第178話 義手


 友剣の国を何度か訪れた事のあるらしいソフィに案内され、僕らは彼女が選んでくれた宿へと足を運んでいた。

 一本の太い円柱に、いくつもの箱状の部屋が不規則に取り付けられているような建物は、一つ一つの部屋にカラフルな塗装が施されており、斬新な印象を受ける。

 大木か何かをイメージしたのだろうか。『ツリーハウス』という宿らしい。


 お値段それなりの高級宿だが、この時期人で溢れ返る友剣の国で、普通の宿を確保するのは難しいため、背に腹は代えられない。旅費は店長からもらったので問題ないだろう。

 ここが空いていなければ、高ランク採掘者マイナー向けの宿があるとソフィは言っていたが、そんな所にはもちろん泊まりたくなかった。


 それに、部屋が空いているかどうかの心配は杞憂だった。先回りしていたアリス――というより三人が、僕らの部屋は確保しておいてくれたからだ。


 何故アリスだけでなく、フィオナとノエルも居るのかという激しい疑問を覚えたが、まあ感謝するべきだろう。


 問題は――


「はぁ、ふふ⋯⋯うふふ⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯」


 僕が『蛙面カエルカエール』を外して宿の部屋に入るなり、僕のシャツの中に頭を突っ込んできたフィオナだ。

 あまりの早業にしばし呆然としてしまった。

 背に回された両手にがっちりとホールドされ、フィオナは僕の服の中で息を荒げている。


 悪目立ちしないよう、僕が部屋に入るまで我慢してくれていたようだが、だからこその爆発力が凄かった。


 地肌に直に伝わるフィオナの頬や唇の感触、髪のくすぐったさ、熱い吐息に、僕は軽いパニックに陥りそうになる。


「はぁ、会いたかっです先輩⋯⋯ずっとずっと⋯⋯はぁ⋯⋯あぁ⋯⋯もう⋯⋯はぁぁ⋯⋯」


「ふぃ、フィオナ⋯⋯離れて」


「嫌です」


「うひぃ!」


 フィオナが僕のお腹の辺りに舌を這わせ、僕はゾクゾクとした感覚に情けない声を上げた。

 ちくしょう、《ラヴァー》を解除してるこれ。それ程に今は離れたくないのか。僕の行動を読んで対策している。いや、普段は自ら縛り付けられているだけだから、対策も何もないけども。たった一週間会わなかっただけじゃない。


「な、何やってるんですかー!!」


 呆気に取られたようにフィオナの行動を見ていたエイミーが、大声を上げてフィオナを引き剥がしにかかる。と、それをソフィが止めて彼女の両手を後ろで捻り上げた。


「私なんですか!? こんな状況でも止めるのは私なんですかぁ!?」


 エイミーが理不尽だと言わんばかりの悲鳴を上げて、ソフィに拘束される中、ノエルが微笑みながら歩みよってくる。


「久しぶり、ノイル」


「あ、うん⋯⋯ひさし⋯⋯あひぃ!」


 やめて、フィオナさん舐め回すのはやめて。変な声でちゃうから。あとノエルも今の状況をよく見て。普通に再会の挨拶を交わす状況じゃないんだ。


 しかし、ノエルは僕のシャツに頭を突っ込み、もぞもぞと動いているフィオナを一瞥しただけで、特に何も言わずにそのまま近づいてきた。嫌な予感と、相変わらず僕の身体を一心不乱に舐め回すフィオナの舌の感触に、どっと汗が噴き出してくる。


 ノエルは僕のすぐ側まで来ると、顎に指を一本当てて、考え込むように上へと視線を向ける。


「んー、フィオナはこんな事したんだから、私もこれくらいはいいよね?」


「いひぃ! ⋯⋯へ?」


 そして、情ない声を上げる僕の頬を両手で挟むと――


「む!?」


 そっと唇を重ねてきた。

 混乱する頭を通り越して、柔らかく熱い感触が唇に伝わる。


「あああああああああああ!!!!」


 エイミーが目を見開き大声を上げ、呆れたようにソファに座って様子を窺っていたアリスが、身を乗り出す。


「て、めぇ⋯⋯!」


 流石にここまでするとは想定していなかったのか、アリスの表情が忌々しげに歪んだ。


「ふふ⋯⋯」


 僕からそっと離れたノエルは、頬を染めて一度呆然とする僕に微笑むと、後ろ手を組んでくるりとアリスに、振り返る。


「アリスもやったんだから、文句は言えないでしょ?」


 そして、堂々とそう言い切った。


「上等だ⋯⋯コラ⋯⋯!」


 アリスの顔が凶悪に歪み、ノエルと睨み合う。ソフィが、ぽつりと呟いた。


「これは⋯⋯ソフィの手には負えませんね⋯⋯」


「離して! 離してください!」


 そう言いながらも、きっちりと暴れるエイミーだけは未だ押さえている。


「あーあ⋯⋯」


 いつの間にか部屋の隅に避難して、事の成り行きを眺めていたテセアが、顔に手を当ててがっくりと肩を落とした。


「先輩⋯⋯?」


 ノエルに突然キスをされた衝撃に、ぼんやりと皆の様子を見ている事しかできなかった僕は、胸の辺りから聞こえてきた感情の感じられない冷たい声に、はっと意識をそちらに向ける。

 すると、そこには光のない瞳で、シャツの中から僕を見つめているフィオナの能面のような顔があった。襟口から覗くその顔に、ゾッと背筋に寒気が奔り抜ける。


「今⋯⋯ゴミに⋯⋯ナニヲ⋯⋯サレ⋯⋯マシタ⋯⋯?」


 問われ、僕はだらだらと冷や汗を流しながら、どうやらもはや一週間程度も彼女たちと離れるのは、良くないのだと悟るのだった。







 ここは友剣の国、争い事とは最も縁遠い国であり、当然ながら国内での無駄な喧嘩はご法度だ。だからこそ、先程のノエルの大胆を通り越して、狂気を感じる行動があっても、皆は血で血を洗う争いを始めていない。

 もしやそれも計算に入れた上だったのだろうか。だとしたら、強かにもほどがある。

 まあ⋯⋯本当のところがどうなのかはわからないが。


「死ね」


 シンプルだね。

 フィオナは身の毛もよだつ程の冷たい表情で、ノエルの額に短銃を押し当てている。


「あはは、やだ」


 一方のノエルは、実に朗らかな笑みをフィオナに返していた。彼女の精神力はどうなっているのだろう。何故正面から向き合いながら、物理的な殺意を押し付けられて笑えるのだろうか。


「修正⋯⋯修正しないと⋯⋯ヒロインは私なんだから⋯⋯書き換えないと⋯⋯」


 エイミーは一人、部屋の隅で何やら恐ろしい事を呟きながら、《夢物語ハピネスストーリー》に何かを書き込んでいる。

 すぐ側で、ソフィがしっかりと監視の目を光らせていた。


「チッ⋯⋯! ふざけてんじゃねぇぞ⋯⋯」


「ま、まあまあ⋯⋯大丈夫だよアリス」


 僕の正面のソファでは、アリスが明らかな苛立ちを隠さず不愉快そうにノエルを睨みつけており、隣に座ったテセアが落ちつかせるように肩に手を置いている。


「ふぅ⋯⋯」


 僕は周りに聞こえないよう小さく息を漏らし、ソファの背もたれに寄りかかりながら、カラフルな配色の天井を見上げた。


 空気、悪いなぁ⋯⋯。


 物理的な争いは起こってはいないが、豪奢なベッドやソファ、テーブルに机が設置された部屋は、今や殺意に満ち溢れている。胃にずっしりと重力を感じる。

 大きな窓から独特な都市の景観が見渡せる、いい部屋だ。可愛らしい動物の置物や、調度品もユニークな物が多く、畳が敷かれている所もある。最高の部屋だと言ってもいいだろう。


 なのに不思議な事に空気は最悪だ。

 一週間のやすらぎを得たツケが、何倍にもなって返ってきていた。

 おかしいな、僕は悪い事はしていないのに。この世は本当に不思議だ。


「死ね」


「だからやだって」


 僕は後ろから聴こえてくる、フィオナとノエルの物騒なやり取りを聞きながら、正面のアリスへと視線を戻す。


「えっと⋯⋯義手の件だけど⋯⋯あと、シアラいないの?」


 とりあえず話を進めようと、おっかなびっくりアリスに声をかける。僕らの座る二つのソファの間に置かれた、これまたカラフルなテーブルを何度も指で叩いていたアリスは、ピタリと手を止めて、大きく息を吐いた。

 そして、腕と脚を組み、最後にもう一度ノエルを睨みつけると、瞳を閉じる。


「ああ⋯⋯クソ女よりもまずはそっちだな。それと、クソシアラは外で魔物を狩ってるだけだから気にすんなや」


 気にするよ。

 何をやっているのあの子は。

 まあシアラなら例えドラゴン相手でも勝てるだろうが、お兄ちゃん心配になるよ。


「シアラは本当にもう⋯⋯」


 テセアが額に手を当ててぽつりと呟いた。

 僕も同じ気持ちである。


「これが、義手の試作品だ」

 

 無理やり気持ちを落ち着かせたのか、アリスは目を開けると、いつものように胸元に手を入れた。


「えぇ⋯⋯」


 ずるり、と、明らかにそこには収まりきらないサイズの腕が引っ張り出され、思わず声を上げると、アリスは怪訝そうな瞳を僕に向ける。


「んだよ?」


「いや⋯⋯」


 普通のリアクションなんだけどなぁ。僕がおかしいのかなぁ。

 いつも、どうやってそこに色々と物をしまっているのか疑問だったが、どうやら店長のように収納に特化した魔導具を仕込んでいるようだ。そうでないと意味がわからない。

 テセアは知っていたのか、驚くこともなくテーブルの上に置かれた腕を、興味深そうに《解析アナライズ》を発動させて見ていた。


「腕、だねこれ」


 そして、ちょんちょんと指で義手を突く。


「ああ、余計な事は何もしてねぇ。クソダーリンの腕を完璧に再現する事に力を入れた」


「え? 釣りの機能は?」


「何を言ってんだ」


 義手の説明を始めたアリスに問いかけると、じとっと半目で睨まれる。そうか、そう言えばそんな注文はしていなかったな。当然のように付いてくるものだとばかり思っていた。


「ふん⋯⋯先輩の腕を、完璧に再現? そんな事はできるわけがないでしょう。それは所詮紛い物に過ぎません」


 フィオナがついに、二挺の短銃をノエルの頭に押し付けながら、大変失礼な事を言った。

 当たり前だが、アリスが不快そうに眉を寄せる。


「⋯⋯チッ⋯⋯まあそうだ。これは試作品だしな」


「完成品だろうが、先輩の腕に及ぶ物は何者にも創れませんよ」


 フィオナさん、僕の腕はそんなに高尚なものじゃないよ?


 それに、この義手ははっきり言って完璧に思える。

 僕もそっと義手に触れてみる。人の肌と殆ど――いや、全く変わりないかのような感触だ。見た目も、何もかもが人の腕としか思えない。しかも僕自身が何だか懐かしさを覚える程に、僕の腕だった。


「うるせぇぞクソカス。世界一のアリスちゃんに、不可能はねぇ」


 いや⋯⋯そこまで完璧に再現する必要がまずないのだが⋯⋯それは言うだけ無粋と言うものだろう。


「というか⋯⋯もうこれ完璧だよ」


「先輩!?」


 義手を持ち上げて笑うと、フィオナが悲鳴のような声を上げる。彼女は僕の腕にどんな幻想を抱いているのだろうか。

 しかし、アリスはゆっくりと首を振った。


「いや、それはまだ形だけだ。使えるが、激しすぎる動きにはついていけねぇ程度の強度だし、違和感も感じるはずだ」


「ていうか形も微妙に違うよ?」


 どこが?

 僕自身もわからないのに、ノエルはじっと義手を見つめてそう言った。

 フィオナがようやく短銃を下ろし、同意するかのように近寄ってくる。


「そうです! たとえばここ。脇の下辺りには小さな黒子があるんですよ!」


 初耳だな。僕の身体の事なのに初耳だなそれ。

 フィオナは義手を目を細めてためつすがめしながら、指をさして相違点を指摘していく。


「筋肉の付き方も微妙に違います。先輩の筋肉はもっとシャープなんです。手首の筋はあと二ミリは長いですし、あと、肘の内側。ここに透ける血管は枝分かれし過ぎです。ここから手首まで薄っすらと透ける血管は、舐め回したくなる程のセクシーさで、重要なポイントなのになんですかこれは。小指はあと三ミリ伸ばして、もっとしゃぶりたくなる形が正しい先輩の指です。決定的なのは、手相の曲線が緩やか過ぎます。曲線美を意識して、溝はもっと浅くしないと⋯⋯ああ! もう何なんですかこれは! 本当に先輩の腕を再現しようとしたんですか!」


 一つも言っていることがわからないけど、多分フィオナが正しいのだろう。でも僕もうこれでいいよ。違いがわかんないもん。


「アナちゃんが居るわけでもないのに⋯⋯」


 テセアがぽつりとそう呟いた。アナちゃんとは《解析アナライズ》の愛称だろう。いつの間にかそう呼ぶようになったらしい。


「えっと⋯⋯」


 文句ばかりを言われたアリスを恐る恐る見ると、彼女は意外にも真剣な瞳をフィオナに向けていた。


「そうか⋯⋯後で相違点を書いたメモをアタシに寄こせ。修正する」


「できるんですか?」


「何度も言わせんな。アリスちゃんに不可能はねぇ」


 アリスが力強くそう言うと、フィオナは小さく鼻を鳴らして引き下がった。そして、流れるように短銃をノエルの頭に突きつける。もうやめなよ、それ。


「協力はするよ。ノイルのためなら」


「ああ」


 ノエルが微笑んでそう言うと、アリスはゆっくりと立ち上がり僕へと歩み寄る。


「取り付けるぞ」


「あ、はい」


 僕はやや緊張しながらも、手を差し出したアリスへと義手を手渡した。


「ちょっとちょっと! 私も見たいです!」


「お静かに」


 エイミーが慌てたように、ソフィに両腕を身体の後ろで拘束されながら近づいてきた。フィオナとノエルが、一瞬あからさまに不快げな視線を向けたが、直ぐに僕とアリスへ視線を戻す。


「先輩に何かあれば殺します」


「あるわけねぇだろボケが」


 相変わらず失礼な事を言うフィオナに、アリスは呆れたような声を返し、僕の右肩の辺りにそっと義手を持っていない方の手を添えた。


「ただ、神経やマナを繋げるわけだから、多少は痛えぞ」


「大丈夫」


「手、握っててあげようか?」


「大丈夫」


 僕は子供じゃない。心配そうなノエルにクールな笑みを返した。


「んじゃ、いくぜ」


「うん」


 アリスが、欠損した部位に義手を当てる。カチリ、と何かが嵌まり、右肩の辺りが熱を持ったのがわかった。身体と義手の境目がなくなり、溶け合っていくように繋がる。瞬間、鋭く痺れるような痛みが右肩の辺りから全身に広がり、僕は顔を顰めた。


「ッ⋯⋯!」


「悪ぃな、もう終わる」


 アリスのその声と共に、全身の痛みは引いていき――


「クヒヒッ、一先ず成功、だな」


 痛みが殆どなくなったと同時に、アリスは笑みを浮かべると、僕からそっと離れた。


「動かしてみろ」


 言われるがままに、僕は――右腕を持ち上げる。


「おぉ⋯⋯」


 若干のズレ――意識との遅れはあったが、右腕は僕の意思の通りに動いた。この程度ならば、直ぐに慣れるだろう。


「おぉ、おぉぉ⋯⋯」


 僕は間抜けな声を上げながら、右手を開いて閉じる。指を一本ずつ順番に開いて閉じ、大きく腕を回してみる。そして、左の手のひらに右拳を握って打ち合わせた。


「すごい⋯⋯!」


 同時に、感嘆の声が漏れる。

 これは間違いなく、僕の腕だった。


「問題ねぇか?」


「うん! ありがとうアリス!」


「クヒヒ! まだ負担はかけ過ぎんなよ」


「了解!」


 嬉しくなり、僕はもう一度右腕を回す。微妙なズレ以外は本当に何も問題がない。もうこれが完成品だと言っても過言ではないくらいだ。流石はアリス。これでリールを使った釣りも再開できる。


「ひゃー! これで麗剣祭でも全力を出せるんですね!」


「あ、はい」


 テンションが上がっていた僕は、更にテンションの高いエイミーの声で一気に落ち込んだ。

 嫌な現実を思い出させないで欲しい。


「先輩? 本当に大丈夫なんですか? 気持ち悪くなったりしていませんか?」


「何かあったら言ってね? 私なんでもするから」


 フィオナとノエルが案じるように声をかけてくれる。テセアは嬉しそうに拍手をしてくれていた。ソフィがエイミーの後ろからひょっこりと顔を覗かせる。


「お見事ですアリス様。おめでとうございますだ⋯⋯ノイル様。それで、今後の予定なのですが――」


「まずは勇者の剣を見に行きましょう! 友剣の国といえばやっぱり勇者の剣ですよぉ!」


 ソフィの声を遮り、エイミーが元気よくそう言った。


「あいたたた! ちょっと痛い!」


 そして、話を遮った罰として、不満げな顔のソフィに軽いお仕置きをされるのだった。

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