初めての渓流釣り
むくりと体を起こし大きなあくびをした。
近くの寝床では丸い毛布の塊が、時折もぞもぞと動く。
フィネたんはまだ起きていないようだ。
窓から外を覗くと、まだ夜は明けていないらしく若干薄暗い。
マイスの寝床を確認するが空っぽだ。
遅くまでエドモント公と飲んでいたのでそのまま外で寝てしまったのだろう。
軽く車内の水道で顔を洗い歯を磨く。
服を着替えてから魔石ランタンを点灯させた。
暗い車内にじんわり明かりが広がる。
「うー、まぶしい」
「悪い」
反応したフィネたんが動く。
俺はランタンを持って外へと出た。
「がぁぁああ、がぁぁあああ」
大きないびきをかきながらマイスが地面で寝ている。
おまけにボトルが散乱して酒臭かった。
公爵の姿はない……酔い潰れて騎士が連れて帰ったのだろう。
タープにぶら下げられているもう一つのランタンが明滅していた。
そろそろ内部の魔石がなくなる頃だろう。俺はランタンのスイッチを切り、手に持った新しいランタンへと交換する。
それから周囲を軽く掃除してリュックから焚き火台を取り出した。
「セッティング完了、さぁデビューだぞ」
ピカピカの焚き火台に薪を入れて火を付ける。
小さかった火は次第に大きくなり、ぱちぱちと音を鳴らして空気を暖めてくれる。
それからマイスを車内へ運び込み毛布を掛けてやった。
こんな場所で風邪をひかれては困る。
さて、俺は椅子に座ってのんびり夜明けを待つとしよう。
焚き火台の上に水の入ったケトルを置いて沸くのを待つ。
広い敷地を何かが走っている。
どうやらこの辺りを住処にするタヌキらしい。
三匹がじゃれ合い草の上を転がっていた。
まだ冬毛らしく体はふわふわの毛で大きく膨らみフォルムは丸い。
人はあのような生き物を可愛いと言うのだろう。どうも保護欲を刺激されるらしい。俺にはよく分からないが。
水が沸騰したらカップにコーヒーを淹れて一口啜る。
嗅ぎ慣れた香りと苦みに頭の芯から目覚めたような気がした。
朝の一杯は格別だな。
「スンスン」
足下で鼻息が聞こえ目を向ける。
タヌキが地面に落ちた肉や野菜を食べているではないか。
一匹が俺の靴の裏を嗅いでくしゃみする。
音に驚いた二匹が逃げ出し、くしゃみをした一匹も後を追いかけた。
掃除する手間が省けたな。
しかし、そんなに俺の靴裏は臭いのだろうか。
これでもこまめに手入れしているのだが。
地平線から光の筋が伸びる、目を細めてオートキャンプ場の朝を満喫した。
△△△
時刻は朝の七時。
フィネたんも起床し、マイスも顔色は悪いが目を覚ましている。
俺は作成した釣り竿を持って二人に宣言した。
「今日は渓流釣りに挑戦する。よって昼飯は釣果によって決まる」
「それはいいけど……なんで私まで釣り竿を持たされてるの」
「フィネたんも挑戦するだからだ」
「ふぇ!? 私も!?」
何を驚いている。釣りはタイミングと運が重要、一匹も釣れないことなんかざらだ。だからこそ一人よりも二人、二人よりも三人、と人数を増やして釣果ゼロを回避するのである。
それにアウトドアは幅が広い、どこに楽しさを見いだすのかは人それぞれだ。ぜひ初心者であるフィネたんには手探りで様々なことに挑戦してもらいたい。もしかしたら釣りから沼に落ちてくれるかもしれない。
「また邪悪な笑みを浮かべてる」
「気のせいだろう。俺は普段通りだぞ」
「そうだった、普段から邪悪だった」
「聞き捨てならないな」
と言うわけで準備万端で出発する。
もちろんマイスは二日酔いなので置いて行く予定だ。
渓流はキャンプエリアの下にある。
舗装された坂道を下って林の中を進む。
「湿度が増したわね。水音が聞こえるわ」
「近くに滝があるらしいからな」
急勾配を下り川原の近くに出た。
見えるのは十メートル以上の幅がある透き通った川だった。
すでに釣りをしている人もいて長く細い釣り竿を振っている。
不意に鼻腔を良い香りがくすぐる。
圧倒的ソースの匂い。なぜこのような場所にこんな香りが。
「ねぇ、あそこ屋台が出てるわよ」
「ほんとだ」
川原沿いの道では屋台がいくつかあった。
中でも目をひくのは『焼きそば』の文字。
思わずごくりと喉を鳴らす。
考えてみればまだ朝食を食べていなかった。
「……朝食を食べてからでも遅くないわよね」
「そうだな」
フィネたんも気持ちは同じらしい。
空腹にソースの香りは暴力的だ。
さっそく注文しようとしたところで、横から男性が割り込むようにして注文する。
「焼きそば五つくれ」
「はいよ」
「兄貴!?」
先に注文したのは兄貴のトウヤだった。
奴は焼きそばを受け取るなりフォークで口いっぱいに頬張る。
「おい、なんでここにいるんだよ!」
「ごくんっ、我が弟が熱中するアウトドアとやらを確認するためだ。よからぬ影響を与えるものなら即刻止めさせる」
「何をしようと俺の勝手だろ! 家には迷惑はかけねぇよ!」
「さぁ、そのアウトドアとやらを見せろ」
「話を聞け!!」
いつだってそうだ、兄貴は俺を監視して制御しようとする。
あれもダメこれもダメと周囲から余計な物を綺麗さっぱり排除するんだ。
一度頭にきてぶん殴ったことがあるが、それでもやっぱり考えは変えてなかったようだ。
「フィネたんやマイスに手を出したら殺すぞ」
「二人は問題ないと判断した。始末するつもりはない」
焼きそばを食いながら兄貴は返答した。
すでに身辺調査は終えていたか。兄貴らしい仕事の早さだ。
気持ちを切り替え焼きそばを購入、二人で川原に移動して食べることにした。
「お兄さんに冷たく当たりすぎじゃない?」
「あいつを普通の奴と思うな。それと迂闊な発言はするなよ。下手なことを言えばたとえ俺の知り合いでもあいつは容赦なく殺す」
「き、肝に銘じておくわ……」
焼きそばは思っていたよりも美味かった。
ソースと鰹節が絶妙に合い、空腹を満たしてくれる。
「おや、君達も釣りかい」
「エドモント公爵閣下」
「エドモント公で構わない」
釣り人スタイルの公爵が挨拶をする。
革のベストに薄めの革ズボン。頭には帽子。
それに腰のベルト部分には、ウッドフレームのランディングネットが差し込まれている。
右手には細かなところまで作り込まれた質の良い釣り竿が握られていた。
「釣りもされるんですね」
「逆だよ。元々釣りを趣味としていてね、アウトドアをするようになったのもそのついでだったんだ。今ではすっかりどちらが主だか分からなくなってしまったが」
少し離れた場所では例の女性騎士がいた。
俺達を見るなり一礼する。
「しかし君達も釣りとは、経験はあるのかい」
「いえ、今回が初挑戦です。昼食がかかってますので、できれば大物かそこそこの数が釣れればいいなと期待しているのですがね」
「どれ、見せてみなさい」
エドモント公に竿を渡す。
彼は針を垂らしてしなりを観察した。
「重りが軽すぎる。これでは目的のポイントに落とせない」
そう言って手早く胸のポケットから重りを取り出し修正した。
彼はついでだとフィネたんの竿も重りを調整してくれる。公爵の地位にいる人物とは思えないほど人当たりが良く丁寧だ。
いや、むしろだからこそ貴族社会で生き残ってこられたとも言える。
「では私は向こうのポイントに向かう。もし助言が必要であれば声をかけてくれ」
「「ありがとうございます」」
と言うわけで早速渓流釣りを開始する。
適当な岩を返して虫を捕獲、針に突き刺して軽く投げる。
渓流の魚は岩陰に潜んでおり警戒心が強い。なので針は直接狙ったポイントへ投げるのではなく、流れに乗せて餌を届けるのが適当らしい。
「イズルゥ、針に虫付けて。さわれない」
「あれ? 虫苦手だっけ?」
「嫌いじゃないけど、こういうのは無理ぃ」
針に虫を付けてあげると、フィネたんは腰に手を当てて不敵な笑みを浮かべた。
「ふふん、これから私がじゃんじゃん釣るから。期待してて」
「釣れない奴が言いそうな台詞だな」
「馬鹿にするがいいさ。すでに勝利は我が手に!」
竿を振って針を投げ込む。
あれだと魚が警戒して食わないだろう。
彼女は戦力外と言う事で自分の竿に集中するとしよう。
が、わずか数秒で彼女は竿を勢いよく引き上げた。
キラキラ宙を舞う魚。
川原に落ちた途端びちびち跳ねた。
「まさかスキルを使ったのか!」
「ソンナコトナイデスヨ」
「目が泳いでるぞ」
スキル【
それがたとえ糸の付いた針だろうが、確実に狙い撃ちするはずだ。
こいつ、わざわざ餌を付けさせた癖に、端からずるをするつもりだったんだ。
「!?」
ぐんっ、俺の竿がしなる。
強い引きからいいサイズだと予想した。
「この魚ってなんて名前?」
「いま、それどころじゃ」
「私が釣ったのよ。教えてよ」
「ヤマメだ。とにかく邪魔をするな」
「へぇ、これがヤマメなのね」
なかなか岸に引き寄せられない。
ここから見える影はかなり大きく見える。
糸が切れないか心配だ。
なんとか岸側に寄せてランディングネットで掬い上げる。
「知らない魚だ……」
「なんか大きくて黒いわね」
網の中にいたのは体長三十センチほどの魚だった。
体色は紫を濃くしたような黒、目は紅く形は非常にイワナに似ている。
立ち寄ったエドモンド公が網の中を見て小さく唸った。
「ヴラドイワナを釣るとはなかなか」
「イワナなんですか?」
「近種の魚だ。夜行性で川に近づいた生き物に噛みつき血を啜るそうだぞ。しかもやみつきになるほど美味い。これを釣れたのは幸運だったな」
彼も過去に釣ったらしくどう調理したのか教えてくれた。
「これだけ釣れれば充分だろ」
「お腹いっぱい食べられそうだわ」
川辺に設置した籠ビクの中を覗く。
十匹の魚が生きたまま捕らえられていた。
これで昼食抜きは回避できたも同然。
ま、フィネたんがいるのでそもそもあり得ない話だが。
ドサドサドサ。
目の前に大量の魚が置かれた。
その数二十匹以上。
魚を持ってきた兄貴は顔をしかめていた。
「自分も釣りとやらを試してみたが、なんとも理解に苦しむ。これの何が楽しい」
「一つ聞くが、釣り竿はどうした」
「そんなもの必要ない。こうすれば簡単だ」
糸を針金のように伸ばしたかと思えば、串刺しの魚を川から上げる。
瞬時に糸を手元に引き寄せ二十一匹目の魚が追加された。
やっぱ兄貴は兄貴だな。昔から変らない。
「もういい、釣りは終わりだ」
「そうなのか。では次は魚で栄養摂取するのだな」
「お、お兄さんもお昼一緒にどうですか?」
「勝手に誘うなよ」
「でもイズルのお兄さんだし。せっかくここまで来たんだから……」
はぁぁ、こうなったらしょうがない。
三人では魚を食い切れないかもしれないし、いずれマイスには兄貴のことを紹介しないといけなかったしな。
俺達はキャンプ場へと戻った。
△△△
下処理を行い、串刺しにした魚に塩をまぶして焚き火の周りに配置。
今回に関しては焚き火台は使わず、地面に直接火を置いている。量が量なので一度に調理した方が効率が良いと判断したのだ。
熱に炙られ魚から脂が漏れ出す。
少し焦げ目が付いてきたらできあがりだ。
まずはヤマメからいただく。
ほくほくのしっとりした身が口の中で崩れ塩が旨味を引き立てる。
臭みもなく淡泊な味わいだがほんのり甘味も感じる。川魚が苦手という人でも食べられる美味な魚だ。
次にヴラドイワナ。
イワナはやや癖のある魚らしいがこれはどうだろうか。
がぶり、齧り付いた俺は目を見開く。
のりにのった脂がしっとりと身を包み、それでいて歯ごたえがあった。
噛めば噛むほど塩と旨味が混ざり合って俺の顔面を殴る。
確かに癖はある。だが、むしろそれがいい。これが正解なのだ。
「塩焼きってなんでこんなに美味しいのかしら。塩をふってるだけなのに」
「そりゃあ嬢ちゃん、そもそも魚が美味いからに決まってるじゃないか」
「よく分からんな。なぜこのような意味のない行為に喜んでいるのか。たかが魚だろうに。食事とは栄養摂取以上でも以下でもない」
「……なぁイズル、お前の兄貴っていつもこうなのか」
マイスの言葉にフィネたんが苦笑する。
黙々と魚を食べる兄貴にどう対応して良いのか迷っているようだった。
一応ザザ家の者とは伏せて紹介してある。
いくら業界外の人間と言っても、ザザ家の噂は一度や二度耳にしたことはあるはずだ。
しかも尾ひれに尾ひれが付いて国内ではもはや化け物扱い、顔の広いマイスならより酷い噂話を聞いていてもおかしくない。
「きゃぁぁあああああっ!!」
「なんだ!?」
突如キャンプ場に悲鳴が響く。
敷地を猛然と走るのは一頭の熊だった。
クレイジーファングベア。凶暴な熊の魔物だ。
発達した長い犬歯が特徴で、体長は五メートル近く。
この地方では生息しないはずの中位の強さを誇っている。
「魔物め、結界を破って入ってきたか!」
「お下がりください閣下」
エドモント公を守る女性騎士が剣を抜いた。
気配から察するにかなりの腕前のようだ。
恐らく俺の出る幕はないだろう。
「いざ、勝負!」
「ぐわぁああああああああっ!!」
騎士と熊がぶつかろうとした瞬間、キャンプ場を光の線がいくつも通り抜けた。
ぶしゃっあああっ。
熊はバラバラになって地面に散乱する。
女性騎士は大量の血液を浴び、剣を構えたまま固まっていた。
もちろん犯人は兄貴だ。
奴は瞬時に糸を回収して振り返る。
「アレもキャンプ飯と言うものにするのか?」
「……そうなるな」
「熊の肉は食べたことがない。良い経験になりそうだ」
席に戻った兄貴は再び黙々と魚を食べ始めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※イワナは本来もっと上に住んでいます。
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