第254話 魔術の暴走

 泣き疲れて眠ったリーゼをベッドに運び、オレとロゼは居間でぐったりとソファに体を預ける。

 タローがリーゼに添い寝しているので、何かあったら呼ばれるだろう。リーゼが朝までぐっすりと眠っていることを祈りたい。


「疲れたね……」


「うむ……そうだな。コウは大丈夫か?」


「たぶんね。最近は慣れたよ」


 慣れたと言っても、疲れることに変わりはないけれど。


 リーゼの魔術が発現したのはもう一月ほど前だ。最初の日のことはよく覚えている。

 あれはロゼもタローも家にいない日の昼過ぎだった。


 リーゼとタローは兄妹のように仲が良いが、それでも常に一緒にいる訳じゃない。タローは若い狼で、本来なら森や草原を駆けている魔物だ。

 だから定期的に運動がてら狩りに連れて行く必要がある。


 最近はその役目をロゼが担当していた。というのも、つい最近、ロゼは冒険者として復帰したのだ。

 元々はリーゼの育児のために活動休止の申請をしていたのだが、それを解除した形だ。


 もちろん冒険者を引退するという選択肢もあったのだが、ロゼの階級なら半年に一度くらい大物を討伐して、月に一回くらい小さな依頼をこなせば、冒険者としての最低限のノルマは達成できる。


 どの道タローを狩りに連れて行く必要があるなら、ついでに討伐依頼も兼ねれば良いだろうという結論になったのだ。


 そんな訳で、その日はロゼとタローが一緒に狩りに出掛けていた。


 その間、オレはお昼寝をするリーゼの隣で魔道具作りの仕事に励んでいたのだが、急にぱっちりと目を開けたリーゼは、夢見が悪かったのか、起きた瞬間から泣きそうだった。


「タローは~……?」


 涙の滲む目を擦りながら、リーゼはタローの姿を探していた。そこは素直にオレに抱き着いて欲しいところだが……残念ながらオレの体はタローの毛並みには敵わなかった。

 うちで良いご飯を食べて、適度に運動して、お風呂も嫌いじゃないタローの体は、常にふわふわで抱き心地が良いのだ。オレもリーゼの気持ちは分かる。


 しかし、いないものはどうしようもない。


「タローは今お出掛け中だよ。ほら、小タローならここにいるよ?」


 小タロー。別名コタローは、オレがタローを模して作ったぬいぐるみだ。リーゼが赤ん坊だったときに作ったので、家ではすっかりお馴染みになっている。

 名前は最近付いた。小っちゃいタローでコタローだ。


「コタロー……」


 小タローでは満足できなかったのか、リーゼは一度抱き締めて床に戻した。泣きそうな目でオレを見上げてくる。


「ママは……?」


「ごめんね。ママもお出掛けしてるんだ」


 急いで魔石を脇に寄せ、リーゼの小さな体を抱き上げる。だが、リーゼの表情は変わらなかった。むしろ悪化した。

 オレでは不足らしい。オレは戦闘力よりもクッション性を身に付けるべきだったのだろうか。


「ぐす……」


 リーゼの鼻が湿った音を出す。泣き出す数秒前の気配に、オレは必死で頭を回した。何か意識を逸らす方法を――絵本の読み聞かせ、積み木遊び、人形遊び、おやつ……。


 だが、そんな思考を回していたせいで、次の行動が遅れた。


「うええ――」


 ポンッ。


「は?」


 リーゼが泣き始めた瞬間、頭上で小さな太鼓を叩いたような音が聞こえた。音の発生源に視線を送るが何もない。


 オレは訳が分からず混乱した。この時点ではリーゼが魔術を使ったなんて思ってもみなかったのだ。


 そのせいで次の惨劇が起きてしまった。パァンッ、と破裂音が響き――小タローの首が千切れたのだ。


 跳ね上がる小タローと白い綿が飛び散る光景に、オレもリーゼも一瞬止まった。


 だが、次の瞬間にはリーゼがひゅっと息を吸い込んだのが、抱いた腕から伝わって来た。


「ぁあああああーー!!」


 火がついたようにリーゼが泣き出した。お気に入りのぬいぐるみが、目の前で無残に壊れたという事実を考えれば無理はない。普通に考えて泣くと思う。


 だが、オレはそんなリーゼの様子よりも、脳が警鐘を鳴らすほどに多重に発動した爆破の魔術に集中するしかなかった。


 そこから先は我ながら頑張ったと思う。


 リーゼを抱き上げてあやしながら、爆破の魔術に干渉して必死に被害を防ぎ、さらの魔力アームを使って子タローの修繕まで行うという稀有な体験をした。


 稀有な体験というか、凄まじい曲芸だった。戦闘経験をフルに使って子守りをするオレは、いったいどこに向かっていたのだろうか。

 我ながらよく分からないが、まあ、なんとかクッション一つと椅子一脚の犠牲で初日を乗り切ることができたのだ。


 それから今日までの一月は、とても緊張感のある日常を過ごしている。


 ソファの上で力を抜いて、オレはロゼへと顔を向けた。


「……まあとりあえず、お義父さんが対策を用意するって言ってくれて良かったよ」


「うむ。本当に助かった。封石は非常に希少な物だからな。入手の目途が立ったのは幸運だ」


 封石。装着した者の魔術を封じるという鉱石が、この世界には存在するらしい。オレもロゼから聞いて初めて知ったので、どんな原理かは分かっていない。

 だが、幼い子供の魔術の暴走を止める手段として、古くから使用されているようなのだ。


 使用するのはほぼ全てが王族や貴族だ。強大な魔力こそが貴種の証と考え、常に強力な魔力を求めて血を交わす彼らには、稀に規格外の魔力を持つ子供が産まれるらしい。


 そして、強大すぎる魔力は制御も難しいために、封石の世話になるのだとか。


 使用者の魔術を封じるとなれば使い道は多そうだが、ある程度魔力の制御に慣れていれば、封石を装備していても魔術は使用可能らしい。

 つまり大人には効果がないのだ。そのために使用用途は、強大な魔力を持つ子供の暴走を抑えるという一点のみ。その限定された効果故か、副作用なども特にない。


 まさに今のリーゼに必要な物だ。


「……でも、この貿易都市で手に入らないとは思わなかったよ」


「貴族全体で見ても稀に使うような物だからな。希少な上に需要もないとなれば、さすがにこの都市でも取り扱うことはないだろう」


「まあ、そうだよね……」


 その使用用途から、封石は全て王族と貴族で独占しているらしい。


 購入するのには貴族的な伝手が必要。そして、オレ達夫婦から一番近い貴族と言えばロゼの実家だ。

 ロゼから封石の話を聞いた時点で、すぐに義父のデュークさんへと手紙を出した。グラスト商会に頼み込んでの超特急便だ。料金はかなり高かったが、おかげで高速の情報交換が可能になった。


 そしてデュークさんも頑張ってくれたようで、封石の入手の目途が立ったと知らせが来たのがつい昨日だ。


 もちろん義理の親とは言えタダで封石をもらう訳にはいかないので、お金を準備したり対価として魔道具を用意したりとオレも走っている。


「出発は三日後だから、食料の買い物にも行かないとね」


「うむ。それと挨拶回りに、リーゼ用の荷物もまとめなければな」


 三日後の早朝にはロゼの実家に向けて出発する予定だ。準備期間はそう多くない。


 幸いなことにお米の収穫は終わっている。もち米の使い方も今日みんなに教えたし、何かあったときのためにアルドにお金も預けておいた。

 お米の販売についてはリューリック商会が担当してくれる。


 あとは魔道具の取引先への納品と挨拶回りだ。一応、前もって長期で不在になるとは伝えているので大丈夫だろう。


「かなりバタバタしたけど、何とかなりそうで良かったよ。デュークさんにもようやくリーゼの顔を見せられるね」


「ふふ。お父様は喜ぶだろうな。初孫を見たときの顔が楽しみだ」


 ソファに体を預けながらロゼが微笑む。

 リーゼだけではなく、ロゼの姿を見てもデュークさんは喜ぶだろうと思った。


「オレ達も寝ようか。明日も朝から忙しいよ」


「うむ。そうだな」


 2人揃ってゆっくりと立ち上がる。


 三日後には帝国に向けて馬車の上だ。

 封石の受け取りと、リーゼの顔見せと、ロゼの里帰りのための旅。リーゼの初めての長旅でもある。


 問題もあるだろうが、まあ、家族一緒なら何とかなるだろう。

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