第183話 『魔王』
「僕は⋯⋯今ミリスが経営しているその⋯⋯なんでも屋で、働いているんです」
しばしの間、頭を整理したあと、僕がそう言うと魔王と勇者は驚愕したかのような表情を浮かべた。
「なんと⋯⋯」
魔王は黒髪に紅玉の瞳をもった魔人族の男性だ。僕より歳はいくらか上だろうか。父さんよりは若いだろう。流石に店長の親というだけあって、かなり整った容姿をしている。しかしそれ以外に、何か特別に感じるようなものはない。どちらかといえば、柔和な印象を受けるその姿は、やはり大戦争を引き起こすような人物には見えなかった。
勇者は純白の髪に黒い瞳の装人族――つまり今でいう普人族の女性だろう。瞳の色以外は、店長と本当によく似ている。あの人がもう少し歳を重ねたならば、こうなるのではないかと思える程に。とはいえ、魔人族の特徴であるやや尖った耳ではなく、魔装を用いて魔王を封印したというのならば、普人族の可能性が高い。
しかし⋯⋯店長は、この二人から魔人族だけの特性を遺伝したわけか。まあ、元々ハーフという存在自体が稀にしか誕生しない。日頃からフィオナやミーナ、ソフィと付き合いのある僕は少し感覚が麻痺しているが、本来ならそれが普通だ。ややこしい人だなまったく。
何にせよ、大戦争をしていた筈の二種族の間に生まれた子――それがミリス・アルバルマ、か。
謎だらけだ。謎しかない。何がどうなっているのか全くわからない。魔王と勇者には色々と話を訊かなければならないだろう。
「⋯⋯ミリスが、今も生きている⋯⋯?」
「え?」
しかし、勇者――勇者さんは呆然としたような表情で、僕にそう問いかけた。
「どういう事じゃ? 我らは三千年も前の時代に生きた人間なのじゃろう?」
それは僕が訊きたい。
腕を組んで顎に手を当てた魔王――魔王さんに、僕は嫌な予感を覚えた。
まさかこの二人――
「ごめんね、私たちは二十年前くらいに目覚めたんたけど⋯⋯」
「それ以前の記憶は、殆どないのじゃ」
そう来たか。
いや、予想して然るべきだった事なのかもしれない。むしろ正常な状態である事の方が、奇跡だろう。だが、しかし――
「でも、あなた達は自分が何なのか、わかってる筈じゃあ⋯⋯」
自ら魔王と勇者と名乗っているのだ。それは少なからず当時の記憶があるからこそ⋯⋯いやまて、勇者はそう言えば当時はそう呼ばれてはいなかったのか。たった一人、突如現れ、魔王を己の身を賭して封印した。その勇気を功績を讃えて後に勇者と呼ばれるようになったのだ。
魔王さんは腕を組んで瞳を閉じる。
「いや⋯⋯ここを訪れる者は皆、魔王だの勇者だの呼ぶからのぅ」
「私たちの事なんだろうなって」
勇者さんは困ったように頬をかく。
僕は額に手を当てた。
周りの話から、自分たちをそうだと推測しただけなのか。ということは、自身の名前すら覚えてはいない、と。
「我らが覚えておることは、ミリスという娘がおったことと」
「私たちが、パートナーだったてことだけなんだよね」
それは――きっと忘れる事のできない、大切な記憶だったのだろう。
とはいえ、これでは何の手がかりも得られない。当時の真実も、店長が何故今も生きているのかも、何もわからないじゃないか。
⋯⋯ん? 待てよ。
「ミリスの事は、覚えてるんですよね?」
「うむ、おそらく会えば――剣に触れれば直ぐにわかるぞ」
魔王さんは自信満々といった様子で答える。
ということは、店長はここを訪れたことがない⋯⋯? もし来ていたのなら、僕以上にこの二人と――両親と話すこともできた筈だ。⋯⋯避けていたのか? あまり、家族仲は良くなかった⋯⋯? いや、しかしこの二人はどう見ても店長を大切に想っている。殆どの記憶を失っても、彼女の事を覚えている。とても不和だったとは思えない。
「やっぱり⋯⋯生きていても会いに来てくれないってことは、私たちは嫌われてるのかな」
勇者さんが悲しげに眉尻を下げ、そう呟いた。
「嫌われてる⋯⋯?」
「我らは⋯⋯おそらくじゃが⋯⋯ミリスに辛い思いをさせたのじゃ⋯⋯」
「一体何を⋯⋯?」
「わからぬ⋯⋯ただ、その思いだけが胸に残っておる。しこりのようにのぅ」
魔王さんは憂いを帯びた瞳で、俯く勇者さんの肩に手を置いた。
結局、何一つわかることはない。
こうなれば、本人に直接何があったのか訊いてみる他ないだろう。店長が今も生きている理由だけは、なんとなく見当がつくけど。あの人、色々『神具』持ってるしなぁ⋯⋯。三千年も前から集めていて、その上使用する事に何ら躊躇いもないのなら、僕と知り合う前から様々な『神具』を試してきた筈だ。
その中にあったのかもしれない。寿命を延ばす『神具』が。問題はそれを知っていて使ったのか、知らず使ったのか――効果はどれくらいで、あの人は今後どれだけ生きられるのか。
――ノイルは我のものじゃ――
まったく、もしそうだったら流石に⋯⋯永遠には付き合いきれませんよ。僕にだって寿命というものがあるんだから。
「まあそれ以前に、我は大罪人のようじゃしのぅ。勇者と違い避けられても仕方がないじゃろう」
魔王さんはそう言って堂々と腕を組み直し、暗くなりそうだった雰囲気を消し飛ばすかのように、快活な笑みを浮かべる。
「我は覚えておらぬが⋯⋯いやもうマジすまんかったのじゃ」
いやもうマジすまんかったのじゃ、じゃないが。
魔王さんの言葉が軽い。「これが勇者の剣だって、マジスゴーい!」とか、観光客のそう言う発言をよく聞いているのだろう。魔王の威厳など微塵も感じない。
どう考えてもこんな人が大罪人だとは思えない。
「その辺りは、私が大英雄みたいだからイーブンだと思うけど」
イーブンじゃないが。
勇者さんも気を取り直したのか、腰に両手を当ててドヤ顔で胸を張った。魔王さんが「ははー」とその場にひれ伏す。おい、小芝居を始めるんじゃないよ。
「よきにはからえ」
「マジ感謝感激」
マジその言葉遣いやめて。
肩の力が一気に抜けていく。この二人と一緒に居ると脱力感がすごい。
僕は一度頭を振って、二人に訊ねた。
「二十年くらい前でしたっけ、お二人が目覚めたきっかけは何だったんですか? 誰かが話しかけてきたとか?」
「わからぬ」
「あ、はい」
「ある日、こう⋯⋯ふわっとね」
「あ、はい」
本当にふわっとしてるな。二十年以上誰とも話してないって、目覚めてから誰とも話してなかったのかい。
勇者さんは考え込むように唇に手を当てる。
「ただ⋯⋯あの子が⋯⋯来たような⋯⋯」
「うむ、懐かしい⋯⋯あれは⋯⋯ミリスだったのかもしれぬな。目覚めたときにはもう誰もおらんかったが」
ふむ⋯⋯じゃあ二人が目覚めてまだふわふわしている間に、店長は剣の元を去ったのだろうか⋯⋯会話をする前に。それならば、もしかしたら話せる事を知らない可能性もある。しかし何故二十年ほど前になって突然? その間は何故剣の元へ訪れなかった? そして、それ以降も何故来ようとしなかった? 一度何も起こらなかった事で、興味をなくしたのか? ⋯⋯それがありえそうなのがまた嫌だな。あの人一度興味をなくしたら、とことんどうでもよくなる人だし。
「お二人は⋯⋯どうにかここから出て、ミリスに会いに行こうとは思わないんですか?」
「試したことは無いこともないぞ」
「だけど、私がやったらしい封印が強力すぎてね。てへへぃ」
てへへぃて。
「自分でも、解けないんですか?」
「てへへぃ」
てへへぃじゃないが。
どうやら解くことはできないらしい。
己の身を賭した封印、か。
自身の伴侶にそれ程までに強力な封印を施す必要があった、ということなのだろう。
「いやもうマジすまんかったのじゃ」
こんな人に。
「でも外部からなら干渉できるみたいね」
「え」
何とも言えない気分になっていると、勇者さんは僕を見てそう言った。
「うむ、お主は⋯⋯お主、名は何と申すのじゃ?」
「あ、ノイル・アーレンスです」
「ノイルは剣を抜けるのじゃろう?」
「あ、はい」
まあ、簡単に動かせそうではあったね。店長のマナの影響だろうけど。僕が頷くと、魔王さんと勇者さんはヒソヒソと何かを話し合い始めた。そして、同時にちらっとこちらへ視線を向けてくる。
「我らってここにおらんとまずいかのぅ?」
「今の世界に何か影響ある?」
「⋯⋯⋯⋯特には、ないんじゃ⋯⋯ないですかね」
この二人が解き放たれたとして、一体何になるというのか。おもしろくない芸人が世に誕生するだけだ。しかしだからといって僕はやらないよ?
「抜きませんからね」
僕は二人に先んじてそう言っておいた。
「といいつつも〜」
といいつつも〜じゃないが。
勇者さんは僕を両手で指差してくる。
「我らと〜」
何だよ我らとって。
魔王さんも全く同じ動きで僕を指差した。
「笑いの〜」
「頂点に〜」
「立ちたいと〜」
「思ってねぇよ」
思わず言葉遣いが乱暴になってしまった。何故か二人は愕然としたような表情を浮かべ、がくりとその場に膝を落した。
「それ程までにキレのあるツッコミができるのに何故じゃ!?」
「私たちの何が不満なの!?」
ふざけてるところかな。
僕は大きく息を吐き出した。
「⋯⋯とにかく、今すぐにお二人をどうにかするのは無理です」
「まあそうじゃろうな」
そういうとこだよ。
魔王さんは最初からわかっていたのか、何とも平然とした様子で立ち上がり、勇者さんも同じように膝をぱんぱんと叩く。
「そうだよね、まあ私たちはあいつを封印して、る⋯⋯」
そして、はっと目を見開き、考え込むように唇に手を当てる。
「私たち⋯⋯? あいつを⋯⋯?」
自身からふいに出た言葉が不思議なのか、勇者さんはぶつぶつと呟く。確かに違和感のある言葉だと僕も思った。それではまるで、勇者が魔王を封印したのではなく――二人が何かを封印した、と取れる。
些細なきっかけで、僅かな記憶の欠片が蘇ったのかもしれない。
「そうか⋯⋯我は⋯⋯」
魔王さんも呆然としたような表情で、自身の両手を見つめながらぽつりと言葉を漏らした。
「何かに⋯⋯抗っておったはずじゃ⋯⋯」
「それを⋯⋯私たちは⋯⋯」
「封印、したんですね」
僕がそう言うと、二人は確信の込められた瞳で、ゆっくりと頷く。
これで一つだけ、はっきりとわかった事がある。
魔王が魔王らしかぬ訳。
何かそうせざるを得ない理由があって戦争を起こしたのだとは思っていたが、その理由は至極明快だった。
大罪を犯したものは――別に居たのだ。
欠けていたパズルのピースが一つ嵌る。
魔王――アルバルマさんを操り、戦争を引き起こした存在。この二人は、人知れずそれと戦っていたのだろう。この剣の封印は、二人の力によるものだったのだ。考えてみれば剣の中のこの世界で、二人は明らかに対等に過ごしている。僕と店長の――《
そうなると、まだ居るのだろうか。
諸悪の根源たる存在が。
「未だ朧げな記憶じゃが⋯⋯」
「あれはそう⋯⋯確か⋯⋯『神具』⋯⋯」
完全に思い出したわけではないだろうが、ミリスの両親の声が、重なる。
「全ての魔を喰らう王――『魔王』」
『魔王』という、『神具』。
全ての魔を、喰らう?
⋯⋯⋯⋯⋯⋯まさか⋯⋯世界中に満ちてしまったマナを、全て消し去ろうと――そういう『神具』を創った、のか? かつての人類の中に、そんもの創造しようとした人が居たとしてもおかしくはないし、責めることもできはしないが⋯⋯。
僕は素早く辺りを見回し、神経を研ぎ澄ます。
しかし、魔王さん(ややこしいからマオーさんにしよう)は、何ともマイペースに一つ息を吐いてゆっくりと首を振った。
「もうここにはおらぬようじゃな」
おらぬ、ということは、やはり自律して動く『神具』なのだろうか。意思が、ある?
「私たちが目覚めた時には、抜け出してたのかな」
勇者さんが力なく笑って肩を竦める。
何故、二人はそれ程までに落ち着いていられるのだろうか。かつて命を賭けて封印した
相手が、剣から抜け出したというのに。
「抜け出したって⋯⋯それは不味いでしょう」
僕が愕然としながら二人にそう言うと、マオーさんは首を傾げた。
「む? 何故じゃ?」
「今も世界が無事って事は、アレは倒されたんじゃないの?」
⋯⋯⋯⋯ああ、なるほど。
僕は頭を抱える。
三千年も時が経っていて、世界が平和な様子ならばそう考えてもおかしくはないか。裏を返せば、世界が無事であるのかどうかを判断基準にするほどに、危険な存在だということだ。
そして僕は知っている。少なくとも、三千年前の大戦争程の歴史的惨事は、今まで起きてはいない。もしかしたら、その『魔王』とやらは何処かで静かに討ち取られている可能性もなくはないが――決してそれ程小物ではないはずだ。今も存在していると考えるべきだろう。
何故これまで何もしなかったのかは不明だが、封印されたことで力を失っていたため、暴れだしていないのかもしれない。若しくは、意思が存在するのならば、機を窺っていた。理由はどうでもいいが、つまり――今後、『魔王』とやらが動き出す可能性は充分にある。
僕はげんなりと顔をしかめ、二人に告げた。
「いえ⋯⋯少なくとも、僕が知っている限りでは、今までそんな事実はありません。人知れず倒された可能性も、ありますけど⋯⋯多分、まだ『魔王』は存在してます」
マオーさんと勇者さんが、愕然としたような表情を浮かべる。
「え、それマジヤバいやつじゃが」
「マジヤバいやつですよ⋯⋯」
そして、ぽつりと漏れたマオーさんの言葉に、僕はがっくりと肩を落とすのだった。
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