第223話 新婚旅行は


「シアラ! お兄ちゃんが!」


「わかってる! くッ⋯⋯!」


 シアラ・アーレンスは狂乱したかの如く襲いかかってくる採掘者、観客の攻撃を防ぎつつ、テセアの悲痛な声に応える。《魔女を狩る者ウィッチハンター》を黒き球体へと変形させ、その中に自身の姉――それとぐったりと意識を失い倒れているノエル・シアルサを包み込んでいた。


 魔法が、武器が、魔装マギスが防御を固めた《魔女を狩る者》に直撃し、その強固さに砕かれる。

 しかし同時に、シアラも端整に整った顔を歪めた。


 一人一人が、無駄に強い。


 シアラは内心の焦りを抑え、冷静に状況を分析する。


「助けに行かないと⋯⋯」


 ノエルを抱きかかえているテセアが、シアラの開けた《魔女を狩る者》の隙間から《解析アナライズ》で辺りの様子を観察し、眉を歪める。


「この人たち⋯⋯やっぱりかなり無理矢理強化されてる。魂が⋯⋯多分、解放されたとしても、もう⋯⋯」


 無事では済まないほどに力を増幅された者たち。


「じゃあ、手加減はいらない」


「シアラ!」


 姉の制止を聞かず、シアラは黒き球体から無数の鎖を伸ばし、周囲の暴走する者たちを複数人縛り上げて宙に持ち上げると、そのまま地へと叩きつけた。


「一応殺してはいない。無事ではないだろうけど」


「うん⋯⋯」


「姉さん、この状況で、多くを救うなんて考えないで。もう⋯⋯どうにもならない」


「⋯⋯わかってる」


「なら、いい」


 シアラの言葉に、テセアは悔し気な表情で頷いた。シアラは、そんな姉の方をちらりと振り返る。


「その女は?」


「⋯⋯かなり無茶、してたみたい。しばらくは目を覚まさないと思う」


 青褪めた顔で、苦悶の表情を浮かべているノエルの額の汗を拭いながら、テセアはその容態をシアラに伝える。


 隕石を止めた事に加え、『魔王』との全力を賭した戦闘。それを支えていたノエルにかかった負荷もこれまでにないものだったのだろう。繋がりが断たれた途端、彼女はその場に倒れ気を失った。


 しかしそれでも、《六重奏セクステット》を使用したノイルでも、『魔王』に敗れた。


「⋯⋯アレには勝てない。兄さんを連れて逃げる。⋯⋯その女も」


 シアラは再度集まってきた漆黒の装飾品を身に着けた者たちを、地面へと叩きつけながらテセアへとそう言った。


「その女はどうでもいいけど、兄さんが苦しむから」


「うん⋯⋯ミリスさんは――」


「無理」


「⋯⋯皆は」


「自分でどうにかできない人は死ぬ。今はそういう状況」


 シアラはノイルとテセア、それからノエル以外は連れて行く気がないことをきっぱりと伝える。しかし、決して冷酷な決断をしたわけではない。シアラはそれぐらいしかできないと冷静に判断しただけだ。

 はっきりと言ってしまえば、それでも無事に逃げ切れるのかはわからなかった。


 二人とも消耗していたとはいえ、ミリスをまたたく間に捕らえ、ノイルを破った『魔王』の力は想定していたよりもずっと上だ。

 ノイルと『魔王』の戦いはシンプルだった。ただの肉弾戦。単純な殴り合い。

 けれど、シアラには――いや、誰一人としてそこに割って入る事などできなかった。

 あまりにも、次元が違いすぎる。


 加えて周囲の強化された人々も、決して手を抜いていいような強さではない。それに、あまりにも数が多すぎる。


 逆にこの乱戦の中、無事に戦えている者の数は少ない。元々の本戦参加者たちに、王の護衛や警備についていた各国の精鋭たちは、漆黒の装飾品をつけた人間を倒せているようだが、それもいつまで続くか。マナや体力は有限だ。


 戦力比は明らかだった。加えて、都市の周囲を取り囲むように空高くドス黒い狼煙が上がっている。


 外からも攻められてる⋯⋯。


 もはやこの都市に、安全な場所など存在しないだろう。

 一刻も早くノイルを救出し、『魔王』の手を振り切って脱出しなければならない。


 本当なら、シアラは兄を傷つけた『魔王』を今すぐにでも原形を留めない程に叩き潰してやりたいと思っている。絶対に許せる存在ではなかった。

 しかし、『浮遊都市ファーマメント』と同じ過ちは繰り返さない。怒りで我を忘れ、勝算のない相手に無策にも感情のままに挑むような真似はしない。


 腸は煮えくり返っている。頭にも沸騰しそうなほどに血は登っている。けれど、今のシアラはノイルを救うためならば、いくらでも冷静になる事ができた。


 テセアも状況を理解できていないわけではない。むしろ《解析》を使える彼女の方が、今のこの深刻な事態をより理解できている。既に――友剣の国は終わってしまったという事実を。


 テセアは眉を歪め、一瞬だけ泣き出しそうな表情を浮かべながらも、シアラの言葉に黙って頷いた。


「姉さんはその女を背負って。戦闘は私がやる。あと、一応あの若作りババアにもう一度連絡して、私たちはどう動くかも伝えておけばいい。⋯⋯多分、考えは全員が殆ど・・同じはず。運が良ければ合流できる」


「⋯⋯わかった」


 テセアがしっかりとノエルを背負うのを確認し、シアラは《魔女を狩る者》を変形させた。

 以前よりも小型化させた、飛行形態。


「行こう、乗って」


「うん」


 テセアがその背に跳び乗り、シアラは円形闘技場から飛び立った。警戒するのは、当然『魔王』の動き。しかし、逃げ出そうとするシアラたちの方を見る気配すらない。


 やっぱり、弱ってる。何もしない。


「ぐ⋯⋯!」


「きゃあ!」


 シアラがそう思った瞬間、横から飛来した赤い影が凄まじい速度で彼女たちを襲う。

 《魔女を狩る者》の一部を盾へと変形させ、ぎりぎりで突如出現した敵の攻撃を防いだシアラは、しかしその勢いのままに押され、空を舞う。


「やっぱり、アンタが一番活きが良さそうだ」


「チッ!」


 ノイルの吹き飛んだ方向から大きく離されながら、自身の盾に拳を打ち込んだ赤い髪の大女の凶悪な笑顔に、シアラは顔を歪めるのだった。

 






「では私は先行し、脱出手段を確保、防衛に回ります」


「既に敵の手が及んでいる可能性が高い。死ぬでないぞ」


「ふ、久しぶりに良い運動になりますね。デンデ、地上部隊の指揮は任せる」


「承知致しました」


 サーディガイドとヒメリエが言葉を交わし、彼の側近であるデンデ・ブリアントが胸に手を当て頭を下げると、サーディガイドは開け放たれた国賓席の窓から翼を広げて飛び立った。飛翔する彼に続き、数人の翼を持つ獣人族が次々と空を舞い円形闘技場から離れていく。


「レイガス、私様たちもく動くぞ」


「⋯⋯うむ」


「民を見捨てるのは不満だろうが、もはや救えぬ命の方が多い。救える命だけを見つめよ」


「⋯⋯承知しておる」


 ヒメリエの言葉に苦々しく顔を顰めていたレイガスは一度瞳を閉じ、再び開いた。その瞳にはもう迷いはなく、強い決意と怒りを宿している。


「陛下、こちらを」


「⋯⋯すまぬ、ベルツ」


「騎士として、これ以上の誉れはありません」


「⋯⋯其方を、誇りに思う」


「ありがたきお言葉」


 レイガスに一振りの剣を手渡したベルツが、片膝をついて頭を垂れた。


 三人の王が下した決断は、飛空艇を用いた都市からの脱出であった。ネイルの魔兵団とイーリストの騎士団、キリアヤムの獣騎隊、それと採掘者たち全員の力を持って、安全を確保しつつ可能な限りの正気を保った住民を飛空艇へと誘導し、友剣の国を脱する。当然ながら、全ての民は救えない。特に、敵に操られている者は、切り捨てるしかないとの判断であった。


 いや、もはや少しでも多くの者を救える可能性を考えるのであれば、それしか道はなかった。


「『創造者クリエイター』よ、本当に操られた民は救えぬのか」


 レイガスは、最後にもう一度だけアリスへと問いかける。


「ああ、アタシのダチからの信頼できる情報だ。実際、あの身に着けてるクソ装飾品をぶっ壊そうが、それはそれで目を覚まさなかっただろ。肉体も精神も限界を超えて無理矢理強化されてんだ。イカれるまでな」


 アリスはもはや演技をせず、闘技場を睨みつけながら、平時の尊大な態度と乱暴な言葉遣いでレイガスに答える。


「暴れてる奴らはもうどうにもならねぇ。クソみてぇな話だが、人と考えんな」


「⋯⋯⋯⋯」


 レイガスの剣を握る手に、力が込められた。


「すぐに、報いを受けさせる。『黑狼煙コクエン』にも『魔王』とやらにもな」


 それだけを言い、瞳をギラつかせレイガスは国賓席から出ていった。


「では、御二人もこちらへ」


 デンデが娘へと精霊を継承したことで戦力を持たない、エユレユ・ファルシードとシイク・ファルシードの二人に声をかけ、レイガスの後に続く。


「心配すんな、クソ『精霊王』にはあいつのパーティが付いてる。それに、あのゲロクソ女はこんなとこでくたばるタマじゃねぇ」


 少し、ほんの僅かに強張った表情を浮かべていた二人は、視線すら向けないアリスのぶっきらぼうな言葉にその顔の険を解いた。


「ありがとう、優しいのね」


「エルシャンは、良き友を――」


「友じゃねぇマジぶっ殺すぞ。さっさと行けやゴミ夫婦」


 二人の言葉を遮り、相変わらず視線は向けないままアリスは立てた中指だけを向ける。エユレユとシイクはふっと微かな笑みを浮かべると国賓席を後にした。


「さて⋯⋯それで爺よ。本当に残るのかえ?」


 ヒメリエが一つ息を吐き、オルムハイン・メーベルに問いかける。すると、彼は穏やかな笑みを浮かべた。


「ええ、孫が残ると言うておりますので」


 そして、アリスの隣に立ち窓から戦況を見極めているフィオナへと視線を向ける。

 ヒメリエはもう一度息を吐いた。


「やれやれ、友も師も、同時に失う私様の気持ちは考えたのかえ?」


「申し訳ございません。ですが、儂はヒメリエ様より孫の方が大切です故致し方ありませぬなぁ」


 くすくすと、ヒメリエが笑う。


「それに、儂もフィオナも死ぬ気はありませぬ。孫は結婚を控えておりますし、儂はその晴れ姿を見るまでは死ぬわけにはいきませぬからな」


「その言葉、虚言にするでないぞ」


 ヒメリエは笑みを浮かべたまま、国賓席の扉に手をかけた。


「フィオナよ、私様も友の婚姻の儀を楽しみにしておるからな」


「⋯⋯はい」


 そして、それだけを言うと国賓席を後にする。


 残ったのは、オルムハイン、ベルツ、アリス、フィオナの四名。

 アリスを除いた三名は、『魔王』の足止め役だった。


 この作戦において必須の役割であり――ほぼ確実に生還の目はないであろう役目。


「⋯⋯いいのかよ、てめぇ」


「何がですか?」


 アリスがフィオナに声をかける。


「損な役割だぞ」


「ですが、先輩を救うためには誰かがやらなければならない事です」


 二人は向き合う事なく会話を続ける。


「けっ、てめぇは真っ先にあいつのとこに向かうと思ったんだがなぁ」


「わかっていませんね」


 フィオナが呆れたように、馬鹿にするように肩を竦めて息を吐いた。


「『魔王』の目的はノイル先輩です。ですが、その先輩を無力化できたであろうにも関わらず、直ぐに終わらせようと動かないのは、先輩から受けたダメージが大きいからでしょう。当然です、なにせ先輩ですから」


 フィオナは綺麗な笑みを浮かべて両手を組む。


「その先輩の功績を、無駄にするようなことはしたくありません。攻めるなら今です。それに、もし倒せなかったとしても、時間稼ぎは先輩を何よりも救ける事に繋がります。つまり、これは最も先輩のためになる役目なんです。一番先輩の役に立て、尚かつ先輩を傷つけたゴミに思う存分怒りをぶつけられる。やらない理由がありますか?」


「今が攻め時なのは間違いねぇ。だが、全員でやらねぇと判断したのは、結局てめぇもそれでも勝てやしねぇってわかってるからだろうが。死ぬ気なのはいいけどな、てめぇが死んだらアイツが落ち込むんだよボケ」


 睨みを利かせて吐き捨てたアリスの言葉に、フィオナは笑みを返す。


「死にません。結婚するんですから」


「ハッ、もういい勝手にしろカス」


「ええ、勝手にします。あなたは無駄口を叩いてないでさっさと先輩を連れて逃げてください。先輩のために。場所はさっき教えましたよね?」


「あー言われなくてもそうするぜ。バカに付き合ってられっかよ」


 アリスは心底呆れたように両手を頭の後ろで組むと、国賓席の入口の扉へと歩き出し、途中、何か思い出したように立ち止まった。


「もう二度会えねぇ可哀想なてめぇに訊いといてやるよ」


 組んでいた手を下ろし、振り返らずにアリスはそう言った。


「クソダーリンに何か伝える事ねぇか?」


「いつまでも愛しています、と」


「⋯⋯ハッ」


 即答したフィオナを鼻で笑うと、アリスは国賓席から出ていく。


「ごめんね、おじいちゃん」


「なに、可愛い可愛い孫のためだ。それにベルツ殿もおる。なんとかなるだろう」


「先の一戦もあり、万全とは言えませんが、死力を尽くします」


 扉が閉まると同時に、オルムハインとベルツが窓際へと歩み寄り、三人が並ぶ。


「ご令孫の命は、この身を賭して守りましょう」


「いえ、私は先輩と家族以外の男性に守られるつもりはありませんので。気持ちはありがたいですけど、気持ち悪いのでやめてもらえますか?」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 フィオナの辛辣な物言いに、ベルツは黙り込み、オルムハインは愉快そうに笑う。


「ほっほっほ、この通り可愛い子での。目に入れても痛くないわい」


「⋯⋯その、ようですね」


「ふむ、まあしかし、楽しい歓談はこれくらいにして、いっちょやるかのう」


 オルムハインはそう言うと、気楽な声音とは裏腹にスッと瞳を細めた。


「近接戦闘の心得はおありですか?」


「魔人族の欠点を補うために、魔法と武術を組み合わせた魔闘術というものが研究されておっての。研究段階な上、属性によって向き不向きもあるため、まだあまり知られておらず使う者も多くはないが、儂は一応遠近どちらもいけるつもりだのう。お守りは要らぬ」


「素晴らしい。では、まいりましょう」


「うむ」


 銀翼を生やしたフィオナが飛び上がり、風を纏ったオルムハインが闘技場にふわりと着地する。そして、《矛盾を抱える大盾イモータルブレイカー》、その長剣のみを発現させたベルツが、地を鳴らしミツキ・メイゲツの前に降り立った。


「⋯⋯はぁ、身体中痛いのに」


 意識はミツキへと戻ったのか、彼は気怠そうに両手を下げたまま息を吐く。


 オルムハインの風の豪槍が放たれ、ベルツが雄叫びを上げながら斬りかかり、フィオナは上空から短銃を乱射しながら急降下する。


 その全てがミツキの片手の一振りで弾かれるのを見ながら、しかし手を止める事なくフィオナはぽつりと呟いた。


「先輩、私――新婚旅行は海がいいです」


 全ては愛するノイルのために。

 彼の顔を思い浮かべながら。


 フィオナは怯むことなく『魔王』へと挑むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る