第198話 抗えぬ運命④


 ミーナの二時間の大作お弁当は、普通に美味しかった。慣れてないと言ってはいたが、元より料理は苦手ではないのだろう。あまりお弁当を作ったことがなかっただけで。見た目も味も文句のつけようがなかった。


 ただ、量はおかしかった。殆ど僕が食べた。ミーナは終始ニコニコ笑顔だった。僕も頑張って笑顔で食べた。もうしばらくご飯、いらない。


 それからしばしの間主に僕のために食休みを取ったため、僕の遅刻と合わせて予定はかなり変更となった。本来なら、ミーナは友剣の国を二人で色々と見て回るつもりだったそうだ。早い話が、ミーナの用事とはデートをする事だったらしい。


 色々と考えてくれていたのだろうに、それでも彼女は笑顔だ。今も片手では大量のお弁当の入っていたバスケットを機嫌良さそうに振りながら、もう片方の手は僕の左腕に回されている。

 ミーナは一度手を繋いでからずっと離そうとしない。


 なんだいこれは? バカップルかな?


「えへへ」


 ミーナは頬を染め僕に寄り添うように腕を絡ませている。ついでに指も絡んでいる。距離感がおかしい。


 そういえば⋯⋯あまり思い出さない方がいい記憶ではあるが、ミーナはお姫様抱っこに憧れていたと言っていた。部屋も可愛らしい小物が多かったし、普段の姿からは想像が出来ないが、もしかしたら誰よりも乙女なのかもしれない。


 言い方は悪いがこういったベタベタで甘すぎる関係が理想だったのだろうか。それは悪い事ではなくむしろ可愛らしいとは思うけど、相手はクズのカエルである。クズのカエルである。


 普段の僕でも吊り合っていないが、今の状態では更に酷い。周囲の視線も――


「あ」


 レット君が居た。

 僕らの歩いている通りの、やや離れた位置で立ち止まってこちらを見ている。眉を顰め目を細め、なんとも言えない表情で。見たくないものを見てしまったと彼の顔は雄弁に語っていた。


 僕と一瞬目が合うと、彼は無言で歩き去る。

 僕も無言でその背を見送った。


「どうしたの?」


 思わず立ち止まっていた僕に、ミーナが不思議そうに訊ねてくる。その表情はいつものように引き締まったものではなく、ふわりと緩んでいた。僕はクールに頭を横に振りながら堪える。


「いや、なんでもないよ」


 今僕はレット君と偶然出会っていないし、レット君も何も見てはいない。そういう事にしようと、僕らは決めたんだ。


 ミーナだって今のこの⋯⋯所謂デレデレな姿をパーティメンバーには見られたくないだろう。というより、普段のミーナならば間違いなく気づいていた筈なのに。


「そっか、ふふ」


 以前の彼女ならば、もっと怪訝そうに追求してきた筈なのに。ただミーナは幸せそうに笑うだけだった。


 なんだろうこのゆるふわ甘々空間は。脳が溶けそうになってくる。


 僕はぐっと正気を保ちながら、ミーナに手と腕を組まれたまま再び歩き出した。


「ねえノイル」


「ん?」


「呼んだだけっ、ふふ」


「そっか、はは」


 脳が溶けそうになってくる。


「ねえノイルっ」


「うん?」


「⋯⋯好きっ」


 脳が溶ける。


 僕を見ながら照れたようにはにかむ彼女は、本当にミーナなのだろうか。二人きりだとここまでふにゃりとして甘えてくるとは思わなかった。そりゃレット君もああなる。


 なんだいこれは? バカップルかな?


 端から見たら完全に微笑ましいを通り越すやつだ。しかしミーナは軽く変装しているからだろうか、全く周囲の目を気にした様子はない。ただただじゃれついてくる。彼女の中では二人だけの世界が出来上がっているのだろう。


 だけどミーナ、ここお外だよ。

 多分、多くの人がそういうのは家でやれって思うよ。


 まあとはいえ、流石は友剣の国である。これほどベタベタしている相手がカエルであっても、石は飛んでこない。他国から訪れた観光客や採掘者マイナーらしき人たちの目は白けているが、石は飛んでこない。


「⋯⋯そっか」


「うんっ」


 だから僕は、とりあえず今のミーナに何か言うような事もなく、殊更に離れようともしなかった。


 ⋯⋯まあ、用事に付き合うと言ったのは僕だし、遅刻してしまったのだ。あまり度を越すような行動があれば流石に止めなければならないが、このくらいならば付き合うべきだろう。というよりも、手を離そうとすると滅茶苦茶寂し気な顔するんだよね。心にくるんだよね。普通に無理だよね。


 こうなって一つ気づいた事がある。僕は嫌な感じに女性慣れをしていると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。普通に常識の範囲でアプローチをされると、普通にどうしたらいいのかわからないのだ。過激さがない方がむしろ上手く対応できない。どうやら僕の経験は偏り過ぎているらしい。


 もちろん二人の時のミーナの態度があまりにも違う事に困惑しているのもあるが、今の僕は恥ずかしい話かなりぎこちないと思う。

 内心、何かミーナがおかしな事をしてくれないかなと思っていた。いや、別に彼女に腕を組まれるのが嫌なわけではないのだが⋯⋯。


「⋯⋯ねぇ、ちょっと⋯⋯聞きたいことが、あるんだけど⋯⋯」


「あ、はい」


 そんな事を考えながら、度々好意をストレートに言葉にしてくる幸せそうなミーナと共に歩いていると、人通りの比較的少ないやや狭い道に入った時、彼女の雰囲気がふと変わった。

 今までの無邪気な様子とは異なり、立ち止まって少々歯切れ悪そうにそう言って、僕をちらちらと窺うように見てくる。


 僕はいよいよ何かおかしな事をしてくれるのかと、少々期待した。


「その⋯⋯あの日のこと⋯⋯覚えてる⋯⋯?」


 繋がれた手が、きゅっと握られる。


「あの日?」


「⋯⋯ほら、あたしがその⋯⋯」


「⋯⋯ああ」


 僕は顔を真っ赤に染めたミーナを見て、彼女が何を訊ねているのかを察した。まさかミーナからその事を訊いてくるとは思わなかったが、例のあの日の事だろう。


「そりゃ――」


 頷きながら覚えていると言おうとして、僕ははっと口を閉じた。正直に言えば記憶に焼き付いているが、正直に言ったらダメだろう。危ないところだった。


「そう⋯⋯そうよね⋯⋯あたしも⋯⋯」


 遅かった。ばっちり聞かれていた。


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


 僕らの間に気まずい沈黙が訪れる。

 意識しないようにしていたのに、触れ合っているミーナの体温や身体の柔らかさから、あの日の記憶が蘇ってきてしまう。


 ダメだ鮮明に思い出すんじゃない。ノイルくんが文字通り暴れん坊になってしまう。クールだ、クールになるんだ。この通りは人はぽつぽつと歩いているだけだが、仮にも往来で、それもミーナがすぐ側にいるのにノイルくんを暴れさせてはいけない。


「⋯⋯あの時」


 僕が必死に頭の中に浮かんでくる映像を振り払っていると、少しの間黙っていたミーナがぽつりと呟いた。彼女の方に視線を向けると、やや潤んだ瞳と目が合い、逸らせなくなってしまう。


「こんな形でしたら、あたしが後悔するって⋯⋯気遣ってくれたわよね」


 僕と視線を交わしたまま、ミーナは囁くようにそう言った。


「でもそれって⋯⋯つまりノイルは、あたしとする事自体は、嫌じゃなかったってことよね⋯⋯?」


 僕らは往来で、何の話をしているのだろうか。望んでいたおかしな事態が起こっているが、こんな話は望んでいなかった。ミーナ、ここお外だよ。


 ダメだこれ、流石に人通りの少ない場所は選んだようだが、ミーナの中にはやはり二人だけの世界が出来上がってしまっている。お外でこんな事を訊ねてくるくらいには盛り上がってしまっていた。


 いやまあ、二人きりの室内で訊かれるよりはマシだけど⋯⋯なんとも答えづらい。


 そりゃ嫌じゃなかったよ。だって男の子だもん。ミーナの事は決して嫌いではないし、男としても、個人的にも彼女ほどの女性に迫られて嫌なわけがないだろう。例のフェロモンがなくともだ。まーちゃんもそう思うくらいは許してくれるはず。


 だからと言ってそれを正直に伝えてもいいのだろうか。一応僕にも羞恥というものはあるし、まだ僕は何も答えを出せていないというのに。


「⋯⋯それは、あんな風になったわけだし⋯⋯」


 悩んだ末、気づけば僕は視線を逸らしなんとも気持ちの悪い事を言ってしまっていた。これなら普通に答えれば良かった。後悔してももう遅いが、酷いセクハラだろこれ。


 ミーナの目が一度見開き、顔がこれ以上ないほど真っ赤に染まる。僕も似たようなものだろう。多分、今僕らはお互いにあの夜の行為を思い出している。


「そ、そうよね!」


 ぱっと顔を逸らしたミーナの声は裏返っていた。


「で、でも⋯⋯それはその⋯⋯あれの時はフェロモンがその、あれで⋯⋯」


「いや⋯⋯フェロモンとかなくてもなるから⋯⋯」


「男って、その⋯⋯すぐ、誰にでも⋯⋯そうななるんでしょ⋯⋯?」


「否定はしないけど⋯⋯男だって別に誰でもいいわけではないから⋯⋯」


「そ、そう⋯⋯つまり⋯⋯?」


「⋯⋯嫌じゃなくて⋯⋯ミーナだったから⋯⋯あれがああなったんだよ⋯⋯」


 僕らは一体なんで、こんな話を道端でしているんだろう⋯⋯。

 手を繋いだまま至近距離で、お互いに顔を逸らしながら。


「もう面倒くせぇからさっさと一発やれよ」


 と、ミーナから逸らした視線の先を、新しく買った釣具らしき荷物を抱えたレット君が、大層白けたような表情でぼそりと呟き通り過ぎていった。


 ごめん行く先々に現れて。悪気はないんだ。

 今度新しい釣具見せてね。


 振り返ることなく遠ざかる彼の背中を眺めながら、僕は小さく息を吐く。

 そして、耳の先から首まで真っ赤に染めて、未だ顔を逸らしているミーナに向き直った。


 どうやらいっぱいいっぱいで、とんでもない事を言ったレット君にすら気づかなかったらしい。気づいていたらレット君は殺されてる。


「ミーナ、何で急にそんな事を?」


 訊ねると、彼女はちらりと横目でこちらを窺った後、意を決したように僕の方を向く。


「⋯⋯エルに、言われたのよ。女としての魅力に欠けてるって、お子ちゃまだって」


 僕は空いている方の手で眉間を押さえた。


「ノイルがそうなったのも、優しさだって言われたわ⋯⋯」


 僕は眉間を揉みほぐした。


「そんなわけ⋯⋯ないって」


 そんな器用な人間が居てたまるか。

 いや世の中には居るかもしれないが、僕のノイルくんにそんな奇妙な器用さはない。ちっとも言うことを聞かない、元気で不器用なわんぱく息子に手を焼いている。


 というか、予想以上にギスってるね。どんな口論のを経てそんな事を言われたのかは知らないし、知らないほうがいいとは思うが、ギスってるね。胃が痛くなったきたぞこれ。


「わかってるけど⋯⋯でも、直接聞きたくて⋯⋯ノイルの口から⋯⋯自覚もあったし⋯⋯」


「自覚?」


「その⋯⋯魅力とかお子ちゃまとか⋯⋯」


 ミーナは僅かに視線を下げて不安そうな表情でそう言った。


 ああなるほど⋯⋯つまり自分はエルに劣っていると。

 それはまあ、エルは確かに反則的な容姿としか言いようがないだろうが⋯⋯別に劣ってはいないだろう。そもそも比べる必要がない。エルはエルで、ミーナはミーナだ。


 それよりもお子ちゃまってなんだろう。いや、大体の想像はつくけども、それこそ気にする必要はない。それはエルがエロいだけだ。エルがエロいだけなんだよ、ミーナ。


「まあとにかく、僕はそうは思わないから、その⋯⋯大丈夫だよ」


「⋯⋯ほんとに?」


 僕が頭を掻きながらそう言うと、ミーナは上目遣いで訊ねてくる。


「うん」


「そ、そっか⋯⋯えへへ」


 頷くと、ミーナは頬を染めたまま心底嬉しそうに可愛らしい笑みを浮かべた。


「良かったわ⋯⋯色々勉強したけど、やっぱり今のあたしじゃ出来ない事もあって⋯⋯不安だったのよ」


「うん?」


 何の勉強かな?

 ミーナは相変わらずストイックだなぁ。


「でも、ノイルがそう言うなら安心ね。それに次はもっと上手く色々やれるはずだし、あたしにしか出来ない事もあるわ。だから近い内に――」


「ミーナさん!」


 ミーナのやや早口な非常に気になる発言を、力強くそれでいて心地良い響きの声が遮った。何事かと声の聴こえた方を向くと、そこには一人の男性が立っている。


 灰色の艷やかな毛並みの、おそらくは狼の獣人族の男性だ。整った顔立ちにキリッとした瞳。加えて先程の良い声。普人族の僕に獣人族の細かな違いまではわからないが、間違いなくハンサムな人だろう。纏う雰囲気もどこか清涼感があるように感じる。


 誰だろうか、僕は知らない人だ。


「ミーナ、知り合いの――」


 名を呼ばれていたミーナに訊ねようとした僕は、そこで思わず言葉を止めてしまった。


「⋯⋯ほんと、意味わかんない⋯⋯せっかく二人きりだったのに⋯⋯なんなの⋯⋯? 邪魔するんじゃないわよ⋯⋯ああもう本当最悪だわ⋯⋯ぶち殺されたいわけ⋯⋯?」


 彼女が不快さを顕にした表情で、ぶつぶつと呟いていたからだ。

 レット君、さっき気づかれなくて良かったね。


 今までの柔らかな雰囲気はとっくに霧散しており、普段の三割増し程に鋭い目つきをしている。輝いていた瞳からは色が消え、怒りと落胆と不愉快さを湛えた暗い表情をミーナは浮かべていた。


「ミーナさん、その男は一体何ですか?」


 獣人族の男性は胸に手を当て、片手を振り払いながらどこか芝居がかったような口調でミーナに問いかける。


「⋯⋯⋯⋯うっざ⋯⋯」


 しかしミーナは、男性を睨みつけたままぽつりと低い声でそう漏らしただけだった。

 何が起こっているのかわからず、僕はただ呆然と成り行きを見守る。


「貴女は約束してくれたはずです! 強くなったらこの僕、キルギス・ハイエンと結婚してくれると!」


「え、そうなんですか?」


 思わず僕はそう訊ねながら、獣人族の男性――ハイエンさんとミーナを交互に見てしまう。


「ああそうだ! だから今すぐミーナさんから離れるんだこの横恋慕野郎! 僕だって、僕だってまだ半径三メートル以内に近づいた事はないんだぞちくしょうこの野郎!」


 遠いな。三メートルは遠いな。

 ああ、だからそんな微妙に離れた位置に居るのか。なんとなく、僕はこの人の事を理解できた。所謂この人は⋯⋯ミーナのファンというやつなのだろうか。少々行き過ぎた。

 しかし結婚の約束とはなんだろう。ミーナは約束を破るような人間ではないし。


「ご、誤解しないでよノイル、あたしそんな約束してないから」


 ミーナが慌てたように僕へと弁明する。またちょっとよくわからなくなった。

 キッとミーナはハイエンさんを睨みつける。


「ちょっとあんた! 適当なこと言うんじゃないわよ! 誤解を招くでしょうが!」


「そんな! 貴女は言ったはずです! 自分より弱い男には興味がないと! だから僕は約束通り、己を鍛える旅に出たんです! そして戻ってきた! 強くなってね!」


 なるほど大体わかった。


「そう言っただけ?」


 僕はとりあえず胸に手を当てて訴えるハイエンさんは置いておいて、ミーナに確認する。


「うん⋯⋯適当にあしらっただけよ! 本当よ、嘘じゃないわ! 信じて! あのバカとあたしの間には何もないのよ!」


 ミーナは縋るように僕へと訴えてくる。表情の切り替わりが凄い。そんなに必死にならなくても、理解したから大丈夫だよ。


「わ、わかってるわかってるから」


 僕はまるで見捨てないでくれと言わんばかりのミーナを落ち着かせて、ハイエンさんの方を向いた。


「あの⋯⋯それは約束ではないかと」


「君に何がわかるというんだ!」


 ミーナの言葉をかなり拡大解釈してるということはわかる。

 ハイエンさんは僕を親の敵とばかりの表情で睨みつけ、びしりと指差してそう言った。


「大体君は⋯⋯君は何なんだ! 獣人⋯⋯カエル⋯⋯何なんだ!!」


 カエル顔ですいません。確かに戸惑って当たり前だろう。


「到底ミーナさんのように美しく気高き女性とは吊り合っていない! だというのに何だその距離感は! おかしいだろう!」


 確かに、何も言い返せない。


「僕は見ていたぞ! ミーナさんを一人きりで真夜中から待たせ! 幸せそうな彼女に対して何とも言えない微妙な表情を浮べてばかり! いや、表情はいまいちわからないが⋯⋯ミーナさんを心から楽しませようという素振りが全く見られなかった! やることなすこと全て彼女に任せきりで、たまにへらへらと笑うだけ! そんなふざけた態度で、何故ミーナさんの隣に居るんだ! だが、お弁当を完食した根性は評価に値する! 良くやった!」


 あ、さてはこの人変だけど良い人だな?

 思い込みが激しくストーカー気質かもしれないけど、僕の百倍は人間ができてるなこの人。


「もし君がミーナさんの特別な人なのだとしても、だ! 君はミーナさんに相応しくない! 僕にはわかる! いや、今日のあの態度を見ていれば僕でなくともわかる! 君の瞳は濁りきっているんだ! どうせ君のような人間は、流されて生きているだけのような輩だ! ろくな仕事にも就かず、日々怠惰を貪る事だけを考え、娯楽に溺れ、その日暮らし! 明確な未来へのビジョンも持っていなければ、ミーナさんを幸せにする自信もない! 他の女性にもふらふらとちょっかいをかけているはずだ! そして当然甲斐性もなければ責任からは逃げてばかり! 経済面も、精神も、肉体も、何一つミーナさんを支えられないくせに、彼女の強さに甘え迷惑をかけてばかりだと容易に察する事ができる! 君は相応しくないどころか、ミーナさんを不幸にする存在だ! だというのにどの面を下げて彼女の側に居るんだ! 散々失礼な事を言ったのは謝罪するが、自分でも理解しているだろう! ミーナさんの隣に居るべきではない、と!」


 全部言ってくれるこの人。

 こんな奴でいいのかと、ミーナに言わなきゃいけないことを、的確に僕自身の代わりに全部言ってくれるこの人。


「ミーナさんも! 冷静に考えてみるべきです! こんな相手でいいんですか! 貴女に相応しいのは、僕のような人間なんです!」


 全部言ってくれるこの人。

 絶対真っ直ぐでいい人だろこの人。

 好きな相手に好かれるために真っ当に努力をしてきたみたいだし、絶対いい人だわ。


「僕は貴女のために強くなりました! 貯蓄もイーリストの一等地に広い屋敷を建てられる程にあります! 容姿にも自身がある! 何より貴女を幸せにできる自信がある! 一生貴女だけを見て、一生貴女を幸せにする自信が!」


 ほぼほぼ完璧じゃないか。おそらくは将来設計もしっかりしているだろう。彼と結婚して、幸せになれない未来が見えない。

 やばいストーカー気質の人かと思ったら、純粋で一途で甲斐性も責任感もあって、何より確かな強い想いを持った立派な男性だ。ハイエンさん以上の人間はなかなかいないとすら思える。

 クズカエルなど相手にならない。


「思い直してくださいミーナさん! 僕と、結婚しましょう!」


「ちっ」


 しかし片膝をついて求婚するハイエンさんへのミーナの返事は、無慈悲な舌打ちだった。


「⋯⋯取り消せ」


「え?」


「ノイ⋯⋯カエに言ったこと全部、今すぐ取り消して謝罪しなさい。そして、二度とあたしの前に姿を見せないで」


 いや⋯⋯別に全部事実だから取り消す必要はないよ⋯⋯ちゃんと謝罪は挟んでくれてたし⋯⋯。


「喋れる内にあたしの恋人を侮辱したことだけ謝って、さっさと消えなさい。ストーカー野郎」


 あれ⋯⋯いつの間にか恋人になってる。いや、怒りで正常な思考ができていないのだろう。だって隣から物凄い怒気が伝わってくるもん。怖くてミーナの方向けないもん。


「大体あんた如きがあたしの恋人に勝てるわけがないでしょうが。麗剣祭の本戦の出場資格も持ってないくせに、調子に乗るんじゃないわよ。なんなのあんた? 気持ち悪いのよ。本当いい加減にして。なんで眼中にないのがわからないわけ? せっかく最高の気分だったのに、なんで人の幸せをぶち壊して、今もなおぶち壊し続けられるわけ? ねぇ何考えて生きてるの? 本当に同じ人間? 頭腐ってんじゃないの? どうやったらそこまで身勝手に振る舞えるのか本気で理解できないわ。不快、不快不快不快不快、本当にキモい。動かないし喋らない分、汚物の方がまだマシよ。ねえ消えてよ本当。この世から一刻も早く消えて。できるだけ惨めに苦しんで、生まれてきたことを後悔しながら消えてくれない? あんたが居るだけで空気が汚れるのよ。やっぱり謝罪もいらないわ。あんたみたいなヒトモドキの謝罪なんて価値もないどころか吐き気がするだけだから。今すぐ消えろ。なんでまだあたしたちの前に居るの? なんでまだ邪魔してるの? ねえ――」


「ミーナ、ミーナぁ! よーし! もう充分だぁ!」


 だらだらと汗を流しながら、ハイエンさんへのあらん限りの罵倒を隣で聞いていた僕は、流石にミーナを止めた。

 彼女の身体をぐいと引き寄せ、自棄クソ気味に空いている方の手で抱き締めて背中をぽんぽんと叩く。


「ちょ、ちょっと⋯⋯何よいきなり⋯⋯」


 すると、ミーナの声音が一気に甘いものとなり、ふっと痛いほどの怒気が消え失せる。


「もう⋯⋯何なのよぉ⋯⋯ふふふ」


 ミーナもそう言いながら、僕の背へとバスケットを持っている手を回してきた。

 もはやハイエンさんのことは頭から抜けたのか、胸に顔を擦り付けてくる。

 本当に同一人物かな?


 僕は内心でほっと息を吐き出しながら、間髪入れずにポカンと口を開けているハイエンさんへと顔を向ける。


 違うんだ、今のはちょっと暴走してしまっただけなんだよハイエンさん。僕の周りではなぜかよく起こり得るんだ。

 僕はミーナの背を叩きながら、クールな笑みを浮かべた。


「ハイエンさん、そこまで強い想いがあるのならば、僕と勝負しましょう」


 ハイエンさんが今起こった事を理解して、立ち直れなくなる前に僕は別の事を考えさせ、忘れさせる。

 呆然とした様子だった彼は、僕の言葉で一度はっとしたように頭を振った。


「勝負、だって?」


「麗剣祭に出場してください」


「なに? どういう――」


「そこで勝ったほうこそ、ミーナに相応しいと思いませんか?」


 僕がクールにそう言うと、ハイエンさんは目を見開いた後、鋭く細めた。

 そして、闘志を顕にしてゆらりと立ち上がる。


「なるほどいいだろう。乗ったよ」


 煽ったことで上手いこと、先程のミーナの罵倒は頭から消えたようだ。


「敗者は、ミーナを大人しく諦める」


 ついでにこれ以上悲劇が生まれないように、条件を設定しておく。


「勝者は、ミーナさんの婚約者となる」


「ええ⋯⋯ん?」


 薄い笑みを浮かべたハイエンさんに、不敵な笑みを返した僕は、よくよく考えてみて首を僅かに傾げた。

 いや⋯⋯婚約は行き過ぎだろう。僕は勝ったほうがミーナに相応しいと言っただけだ。


「この勝負は、大々的に喧伝しておこう。観客たち皆が立会人だ!」


「え、いや⋯⋯」


「それで構わないですね! ミーナさん!」


 ミーナは何も言わなかったが――僕の腕の中でこくりと直ぐに頷いた。

 ハイエンさんの瞳がぎらりと輝く。


「本人の了承は得た!」


「え」


「ふん⋯⋯不敵な顔だな」


 違うこれは困惑の表情だ。

 読まれづらい表情が裏目に出てる。


「だがその余裕も麗剣祭までだ!」


 違う余裕どころか焦ってる。


「あの⋯⋯」


「覚悟していろ! 僕は必ず君の魔の手からミーナさんを救ってみせる!」


 話聞いてよ。

 ハイエンさんは僕をびしっと指差して高らかに宣言した。


「いやあのですね⋯⋯」


「今更やめるなどとは言わせない!」


 言わせてよ。

 せめて大々的に喧伝するのはやめて。


「それに本人が了承した以上、やはり怖気づいたと言ってももう遅い!」


「⋯⋯⋯⋯」


「ふ、そうだ。それでいい。君、名はなんという?」


「⋯⋯カエ・ルーメンスです」


「⋯⋯ふざけているのか」


「いえ⋯⋯」


「そうか⋯⋯それは悪かった」


 やっぱり絶対悪い人じゃないってハイエンさん。僕は真摯に頭を下げる彼を見てそう思った。


 顔を上げたハイエンさんは、気を取り直したように鋭い視線を向けると、一度ミーナを見て振り返った。


「⋯⋯どんな手を使ったのかはわからないが⋯⋯直ぐにミーナさんの目は覚めるだろう」


 そして、最後に良い声でそう呟くと、振り返ることなくそのまま歩き去っていった。


 彼の姿が見えなくなってから、僕は未だ胸に顔を埋めているミーナへと無言で視線を向ける。


「ふふ⋯⋯ごめんねノイル。でも大丈夫よ、あくまでカエ・ルーメンスのことなんだから」


 嬉しそうに頬擦りする彼女に何も言えず、僕は薄い膜のような結界を隔てた青空を眺めるのだった。

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