第53話 主人公の決断
そういえば、直前に部長となにやら話し込んでいたっけ。
もしかして部長があいつになにか吹き込んだのか? 千尋と仲良くしたければ、兄のオレに負けて機嫌を取れとかなんとか。
部長が言ってたマル秘作戦ってのはこのことなのか?
思わずコートの向こうにいる高橋英樹を睨みつけた。アイツはオレの視線に気がつくと、気まずそうに薄ら笑いを浮かべてくる。
どうやら間違いない。
高橋英樹はオレに勝つ気がないらしい。
じゃあ、このまま続ければオレはこの試合に勝つことができるのか。
アイツにとってみれば、こんな小さな大会どうでもいいってことなんだろう。でも考えたら、オリンピック候補に勝つなんてちょっとすごいことだ。少なくとも月間卓球に記事が載るレベルだろう。
そして荒馬元部長の入部は認められ、卓球部は存続することができる。
式部先生の悔しがる顔が目に浮かぶようだ。わざわざ丸富の部長にまで頼んで悪巧みをしたのに、ウチを潰せないんだから。
それだけじゃない。ひいなだって、親父との結婚を取りやめてくれるだろう。アイツは約束は守るやつだし、そもそも意地になってただけだ。
とにかく、それもこれも本当に試合に勝ったらの話だ。
何を餌にぶら下げられてるかしらないけど、桃太郎侍の気が変わらないうちにサッサと試合を終わらせてしまおう。
これでメデタシメデタシだ。
明日から、バラ色の高校生生活が待っている。
(……でも本当にそうだろうか?)
このまま高橋英樹に勝てば、オレはもう夢を見なくてもすむだろうか? 唸りをあげて飛んでくるヤツの王子サーブの夢を。
「はい、第二ゲーム急いで」
審判から試合再開の合図がかかった。
ゲームごとにコートチェンジがあるため、オレと高橋英樹とは互いに目も合わせずにすれ違う。
そして次の瞬間、彼は「えっ!?」という顔で立ち止まった。
「ざけんな、ちゃんとやれよ!」
オレがすれ違いざまにつぶやいたからだ。ふてぶてしい顔が、いっきに狼狽する。
「いや、俺は、その」
「今度手を抜いたら、二度と妹の前に顔を出させないからな」
審判から「私語は慎みなさい」という指導が飛んだ。
「すみません」
そう言って頭を下げた高橋英樹の表情は、どこかひきしまったように見えた。
* * *
後の祭り、とはこういうことをいうんだろう。
第二ゲーム以降、本気になった高橋英樹相手に、オレはまったく歯が立たなかった。
一年ぶりに対戦したヤツは正直言って木場先輩よりも強い気がする。
第二ゲーム11―2。第三ゲーム11―3。第四ゲーム11―1。
こうして第2シングルスはあっさり終了した。
「ホントに、すいませんでした」
チームに戻ったオレは、先輩たちに頭を下げた。
「何言ってんだ。オリンピック候補相手じゃしょうがねえだろ。むしろ一ゲーム取っただけでも、上出来さ。俺なんかストレート負けだぜ」
荒馬元部長が慰めてくれる。
残念ながら元部長も、関東ベスト8には歯が立たなかった。
ということはあと3試合全勝しなければ優勝はできないわけだ。最終戦に出るのが部長だってことを考えると、それはつまり優勝の望みが完全に絶たれたことを意味していた。
『オリンピック候補相手じゃしょうがない』
それは、たしかにそうだ。
でも逆に言うと、それがわかっていたなら「ちゃんとやれ」なんて言わず、素直に八百長を受け入れるべきじゃなかったか?
正直、後悔していた。
なんといっても、この大会には部の命運とひいなの未来が掛かっていたんだ。
「……でも、オレのわがままで」
うなだれるオレの背後で、羽根園部長がラケットを振り回していた。
「安心しろ、これまでのことは全部計算の内、ここから大逆転の始まりだからな」
その言葉とは裏腹に、部長の素振りはロボットダンスかと思うほどのぎこちなさだ。これはもう、相手が小学生であっても勝てる気がしない。
「やっぱり、オレ、どんなことをしても勝たなきゃいけなかったのに……オレのせいで卓球部が……」
再びうなだれるオレの頭に、ポンと部長のラケットが乗せられた。
「まったく、いつもいつもおまえの主人公気取りには呆れるぜ」
「そんなオレは、ただ」
弁解しようと顔を上げて、言葉に詰まった。
羽根園部長が優しげな微笑を浮かべていたからだ。
「でもまあ、いいんじゃねえの? おまえの物語の主人公はおまえだからな。大丈夫、卓球部のことは俺たちに任せておけ。よくは知らんが、おまえにはもう一勝負残っているんだろ」
そう言って、部長は親指で二階の応援席を指し示す。
その先にひいなの姿があった。
「……部長」
「今度は負けるなよ」
そうだ。たしかにこの大会には部の命運が掛かっていた。
でもそれだけじゃない。ひいなの結婚も掛かっていたんだ。そして、たとえ大会には優勝できなくても、これだけはどうしても譲るわけにはいかない。
「ありがとうございます!」
部長に向かって深々と頭を下げると、二階席のひいなのもとに走った。
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