鬼と小夜の物語

赤雪 妖

 序章 私が見る記憶は私のものではない。

 暗い闇の中に、時折煌めくように現れる『記憶』がある。 


 その『記憶』は余りにも奇抜で、理解されないことが判っていたから、私は誰にも話してはいない。

 

 記憶の中の私は高校生といわれる者だった。

 同じ服を着た同じ年の者達と一日の殆どを『学問』という知識を身に付けることで過ごしていた。


 何と言う平和、なんという安寧あんねい

 食を得るための心配も無く、雨風に晒される心配も無く、教えられる『学問』をただ覚えて理解すれば、日々は安らかに過ぎていく。


 ただ、その知識――学問――は、現世に於いてはまったく意味の無い、役に立たないものばかりで、なぜこんな記憶があるのか理解できないまま、私は『記憶』の中の『私』と同じ、生まれてから十七年目の歳を迎えた。


 窓の外の景色を見るように記憶を眺めていた私は、生活の中に知人や動物がいないことに気がつき、意を決して誕生日のその日、母に「不思議な夢を見る」と、夢物語のようにして打ち明けた。

 母はそんな私を不審がることもなく、待ちかねていたと言って、全てを話してくれた。


「私とお父様は、幾つもある世界に生じた、時代の傷を修復するために働いています。私達三人は、そのために宇宙てんという別の世界から来た異世界人なのです。あなたの記憶は、この世界の今からずっと先の未来に、『平成』と名付けられた、とても平和な時代があって、そこで生きた女性の記憶を知識とともにあなたの記憶の中に埋め込んでおいたの。それが今ではなく、いつの日かきっと役に立つはずです。私達はもうすぐ次の任務のために別の世界に行くけれど、あなたはここに残って最後の仕上げをして完成させなければなりません。それができなかったときには『鬼』と呼ばれるものが、一つの国を壊滅させてこの星が崩壊するのを食い止める事になります。或いはこの星を守る為、人間が破壊兵器で自滅するのをただ見ていることになるかもしれません」


 とんでもない話しすぎて驚くことさえできなかったが、冷静で居られたのは、それも記憶に含まれていたからかも知れない。

 

 母は、「あなたがこれまで育った恩と情を村人達に感じること。村の為に命を投げ出せるほど村を愛することが、村を完成させるための秘訣なのです。そのために小夜をここで生みここで育てた」と言い、『記憶』は両親が埋め込んだものだと知った。


「何年かたてば、あなたの脳裏に村の理想の姿が浮かぶはず。それを完成させたとき、私達の世界から迎えがきます」


 記憶の中で「さよちゃん」と誰かに呼ばれる『私』を見ては、なんと軟弱な自分なのだろうと歯噛みしていた。


 その歯噛みしていた『自分』は今、小夜様、或いは単に姫と呼ばれている。

『ちゃん』などと呼ぶものはいない。

「さよ」と、呼びつける者は、ただ一人、祖母を除いていなくなった。


 初めに父が「ここで我が成すべき事は成し終えた」

 そう言って、父の部屋から姿を消した。

 

 一年後、母が「私にも次の役目がきたようです」

 そう言って、「全てはばば様にお伝えしてある」と、小夜を抱きしめた夜、屋敷から出た気配もないのに居なくなった。

 

 祖母は、「お前の親たちは通常の人ではない」と言って、祖母の実の息子が死んだ後に、嫁を連れた父が入ったのだと、成り行きを知らされた。


 父の役目は幸田こうだ七ヶ村を一つにまとめ、どこからも支配されない、独立したさとを作り、近隣の村の見本を作ること。母の役目は、綿花を育てて衣服や布団を作り、畑に食材を、樹に果物を作る術を伝えることだった。作業の間に軽やかな『歌』を 口遊くちずさむことも教えた。


「どこから来たのかは知らぬ。何処へ行ったのかも知らぬ。だが必ずどこかで、この村を作ったように、天から頂いた役割を二人で成しているに違いない。だからお前は何も悲しむことはない」

 祖母はそう諭してくれた。


 その祖母も病に伏せ、やがてはこの世を去ろうとしている。


 脳裏に『医師』という言葉が浮かぶ。

 それが薬師くすしの事だと理解はできる。薬師の中で医師と呼ばれる者なら或いは祖母を治せるのではないか。


 しかし薬師は「肺の臓に固まりができておりますが、これを取る術がありませぬ」といい、医師という存在は聞いた事もありませぬと首を振り、あとは神仏の力におすがりなさいませと、匙を投げた。


 だが私は、この世界には不思議な見えぬものの力が存在していると、信じるに足りる幾つかの経験をしていたので、神仏にすがれという薬師の言葉を直ちに実行した。


 それは、幸田七ヶ村の社を統括する総社に置かれた石から石を、一夜に百度、百夜の間、願をかけて巡ることだ。

 この繰り返される私の動きによって『磁場』が発生し、異界との道が通じることを、何故か私は知っていたのだ。 

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