昼の休憩は長めに取った方がいいかもしれない。


 ぷらぷらと腕を振りながら、改造馬車の後ろへと移動する。設置されたテーブルの上には、ロゼが既に弁当箱を並べているところだった。


 初日の昼ということで、昼食は家で作ったお弁当だ。準備の手間がなくていい。


「はんばーぐがある!」


 蓋の開けられた弁当箱の前で、リーゼが目を輝かせている。視線の先は弁当用のミニハンバーグだ。

 色々なものを食べさせているおかげか好き嫌いのないリーゼだが、好物は肉類と甘い物に寄っている傾向がある。

 子供の舌だとそういうものだろうか。


「リーゼ。食べる前には手を綺麗にしなければならないぞ?」


 ロゼが塗らした布巾でリーゼの手を拭いていく。

 その間に、オレはタロー用の食事を皿に載せて床に置いた。のそりと白い体が動き、皿の前でお座りをする。

 ハンバーグを前にしたリーゼのように、タローも黒い目を輝かせている。食欲全開だ。


「タロー、もう少し待てよ?」


 了解の意を込めて尻尾が振られる。その様子に頭をひと撫でし、テーブルへと戻る。


「コウ、準備は出来たぞ」


「ありがとう。それじゃあお昼にしようか。リーゼも大丈夫?」


「うん!」


 待ち切れない、という表情のリーゼに、夫婦揃って笑った。


「じゃあみんな一緒に――」


 両手を合わせる。リーゼの小さな手が、ペチン、と鳴った。


「「いただきます」」


「いただきます!」


「ヴォフ」


 家族全員分の食事の挨拶が馬車の中に響く。外の雨模様とは正反対の、明るく温かい馬車の中で、オレ達は昼食を開始した。




 甘く味付けした玉子焼きをおかずに、混ぜご飯のお握りを口に運ぶ。手間暇かけて作ったお米は冷めた後でも美味しい。

 噛み応えのあるお米をじんわりと噛んで味わうのも、これはこれで良いものだ。


 ちょっと我儘を言うならやっぱり海苔が欲しいけど。出来立てのお握りに海苔を巻いて、パリっとした食感を楽しむのもいいし、時間が経ってしんなりとした海苔をお米と一緒にじっくり食べるのもいい。


 ああ、美味しい海苔巻きとかも食べたいなあ……。


「コウ? 何やら難しい顔になっているぞ。どうかしたのか? む、まさか卵の殻でも混じっていたか?」


「いやいや大丈夫っ。玉子焼きは美味しいよ」


 慌てて否定する。玉子焼きを作ったのはロゼだ。ちゃんと美味しい。


「お握りを食べて、ちょっと海苔が欲しいなあって考えてただけだよ」


「ふむ。ノリ、海藻を作った食べ物だったか。私は海藻そのものを口にしたことがないから、どんな味なのか想像もできないな」


 この大陸に住む人は、基本的に海藻を食べない。王国の海沿いの地域まで行けば一部で食べられているらしいが、場所はかなり遠い。海苔に手を出しづらい理由の一つだ。


「オレにはけっこう馴染みのある食材なんだけどね。まあ、あっちでも海藻を食べる場所はそんなに多くはなかったはずだよ」


「前から思ってはいたが、コウの故郷の食べ物は多種多様だな」


 感心するようにロゼが頷いた。


「う~ん。確かに、昔から食べ物に関するこだわりとかは凄かったかも? 美味しければ見た目とか毒とか関係なく食べようとするし」


 最初に食べた人は凄いな、と思うようなものが日本には多い。


「ふふふっ、なるほどな。納得だ」


「何が?」


 ロゼが面白そうに笑いながらオレを見る。


「うむ。コウの食べ物へのこだわりも、祖先から引き継いで来たものなのだな。ふふ。食事中に他の食べ物のことを考えるのは、中々あるものではないぞ」


「そう、かな?」


 お握りから自然と海苔のことを連想しただけだと思うけど……血筋なんだろうか。


 ちらりと、オレの血を継ぐ娘に視線を送ってみる。


 もぐもぐと、リーゼはこちらの会話を気にすることもなく食事に集中していた。幼いながらにいい食べっぷりだ。


「……そうかもね」


「ふふふ」


 目の前で笑うロゼを見る。オレのことで笑っているロゼだが、食べる量で言えばむしろオレよりも多いくらいだし、美味しい物を食べるときはとても幸せそうな顔をする。


 なんだかんだで似た者夫婦だとは思う。




 昼食後の休憩タイム。リーゼが外に出たいと言い出した。


「外は雨だから濡れてしまうぞ?」


「いいの!」


 ロゼの言葉を気にもせず、顔にやる気を浮かべるリーゼ。子供の行動理由は良く分からない。


「う~ん、外かあ……」


 呟くと、足元でタローが顔を上げた。冷たい雨に濡れるのが嫌なのか、若干耳が垂れている。出たくないらしい。

 オレも同感だ。わざわざ濡れたくない。


 それにリーゼを外に出すのは気が引ける。大量にある魔力のおかげで体が強いリーゼだが、全く体調を崩さない訳じゃない。

 旅の途中で体を冷やすのはよくないだろう。


 しかし、車内に籠りっぱなしと言うのも体に良くはない。ついでに、少しは体を動かさないと、リーゼが夜寝ない可能性がある。


「……ロゼ、防壁の魔道具で雨避けして、ちょっと外に出てみようか」


「コウの魔力は大丈夫なのか?」


 ロゼが少し心配そうな顔をする。改造馬車の燃料は操縦者の魔力だ。走らせるとそれなりに消費する。

 とはいえ、今日はあまり速度も出していない。


「雨だったからね。速度も抑えめだったし、魔力にはまだ余裕があるよ」


「そうか……それなら構わない。ただ、リーゼには厚着をさせるとしよう」


「おそと、でていいの?」


「うむ。ちゃんと着替えてからな。パパのおかげだからお礼を言うのだぞ?」


「パパありがとー!」


「どういたしまして」


 満面の笑みを浮かべるリーゼを撫でて、オレは準備に取り掛かる。


 改造馬車には防壁の魔道具も組み込んでいる。運転席から操作すればすぐに展開することが可能だ。


「車体を中心にドーム型……半径3メートル……足場も作っておくか」


 魔力を籠めて発動。屋根に響いていた雨音が遠くなる。


「準備できたよー」


「こちらはもう少しだ――うむ。これでいいだろう」


 満足そうに頷くロゼの前には、小さな革製の長靴を履いて、大き目の雨合羽から顔だけ出しているリーゼの姿があった。可愛らしい完全防備だ。


「リーゼ、似合ってるよ。それじゃあ行こうか」


 リーゼを抱き上げて外に出る。一歩踏み出すと、濡れた空気の匂いがした。雨の匂いだ。大量の雨音が耳へと届く。


「ねえパパすごいよ! リーゼおみずのなかにいる!」


 リーゼが空を見上げて興奮したように声を出した。


 つられて視線を上げれば、透明な魔力の壁に雨の粒が当たり、いくつもの水の筋を作っているところだった。

 確かに、水の中にいるようだ。


「本当だ。すごいね」


 パタパタと手足を動かすリーゼを防壁の床へと下ろす。長靴の音をキュキュッ、と鳴らしながら、リーゼはすぐにドームの端まで走って行った。


 透明な魔力の壁に顔をくっつけて、じぃっと雨の観察を始める。たまに背伸びをしているのか、ぴょこぴょこと長靴が動いた。


「ふふ、楽しそうだな」


「そうだね」


 いつの間にか隣にいたロゼの感想に同意する。


 オレとロゼにとっては何の珍しさもないただの雨も、リーゼにとっては新鮮な出来事のようだった。

 たまにはこういう過ごし方もいいかもしれない。


 今日はまだ初日。これからの旅の中で、リーゼはどんなことに興味を持っていくんだろうか。

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