第190話 勘違いしないでよね


 どうやら僕たちが【湖の神域アリアサンクチュアリ】に潜っている間に、フィオナたちもとんでもないものと戦っていたらしい。


 何故そんな事になったのか微塵も理解できないが、間違いなく父さんのせいだ。あの人ロゥリィさんの関係者だったし。というよりも、父さんがイーリストを訪れた目的はそれだったのだと思う。まったく、奇妙な縁もあったものだ。


 まあとにかく、フィオナたちが無事であったのなら僕はそれでいい。今度から危ない事をする時はちゃんと教えて欲しいものだが。というかあのおっさん教えろよ。


 アリスも「そんな話は聞いてねぇぞ⋯⋯」ってぼやいてたし。おそらくロゥリィさんの葬儀の際に色々と話したはずだが、あのおっさんは言わなかったのだろう。まあ確かに⋯⋯こんな事態にでもならない限り、あえて知る必要もなかった事なのかもしれないが。


 アリスの魔導具とやらと戦った四人曰く、対『魔王』の参考にはならないだろうという話だった。まあそれはそうだろう。共通していたのは意思を持っていた事くらいで、まったく同じ性能のわけがない。やはり一度『海底都市ディプシー』へと行くべきだ。それも『魔王』の事を知る手がかりになるかは不明だが、何もしないよりはいい。


 マオーさんと勇者さんが思い出してくれればいいのだが、思い出したとしても有効な手が果たしてあるのだろうか。おそらくなかったからこそ、その身を犠牲にするしかなかったわけで⋯⋯まあでも、僕の場合は二人が味方になってくれる上、今は何をやっているのかはわからないが、店長も居る。それだけではなく⋯⋯冷静に考えたら凄い味方だな。やばい、負ける気がしなくなってきた。もはや何処からでもかかってこいや『魔王』という感じだ。

 

 ごめんなさい調子に乗りました。できればお手やわらかにお願いします。


 まあとりあえず方針は決まった。未だ『魔王』の確かな情報はないが、麗剣祭で優勝し、『海底都市』を目指す。


 ⋯⋯何だいこのスケジュールは? 本当に僕の予定かな? 店長の間違いじゃない?

 『魔王』め、一生恨んでやるからな。


「ああ先輩⋯⋯その眼で、是非私を睨んでください」


 ふざけて目を細めていたら、隣のフィオナが蕩けたような表情でおかしな事を言い出した。フィオナって何で僕が乱暴な扱いをすると喜ぶんだろう。僕の後輩は不思議だ。


 でもそれ今は我慢してね。今から学園長来るからね。流石に学園長の前で特殊なプレイはできないからね。というか学園長の前とか関係ないね、うん。


「⋯⋯こう?」


 しかしフィオナがずっとこちらを見つめたままだったので、仕方なく僕は再度目を細めてフィオナを見た。言い聞かせるより一度満足させた方が早い。学園長が来る前に落ち着いてもらおう。


「はぁ⋯⋯っ」


 フィオナが頬を紅潮させ、瞳を潤ませるとエロい吐息を吐き出した。表現の仕方は色々あっただろうが、これはエロい吐息だ。

 何でエロい吐息を吐いたのかは知らない。


 一先ずの報告と話し合いを終えた後、麗剣祭のエントリーを済ませた僕は、約束だったのでフィオナと共にとあるレストランを訪れていた。


 目的はフィオナの祖父である学園長との会食である。ランチには少々遅すぎる時間だが、朝からお茶以外口にしていないので、お腹は空いている。問題は胃が痛むことだ。


 僕はこの後、何故かエルの両親との食事も控えている。フィオナの件を知ったエルに懇願されてしまったためだ。力を貸してもらう手前、断る事もできず了承してしまったが、意味がわからない。


 何だいこのスケジュールは?


 就寝前にはノエルに血も提供しなきゃいけないんだぜ。


 何だいこのスケジュールは?


 まあノエルに血を提供するのは約束だったし、今後も僕の側に居る気ならどの道護身のためにも必須だろう。『魔王』の件が片付くまでは、常にある程度の血を持ち歩くべきだ。

 だからまあ⋯⋯これも仕方ないのだが⋯⋯。


 何だいこのスケジュールは?


 学園長はまだいい。本来なら僕のような一般人が関わる事のできる相手ではないとはいえ、一応面識はあるし、 かつては茶飲み友達と呼んでも過言ではない仲だった。昔の僕は今以上に馬鹿だったらしい。


 しかしそのおかげで、フィオナの件を除けば話し難い相手というわけでもない。礼儀作法というものを知らなくとも、あの人は許容してくれる。


 ランチだけならば乗り越えられただろう。

 そこに罰ゲームのようなディナーが加わってしまった。


 いや大変失礼な物言いなのだが、罰ゲームだよ?


 だってエルってあれでしょ、確か族長の娘なんでしょ? ということはもちろんご両親は森人族のトップなわけでさ。何で来てんの? いや本当に失礼だが、何で来てんの?


 まあ⋯⋯大変珍しい事だとは思うが、森人族もシャール大森林から出ないわけではない。彼らは別に排他的というわけではないからだ。他種族と交流する時はちゃんと交流する。

 だから各国から要人が集まる麗剣祭に訪れることもあるだろうが⋯⋯何で来てんの。


 エルを見ていても時々思うが、森人族の感性はかなり独特である。いやエルは森人族だからというかあれだけども。

 はっきりと言って、どんな人物か全く予想がつかないのだ。


 更に森人族は、本来なら基本的に他種族と婚約したりはしない。それは別に森人族至上主義だからというわけではなく、単純に子孫の精霊との繋がりが切れてしまうためだ。


 最近は何気ない会話の中で、エルに精霊について訊ねる機会が増えたが、その中でエルはこんな事を言っていた。

 森人族のマナは精霊の好物であるが、逆に森人族以外の人族のマナは精霊の口には合わないそうだ、と。

 もっと言えば、精霊の言葉をそのまま表すなら「クソまずい」らしい。


 つまりだ、精霊にとってクソまずいマナが混ざってしまうと、精霊にそっぽを向かれるわけである。故に精霊との繋がりを大切にする森人族は、他種族と子を成そうとはしない。


 ここで僕を見てみよう。


 うん、普人族!

 ご両親にいい顔をされないことは間違いないぜ! しかもその二人は森人族のトップだぜ!


 僕への対応は


 良くて粛清。

 悪くて粛清。

 普通に粛清といったところだろう。

 どうやら『魔王』など関係なしに、僕の人生は終了する。


 エルは大丈夫だと言っていたが、こういった時の彼女が信用できない事を僕はよく知っているし、普通に考えて大丈夫じゃない。例え粛清されなくとも、親に紹介される意味がわからない。何が大丈夫なのかわからない。


 まあしかし、『魔王』について対策を万全にするためにも、この会食は重要である。マナ研究に関する権威である学園長に、森人族の代表。これ程の人物に相談して手を借りる事ができれば、心強いことこの上ない。僕の目的上、公にはできないが、その辺りはフィオナもエルも内密にするよう頼んでくれると言ってくれた。万が一の際はその限りではないけど。


「先輩⋯⋯キスしませんか?」


「しません」


 だからフィオナはそろそろ腕を組むのはやめないかな。二人きりになってからいつにも増してぐいぐい来る。ここは個室だけど、今の状況で学園長に入ってきて欲しくない。僕の心証はできるだけ良くしたいのだ。こんなに密着した状態を見られたくない。色々と勘違いされる。


 今僕らが居るのは、畳の敷かれた一室だ。当然イーリストでは中々お目にかかれない、一風変わった部屋である。まるで大木をそのままくり抜いたような、長方形の広いローテーブルに、何かよくわからない文字の書かれた⋯⋯何だあれ。とにかく壁に縦長の何かが掛けられている。花瓶に活けられた花も見たことがない。扉は⋯⋯何だっけあれ。多分木組みで紙の貼られた横開きのあれ。スって開くあれ。

 とにかく、多分オウカ国の文化だろう。


 このレストランには他にも色んな部屋があるようだったが、畳を気に入っている僕のために、フィオナがこの部屋にしてくれたようだ。気遣いは凄く有り難いのだが、落ち着かない。フィオナがどんどんしなだれかかってくるのもあるが、僕は畳の感触が好きなだけで、普通の――イーリストでは一般的な部屋がいい。理想はそう、あそこまで可愛らしくなくてもいいが、ミーナの部屋のような――


「先輩? 今何を考えてました?」


「いえ何も」


 フィオナが僕の腕をぎゅっと胸に埋め、先程までの上機嫌な様子とは打って変わり、圧を感じる声で問いかけてくる。僕は姿勢を正した。

 表情は間違いなく笑顔なのだが、圧を感じるんだよね。非常に柔らかい圧だ。腕には物理的に感じる。


 違うよ?

 何で心を読めたのかさっぱりわからないが、別にミーナの部屋が良いと思ったわけではない。あんな感じで畳だけ敷いてある部屋が良いなって思っただけで。


「それなら、真っ先に思い浮かぶべきなのは、先輩の――自分の部屋ですよね?」


 すげぇや。

 心で思っただけで会話が成立するよ。何これその技術僕にも教えて。


「愛です」


「あ、はい」


 すげぇや愛って。


 でも違うんだよフィオナ。

 僕の部屋って確かに畳は敷いたけど、僕あの部屋で殆ど過ごしてないからさ、あんまり印象に残ってないんだよね。ほら、直ぐにシアラとテセアの部屋になったわけだし。だからそう、他意はないんだよ。ただ――


「メス猫の部屋が、より印象に残っている、と」


 あ、これ墓穴ってやつかな?


「そうですねー、私としては、おもしろい話ではないです」


 そもそもこれって会話かな。僕はそこがもう疑問だよ。


「はい、愛のある会話ですよ」


 すげぇや、愛って。


 いつの間にか僕は、フィオナに押し倒されていた。僕に馬乗りになったフィオナは、艶やかな笑みを浮かべたまま、胸元を開け始める。


 フィオナさん、フィオナさん?


 今からおじいちゃん来ちゃうって。そうでなくともここはそんな事をする場ではないですし、おじいちゃん来ちゃうって。


「大丈夫ですよ先輩」


「何が?」


 この状況の何が大丈夫? 僕わかんないや。


「おじいちゃんなら大丈夫です。受け入れてくれます」


 いやぁ⋯⋯受け入れられないと思うよ僕は。僕が学園長の立場なら⋯⋯どんな感情を抱くか想像もできねぇや。


「先輩が悪いんですよ? 私と二人きりなのに、他の女の事を考えるから」


「あ、はい」


 考えてないよ。考えてたのは部屋のことだよ。勘違いしないでよね。


「おしおきです」


 勘違いしないでよね。


 フィオナは拗ねたように口を尖らせた後、甘い声でそう囁いてエロい笑みを浮かべた。色んな表現はあるだろうが、これはエロい笑みだ。


 何というか、髪を切ってからのフィオナはより積極的だ。平気で一線を越えようとしてくる。いや、以前からそういう素振りはありふれていたが、あくまで僕から迫るように誘導していたはず。だが、今の彼女はこうして主導権を握ってくる。


 しかし僕は慌てない。ノイル・アーレンスはクールな男だ。今何か鎖骨の辺りに舌を這わされたが、クールに対処する。


 学園長との食事の席で、《ラヴァー》をフィオナに発動させたままにしておくのは気まず過ぎたため、事前に解除してもらったのは失敗だったが、それでもノイル・アーレンスは慌てない。


 フィオナはあくまで半魔人ハーフだ。勢いに押されて忘れる事があるが、《愛》の補助がなければ、流石に身体能力は余裕で僕が勝っている。


 つまり簡単に引き剥がせるのだ。


 僕は自分を落ち着ける為にもクールな笑みを浮かべ、一つ息を吐き出し、首を舐めようとしているフィオナの肩をつか――


「⋯⋯ん?」


 つか――


「ん?」


 腕が、上がらねぇ。

 まるで何かに押さえつけられたかのように、腕が上がらねぇ。


「あひぃ!」


 そうこうしている内に、フィオナに首を舐められて、こそばゆさと熱く湿った柔らかな感触に情けない声を上げてしまう。

 慌てて全力で腕を上げようとするが、激しい抵抗感により再び畳へと張り付けられる。


 これは――魔法か。


 文字通り、フィオナは風の圧力で僕の腕を押さえつけていた。エロい事をしながら何て繊細なコントロールだろうか。エロい事をしながら。


 これはとんでもない技術だ。

 魔力の放出後のコントロールもだが、驚異的なのは最も放出しやすいはずの手ではなく、おそらく背中辺りから魔力を放出しているのだろう。まさか全身から魔力を放てるとでも言うのだろうか。しかも持続的なコントロールまで、いや、以前からそれは行っていたが、精度が格段に上がっている。もはやこれは精霊の領域ではないのだろうか。とてもエロい事をしながらこなせるレベルではない。


 いや考察している場合ではない。フィオナは既に頬に舌を這わせている。ノイルくんも流石に成長期を迎えつつある。どうにか、どうにかしないと、はわわ。


「フィオナ! 止めろ!」


「⋯⋯っ」


 最終手段である高圧的な態度で、僕はフィオナへと睨みを利かせ声をかけた。

 一瞬フィオナの動きが止まり、風の拘束が緩む。魔法の行使に必要なのは集中力、エロい事をしながら集中できる意味はわからないが、要はそれを乱せればいい。


 僕は緩んだ拘束から無理矢理に抜け出し、フィオナの肩をぐっと掴んで身体を捻った。少々乱暴になってしまったが、これは仕方ない。

 そのまま体勢を入れ替えるように、僕はフィオナを組み伏せる。


「あ⋯⋯」


「はぁ、はぁ⋯⋯」


 両手首を掴んで押さえつけ、息を切らしながら、僕は乱れた服と髪、潤んだ瞳と紅潮した頬でこちらを見つめるフィオナに、言い聞かせた。


「大人しく、してろ」


「⋯⋯ああ、先輩⋯⋯」


 何故かフィオナは蕩けるような笑みを浮かべ、熱い吐息と甘い声を漏らしたが、とりあえず抵抗する事はなかった。


「ふぅ⋯⋯よし、そのまま⋯⋯」


 一つ息を吐き、ダメ押しでフィオナへと大人しくしているよう言おうとした僕は、はっと目を見開いた。


 後ろに――誰かの気配を感じる。


「⋯⋯⋯⋯」


 恐る恐る振り返ると――


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 そこには学園長が立っていた。


 フィオナを組伏せた僕を、黙って見ていた。


「先輩⋯⋯次はどうすれば⋯⋯」


 何か期待するような声で余計な事を言ったフィオナから離れ、僕は振り返って静かに畳に額を擦りつける。


「⋯⋯大変お久しゅう御座います」


 そして、三年と少し程の時を経て再会した学園長に、これ以上ない謝罪の意を示しながら挨拶をするのだった。

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