39時限目 フジバナ先生のお留守番(2)
対抗戦を翌日に控えた旧校舎では、その日も昼過ぎまでエレナたちによる訓練が行われていた。校庭のそれぞれの場所で、三人は妖精たちの猛攻をかわそうとしていたが、バルーンが割れる音は鳴り止まなかった。
「ふむ……」
フジバナはその光景を口に手を当てながら見ていた。息を切らしながら逃げる生徒たちの動きは悪くない。ただ周囲を取り囲むエレナたちの動きに付いていけないことは確かだった。パチンとリリアの頭上でバルーンが割れるのを見て、フジバナはエレナの動きを止めた。
「はい皆さん、今日はこれで終わりです」
「え……もう……」
額の汗をぬぐいながら、リリアは「まだやれますー」と呼びかけた。マキネスとミミも納得できないという表情でフジバナの方へ歩いてきていた。
「まだ全然できていないニャ」
「対抗戦は明日ですから。今日で体力を使ってしまっては意味がありません。もとより全てのエレナたちをかわすことなんて、できるはずがありませんから」
「そうなの?」
「当然です。私だってこれができるようになったのは最近ですから。あと十年はかかるでしょうね」
「えぇ……」
気が抜けたように地面に座り込んだリリアは、「なにそれー」と口を尖らせて言った。
「焦って損したー」
「損ではありませんよ。いざ戦ってみると効果が出ていることが分かりますから。……さて、つい先ほど隊長にくっついていたエレナから手紙が届きました」
「え!? ダンテ先生からの? 見せて見せて!」
リリアは飛びつくように、フジバナが取り出した紙を覗き込んだ。
「これトイレの紙じゃん。きったな」
「……文字がびっしり書いてある……」
「目が痛くなってくるニャあ……」
「隊長はだいぶ苦労しているようですね。持ってきた使い魔もかなり
「なんて書いてあるの?」
「対抗戦に向けた作戦ですね。それと髪の毛が二人分。シオンとイムドレッドのものでしょうが、これは、とりあえず置いていきます」
ペラペラの紙を読み解きながら、フジバナは一文ずつ丁寧に作戦内容を読み取っていた。
「
「おお格好良い……」
「……でも、これって……」
書かれていた作戦内容を見て、マキネスは身を
「……かなり大変じゃないですか……」
「ううむ、ミミもなかなか厳しいニャ」
「ねぇ、私さ」
リリアが青ざめた顔で、手を挙げた。
「……剣を使っちゃいけないって書いてあるけれど、これマジかな」
「確かにそのように書いてありますね。リリアに関しては、絶対に剣を抜いてはいけないと。剣を抜く時はブラム・バーンズに対してだけだとも書かれています」
「……ブラム・バーンズ」
訓練所で試合をしたクラス「パラディン」の生徒。高慢ちきな笑い顔を思い出して、リリアは頭を抱えた。
「絶対にあいつ私のこと恨んでるでしょ」
「対抗戦になったら、あなたを狙ってくることは間違いないですね」
「私、大丈夫かなぁ……」
リリアは自分の腰に差した模擬剣を握りしめて、顔を伏せた。
「まだ一度も剣にすら触れられてないんだよ。正直言って、まだ自信がないんだ」
「……こればかりは私には分かりません。ですが、隊長がこの作戦に込めた意味ならお伝えできます」
「意味……?」
首をかしげたリリアに、フジバナはにこっと笑いかけた。
「作戦名の『カモイメルム』。真冬に咲き誇るラン科の植物です。古くから逆境に強い花として親しまれていて、隊長が好んで作戦名に用いる名前です。この名前を付けた作戦で、今まで私たちが勝利しなかったことはありません」
不安そうに瞳を揺らす三人を勇気づけるように、フジバナは言った。
「この一ヶ月の訓練を耐え切ったあなたたちなら、きっと大丈夫です。自信を持ってください。みなさんには逆境に耐えうるの強い根があります」
「フジバナ先生……」
「ですので、今日は休みましょう。良いですね?」
問いかけるフジバナに、全員が頷いた。さっきよりかは幾分迷いの抜けた表情になっていた。おっしゃと拳を握って、リリアが微笑んだ。
「わたし、がんばる」
「ミミも」
「……わたしも、絶対成功させます」
「はい、その意気です。ではでは……息抜きついでに良いものをお見せしましょう」
フジバナはエレナから受け取った二束の髪の毛を取り出した。それを地面に置くと、手を合わせて静かに目を閉じた。
「何してるの?」
「それは見てからの、お楽しみです。
フジバナが真名を唱えると、地面に置かれた髪の毛を中心にして、パァッと光が輝いた。二つに分かれたそれぞれから、蒸気のような
「うおぉ……」
リリアたちはまばたきもせずに、その光景を眺めていた。泡立った地面が髪の毛を包み込み、自分たちのほどの身長にまで立ち上がってくる。フジバナの「定まりなさい」という声を合図に、それは彼女たちも見たことがある人物へと
「……イムドレッド、シオン……!」
マキネスがぎょっとしたように二人の名前をつぶやく。こちらを向いて微笑むのは、確かに二人のクラスメイトの姿だった。魔導を終えたフジバナはふぅと息を吐いて言った。
「
「全然、見分けがつかないニャ!」
「動きも完璧に模倣してありますから、対抗戦の最中なら誰にもバレないはずです。話すことだってできるんですよ。さぁ、シオン、調子はどうですか?」
にっこりと頷いたシオンのコピーは、ゆっくりと口を開き野太い声で返答した。
「……オレ、ハラヘッタ」
「あれ?」
「オレ、メシ、クウ」
「シオンじゃないニャ……」
「おかしいですね……。イムドレッドはどうですか?」
「……コロ……シテ……」
「なにこれ怖い」
「こっちもダメですね……いったいどうしたんでしょう。失敗するはずがないんですが」
解せないと言った表情で、フジバナはシオンのコピーの背中を、バンバンと激しく叩いた。ぷるぷると衝撃に合わせて震えたコピーは、壊れたおもちゃのような甲高い声を発した。
「……ギギギ!」
「やっぱりダメみたいですね。まぁ、見た目はそっくりなのでよしとしましょう」
「大丈夫かニャあ……」
やや挙動のおかしいコピーの二人を引き連れながら、旧校舎まで歩いて帰って行った。夜遅くまでフジバナはコピーを直そうとしていたが、結局直らずじまいだったので、諦めて寝ることにした。
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