第184話 候補地

 オレはそれなりの緊張感と苦労をもってリリーナさんを説得したつもりなのだが、そもそもリリーナさんは、元々お米と謎穀物、どちらも栽培するつもりだったらしい。


 そんな情報を、オレは目の前にいる男性。リューリック商会の商会員でお米の栽培を担当することになったレイモンドさんから聞いた。


「コーサクさんがうちの商会に話を持ち掛けて来る前から、自分には声が掛かってましたよ。いやあ、うちの商会長は半端ないですからね。桁が違うって言うのはあの人のことを指すんだと思いますよ。ははは、どのくらい頑張れば、あの領域に行けるんですかねえ」


 レイモンドさんはひょろりと背の高い男だ。いつも楽しそうに良く喋る。オレの2つ上で28歳らしい。


 それにしても、結構デカいことを言った、オレの覚悟はなんだったのか。まあ、予算にも人手にも余裕があるのなら、わざわざ片方を切り捨てる必要はない、というのは分かるが……。


 はじめから両方を選ぶつもりでいながらも、お米を育てるのには協力しない、みたいな雰囲気を出してオレを試したリリーナさんは、中々いい性格をしていると思う。


 ああ、半分くらいは褒め言葉だ。リリーナさんは、今の商会長の座が天職だろう。オレには無理だな。交渉事で商人に勝てる気がしない。


 まあ、勝てなくても別に困らないけど。オレは商人になるつもりはないし。それよりも、話を進めるとしよう。


「それで、レイモンドさん。開拓する場所は決まりですか?」


「ええ、ほとんど決まりですよ。というか、コーサクさんの言う水田には大量の水が必要なので、あまり候補地の数は多くなかったです。そもそも、都市から近くて良い場所は、もうだいたい農場になってますからね。空いている土地は作物に合わないか、開拓に手が掛かりすぎるかですよ。いやあ、ちゃんと場所が見つかって良かったですねえ」


 レイモンドさんがベラベラと喋る。良く息が続くな。


「そうですね。良かったです。ありがとうございました」


「はは、お礼には早すぎますよ。まだ開拓すら始まってませんからね。大変なのはこれからです。ええ、本当に。工事の金額なんて凄いものですよ。やっぱり水路作りにはお金が掛かりますねえ。まあ、専門の業者に発注するので当然ですけど。長く使うなら下手なところには頼めませんからねえ」


 長い……。


「確かに、せっかく作った水路が急に使えなくなったら困りますからね」


「ええ、そうなんですよ。今回は予算がたっぷりあるので心配いりませんけどね。うちの商会長は、かなりこの件に力を入れているみたいなので。いやあ、コーサクさんの担当になれて良かったですよ。うちの商会としても久しぶりの大規模な開拓ですからねえ。成功した暁には自分の名前も残りますよ」


 レイモンドさんは嬉しそうに話す。その顔にはこの事業をやり遂げるという自信が見える。実際、優秀なのだろう。リリーナさんが人選を誤るとは思えない。レイモンドさんは、出来ると判断されたからここにいるのだ。


「それじゃあ、お互いのために成功させましょうか」


 オレの言葉に、レイモンドさんは満面の笑みを浮かべた。


「ええ、もちろんです。全力を尽くしますよ。商会長から直々に担当を指名されるのは、とても名誉なことですからね。期待には全霊を以って応えますよ。それに、自分も食料を主に扱う店の一員です。全く新しい穀物を普及させるという一大事業には、とても心が躍りますね。ああ、そうでした、コーサクさん」


 勢いが凄い。


「なんですか?」


 レイモンドさんはニコリと笑って言葉を続けた。


「現場を見に行きませんか? うちの商会の馬車を使えばすぐに着きますよ」


 その言葉だけは、とても簡潔だった。そして、当然、断る理由はない。


「いいですね。よろしくお願いします」


 そうして、オレ達は、田んぼを作る予定地へと移動を開始した。





 馬車に乗って、雲一つない青空の下を移動する。今日も暑いが、馬車に吹き付ける風は心地よい。


「コーサクさん、見えてきましたよ。あの周辺が予定地です」


 レイモンドさんが指さす先には、鬱蒼と茂る緑がある。まばらな樹木は、背の高い植物に覆い隠されているようだ。名も知れぬ雑草たちが、真夏の太陽を浴びて、元気が良すぎる程に育っている。

 あそこを開拓するのはかなり大変そうだ。まずは、ひたすら草刈りをしなければならないだろう。


「もっと奥に行けば大きな沼があるんですよ。水路はそこから引くつもりです。昔はここを畑にする案も出たらしいんですけどね。土壌が泥ばかりで計画は流れたらしいです。いやあ、無理に開拓されなくて良かったですよ。ここ以外の候補地はかなり遠いですからね」


「そうなんですか」


 レイモンドさんの言葉を話半分に聞きながら、目の前の光景を見る。


 今はただ手付かずの緑が広がるこの場所が、お米を育てる水田になるのだ。ここから始まるのだと思うと、なんだか胸が熱かった。





 馬車を停めて少し歩く。普通に歩いて深く足跡がつく程度には、地面は柔らかい。


 オレの前を歩くレイモンドさんについて行くと、前方が眩しく煌めいているが見えた。その正体は巨大な沼だ。ほとんど波のない水面が、太陽の光を反射して輝いている。


 その沼を目を細めて眺めながら、レイモンドさんが口を開く。


「大きさ、深さ共にかなりのものですよ。計算上も問題ないですね。水棲の魔物が何種類か生息しているようなので、そこだけは注意が必要ですけどね。たぶん取水口には柵でも付けることになると思いますよ。水路に魔物が迷い込んで来たら、ちょっと笑えない状況になりますからね」


 大きなナマズの魔物が田んぼで暴れる場面が脳裏をよぎった。確かに笑えないな。


「なるべく頑丈な柵を付けた方がいいですね」


 レイモンドさんがオレに振り返って笑みを作った。


「そうですね。ガルガン工房にでも発注しておきますよ。きっと、要求通りの物が出来上がるはずです。あそこの職人たちは腕がいいですからね。さて、そろそろ戻りましょうか。ちょっと靴が重くなってきました」


「はい」


 オレの靴も、染み込んだ水分と、靴底にくっついた泥で重くなっている。そろそろ戻らないと、洗うのが大変になるだろう。


 2人で来た道を戻る。その途中で、レイモンドさんが口を開いた。


「ここを開拓することを商会長に承認してもらえれば、すぐに工事を始められますよ。業者にはもう話を通していますからね。事務手続きはいくつかありますが、たぶん5日もあれば着工できると思います」


「早いですね!」


 オレの素直な驚きに、レイモンドさんが嬉しそうに笑う。


「そのために、自分はかなりの権限を預かっていますからね。早さはうちの商会の強みですよ」


 レイモンドさんが胸を張る。早いのはありがたい。


 オレは、自分の望みへと確実に近づいている。胸は待ち切れない想いでいっぱいだ。


 やるべきことは多い。オレも頑張るとしよう。

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