第112話 死霊の王妃
死霊の王妃と対峙する。相手を刺激しないように、努めて平静に会話をする。既に目の前の存在は人ではない。どこに地雷があるのかは、オレには分からない。
『ふふふ。緊張しなくてもいいのよ?何もするつもりはないから。あなたなら大丈夫みたい』
「そう、ですか」
感じる魔力が禍々し過ぎて、緊張しないのは無理そうだ。部屋に入ってから、ずっと鳥肌が止まらない。
震える指先が見えないように、両手はテーブルの下に置いている。
というか、「あなたなら大丈夫みたい」とは?
『生きている人の匂いがすると、自分が自分ではなくなってしまうの。私だけではなく、ここにいる皆もそうなのよ?生きている人の温かさが羨ましくなって、欲しくて、欲しくて、欲し過ぎて、何も考えられなくなってしまうの』
「……そうですか」
怖えよ。帰りたい……。
『あなたは大丈夫みたい。生きているのに、生きている人の匂いを感じないわ』
「体質的に、魔力がないので。そのせいでしょう」
今だけは、魔力がないことに感謝したい。
『まあ?魔力が?そんなことがあるのね』
「はい。とても珍しいですよ」
元の世界だと普通なんですけどね。
『大変そうねえ。でも、私にとっては良かったわ。普通の人ではお話しが出来なかったもの。縁の精霊に感謝しましょう』
縁の精霊さんは、中々オレとお米を会わせてくれないんですよね。
さて、地上のことをどう話そうか。一応、諸々の事情は聞いてきたが。
『ふふ。私ばかり話してごめんなさいね。誰かと話すのは久しぶりだから、つい舞い上がってしまったわ。私達の国がなくなった後のことを教えてくれるかしら?特に光の国について、知っていたら教えて欲しいわ』
「分かりました。まず、光の国は名前を変えて、今でも続いていますよ」
今の法国だ。かつての王家の血も絶えてはいないらしい。
『そうなのね。あの方達の想いは今も繋がっているの……。ええ、それはとても喜ばしいわ』
王妃が感慨深そう頷く。その胸に、人を想う心がまだあるのか。
「闇の国の住人が死霊の精霊によって起き上がった後、光の国の王は、その周囲に壁を築きました。それ以上、被害が広がらないようにするためです」
あの白い壁は檻なのだ。
『ええ、私も見ていたわ。たくさんの人が働いていたわね』
……見てたの?いや、この城が地上にあった時代だから当然か。というか、普通に意識と記憶は連続しているのか?数百年前だぞ。
「……そうですか。壁ができた後は、この場所を地下に封印することになりました。死者たちの強さと再生力に、太刀打ちできなかったからです。魔術によって穴を掘り、全てを沈めていきました。地の適性を持つ人々が総出で蓋をしたようですね。それが今の状態です」
その頃には、既に光の国の王は亡くなっていたらしいけど。数代をかけた大事業だったようだ。何も得てないから、大赤字だよな。
『そうだったの。壁の内側に生きている人がたくさん入ってきたときから、私の意識はなくなってしまったから知らなかったわ。気が付いたら、この暗い場所にいたの』
その意識がない間に、この王妃はいったい何人の人を食べたのか。想像するだけでも恐ろしい。
「……そうですか。その後は、封印したこの場所の上に都市を築き、首都を移しました。万が一の事態が発生しても、すぐに対応が出来るようにするためです。封印に必要な人材も集中させました。今では多くの人が暮らしています。結構栄えてますよ」
『そう……』
王妃が目蓋を閉じる。涙は流れていないが、泣いているように見える。
無言の時間が流れる。言葉を発することはできない。数分後に王妃が目を開けた。
『教えてくれてありがとう。光の国のことはずっと気になっていたの』
「どういたしまして」
『じゃあ、あなたの本題に入りましょうか。私を討ちに来たのでしょう?』
心臓が跳ねる。その通りだ。王妃はどうする?どう動く?
座った状態では剣の抜刀は難しい。やるならば“手”による干渉だ。
『緊張しなくても良いと言ったでしょう?抵抗するつもりはないわ。異国の勇者よ、私を討つことを許しましょう』
……本気か。嘘を言っているようには見えない。だが、王家の嘘を見抜ける程、オレは器用ではない。
『ふふふ。警戒しなくてもいいわ。私もこの時を待っていたのだから。“悪魔”が叶えた願いは、私が蘇ること。私は自分では死ねないの。誰かに頼もうにも、無意識的に人を襲ってしまうから、手加減をすることもできなかったわ』
それはもう呪いだろう。永遠に1人で彷徨う地獄だ。
『でも、あなたが来たわ。私とお話しできるあなたが。だから、ここで終わらせましょう。その剣はそのための物でしょう?避けたりはしないわ。やりなさい』
死してなお、その目に光るのは、王妃としての矜持か。
「……分かりました。では」
鞘に収まった剣を手に持つ。誰かを傷付けるためのこの重さが、オレはあまり好きではない。
「ふぅ……!」
一呼吸で、封印の込められた鞘から剣を引き抜く!
一瞬の抵抗の後、その刃が姿を現した。『浄化』の力を宿した刀身が、白く輝いている。その剣を両手で持つ。構えなんて知らない。
『それでいいわ。私の魔核を狙いなさい。その剣ならば、一撃で足りるでしょう』
魔核があるのは心臓の至近だ。オレの腕では剣を振って狙うのは無理だ。刺突しかないだろう。
お互いに向き合う。自然体で立つ王妃の背は高くない。腰だめに剣を構える。
「……行きます」
『ええ、来なさい』
息を吐き、余計な力を抜く。刃を王妃に向け、右の腰付近に剣を固定。
1歩踏む。そのまま走り出す。頼りない体を加速させる。王妃との距離が詰まる。そして……!
ざんっ、と嫌な手応えが全身に響いた。
数秒の硬直の後に、王妃から離れる。オレの体重を乗せた剣は、王妃を貫いていた。胸に剣を刺す王妃が嬉しそうに笑ってそこにいる。
『ありがとう。これで、ようやく眠ることができるわ』
王妃の体が崩れていく。末端からさらさらと塵になる。
『あなたにはお礼をしなければいけませんね。王家の宝物庫がこの階にあるわ。王妃の名の元に、自由に使うことを許可しましょう』
淀んだ魔力が世界に還っていく。城の外も同様だ。魔力の反応が消えていく。
消えていく王妃を見つめる。目を閉じたその顔に、安堵の表情が浮かんでいる。
『ああ……これでやっと……私の王様……あなたのもとに……』
ガラン、と役目を果たした剣が落下した。刀身の輝きは消えている。割れた赤い魔核だけが、王妃がいたことを証明している。
王妃は、王の元に行けたのだろうか。オレには分からない。王も王妃も、多くの人を犠牲にした存在だ。許されることではないと思う。
ただ、それでも、死んだ後くらいは愛する人に会えたらいいと、オレは思った。
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