第55話

 釣りを終えたアルマは、素材の換金のために冒険者ギルドへと戻った。


 冒険者ギルドが前例を重んじるというのであれば、モンスターランク6のカリュブディスを狩ったアルマには、その場で昇級を受ける権利があるはずであった。

 何せ冒険者ギルドには、過去にモンスターランク5の魔物を狩った冒険者を、即座にC級冒険者にしたという前例がある。


 これを盾に攻めれば、アルマも即日C級冒険者になれるはずである。

 そしてC級冒険者になれば、A級冒険者のキュロスが海上遺跡の調査にアルマをお供として連れて行ってくれるはずであった。


 アルマが来た時点で、冒険者ギルドは不穏な空気に包まれていた。

 既に彼の奇行は冒険者ギルドで有名になっていた。


 職員達も明らかにアルマを意識し、神経を尖らせている。

 冒険者達はアルマの振る舞いを蔑視する者と、今回は何をやらかしてくれることやらと期待して好奇の目を向ける者に分かれていた。


「おい、シーラって受付嬢を出してくれ。同じ説明や、議論を繰り返したくはないからな。前と同じ人がいい」


 受付に出たアルマは、そう切り出した。

 前回シーラ相手にしたときは、いくつか強引に認めさせた理屈があった。

 他の受付嬢が相手では、それらの苦労が全て台無しになってしまう。


 対応に出た眼鏡を掛けた受付嬢は、アルマの言葉に露骨に表情を歪める。


「シ、シーラは、ただいま、席を外しておりまして」


 受付嬢は、ちらりとギルドの職員用の控室の方へと目を向け、そうアルマに説明した。


「そうか、じゃあ待たせてもらう。ギルドの端で待ってるから、戻ってきたら呼び出してくれ」


 受付嬢が頭を抱える。


 メイリーが興味なさげに欠伸をする。


『おい……アルマ。そう虐めてやらんでもいいのでないか?』


「だから俺だって好きでこんなことやってるわけないだろ、必要だからやってるんだ。こいつらが堅いお役所対応しかできないのはわかってるから、それに合わせたやり方でやってるだけだ。村の人間がゾンビから戻れなくなってもいいのか?」


『まぁ、そうだが……そうなのかもしれんが……もう少し容赦をしてやったらどうだ?』


 まさか人間を敵対視しているドラゴンからそんなことを言われるとは思っていなかったため、アルマは口許を歪めた。


 受付奥から、シーラがつかつかと歩いてくる。

 額に皴を寄せ、顔を怒りで赤くしていた。

 他の職員が顔を青くして彼女を引き留めている。


「お、落ち着いてシーラちゃん!」

「怒る気持ちはわかるけど、貴女が出て行っても解決しないから!」


 アルマは顔を上げ、ニヤリと笑う。


「用事が終わったようで何よりだ」


「貴方がっ! 貴方が来るって聞いたから、こっちはわざわざ奥に引っ込んでいたんです! 空気読んでください!」


「おう、知っている。だからああ言ったんだ」


 アルマは肩を竦める。


「こっ、この! バカッ! バーーカッ!」


「落ち着いてシーラちゃん!」


 シーラは近くの花瓶を持ち上げてアルマに狙いを定めたが、他の職員に素早く取り押さえられていた。


「す、すいません、教育が行き届いていなくて……」


 他の職員が、引き攣った笑みをアルマへと向ける。


「いや、楽しませてもらってる。気にしないでくれ」


 アルマの飄々とした答えに、大人しくなりかけていたシーラが再び暴れ始めた。


「ギルド長! ギルド長をすぐに呼べ! この人の相手は我々には無理だ!」


 数人の職員が、どたばたと奥へ走っていく。

 恐らく、ギルド長のメイザスを呼びに行ったのだ。


「チッ、あの人じゃなくて、シーラだと楽だったんだがな」


『貴様……本当にいい性格をしておるな』


 クリスが呆れ果てたようにアルマへと零す。


「俺も本当に、村のために仕方なくやってるだけだからな。いや、あの子には申し訳なく思ってるぞ」


「……それで、あの、アルマ様。今回はどういった要件でしょうか?」


 メイザスが来るまでの時間稼ぎとして、眼鏡の受付嬢が、そうアルマへと要件を尋ねる。


「ああ、実はカリュブディスを狩った。その心臓があるから、コイツを換金してくれ」


 アルマは《魔法袋》より、青黒く輝く、大きな肉塊を取り出した。

 肉塊はまだ、激しく脈打っている。

 禍々しい鼓動が冒険者ギルドに響いた。


「……はい?」


 眼鏡の受付嬢が首を傾げる。


「要するにだ、モンスターランク6の魔物を狩った。んで、俺をとっととC級冒険者にしてほしい。過去にもこうした例があったのは確認済みだ」


「モ、モンスターランク6……?」


 眼鏡の受付嬢が茫然と応える。

 無理もない、モンスターランク6は、発展した都市一つを一夜で消してしまいかねない厄災である。

 そんなものを一日足らずで狩ってきましたなどと言われても、受け入れられるわけがない。


「絶対嘘だ……」


 シーラがぽつりとそう零した。


「お、おい! いい加減にしろ貴様! どんどん虚言が酷くなってるだろうが! 魔物の山を片づけましたとほざいたかと思えば、次は伝説の魔物カリュブディスだと? ガキでもそんな嘘吐くか!」


 前回同様、禿げ頭の冒険者ボルドだった。

 相棒フノスは彼の身体を押さえ、必死に説得している。


「止めましょう! この人に関わるの! 絶対ロクなことになりません!」


「だ、だが……! 俺もそんな気はしているが、だってこんなの、さすがにどう考えてもおかしいだろ!? なんでコイツ、こんな大嘘が通ると思ったんだ! そもそもこの都市の近くに、カリュブディスがいるわけがないだろうが!」


「いたんだから仕方ないだろ。そいつはカリュブディスさんサイドの問題だ。俺じゃなくてコイツに言ってくれ」


 アルマはボルドへ、カリュブディスの心臓を近づける。

 どくんどくんと心臓が脈打つ。


「ひぃっ! 止めろ、その不気味な物体を近づけるんじゃねえ!」


 眼鏡の受付嬢も、どうすればいいのかわからず、ただオロオロとしながらメイザスが来るのを待っているようだった。

 アルマも時間を持て余して、ざわめく冒険者達をぼうっと眺めていたが、その中にキュロスの姿を見つけた。

 瞼を痙攣させ、苦虫を噛み潰したような表情でアルマを睨んでいる。


「おっ、キュロス! どうにかC級冒険者になれそうだ! 遺跡の件はよろしく頼むぞ」


 キュロスはアルマに名前を呼ばれ、少し戸惑った後、顔に怒りを浮かべる。


「……馴れ馴れしく呼ぶんじゃあない。私はお前など認めはせんぞ……」


「おいキュロス、約束を破るつもりか! 話が違うぞ、お前がああ言ったから、俺はC級冒険者になるためにこれだけ苦労したんだ」


「話が違うのはこっちの台詞だ! こんなとんでもない男だと、誰が思うか!」


 アルマとキュロスが睨み合っていると、受付奥よりギルド長メイザスが現れ、大慌てで駆け寄ってきた。


「ギルド長!」

「メイザス様!」

「よかった、あいつどうにかしてください! また突拍子もないことを言い始めたんです!」


 職員達がこぞってメイザスへと泣きついた。


「メイザス様、お聞きください。アルマ様は、アレが伝説の魔物の心臓だと……!」


 メイザスはアルマの手にする心臓へと顔を近づけ、ごくりと息を呑んだ。


「確かに、言い伝え通りの外観だ……。この地では、かつてカリュブディスが地形を食い荒らしたという伝承が残っている。本当にカリュブディスがいたとしても、確かにおかしくはない……」


 メイザスは心臓を見つめながら、そう口にした。


「メ、メイザス様? まさか、信じなさるのですか……?」


「数刻前、空に暗雲が立ち込めたであろう? 高ランクの魔物は、眠りから目覚めた際にあのような超常現象を引き起こすことがあるのだ。それに……前回、アルマ様が持ってきた魔物の素材の山も、結局出どころは掴めなかった。ゴブリンの砦跡も、報告通りであった……。信じがたいことだが、彼は本物かもしれん。いや、最早疑う余地はない! こうなった以上、無下に扱って気を悪くさせてしまえば、この都市の損失であろう!」


 メイザスは言葉に熱を込めて語る。

 段々と興奮のためか声が大きくなっていた。


「い、いや、だってこんな……あり得ませんよ! どう考えても! 冷静になってください!」


 シーラが必死にメイザスの説得に掛かる。

 だが、メイザスは最早、誰の言葉も聞いてはいなかった。


「なぁ、ギルド長さん。こういう場合、特例で昇級されるんだよな? 誤魔化そうったって無駄だ、俺は前例を確認済みなんだ。俺をC級冒険者に……」


「わかりました、認めましょう! このメイザスが責任を持ちます! アルマ様とメイリー様を、特例でA級冒険者とさせていただきます」


 メイザスは大きな声で宣言した。

 職員達や野次馬の冒険者達は、何を言っているんだコイツという目でメイザスを見ていた。


 アルマは凍り付いているキュロスへと振り返る。


「キュロス、やっぱりお前に頼らなくてよくなりそうだ。あの話はなかったことにしてくれ」

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