第78話

 《ノアの箱舟》事件の翌日、アルマは都長マドールの館に招かれた。

 今回は食堂での話し合いであり、机の上には鶏の丸焼きやら大きなソーセージ、サラダが並んでいた。

 早速席に着いたメイリーは、誰から許可を受けるよりも先に、それらを豪快に食していた。


「悪いな。甘やかしていたもんで、礼儀知らずで」


「お、おかわりはいくらでもございますので」


 マドールがやや引き攣った顔で答える。


「先の遺跡騒動で力を貸していただいたばかりか、《ノアの箱舟》の撃退にも尽力いただき、ありがとうございます。いえ、アルマ殿がいなければ、この都市はどうなっていたことやら」


「ああ、《ノアの箱舟》は恐ろしい連中だった」


 アルマは深く頷く。


『……どの口が言うか』


 クリスは思わず、そう呟いた。


 撃退など、そう生易しいものではなかった。

 強引に乗り込んで散々荒らし回った挙句、天空艇の核を盗んで墜落させたのだ。

 《ノアの箱舟》は既に壊滅したも等しい状況であった。


「しかし、俺は今後とも、マドールさんと、そしてこの都市パシティアと、いい関係を築いていければと思っている。だからこそ、身を呈して守らせてもらった。力になれたようで何よりだ」


 大嘘である。

 当初は適当に金でも掴ませて、穏便に対処すればいいだろう、くらいに考えていた。

 《ノアの箱舟》の連中に海轟金トリトンの利益を見越した額を奪われると、自分にまで損害が来かねないから出張ったまでである。


「ハ、ハハハ……。アルマ殿にそう言っていただけ、光栄ですな。ハハ、ハハハハ……」


 マドールは渇いた笑い声を上げた。

 アルマに『いい関係を築いていければ』と言われると、不穏なものしか感じなかった。


「こ、これで、アルマ殿には、貸し二つになってしまいましたな」


「いやいや、そう気にしないでくれ。ただちょっと、俺が困っているときに力を貸してもらえればなと思っている」


「ハ、ハハハ、ハハハハ……。アルマ殿のような御方が困っているような事態に、私なぞが力になれるかは怪しいものですが、いえしかし、そういうときがくれば、勿論できる限り、力をお貸しいたしましょうよ」


「ご謙遜を。リティア大陸三大都市の一つ、パシティアの都市長なんだから。できないことの方が少ないだろう」


 アルマにあれこれ言われる度に、どんどんマドールの顔が引き攣っていく。


『……おいアルマ、程々にしてやれ』


 マドールの委縮した様子は、クリスから見ても可哀想なほどであった。


「で、実は俺が金策を急いでたのは、ちょっとした理由があってな。疫病に襲われた村があって、そこのために大量の薬が必要なんだ」


 実際には疫病どころではなくゾンビ化なのだが、それを正確に伝えるわけにはいかない。

 一部を誤魔化し、アルマはマドールにそう語った。


「な、なるほど……。要するにそれは、一刻を争う事態なので、ハプニングがあったけど早めに二億アバルをいただきたいと……そういうことですな?」


 マドールはアルマの顔色を窺いながら、そう口にする。


「ん? いや、それは当然だろ」


「い、いえいえいえ、勿論当然でございます! た、ただその、午後まで待っていただければと! 今日中にはお支払いいたしますので、ね? ね?」


「ああ、そこに関わる話でもあるか。実は薬の材料を集めたいんだが、店回って搔き集めるのもなかなか大変でな。そもそも、今の都市にある分だけで足りるのかも怪しい。費用は多少上乗せしてもいいから、どうにか部下を使って、これだけ集めてくれないか? 大急ぎで」


 アルマはそう言って、紙をマドールに渡す。

 紙には村人を人間に戻すために必要な、《神秘のポーション》の材料について記されている。


「こ、こんなにたくさん……。相場は少し、調べてみなければわかりませんが……」


「多目に見て四千万アバルくらいだと思う。だが、それを大きく上回っても構わん。とにかく時間が惜しい。金の方も、これが揃うまで待とう。どうせ、集まらないと動けないからな」


「わかりました、アルマ殿。ちょいと厳しいですが、三日あれば、どうにか……」


「二日で頼む」


「ふっ、二日!? 都市外の村にも呼び掛けるとなると、それは……」


「村まで部下走らせて、あるだけ買い集めさせればいいだけじゃないか。な、《ノアの箱舟》がまともに暴れていたら、どれだけの被害になるかなんて、わかったもんじゃなかっただろ? それに比べたら、ちょっとくらい無理してくれたってよくないか?」


「わわ、わかりました、アルマ殿。必ずや、明後日までには用意させていただきます……」


「よし、頼りにしてるぞ、マドールさん。何せ、村の人達の命が掛かってるからな」


「お、お任せくだされ、アルマ殿……」


 マドールは言いながら、苦悶の表情で額を押さえていた。


 話が纏まったところで、アルマは食事を行おうと、机の上へと目を向ける。

 しかし、既に机の上は、空き皿ばかりになっていた。

 横へ目を向ければ、メイリーが満足げに自身の腹部を押さえている。


「……メイリー、お前、俺が話し込んでる間、休まずずっと食べてやがったな」


「む? おい、早く新しい料理を持ってこい。まだ私もアルマ殿も、食事は終わっておらんぞ」


 マドールが声を上げると、部下が慌てた様子でやってきた。


「も、申し訳ございません、マドール様。……その、メイリー様が際限なくお食べになっていたもので、在庫が。すぐ、追加を買いにいかせておりますので」


「しょっ、食糧庫の残りを、確認しておらんかったのか?」


「いえ、何というか、そういう次元ではなく……」


 部下が困ったように言葉を濁し、ちらりとメイリーへ目をやった。

 アルマは指先でメイリーの額を小突いた。


「……ちょっとは自重してくれ。こっちは大事な話してるんだから」


「だって、おかわりならいくらでもあるって聞いてたから……」

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