2話 趣味
まだ暗いが早朝、試練が始まるまで残り六日。
俺は一心不乱に剣を振る。
俺は恵まれていたと思う。
突然この世界に迷い込み、森の中で獣に襲われた俺はサンの村の人たちに偶然助けられ、以来面倒を見てもらっている。
キャンプすら行ったことがない俺にはサバイバル能力はなく、神様に何か特別な力を貰ったわけでもない。そんな俺が突然森に放り出されたのだから、森から出る事すらできずに死んでいた可能性が大いにある。
何か能力を貰ったわけではない以上、異世界転生ものでお約束の、お嬢様が乗った馬車が盗賊に襲われている所を助け、お礼に衣食住を得るなんて展開もありえない訳だ。
例え人里に無事に降りることが出来たとしても、働いた経験のない俺が一文無しから生活基盤を整えるところを想像ができない。
唯一俺がこの世界に対するアドバンテージがあるとすれば、男の俺が迷い込んだのが、この男女比の偏った世界だったことくらいだろう。
男だから拾ってもらえ、何の役にも立たないのに衣食住を貰えた。
畑があり、肥沃な森に囲まれたこの村でも食料は貴重だ。
日本とは違って日々生きるのに必死で、例え子供でも遊ばせている余裕はないため働いている。
そんな村で果たして俺が女だった場合、ここまでしてくれただろうか。
俺はそんな雑念を振り払うように撃鉄を、振り下ろし、地面ギリギリで止める。振り下ろす時以上の負荷が止める時に全身を襲い、体がもっていかれそうになるがなんとか耐える。
「ふぅ……」
日が昇った。
木々と家の間から漏れる光に、目が少し痛くなるが同時にホッとするのは人としての本能なんだろうか。
明るくなったという事は、試練までの猶予が少なくなったという事なのに、我ながら呑気なものだ。
俺は汗を服の裾で拭い、一息つくことにする。
そんな俺が一年と少しで戦士の試練を受けることになった。
実力がなければ死ぬ、あれば生き残って一人前。
極端な話だ。
想い返せば、いつも誰かに助けて貰って生き延びてきたが、今回は俺一人。
自分が命を落とすかもしれないという不安は勿論あるが、果たして俺に皆の期待に応えることが出来るだろうかという方の不安が大きい。
期待に答えられないというのは、つまり命を落とすことでもあるので同じ事を言っているように聞こえるかもしれないが、俺の中では明確に違う種類の不安だと思う。
今の俺のこの不安を例えるなら、スポーツ特待生として高校入学したのに未だそのスポーツで結果を残せていない学生だ。
詳しく言うと、このままそのスポーツで活躍できなければ、授業料免除の資格を失うため、学費を払えなって退学するしかなくなる崖っぷちの学生。
退学は怖い。でもそれ以上に自分への失望が怖い。そんな感じだ。
俺はスポーツ推薦を受けたことがないので、想像でしかないが。
とにかく、今俺にやるべきなのは強くなる事だ。
俺の中の不安を消す方法は試練に生き残った時のみ解消される。
いくらここで鍛錬をし強くなったとしても、消えることはない。
「よし……もういっちょ……」
だからこそ俺はこうやってまだ日が昇る前から鍛錬を繰り返す。
そうやって全身に乳酸が溜まり、腕を上げるのもきつくなってきた頃、見慣れた人物が訓練場の前を横切るのが見えた。
日が昇り、皆活動し出したようだ。
体は既にボロボロだ。だが素振りだけでは強くなれるか不安だし、模擬戦もしておきたい。
そう思っていた俺は丁度いいと思い、その人物、セツに向かって叫んだ。
「おーい! セツ! 何してるんだ?」
歩いていたセツは、俺の声に気付いたようでこちらの方を向くと、歩いてきてくれた。
良かった。相手が出来た。
「なに?」
と思ったが、セツはどうやら今日は訓練する日ではないようで、服装が狩りの時に使う頑丈で動きやすい装備ではなく、ひらひらと揺れるロングスカートに肩の出た薄い服のいわゆるお洒落着だった。
その服はつい最近セリアやシオ達と作ったお気に入りらしく、最近時間があれば袖を通している気がする。
となると訓練の誘いは無粋かもしれない。
そう思った俺は訓練ではない別の話題を考えようとした所、セツ俺の前で立ち止まり、顔を少し傾け口を開いた。
「ねえこれどう思う?」
「え?」
俺の方へと向けられたセツの髪には、薄い綺麗な緑色の、花を模した髪飾りが付けられていた。
似合っている。
素直にそう思った。この綺麗な色は翡翠だろうか?
表面を削って花が彫られた翡翠色の髪飾りは、セツの白い髪の上でよく映えており、服装も相まってセツの魅力を際立たせている。
よほど機嫌がいいのか、相変わらず表情筋はそれほど動いていないにも関わらず、ムッフーという鼻息が聞こえてきそうな得意げな様子が伝わってくる。
「あ……えと……髪の……」
あまり見たことがないくらい上機嫌なセツの様子に戸惑ってしまい、俺は言葉に詰まってしまった。
元の世界では女の子と縁のなかった俺だが、この世界に来てからは女の子に囲まれて生活してきた。
それなりに女性への耐性はついてきたつもりだったが、女の子を褒めると思うとなんで言葉に詰まってしまうんだろうか。
俺は一旦息を吐き、気持ちを落ち着かせて口を再度開く。
「その髪飾りどうした?」
「母さんから貰った」
「そうか……アイラさんから……」
「……」
「…………」
セツが俺の目を真っすぐ目を合わせ続きを待っている。
無言の時間が痛い。これは答えないと許してくれなさそうだ。
「えっと……まあ……似合ってる……」
「よし」
クッとセツの口角が少し上がった。俺の煮え切らない言葉でも満足してくれたようだ。
セツの笑顔は嬉しいというより、どこか挑戦的で勝ち誇っているようにもみえる。
なんだろう。これはセツに確信犯的に照れさせられたんだろうか。
セツの考えはわからないが、そう考えると無性に悔しい上、自分の言動にも腹が立ってきた。
『えっと』をつけた上に、なんで『まあ』をつけてしまったんだろう。明らかに余計だ。
そんな内心悶絶する俺の様子を知ってか知らずか、セツはよく櫛を通された綺麗な髪をサラリと耳にかけ、改めて要件を聞いてきた。
「それでどうしたの?」
「……ちょっと剣の相手をして欲しかったんだけど……今日は難しそうだな」
「うん。無理。今日はシオとセリアと服を縫う日」
だよな。と言いながら俺は地面に突き立てていた撃鉄を持ち上げた。
セツは無理だったが、ジークやアンジもそろそろ起きてくるはずだ。あとで稽古をお願いしに行こう。
そう思いながらもう少しの間素振りをするため、撃鉄を握る手に力を込める。
するとそのタイミングで起きてきたらしいセリアとシオが訓練場に入ってきた。
「おはよーございますぅ」
「やあおはようミナト、セツ」
セツは俺から視線を外し、そんな二人の方へ向き直るとさっそく髪飾りを二人に見せ始めた。
「あ、セリア、シオ、これどう思う?」
「セツちゃん可愛いですぅ!」
「あ! いいなあ! そんなのどうやって手に入れたんだい?」
訓練場が一気に姦しくなる。
セツは口数が少ないが、感情が薄いわけではない。
また、人一倍厳しい鍛錬をすることで、若いながらも村で有数の剣の使い手になるような女傑だが、実はお洒落が趣味だ。
髪はよく櫛を通しているし、汚れがちな肌も水浴びを毎日して清潔に保っている。
それは周知の事実で、布が手に入ればセリアとシオも含めた若い娘たちで集まって、新しい服を縫っていたりする。
布自体が貴重な物なので、一からまったく新しい服限られを作る機会は多くないそうだが、限られた条件の中でお洒落を楽しんでいる。
セリアとシオがここに来たのも 服を一緒に作ると言っていたし、セツと待ち合わせでもしていたんだろう。
こうなるとしばらくは男の俺は蚊帳の外だ。
美少女三人がはしゃいでいる所をもう少し眺めていたい気持ちはあるが、時間は無駄にできない。
俺は気の緩むような平和な声を意識から排除し、鍛錬へと戻った。
もうちょっとだけ頑張ってから朝飯にするとしよう。
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