第2話
町を出て三時間後。
フェンスで囲われた難民キャンプに顔を出すと、平和維持軍の特徴でもある青いヘルメットを被った――ああ、ソヘルだ。バングラデシュから出稼ぎに来てるヤツで、この国で仕事を始めた当初からの付き合いになる。
なんでも、俺の前任者とも親しかったとか。
「よう、生きてたか?」
軽い感じでソヘルがヘルメットを外して挨拶してきたので、軽く肩を竦めて答える。
「まあ、まだ、お迎えは来なさそうだな」
とはいえ、明日には死体になって道端に転がってる可能性も零ってわけじゃないが。今日元気だったからといって、明日も生きてる保証にもならない。そんな仕事だ。お互いに。
はは、と、軽く笑ってソヘルは俺の肩を叩いた。
「また仕事か?」
「まあ、な。月末に久しぶりにでかい空爆があるって?」
守秘義務もあるので、ソヘルは直截には答えなかったが、表情から概ね察した。
内戦が終わったとはいえ、いや、だからこそ、取り残された兵士が問題になる。
東の国境付近は山岳地帯で、身を隠す場所が多い。そして、復興途中のこの国には、地方を安定化させるだけの戦力はまだ整っていない、が、越境しての犯罪行為は隣国としては放置できない問題だった。
向こうの空軍の攻撃を、こちらの政府が見過ごすって話らしい。もしかしたら世論への影響を鑑みて、報道管制が敷かれ、空爆があったこと事態が隠されるかも。先進国でもなく、先進国の兵士も死なない戦場は、世界で報道さえもされない。この世界では、そんな差別が普通にまかり通る。
一応、場所が近いので、この難民キャンプに対して意図的な情報のリークがあるんだろうが、ここの責任者に出来ることは……正直、ほとんど無い。誤爆があれば、近隣住民を多少受け入れる程度だ。
日本では特に誤解されがちだが、そもそも平和維持軍は多国籍軍とは違う。平和維持軍は武器使用の制限が強く、自衛戦闘でしか許可されていない。武装集団に対しても、精々が道路にバリケードを作って時間稼ぎする程度だ。まして、他国の軍隊の攻撃を止めるなんて土台無理な話だし、山岳部の兵士に対しても武装解除もしくは逮捕・拘束するための権限が無い。
停戦の監視と、難民キャンプでの人道支援の警護――とはいえ、荷物を目的地に運ぶというだけのことが、ここでは容易ではなく、略奪への抑止力としての存在意義は大きい――が、ここでの現在の主な任務だ。
目的に対して、許可されている手段に矛盾を感じるが、行使のための線引きが難しいのが武力というものだ。過剰な武力行使は、受入国の反発を招き、平和維持活動そのものが行えなくなる可能性がある。
「どうすんだ?」
ソヘルに訊ねられ、こちらは部外秘の情報ではなかったため、プリントアウトした複数の記事のコピーを手渡す。そもそも依頼の元になった情報自体が、この国の新聞記事だ。隠しだてする理由が無い。むしろ、有事に備えてある程度こっちがどこでなにをしているのかを、把握しておいて貰った方が色々と得になる。
ゲリラとなっているのが、大人なら、まあ、構わない。同情の余地が無いわけではないが、歳を取ればそれなりに身の振りは考えられるはずだから。問題は――。
記事の写真は、夜間に撮られたもののようで不鮮明ではあるが、マズルフラッシュによって少なくとも三名の少年が確認出来ていた。
軽く書類に目を通し、最後にチュッと軽く口を尖らせ、キスするような仕草でおどけて見せたソヘル。
「SNSでなんかのタグが引っ掛かったのか、盛り上がって金が集まったんだとよ」
は、と、短く笑う声に続いて「俺等にゃ、百ドル札さえ夢のまた夢だってのにな。悪い事して金と関心が集まりゃ世話ねぇぜ」と、皮肉が返ってくる。
「お互いに、このガキみたいな可愛げが、もっとあればいいんだろうけどな」
よくある矛盾に軽口を返しつつ、ヘルメットと小銃で隠されたソヘルのズボンのポケットへと、新品のタバコを押し込んだ。
「だから、やさし~く、説得しろって依頼さ。武装解除したら、川を下って、マングローブ林を抜け、港で欧州のNGOに引き渡す。後は、向こうでカウンセリングと教育を受け……、金持ちの道楽込みの愛情を受けつつ、奇跡的に全てが上手くいけば、この国の復興のための人員になるだろうよ」
どこか皮肉な笑みを口の端に乗せたソヘルは「こっちの仕事を増やすなよ」と、軽く俺を小突いてきた。
子供相手、と、甘く見る連中も中にはいるからな。少年兵の武装解除といっても、比較的軽量で扱いやすいカービンモデルの銃が増えた今では、攻撃力なら大人とそう変わらない。
むしろ、大人と違って身を守る意識の弱い少年兵の方が、実戦の興奮で攻撃的になり、余計に厄介になる場合も多かった。
こちらは、半強制的とはいえ、武装および動員の解除を目的としている。だから、その後の社会復帰の障害となるような後遺症の残る怪我を負わせるわけにもいかないってのに。
説得で済めば良いんだが、信用を得るには時間が掛かる。こっちはビジネスでしかも期限を切られている以上、北部での仕事のように、リマ症候群――ストックホルム症候群の逆で、犯人側が人質に親近感を抱く現象――を少年兵達に起こさせて、投降させる事は難しい。
まさか、大学時代に近所の小学生のガキの自由研究教室をしてた経験が今の仕事で生きるなんて思いもしなかったがな。
今回も、対話を否定しない。が、話し合いだけで解決出来るとは、俺は考えていない。そのために、アサルトライフルを携行しない代わりに、マシンピストルとスタングレネードで武装してるんだしな。
「子供の扱いには、慣れてるさ」
どうだか、と、顔に出したソヘルに――、ふとキャンプの浮かれた空気に気付いて訊いてみた。
「今日はなにかあるのか?」
訊ねられた後、一瞬だけ首を傾げたソヘルは、ああ、と、すぐに納得した顔になって続けた。
「うん? ああ、バレンタインが近いだろ?」
「バレンタイン? 十四日の? ……去年はそうでもなかったろ?」
と、いうか、俺としてはバレンタインがそんなに人口に膾炙していることに驚きだが。こんな風に祝うのなんて、キリスト教圏の一部と、菓子屋の陰謀があった日本ぐらいだと思ってた。
確かにこの国は宗教には寛容で、ムスリムとキリシタンと現地宗教が上手く共生出来ているが……。
「日本からの支援隊が来たんだよ」
「ああ……」
眉根が寄ってしまう。
日本式の、チョコに固執したバレンタインか。なら、宗教を理由とした受け取り拒否はおこらないだろう。多分、話の分かる人間が、宗教行事からお祭りへと上手く意味合いを変えて伝えているだろうし。
ひがんでいるわけじゃないが、どうにも能天気だな。嗜好品以前の問題として、内戦で破壊されたインフラの整備がまだ完全ではなく、飲み水も覚束無い地域もあるってのに。
まあ、慣れない異国での不安を紛らわせたいって気持ちと、カカオがこの国の主要輸出農産物であるって事も、ホスト側の勝手な配慮として加味されてはいるんだろうが。
「そういえば、お前も日本人だったよな?」
軽く肩を竦めて、喉の奥で微かに溜息をつく。
「そこに拘るなら、NGOの請負人なんてやってない」
世界の常識として、日本にいれば安全で裕福な生活を送れると思われているらしいが……。別に、日本にだって貧困層がいないわけじゃない。学歴による差別もあるし、新卒で良い会社に入れなければ、才能があっても安月給で使い潰されるだけ。世襲制の政治家に公務員。到底、公平にチャンスが与えられているとは言えない。
まあ、それでも、他国と比べれば人権や医療衛生、その他様々な部分で恵まれてはいるんだが、それに胡坐をかく為政者がどうにも肌に合わなくて、な。
「それもそうだな」
世界の最貧国のひとつでもあるバングラデシュ出身のソヘルは、軽い表情だったが、俺よりも遥かに重い口調で同意してきた。
危険性が高い場所ほど、人件費の高い先進国の軍隊は入らない。
つまるところ、こんな現場をうろつく俺達も、本質の面では武装組織の連中とそう変わらなかった。ただ、生まれついた場所が少しましだっただけ。結果論として、少しばっかり善人の側にいれるだけ。そして、その違いは、ほんのちょっとの運の差だ。
俺達は、高いスーツ着て安全な会議室で水掛け論に終始する役人や、良い椅子に踏ん反り返ってる社長なんかとは、所詮別種の人間だった。
いや……まあ、皮肉や不満を言いたいってわけでもないんだがな。
とりあえず、日本からの医療・産業分野での支援が来たってことは、
誰もかもを助けられるって訳ではないが、俺達の活動もムダではない、という事にもなる。
こんな小さな積み重ねで、世界中の貧困や差別が無くなって……。俺達が爺さんになるぐらいには、旅行先でテロに遭わない程度には生きやすい時代なってくれないものかねえ。
なんとはなしに、少し他の外国人とは動きの違う日本人達を見ていたら――。
「どうぞ」
チョコを渡された。
そんな物欲しそうな顔をしていたつもりは無いんだがな。
とはいえ、断る理由も無いので受け取ると、ソヘルがからかうような笑みを浮かべたので――。
「ああ、ありがとう」
ソヘルの脇腹を肘で軽く衝き、どちらかといえばチョコともバレンタインとも縁のなさそうな汗だくのおっさんの差し出したチョコバーを、礼を言って受け取った。どんなバレンタイン羞恥プレイだっての。
せめて、その奥にいるおばちゃんの方が……いや、変わんねーか。昔っからモテる方ではなかったが、遠い異国の地でもバレンタインにブルーな気持ちにさせられるとは思っても見なかったな。
ソヘルは既にチョコを貰っていたのか、渡されたのは俺だけだった。確かに、いつ食えなくなるかも分からないんだし、さっさと腹に収めるのも正解なんだが……。
強いて理由を挙げれば、ソヘルの視線が気になったから。でも、それ以上になんか、今はそんな気分じゃなくて、カーゴパンツのポケットにチョコを仕舞いこんだ。
そして――。
「ハッピーバレンタイン」
再び顔を上げれば、チョコを渡してきたおっさんの満面の笑みが目の前にあった。
「アンタもな」
つい鼻を鳴らしてしまいそうになったが、初対面でそんな失礼な真似をするわけにもいかず、苦笑いだけで誤魔化す俺。
ソヘルに挨拶したことで、最低限の面通しと、この辺りをうろついている目的の説明は終わった。
死ぬつもりもないし、死にたくも無いが、これでもしもの場合の行動調査は少しはやりやすくなるだろう。拉致されたり殺されたりするのは最悪だが、より厄介なのは行方不明になることだ。捜索にかける人員も資金も資材も、復興途中のこの国では限られているんだからな。
難民キャンプを出て、背後を肩越しに振り返ってみる。
薄い壁の仮設住宅と、その隙間を埋めるようにびっちりと並んだ白いテント、暗緑色の半円状のテント。少し丈夫に見える建物は、病院だろう。竹みたいな植物の骨組みに、古着を張った様なテントも見える。
こうした派遣の効果を疑問する声も、批判が好きなだけの雑誌で目にすることもあるが、防衛戦力があり、食料があり、医療を受けられ、簡単な学習も行えるこうした場所を提供出来るということは、意義があることだとは思う。
どっちみち、完璧なシステムなんて無いんだ。人道支援と言っても、予算に限りもある。根本的な解決や、真の人道支援が政治的理由や予算の関係で不可能なのだとしたら、対処療法でもやらないよりはましだろう。
ただ、そうした連中には、自分が正義だと妄信するやつが多いから、俺個人としては鼻につくし、距離を置いてしまうんだが……。
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