第12話 二人っきりの補習と、先生のカラダ……

 その日の放課後、いつもならば終業のチャイムと同時に学校を飛び出すはずの俺の姿は誰もいない教室にあった。


 やらかしたのだ……。


 これまでは難なくこなしてきた英語の小テストで俺は壮大にやらかした。英文法を誤って理解していた俺は結局、誤ったまま問題を解き、人生初の〇点をたたき出した。


 いやあ、やばいね。自分の頭の中では完全に理解していたはずだったのに、完全に誤っていた。その結果、自信満々で答案を受け取った俺は地獄へと落された。


 元々あまり英語が得意ではなかったが、まさかここまで成績が落ちているとは思っていなかった。その結果、俺は三〇人前後いるクラスで唯一、補習を言い渡されることとなったのだ。


 たった一人残された教室で、頭を抱えていると、教室のドアを誰かがノックした。扉を開くと、教科書とファイルを胸に抱えた先生が入ってくる。


「あ、ど~も……」


 苦笑いを浮かべると、先生はこちらへと歩いてくる。そして、俺の机の前に立つと「はぁ……」とため息を吐く。


「先生は残念だよ。近本くんはもっとお利口さんな男の子だと思ってたのに……」


 そう言って先生はぷくっと頬を膨らませて、俺を睨む。


 いや、何にも返す言葉がない……。


「いやぁ、本当にその節はご迷惑をおかけしました」


 とりあえず、苦笑いを浮かべることしかできない。ホント英語は中学のころから苦手なのだ。


「先生、やっぱ近本くんのこと甘やかしすぎたのかな……」


 先生は再びため息を吐くと、隣の机を俺の机にぴったりとくっつけて、そこに腰掛けた。


「とりあえず、近本くんは小テストの部分の英文法を、根本的に理解できてないみたいだから、そこの部分を一から教えなおすね」


 先生は教科書と、ファイルを机に広げるので、俺も小テストを机に置いた。先生は少し俺の机の方へと身を乗り出すと、Q1の英文の一部にアンダーラインを引いた。先生が身を乗り出しているせいで、彼女のつむじが俺の目の前までやってくる。我が家のシャンプーの甘い香りが俺の鼻腔を刺激する。


 いやあ、なんか勉強に集中できる気がしないです。


「近本くんは主語の部分を誤解しているんだよ。きみはここを動詞だと思って解いているみたいだけど、今線を引いた部分は全部主語なの……」


 先生は俺に説明をしようと、くるっと顔をこちらへと向けた。が、先生は俺との距離感を誤解していたようで、思いのほか顔が接近して頬を僅かに赤くすると、少し体を引いた。


「こ、こっちの問題も、こっちの問題も全部、主語の部分が間違えているよ。この辺は中学でもちゃんと勉強したと思うんだけど……」


「そ、そうでしたっけ? 俺の中学とは少し指導要領が違うみたいっすね」


「そんなことないよっ!! 基本だから、きっと近本くんの中学でもちゃんと教えているはずだよ」


 と、適当に返す俺にムッと頬を膨らませる。


「す、すみません……」


 ここは素直に謝っておいた方がいい。そう判断した俺が軽く頭を下げると先生はまたはぁ……とため息を吐いた。


「やっぱり先生が家にいると、近本くん、気が散っちゃって勉強に集中できないのかな……」


 どうやら先生は、俺の成績不振を自分のせいだと感じているようだ。が、さすがに自分の成績の悪さを先生のせいにするのはさすがに心が痛む。いや、まあ本音を言うと、先生が家にいることによって俺の集中力が少し下がっているのは事実と言えば事実なのだけど……。


 俺はよく課題を夜、眠る前に終わらせることがある。


 もちろん、それは俺が嫌なものを極力後回しにする性格だからなのだが、その結果、健康的な生活を送る先生はいつも先に眠ってしまう。気持ちよさそうに眠る先生が可愛そうなので、そんなときは部屋の明かりを消して、小さなスタンドライトの光を頼りに課題を解いていくのだが……なんというか、気になってしまうのだ。


 例のけしからんネグリジェ姿で眠る先生が『んん……』と時折吐息を漏らしながら眠る姿は、思春期真っ盛りの俺にとっては少々刺激が強すぎる。それに、先生はよく寝言を口にするので『んふふっ……近本くんったら、赤ちゃんみたいなことしないで』だとか『ちょっと強引すぎるよ……』とわけのわからん寝言を耳にしたときは、よろしくない妄想が膨らんでまったくもって勉強に集中でいない。


 しかも、しかもだ。昨日に関しては小さく縮こまった先生が、左手を太ももに挟んで、右手の人差し指を咥えるという、とんでもなく卑猥な眠り方をするものだから、俺の脳内は煩悩によって支配されることとなった。


 が、それを理由に先生を責める気にはなれないし、それを口にしたら先生はますます自分を責めるような気がしたから黙っておくことにする。


「先生のせいじゃないですよ。俺が真面目に勉強していなかったのが悪いんです……」


 と、先生を擁護しておく。


「そ、それならいいんだけどさ……」


 と、先生は少し納得のいかない様子で小さく呟いた。そして、再び、先生は小テストの英文に線を引く。


「と、とにかく、この分の主語はここだよ。だから、下の並び替え問題はこことここを先に持ってきて、この部分を主語にして文章を作るの」


 そう言って先生は問題の下に正しい英文を記していく。英文を記しながら先生は、足を組んだ。少しタイトなスカートから伸びた足に思わず目が行く。


 いやあ、刺激が強い……。


 そのほどよく肉づきのいい太ももがむずむずと動くのを見せられて、思春期の俺が勉強に集中できるわけがない。おまけに先生が少し前かがみになっているせいで、第一ボタンの解放されたブラウスの胸元を上から覗き見ることができるのだ。


 いつの間にか先生の解説の声が遠のいていき、俺の視線は釘付けになってしまう。


 が、不意に先生はそんな俺の視線に気がついたのか、俺の顔を見やると頬を赤らめる。


「ち、近本くん……目がちょっとえっちぃよ……」


「え? あ、いや、すみません……」


 慌てて視線を逸らす。先生は恥ずかしさのあまり俯いてしまう。


 やっちまった……。


 その気まずすぎる空気に動揺していると、先生は不意に口を開く。


「ま、まあ近本くんも男の子だもんね……別に女の子の体に興味を持つのは悪いことじゃないんだよ……」


「…………」


 と、そこで先生は顔を上げる。口ではそんなことを言っているが、先生の方もかなり動揺しているようで、顔は真っ赤なままだ。


「ねえ、近本くん」


「な、なんすか……」


「せ、先生はまだお付き合いとかしたことがないから、男の子のことよくわからないんだ……」


「ま、まあ、先生はアイドルをやっていたわけですし、それはしょうがないと思いますが……」


 先生はやっぱり恥ずかしいようで、俺から視線を逸らす。


「ちょっと変なこと聞いてもいい?」


「な、なんすか……」


「お、男の子はなんていうかその……えっちぃ気持ちになっちゃったら、我慢できなくなっちゃうの?」


「はあっ!?」


 唐突にとんでもないことを尋ねてくる先生に愕然とする。が、先生はいたって真面目に尋ねてきているのがわかるので、返事に困ってしまう。そして、先生もまた自分がとんでもないことを聞いてことを自覚しているようで、今にも泣きだしそうな目で俺を見つめている。


「ほら、先生が家にいて近本くんがえっちぃ気持ちになっちゃったとしても、先生がいると、一人になれないからなんというかその……」


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」


 ああ、ダメだ。これ以上聞いてられない。


「た、確かに先生は女性として魅力的だと思いますし、先生のことをそういう目で見てしまうことがないといえば嘘になるかもしれないです……けど」


「けど?」


「けど、なんというか、思春期の男なんてみんなそんなもんですし、それをいちいち先生が気を遣う必要はないと思います……」


「そういうものなの?」


「そういうものです……だから、先生はただいつものように生活をしていてくれれば、それでいいです」


 ってか、俺たち何の会話をしているんだっ!?


 やばいやばい。あまりにも純粋無垢な先生に、自分のそういうことを真剣に考えられるのは、なんというか罪悪感がやばい。


「そ、それならいいんだけど……」


「それでいいんです……」


 先生はそうは言ってみたものの、まだどこか納得できていないようで、もじもじしている。


「あのさぁ……近本くん……」


 そして、恐る恐る俺の名を呼ぶ。


「も、もしも家で一人になりたいときは、やっぱり先生に言ってね。先生は近本くんがいいよって言うまでお外に出てるから」


 いや、んなこと言えるかっ!!


 ってか、んなこと先生に一番言えねえ……。とは思ったが、先生が真剣にそう言ってくれている手前、気持ちを無下にも出来ないので俺は「わ、わかりました……」と小さく答えた。


 そのあと、俺は先生からみっちり基礎的な英文法を学ぶことになったのだが、俺は気が気ではなかった。先生は俺を変な気持ちにさせてはいけないと、スカートを必死に手で押さえていたのだが、むしろ俺にはそれにかえって意識してしまい、結局、補習の内容はほとんど頭に入ってこなかった。

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