第15話 お守り
いつ話を切り出そうか考えあぐねていると、佐藤さんからお昼休憩に誘われた。てっきり近くにあるバーガーチェーン店かと思ったら、隣にあるお洒落なイタリアンカフェだった。
「入社祝いにおごってあげる」
「ありがとうございます。お給料頂いたら、俺もおごります」
「ふふ……キミに敬語を使われるなんて変な感じ」
「ん?」
「なんでも。パスタはどうする?」
「えーと……、スープパスタで」
「俺はナスとベーコンにしようかな」
待っている間に水をちびちび飲んでいると、佐藤さんは手を伸ばして髪の毛をくすぐってきた。しばらく切っていなかったので、肩につきそうになっている。
「俺に触れられて嫌じゃない?」
触った佐藤さんが驚いている。
「嫌じゃないです……なんでだろ?」
「あはは、そっかそっか」
佐藤さんは嬉しそうに笑う。笑顔を見ていると、なぜか泣きたくなってきた。
「あの、これって見たことありますか?」
狐のお守りを彼に渡すと、ほんの一瞬だが目を見開いた。動揺の仕草は探偵学校でも学んだし、鍛えてきた。偶然なんかじゃない。彼はお守りを知っている。
佐藤さんは何も言わず、一心に見つめている。優しい目は赤みが増し、顔を歪ませていた。
店員は遠慮がちに料理を運んできて、テーブルに並べていく。佐藤さんは黙々と料理を食べ進めたので、俺もフォークに手を伸ばした。
会話のないまま昼食を終え、事務所に戻っても佐藤さんは無言だった。お守りを返してもらっていない。
「あのお守りなんだけど、貸してもらうことってできないかな」
「……それって、佐藤さんには見覚えのあるものだって言ってるようなものですよ。俺も気になるし、問いつめてしまいます。ずっと捜していたんだし」
「うん。捜してくれていたんだね」
「やっぱり……。俺、佐藤さんと会ったことあります?」
彼は俺の頬に手を当て、慈しむような手で数回撫でると、徐々に下がっていく。佐藤さんの同僚の女性が「ひっ」と短く悲鳴を上げ、コーヒーをこぼしそうになっている。おろおろするばかりの俺とは対照的に、佐藤さんは冷静だ。
「……そのうち」
離れていく手が熱い。それ以上に、俺の首が熱かった。
「佐藤さんたち、悪いんだけど今から言うところに行ってもらえないかな。東雲さんの担当なんだけど、被っちゃってんのよ」
「何かあったんですか?」
「相談者の方と連絡が取れないの。一度電話がかかってきたっきりですぐに切れちゃって。事件事故なら警察に」
「分かりました」
「佐藤君は彼から聞いてね」
佐藤さんと佐藤君。すでに使い分けをされている。多分、このまま定着するだろう。
「それじゃあ行こうか」
佐藤さんは歩くスピードが早い。背も俺よりあるし、しかもあまり踵を鳴らなさない。
駐車場に駐めてある車の助手席に乗ると、佐藤さんはカーナビも見ずにアクセルを踏んだ。
「場所分かるんですか?」
「前、東雲さんと組んでたからね」
東雲さんはそんなこと、一言も言っていなかった。
「でも少しの間だよ。嫉妬しないで」
「してませんけど……」
「……真顔で言わないでよ」
本当は少し、もやもやが溜まってしまった。名前のつけられない感情だ。
「なんていう方の家ですか?」
「綾川さんっていう女性の方」
「綾川?」
「聞き覚えでもあるの?」
「いえ、知り合いに同じ名前の人がいたんです。元クラスメイトですけど、ほとんど喋らずに卒業したんです。俺も彼女も、目立つわけじゃなかったから」
「ふうん」
まさかとは思ったが、だんだん俺の知っている風景が見えてきて、近くの駐車場に曲がる。
「この間からじっと俺のこと見てくるけどさ、そんなに興味ある?」
「興味っていうか……まあ。俺の過去に童話みたいな不思議な話があって『あおい』って名前の人が関わっているのかもしれないんです。昔話ができるほど記憶も定かじゃなくて、おかしな夢も見るんです」
「それじゃあ結婚しかないね」
「はあ?」
「ほら、同じ名字だし。俺、葵だし」
佐藤葵は真剣そのもので、冗談だと突っ込んでいいものかも悩む。この人は緊迫した直前で、何を言っているのか。
「早く行きましょうよ。相談者の方待ってますよ」
佐藤さんは眉をハの字に曲げ、渋々車を降りた。仕事前とは思えない緊張感のなさ。
綾川さんの家は、アパートの二階だ。二〇二号室は手前から二つ目にあたる。
「綾川さん?」
先に階段を上っていた佐藤さんが声を荒げる。一気に駆け上がり、俺も後に続いた。
女性がドアの前で倒れていた。買い物帰りなのか、ビニール袋から果物や野菜が飛び出ている。すぐに俺は救急車を呼んだ。
電話越しに女性からいろいろ質問されるが、詳しい事情が分からないのでほぼ答えは『分かりません』一択だ。見かねた佐藤さんは手を差し出し、俺はスマホを彼に渡した。
「倒れている女性は綾川律さん。首に絞められた跡があります。買い物帰りなのかビニール袋が散乱していて、彼女の鞄はあさられた形跡はありません。なぜ名前を知っているのかというと、彼女はストーカー被害にあっていると、探偵事務所へ助けを求めにきました。私の担当ではありませんが、担当の者が出払っているので代わりにアパートまでやってきました。そしたら扉の前で倒れていたので電話をしています。息はあります」
パーフェクトすぎるくらいパーフェクトな答えだ。電話の相手と俺への説明も兼ねてだった。
綾川律さんは俺の知る綾川律さんで間違いないだろう。高校時代はお互いに目立つ存在ではなかったが、今になって少しずつ鮮明になっていく。彼女はよく本を読んでいた。典型的な読書の虫で、教室にいるときは本に向かい合っている記憶しかない。眼鏡を拭こうと取ったとき、とても可愛くてどきっとしたのを覚えている。
細かった身体がさらに細くなり、手は骨が浮き出てしまいそうだ。首が見えて慌てて逸らした。生々しい跡は、これからも見ることになるかもしれない。
到着した救急車に後を追うように、パトカーもやってきた。事件事故かと回りの一軒家のカーテンが揺れる。目立ちたくなくて、救急車の陰に隠れた。
淡々とした聴取は長々続き、解放までは数時間かかった。終わる頃には佐藤さんのスマホに電話がかかってきて、綾川さんの意識が取り戻したそうだ。
「すぐに向かおう」
「車がなければパトカーで病院まで送って行きましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
会社の車に乗ってドアを閉めると、ふたり同時に息を吐いた。顔を見合わせ、お互いに笑う。
「いきなり警察にお世話になるとは思いませんでした」
「俺も初めて。想定していても驚くよね。出発するよ」
ここに来る前よりアクセルの押しが強い。それでも安全運転には変わりないが、感情の揺れが表れていた。
総合病院に入ると、もしかしたらという最悪の想定はすぐに過ぎ去った。案内された部屋では依頼主が寝ており、俺たちを見ると笑って手を振る。生きているだけ良かったが、覇気がない。
「佐藤君よね? 久しぶり……」
「覚えていてくれたの?」
「うん……確か探偵クラブを作ってなかった? すごいね、夢を叶えるなんて……」
集中しなければ、彼女の声を聞き逃してしまいそうだ。隠そうとしても、声には恐怖の色が乗っている。
佐藤さんは遮るように俺と彼女の間に入り、病院に運ばれるまでの事情を説明した。
「気を失う前と後の記憶はありますか?」
「ええ、なんとなくですけど。実は倒れた後も声は聞こえていたんです。電話で救急車が呼ぶ声と、佐藤君が私の名前を呼ぶ声、あとは救急車のサイレンの音も……」
「失礼ですが、警察の者です」
綾川さんの肩が大きく揺れ、布団を握りしめた。
「警察とは話したくありません。帰って下さい」
「事件であれば私たちが……」
「帰って下さい」
何度かやりとりしても、綾川さんは警察官相手では頑なに口を割ろうとはしなかった。警察官には病室を出ていってもらい、俺と佐藤さんで話をすることになった。
「もしかして、一度相談されてます?」
「どうして分かるんですか?」
「二度と警察なんて信用するかって目をしていますから」
「……実は、その通りなんです。ストーカー被害って言っても、相手が誰だか分からないから困ってるんです。まるで探偵さんたちの目をかいくぐるのに長けているみたいで……。最初は友達との電話がうまくできなくておかしいななんて思って、ミステリー小説やドラマによくある感覚で探偵の方に頼んだんです。そしたら盗聴器が見つかって……」
「その後に段々被害が広まったんですよね。スマホに無言電話がかかってきたり、郵便受けに手紙が入っていたり」
「はい。盗聴器がなくなったからなのか、探偵の方と会っていたからなのか……」
「二つが原因とも考えられます」
口を挟むと、二人同時に俺を見た。
「皆さんに相談したあと、警察の方にも連絡をしたんです。助けてくれるどころか、私が異常なんじゃないかって疑い始めて……」
警察を信用しないのも合点がいった。彼女からすれば今さらな話だろう。警察が不祥事だ。
「今までは探偵に相談だけで充分だったのかもしれませんが、今回は命を狙われています。綾川さんの気持ちも尊重してあえて言わせて頂きますが、被害届を出して下さい。意地より命が大切です」
「……分かりました。でも今日はもう誰とも話したくありません。明日以降、考えます」
「もうひとつ。犯人について心当たりは?」
「ありません。振り返る直前に首を……その、」
「ええ、言わなくても大丈夫です」
「手の大きさや厚さから、直感的に男性だと感じました。影が被ったので、多分私より身長は高かったと思います」
一度佐藤さんを見上げると、綾川さんは俺のスーツの袖を遠慮がちに掴んできた。
「……必ず捕まえてくれる?」
「う、うん……捕まえるよ。捕まえます」
「綾川さんはもう休んだ方がいい。警察官には、俺たちから明日以降に来てほしいと伝えておきますので」
佐藤さんは毛布を彼女にかけ、行こうと促した。
病室を出ると今か今かと待ちわびていた警察官たちが寄ってきた。餌待ちのドーベルマンのようだ。
場所を変えて綾川さんと交わした内容を説明し、何かあればすぐに連絡がほしいと告げる。失態のせいか、慎重になりすぎているくらい恐る恐るだった。
警察からも解放されたときには太陽は隠れてしまっていて、もう何をする気も起きなかった。確実に身体も心も疲労が蓄積されている。
「疲れた?」
「……少し」
「入社して早々とんでもない依頼だしね。一度会社に戻って、家に送っていくよ」
「いいですって。佐藤さんだって遅くなります」
「俺は明日休みだから大丈夫」
「……でしたっけ?」
それならばと、甘えることにした。いったん事務所に行くと、人はまばらで、東雲さんもいない。
「佐藤君も明日休んてだってさ。明後日から出社して。勤務表は調整するから大丈夫って」
「いいんですか?」
「東雲さんたちも知ってるから大丈夫」
俺まで休みをもらってしまった。明日動ける気はしなかったので、これは嬉しい。
「ふたり休みになったね。今度こそ送っていくよ」
「あ、あの……家に寄ります? 佐藤さんは運転だから、お酒は出せないですけど。家にないし」
「………………いいの?」
「はい」
すっごく間があった気がする。何の間だ。来たいのか来たくないのか、遠慮なのか。
佐藤さんの車の中は何か独特な香りがして、それは孤島へひとり旅行に行ったときの、お社の中の香りに近かった。
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