第170話 強制参加
僕は各々が食事を摂る中、何故かエイミーさんが肌身はなさず持っていたという財布の中身を検める。
『
それにノエルが消臭剤を吹き付けて丹念に消毒しながら拭いてくれたため、むしろ置いてきた時よりも遥かに綺麗になっている。
そこまでやる必要は一切なかったと思うが、これでエルが何時も準備してくれているというお揃いの新しい財布にする必要もない。
別にもはや捨てたつもりで置いてきた財布は、無事に僕の元へと戻ってきた。
しかし中身が変わっていないという事は、あの日の支払いは結局皆が持ってくれたということらしい。
というより、おそらく最後まで残っていた一号さんと二号さんだろうか。僕も含めて逃げ出した皆は財布を置いていったので、せめて父さんのものからはお金を抜いていてくれればいいのだが。
そういえば⋯⋯あの日以来二号さんを見ていない気がするな。【
「アリス、二号さんってどうしてるの?」
とりあえずポケットに財布をしまい何気なく尋ねてみると、アリスは食事の手をぴたりと止め、どこか神妙な表情で再びソファの間に戻されたテーブルにフォークを置き、腕と脚を組んだ。
「⋯⋯⋯⋯消えた」
「え?」
「どこに行きやがったかはさっぱりわからねぇ。最古参のくせに、アリスちゃんに何の挨拶もなしに居なくなるなんていい度胸してやがる」
言葉とは裏腹に、アリスから怒りは感じなかった。ただ少しだけ寂しそうに、そして考え込むように、彼女は静かに瞳を閉じる。
しかし、消えたとは穏やかじゃない。
「何か、事件に巻き込まれたとか⋯⋯」
「それはねぇ」
僕が顎に手を当てて呟くと、アリスはきっぱりと否定した。長い付き合いである彼女には、そうではないという確信があるらしい。
「多分⋯⋯アイツは元々⋯⋯」
「生きているならまたどこかで会えますよ」
フィオナが会話に割り込み、僕ににこりと微笑む。
「はい、先輩」
そして、僕へとワインの入ったグラスを差し出してきた。相変わらず店長に哀れな魚を口に運ばれていた僕は、それを受け取る。
「ありがとう、フィオナ」
「⋯⋯⋯⋯そうだな」
何事か考えていた様子だったアリスは、ぽつりと呟くと食事を再開する。まあ確かに、これ以上僕が気にしたところで仕方ないだろう。アリスの口ぶりからして、何かトラブルがあったわけでもないようだし。
そう思いながら僕はワインを飲もうとして――
「ちょっと待つんだ。フィオナ、それに何を入れたのかな?」
グラスに口を付けた状態で固まった。そっとグラスから口を離し、無言でテーブルに置く。
「ちっ」
何か今一瞬微かに舌打ちが聞こえた気がした。
鋭い目つきのエルに、フィオナは綺麗な笑みを返す。
「愛ですが? 何か?」
愛の中身は何だろな。僕はグラスに指を入れて軽くかき混ぜてみたが、おかしなところは見当たらない。どうやら固形物ではないようだ。
「はあぁ⋯⋯」
しかしワインに指を入れた僕を見て、フィオナが染めた頬に片手を当て、恍惚とした表情を浮かべたので間違いなく何か入っているらしい。隣のシアラがフィオナを睨みつけ、ワインと何かが付着した僕の指をハンカチで拭ってくれた。
「ノイル、そういうのに直接手を入れちゃダメだよ」
「あ、はい」
指を一本立てたノエルに注意され、僕は頷く。
確かに軽率だったかもしれない。フォークかスプーンを使えば良かったんだ。意味がわからない。
「まったく⋯⋯油断も隙もないね」
「愛を込める事に何か問題が? 害もありません」
肩を竦めるエルに、フィオナは平然とした様子で言葉を返す。
そういう問題ではないが、害はなくて良かった良かった。ははっラッキー。
「何か仕込むのをやめなさいよ⋯⋯」
ミーナが顔を顰めてテーブルの上のワインを見る。物凄い嫌悪感が表情からは伝わってきた。
「つーかクソダーリンもちっとは警戒心を持てや。無色透明無味無臭以外の飲み物はこいつらから受けとんな」
「あ、はい」
アリスが呆れたように僕へと声をかけてくる。普段から共に過ごしている信頼のおける皆に警戒心を抱かなければならないとは、この世は不思議だ。
「ノイルは多少味が妙でも気づかぬからのぅ」
「⋯⋯⋯⋯」
そう言いながら哀れな魚を口に押し込んでくる店長へと、僕は抗議の瞳を向ける。この料理の味が妙な事くらいは流石の僕でも気づいてるんだけど、言っていいのかな?
「ふむー! むー!」
と、部屋の隅の方からうめき声が聞こえてくる。実は食事中もずっとこの声は響いていたのだが、僕は努めて意識しないようにしていた。
何故ならば、声の主は衣服を剥ぎ取られ、全裸で両手両足を縛られているエイミーさんだからだ。猿轡に目隠しまでされた彼女は、哀れにも部屋の隅――観葉植物の隣に放置されていた。
やり過ぎだとは思うが、自業自得の面も多々ありすぎる上、僕は既にやれる事はやったのでもうどうしようもない。処分しないよう皆を必死に説得するのが限界だった。僕のせいでもあるが、許してほしい。
「むー⋯⋯ふー⋯⋯」
しかし流石にまずい。声に活力がなくなってきている。というよりも、この頭のおかしい状況から一刻も早く脱したい。
僕はエイミーさんの状態をソフィから聞かされただけなので、一度も直接は視界に入れていない。というより、皆からの圧があるので彼女の方は向けない。まあ見るつもりなどないのだが、裸の女性を拘束して監禁紛いの事をしているのは一歩間違えれば犯罪なのではないだろうか。いや、一歩間違えなくても犯罪だこれ。
何で皆平然としていられるんだろう。何でまるでエイミーさんが存在しないかのように振る舞えるのだろう。僕はそろそろ手が震えてきたよ。
何とかしなくてはならないのだが、僕がエイミーさんの肩を持つと店長、ソフィ、テセア以外の機嫌が最悪になるんだよなぁ⋯⋯。
店長とソフィは普段通りだが、テセアはずっと無言で凄い量の料理を黙々と食べてるし、現実逃避しているんだろう。考えると気が狂いそうになってくるからね。その食べっぷりにシアラが度々「うぷ⋯⋯」ってなってるけど。
一人冷や汗を流していると、目の前にあったワインがひとりでに浮かび上がり、店の奥へと消えていった。フィオナがあからさまに顔を顰めてエルを睨みつける。
しかしエルは、涼し気な顔で自身のワインを一口優雅な仕草で飲むと、口を開いた。
「汚物の処理をしたくらいで、睨まないでもらえるかな」
「汚物⋯⋯⋯⋯?」
「それよりも、『麗剣祭』についてだが――」
「ふむぅ!! むふー!! ふむふぅ!!」
エルが額に青筋を浮かべたフィオナを無視して話を始めようとした瞬間、これまでより一層大きなエイミーさんの声が響き渡った。
流石に無視できなかったのか、皆の動きが一度ぴたりと止まる。
「むぅふ! むぅふ! むぅふふふふむむむむふむぅ!!」
何故火に油を注ぐような行動をするのだろうと身を竦めていた僕は、その焦燥に満ちたような、余裕のないような、何かを訴えるかのような声に眉根を寄せる。
「むぅふ! むぅふ! むぅふ! むぅふぅ!!」
そして、エイミーさんが何を言いたいのか察し、目を見開き焦って立ち上がった。
「トイレだ! トイレに行かせてあげないとやばい!」
「ふむふふんんんんんんんん!!!!」
この瞬間だけは、多分僕は本当にエイミーさんの英雄になった。
◇
「うぅ⋯⋯もうノイルさん以外のお嫁にいけない⋯⋯」
この人、メンタル強いな。
僕の胃を痛めた説得により、拘束から解放され服を着ることを許されたエイミーさんは、再度二つのソファの間に座らされ、さめざめと涙を流しながらこちらをちらちらと窺ってくる。
「元からいく気はないけど⋯⋯うぅ⋯⋯もうノイルさんしか⋯⋯うぅ⋯⋯」
この人、メンタル強いな。
明らかな殺意に晒され服を脱がされ、身体を隅々まで調べられたあとそのまま拘束され放置。挙げ句の果てには限界寸前までトイレにすら行かせてもらえず、トイレにすら監視付きだったというのに。フィオナからは外にしばらく放り出しておけば雨で勝手に綺麗になるとまで言われたはずなのに、何で心が折れないのだろう。
普通ならカウセリングが必要な程の仕打ちを受けたと思うんだけど。
むしろ酷い事をされたのを利用してくる。
僕は何もしていない筈なのに、遠回しでもなく僕に責任を取らせようとしてくる。不屈かな?
まあトラウマになっていないようで安心したが、店長とソフィ以外の白けた顔を見てほしい。あのテセアですら、もはや殆ど薄目で渋い表情を作りエイミーさんを見ているくらいだ。というか何だあの顔。テセアってそんな顔するんだ。どういう感情なんだろうあれ。
エルが一つ息を吐き、案じるような目で僕を見た。
「ノイル、キミは優しすぎる」
どうやら僕は優しすぎるらしい。しかし服を着せて自由を与える行為が優しすぎるのならば、この世界は優しさでいっぱいだ。優しさの大安売りだ。
「犯罪者は裁かれるべきなんだ」
ならば僕たちも裁かれなければならないと思う。多分訴えたらまだぎりぎりエイミーさんが勝つよこれ。
「まあまあ⋯⋯落ちついて」
エルに力なく笑顔を向けると、彼女はまだ何か言いたげだったが、頬を染めて悔しげに顔を逸らす。
「その顔は反則だよ⋯⋯ノイル」
「あ、はい」
どの顔?
何か特別なところあった?
「ところでノイルさん」
「あ、はい」
いつの間にかすっかり泣き止んだ(嘘泣きだったかもしれない)エイミーさんが、顔をぐにぐにと弄っている僕に声をかける。
もう慣れたのか、この状況でも全く周りを気にした様子もなかった。
「友剣の国に行くんですか?」
しかも拘束されていた間もしっかりとこちらの会話を聞いていたらしい。エイミーさんはどこか期待するかのような瞳を向けてくる。
形容し難い表情のフィオナに短銃を突き付けられているのに、よくそんな顔ができるね。
フィオナにはあらかじめ静かにしておくように言っておいたけど、下手な事を言えば多分静かに処理されるよ?
「まあ⋯⋯一応⋯⋯」
「『麗剣祭』に出場するんですね!」
ずいっと身を乗り出したエイミーさんに、シアラがゴミを見るような目で片足を向ける。彼女の靴底からは鋭利な漆黒の刃が伸びていた。しかし、エイミーさんは目の前――というよりもはや眉間に切っ先が触れているそれを全く意に介していない。眉間から血を流しながら、瞳を輝かせて両手を胸の前で組んでいる。
どうやったら止まるんだこの人。
「いや、僕は出ないですよ⋯⋯」
頬を指でかきながら、僕は顔を逸らす。何でそんなものに出場しなきゃならないんだ。僕はテセアとソフィを連れて観光するんだよ。
エイミーさんが、瞳を瞬かせる。
「え? じゃあ何で友剣の国に?」
「観光と⋯⋯応援、かなぁ⋯⋯」
「応援? 誰のですか?」
「私です」
「ボクだ」
「⋯⋯⋯⋯私」
「だからあたしが一番に頼んだのよ!」
フィオナ、エル、シアラが得意気に胸に手を当て、ミーナが床を鳴らし眉を吊り上げる。
「うーん⋯⋯私はノイルさんの大活躍を見たいんですけど⋯⋯」
しかしエイミーさんは四人を完全に無視して、考え込むように唇に指を当てた。
この人の適応力と胆力どうなってるんだろう。
「そもそも出場しても、期待には応えられないですから⋯⋯」
僕が出たところで何になるというのか。強者にぼこぼこにされる未来しか見えない。マナボトルがあればまだ何とかなるだろうが、麗剣祭って確かマナボトルの使用禁止だし。
少々呆れながら嘆息すると、エイミーさんは何か思いついたようにぽんっと手を打った。
「そうだ、ノイルさんってなんでも屋さんなんですよね?」
「不本意ながら」
「何が不本意じゃ」
頷くと、店長がぺしっと頭を叩いてくる。何で叩かれたんだろう。本当の事を言っただけなのに。理不尽なので後で辛いものでも口にねじ込んでやろう。
「それなら――」
エイミーさんがにこりと笑う。僕は嫌な予感がした。
「依頼します」
おい、まさか⋯⋯やめろ。やめてくださいお願いします。
「麗剣祭に出場して、勝ち上がってかっこいいところを私に見せてくださいっ。ヒロインの私にっ」
やりやがった。
エイミーさんは実に愛らしく屈託のない笑顔で、とんでもない依頼を出してきた。
僕はだらだらと汗を流しながら、恐る恐る店長の横顔を窺う。
そして、絶望した。
「ノイルよ! 仕事じゃ!」
彼女は輝かんばかりの笑顔で勢いよく立ち上がり、僕を見る。僕は顔を逸らした。
この人、自分も出場して僕と
「お断りします」
「拒否権はないぞ。既に依頼は引き受けたのじゃ」
にこにこ笑顔の店長から顔を逸らしたまま、僕は静かに立ち上がる。そして、皆の視線を感じながら、僕は脱兎がスタンディングオベーションを送るであろう駆け足で、『
背中に皆の声がかけられていたが、僕は振り返る事なく全力で駆ける。
全身に降り注ぐ大粒の雨が、ただ冷たかった。
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