保健室のサイコメトラー
牛屋鈴
1.どうして保健室はエロいのか
・・・西・・・
「どうして保健室はエロいのか」
昼休み、教室の隅。
「保健室ってエロいの?」
「あぁ、保健室はエロい。これは全人類が持つ共通認識だ」
「お前一人の偏見だと思うけど」
「十八歳までに身につけた偏見は常識。という言葉を知らないのか?」
「それを言うなら、十八歳までに身につけた常識は偏見。だろ」
「同じ意味だろうが」
「そうだろうか」
相互理解が欠如したまま、東雲は話を続ける。
「そして何故人類はこのような偏見を抱くのか……という話だが、まず『保健室はエロい』という認識は事実であり、偏見ではないと俺は主張したい。よく考えてみてくれ、校内でベッドがある所なんて保健室しかないんだから、エロいことに使われる教室ランキング一位は保健室以外にありえないんだよ」
「保健医の常駐や普通の生徒の使用率も考慮すると、もっとエロいことに適した教室がある気がするけど」
「保健医は都合よく席を外している物だし、他の生徒の乱入はむしろスパイスだから、エロさに拍車をかけていると言える」
「論理に飛躍が見えるな」
「さて、保健室がエロいことは証明されたわけだが……この証明は、人類が同様の認識を持つ説明になっていない。何故なら人類の多くは、以上の証明をすっ飛ばした上でただ漠然と保健室はエロいと感じているわけだからな。では、それは何故か?」
東雲がシャープなデザインの眼鏡をくいっと上げる。慣れた手つきで行われたその仕草は、酷く滑稽な物として俺の目に映った。
「『サイコメトラー』という言葉を知っているか……?」
「サイコメトラー?」
「物体や空間が持つ記憶の情報、残留思念を読み取る超能力をサイコメトリング、そしてそれを保有する者をサイコメトラーと呼ぶ。俺はここで、人類は皆このサイコメトラーなのではないかと考えた。視線を感じる、気配がするなどの第六感的現象が存在するのは何故か?それは人類が皆、微弱なサイコメトラーだからだったのだ……」
まるで世界の真実を暴いてみせたかのように厳かな口調だった。
「ずばり、みーんな保健室に漂うエロいことをしてた奴らの残留思念、感情をわずかに読み取り、なんとなく『保健室はエロい』という認識を得ていたんだ……どうだ、これなら全ての辻褄が合うだろう」
「百歩譲って辻褄が合っているんだとして……その証拠は?」
「それは今から手に入れる」
東雲が席を立つ。
「人類は皆サイコメトラーである。俺は人類である。ならば俺はサイコメトラーである。三段論法。つまり保健室に赴けば、過去にそこで行なわれていたエロいことを覗くことができる」
そう言い残して、東雲は教室を出ていった。
俺はあいつ以外に知り合いがいない。残りの休み時間を寝たふりで過ごすか、ここであいつを追いかけるか。頭の中で天秤が揺れ動く。
程なくして、俺は席を立った。
・・・東・・・
昼休み真っ只中の廊下を、保健室に向かってずんずん歩く。俺の頭の中では『威風堂々』が流れていた。
それを遮るかのごとく、後ろから声がかかる。
「待て、東雲」
振り返ると、俺の唯一の話し相手である所の
「何だ、お前も来たのか」
「机に突っ伏して寝たふりするよりかは、退屈しないと思って」
そこから二人で歩く。
「そうだな。時空を超えた覗きができれば、きっと愉快だろう」
「そのことなんだが、俺達がサイコメトラーであると一旦認めるとしても、その能力はとても微弱な物なんだろ?過去に起きた出来事を映像のように見るなんてできないんじゃないか」
「人間に備わった能力は、どんな物でも鍛えることができる。今のままでは足りないというなら、成長させるだけだ」
「すごい執念だな。そんなに自分の論説を証明したいか」
「いや、単にエロいことを覗きたいんだ」
そうこう話している内に、目的の保健室に辿り着く。いざ参らんと、その扉を開いた。保健室の中は無人だった。
「ほら見ろ西住。こういう時保健医はどこかに行っている物なんだよ」
「俺達が怪我人じゃなくて良かったな」
そのやり取りの後、もう一度保健室の扉が開き、別の人間が保健室に入ってきた。
「あれ、怪我人かい?」
保健医が帰って来たのかとも思ったが、声の方向には男子生徒が居た。校章の色から二年生、俺達の同級生であることが窺える。
「保健医さんは……席を外してるみたいだね。僕、呼んでくるから君達はそこで……」
そう言って男子生徒が保健室の外へ視線をやるので、俺はそれを呼び止めた。
「待て、大丈夫だ。怪我人ではない」
「……?じゃあなんで保健室に?」
「過去に行なわれていたであろうエロいことをサイコメトリングしに来たんだ」
「お前よくそんなこと真顔で言えるな」
隣の西住からそんな突っ込みが入る。俺はこんなことをにやけながら言う方が狂気的だと思う。
そんな俺の答えに、男子生徒は目を見開いていた。その表情から読み取れる物は失笑でも呆れでもなく、驚嘆だった。
「君達も、サイコメトラーなのかい?」
・・・南・・・
僕は、彼らがこの保健室に赴いた理由、その論説を聞いた。
「えっと……東雲君と、西住君だったね。君達は……馬鹿なのかい?」
「心外だ。俺はただこいつを笑い飛ばそうと思ってついてきただけだよ」
西住君が親指で隣の東雲君を指す。
「同レベルだと思うけど……」
「ぐうの音も出ない」
西住君は素直に肩を落とした。それと対になるように、東雲君がずいっと身を乗り出して僕の名前を呼んだ。
「それで、
「うん……そうだよ」
できることなら、隠していたかった。しかし、既に彼らの目の前でそれを想起させる発言をしてしまっていること。そしておそらくどう誤魔化しても、東雲君は追及をやめないことから、僕は正直に話してしまうことにした。
冗談のような論説を語る時の東雲君の据わった瞳から、僕は彼の性質を悟っていた。
「ほら聞いたか西住。やっぱりサイコメトラーは実在するんだよ」
「いや、冗談に決まってるだろ」
僕の話を素直に信じた東雲君にツッコミが入る。東雲君とは違い、西住君は現実的な思考をする人間らしい。
「それで、南風原はなんで保健室に来たんだ?」
「過去に行なわれていたであろうエロいことをサイコメトリングしに来たんだ」
「お前もかよ」
西住君が嘆息を漏らす。サイコメトリングという手法に確証が有るという点で、東雲君とは違うと主張したい。
当の東雲君は頭を下げていた。
「頼む、南風原。俺にサイコメトラーのなり方を教えてくれ」
「……僕がサイコメトラーになった理由は僕も分からなくて……だから君をサイコメトラーにすることはできない」
「そうか……」
東雲君がうなだれる。
「でも、僕と同じ景色を見せることはできるかもしれない」
僕は保健室の机に両手をついた。
「今から、この机にサイコメトリングを使う。東雲君は僕の手首を掴んで、それに集中してみてくれ。もしかしたら、電流みたいに君の体にも同じ『情報』が流れるかもしれない」
「わかった」
僕の言葉通りに東雲君と西住君は僕の手首を掴んだ。
「……西住君は、サイコメトリングなんて信じてないんじゃなかったの?」
「ダメで元々って奴だよ」
いまいちどういうテンションで言っているのか理解できないが、それはさておくことにして、僕は手のひらに伝う机の感触に集中する。
ふわ、と体が浮き上がるような感覚と共に、その机に染み付いた残留思念が、腕を通して脳へなだれ込んでくる。
・・・北・・・
人を信じることができない。
そう言うと、人は俺に『可哀想に』という胸糞悪い視線を向ける。それだけで済むならまだ良い方で、中には『過去に何かあったのだろう、無理に聞き出そうとせず、今はそっとしておいてやろう』なんて上から目線の考えをしだす奴も居る。
そんな、他人に踏み込む勇気がないことを思いやりだと正当化しているだけの人間が俺は一番嫌いだ。
そもそも、俺に言わせれば可哀想なのは他人を信じている間抜け共だ。人類は皆嘘つきで、信頼に足り得る人間などはこの世のどこにも存在しない。にもかかわらず、その事実に気付いていない間抜け共は身を寄せ合って『信頼』だのなんだのと口にする。
そんな、他人を理解したつもりでいるだけの人間が俺には酷く哀れに感じられる。
「だから、
机に向かい課題をやる俺の隣に座って、保健医の先生はそう言った。
「人が多い場所はうるさくて嫌いなんです……別に、卒業するだけならほとんど保健室登校で十分じゃないですか」
「卒業して、その後はどうするの?」
「有名な大学に行きます。その後は有名な企業に入って、ある程度金を稼いだら退職してそれを元手に株で増やします。目標額に到達したら、山奥で自給自足して暮らします」
「……人との関わりを断つことを突き詰めると、そんな生き方になるんだろうね」
そんな言葉と共に、哀れみに呆れがブレンドされた視線が投げかけられる。
「……そういう視線が胸糞悪いんだって、俺言いましたよね」
仕返しの意を込めて、保健医を強く睨みつける。しかし保健医は怯まなかった。
「ごめんなさい。別にあなたを怒らせるつもりはなかったの」
「じゃあどういうつもりだったんです」
「それは……」
保健医が口を噤む。どうにか俺を煽るまいと、傷つけまいと、言葉を選んでいる。しかし俺には、その喉の奥に留めた言葉が分かってしまう。
「……俺を更生させたいんでしょう。誰も信じずに一人で生きていくのは馬鹿らしいと、つまりあんたはそう思ってるんだ」
「馬鹿らしいだなんて、そんな……」
保健医が咄嗟に放った否定の言葉も、ただのその場しのぎでしかないことを、俺は理解する。結局この保健医も、他の奴らとなんら変わりはないのだ。
ああ、こいつを黙らせる必要がある。
「じゃあ俺と付き合えますか?」
保健医が目を丸くする。
「俺のこと可哀想とか馬鹿らしいとか思ってないなら、俺と恋人同士になってくださいよ」
挑発するように言い放つ。もちろん、俺は本気で言ってるわけではない。これは試験だ。この保健医がどういう人間なのか、ここで試す。
「……いいよ」
数瞬、間を空けて保健医が口を開く。
「私が、あなたの恋人になってあげ……」
その言葉の途中で、保健医の手首を掴む。そのままこちらへ引っ張って、顔と顔を寸前まで近づける。
そして囁く。
「『きっとこの子は私を試しているんだろう』『ここで私が断れば、また他人を見放すんだ。そうやって人を遠ざけて来たんだ』『だったらここは嘘でも頷いてやろう』『そうして二人で色んなことを話せば、きっとこの子も分かってくれるはずだ』」
そう言い終えてから、顔を離して相手の表情を見る。俺の囁きに、保健医は目を見開いていた。その表情から読み取れる物は、戦慄だった。
そりゃあ怯えもするだろう。考えていることを、一字一句違わずに朗読されたら。
「……結局、あんたも俺に嘘をついたな」
「どうして、私の考えてることが分かったの……?」
保健医の問いかけに、答える。もうこれ以上俺に関わる気を起こさせないために。
「『サイコメトラー』って言葉、知ってますか」
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