第92話

 アルマはハロルド、メイリーと共に地下へと降り、《ヤミガラス》の副隊長であるフランカの牢へと訪れた。


 フランカは黒髪の女であった。

 前髪は眉の上の高さで水平に切り揃えられている。

 髪が掛かっていないため、彼女の意志の強そうな、睫毛の長い瞳がより印象的であった。


 だいたいオルランドかゾフィーばかりが喋っていたため、他の三人はアルマの記憶に薄かった。

 特に何か、特徴的な発言をしていた覚えはない。


「こんな奴いたのか……。なんか見覚えがないな。あの金髪ツインテのインパクトが強すぎてな」


 アルマは頭を押さえ、溜め息を吐いた。

 脳裏にはゾフィーの満面の笑顔が浮かんでいた。


「まあ、僕も、気持ちはわかるのだけれどね……」


 ハロルドも嫌そうな表情をしていた。

 できればもう、ゾフィーの相手はしたくないと考えているらしかった。

 アルマも同感であった。


「で……フランカだったな? 朝に焼き上げた奴が残ってたんだが、パンいるか?」


「いえ、結構です。お二方のご厚意のお陰で、別に食事はいただいておりますので。後の交渉のためとは理解しておりますが、捕虜である私達にも丁寧な待遇をいただきありがたく存じます」


「そうか……」


 アルマは残念そうに頭を掻いた。

 

「……アルマ殿、朝に僕達にも食べさせようとしていたよね? 今日の自家製パンに自信があるのはわかったけれど、それは後にしてもらえるかな」


「い、いや、懐柔の一環にな」


 ハロルドからの手痛い指摘に、アルマは咳払いを挟んで誤魔化した。


「で、他の奴に秘密で伝えたいことっていうのはなんだ? そいつは都市ズリングの情報か? 取り引きがしたいってことでいいんだな。情報の代わりに、何を望む? ただ、言っちゃ悪いが、こんな状況で出された話を鵜呑みにはできねぇし、聞いた後に俺達が約束を守る保証もできないぜ。わかっちゃいるだろうけどな」


「取り引きではありますが、守っていただくかどうかは、聞いた後に判断していただいて問題ありません」


「ほう? 互いに理があるって言いたいのか」


「……実は私は元々、ゲルルフ様……いえ、ゲルルフの秘密を探るために長年彼に仕え、潜伏しておりました。都市ズリングには、反ゲルルフの地下組織があります。ゲルルフの容赦ない弾圧や制裁もあって、年々規模は縮小していますが、私はその一員なんです」


「なるほど」


 真偽はわからない。

 ただ、有り得なくはない話だ。

 他の《ヤミガラス》に知らせずに接触したがった理由にも納得がいった。


 フランカは唇を噛み、アルマへと深く頭を下げた。


「お願いします……。どうか、ゲルルフ様を殺してください! 長年、機を窺っていました。ですが、あいつは、普通の人間にどうこうできる存在ではないのです! 私が長年調べてわかったのは、ゲルルフ様はとんでもない人喰いの化け物で、今の反ゲルルフの地下組織の人間では、どう足掻いても敵わないということだけでした」


「人喰いの化け物……?」


 ハロルドが額に皴を寄せ、顎に手を当てる。


「ですが、この村の急速な発展度合いや、この塔の仕掛け、ゾフィーの貴方への評価を聞いて、確信しました! 貴方なら、きっとゲルルフにも対抗できるはずです! ゲルルフは……奴は、存在してはならない化け物なんです!」


「人喰いの化け物……ね。薄々察してはいたが、ゲルルフの正体に検討がついた。アイツ、悪魔と契約しやがったな」


「あ、悪魔……ですか? あの、おとぎ話や神話なんかで語られる……」


 フランカはその単語に特に親しみがないらしく、眉を寄せた。

 アルマも、マジクラ世界が現実化したこちらの世界の伝承には明るくない。

 ただ、言葉に対するイメージは、アルマのいた元の世界と大差ないようであった。


「特定のアイテムで交信できる、別次元の怪物だ。ゲルルフが悪魔と契約していると考えれば、全ての辻褄が合う」


 マジクラにおいて、悪魔は強大な存在である。

 通常のマジクラ世界より上位の世界に存在するらしく、通常の攻撃を一切受け付けない。

 刃も、爆発も、悪魔の身体を擦り抜けてしまうのだ。

 その癖、悪魔の攻撃は一方的にこちらの世界に爪痕を残す。

 魔法攻撃のダメージ量も範囲も強力で、通常の手段ではまず太刀打ちできる相手ではない。


 もっとも、悪魔がわざわざ低次元のこちらの世界に降りてくることはまず有り得ない。

 だが、一部のアイテムによって悪魔と交信することができれば、通常では知り得ないような智慧を授けてもらったり、高次元のアイテムを手に入れたり、悪魔の魔力を用いた特別な錬金術を行うことができる。


 ただ、悪魔がわざわざ厚意で人間によくしてくれることなど有り得ない。

 人の感情や欲望、経験や記憶は、魔力の力の源となる。

 故に契約して人間を生贄に捧げることで、悪魔の力やアイテムを授かることができるのだ。


「人喰いというのは、恐らくゲルルフが人間を悪魔の生贄にしたんだろう。悪魔の力で造り出せるアイテムは胸糞の悪いものばかりだが、その中に若返りもある」


 アルマは以前にハロルドから聞いていた、ゲルルフについての話を思い出していた。


『犯罪組織絡み以外にも、いくつも不穏な噂があるんだ。魔物災害を人為的に引き起こしたことがあるんじゃないかとか、四十年前からほとんど姿が変わらないだとかね。それに怪しげなことを繰り返している割には、都市内での支持が厚いんだ。反抗勢力を容赦なく叩いているのもあるだろうけれど、人心掌握術に異様に長けている証拠だよ。向こうから仕掛けてきたとしても、乗っちゃあいけない。ゲルルフを追い詰めたら、何が起きることか……』


 四十年前から姿が変わらない。

 そして、フランカの言っていた人喰い。

 両方共、悪魔と契約した人間と特徴が一致する。

 人間を生贄に捧げた対価に、悪魔の力を借りて若返りを実現しているのだ。

 他にもいくつか、悪魔との契約で説明がつきそうな部分もあった。


「本当に悪魔かどうかは、確証を得るには、もう少しフランカから話を聞く必要があるな。ハロルド、これが当たってれば、こっちから打って出た方がいいかもしれない。悪魔と契約した錬金術師がこの大陸の事実上の支配者になっているのは、とんでもない事態だ。奴らは、その気になれば災害だって引き起こし得る」


「さ、災害……!?」


「ああ、警戒させた上で時間を与え過ぎたら、本当に何が起きたっておかしくはない。それに……大都市の代表が悪魔との契約者だっていうのは、この上ない大義名分だろう。ゲルルフを捕らえたって、それを理由に名分をでっち上げて戦争を起こすような奴は出てはこまい。ハロルドの心配しているようなケースより、準備を整えた奴が何かをやらかす方が遥かに厄介だ」


 アルマも元々、ゲルルフの話を聞いた段階で、一つの可能性として悪魔との契約者である線を疑っていた。

 だが、悪魔はマジクラ内でもかなり稀少で、かつ危険な存在である。

 まさか、本当に悪魔の線が濃厚だとは思っていなかった。


「悪魔は本当に外法中の外法だ。あんなもん堂々と悪用してやがるのは、あまりに胸糞が悪い」


 アルマは下唇を噛んでそう零した。


 人間の命を捧げることが前提なのもそうだが、悪魔の力によって造ることのできるアイテムも、本当に趣味の悪いものが多い。

 街一つの住民を全てアンデッドに変えてしまうようなものまで存在する。

 使い方次第では、恐ろしく低コストで他プレイヤーの拠点を再起不能にしてしまえるのだ。

 しかも、防ぐのが非常に困難なのだ。


 マジクラのプレイヤー間でも、悪魔と契約したと判明したプレイヤーとの関係を断ったり、集団で攻撃して契約の破棄を迫ったり、ネットに晒して叩いたりするような文化があったくらいだ。


「天空艇を一隻しか用意できないレベルの資材であれば、まだ悪魔を用いた極端な攻撃はできないとは思う。だが……今後ゲルルフが力をつければ、将来的には完全に手の付けようがない状況に陥るはずだ。ハロルド、やっぱりゲルルフは、ここでどうにかしておくべきだと思うぜ。それに俺自身、平然と悪魔と契約できるようなクソヤロ―を野放しにしておきたくはない。ゲルルフは、前のアンデッド騒動のネクロスなんざ、比べものにならないような外道だ。この先何百年と生きながらえて生贄を捧げ続ければ、ゲルルフ一人の所業でこの世界が終わりかねない」


「そ、そこまでなのかい……?」


「ゲルルフが恐ろしい男だとは知っていたつもりでしたが、まさか、そんな……」


 ハロルドとフランカが、アルマの言葉に絶句した。

 メイリーはポリポリと頭を掻いた後、アルマへと顔を向けた。


「でも主様、天空要塞に悪魔と交信できる鏡飾ってた……もが」


 アルマは大慌てでメイリーの口を塞いだ。


「あ、あれは、ただのコレクションだからいいんだよ! ただのコレクンションだから!」


「一回試しだって言って使ってた……」


「あのときは契約で出し抜いてノーコストでやらせたからノーカンだノーカン!」


 アルマは声量を抑え、メイリーに必死にそう言い聞かせた。

 メイリーはジトっとした目でアルマを振り返る。

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