第164話 生みの親


「あん?」


 作業に集中するためにアリスとテセア、僕の三人がログハウスに戻ると、アリスは新築の室内を見て訝しげに目を細めた。


 何かおかしな所があっただろうか。


 現、僕の住居であるログハウスは、師匠たくみのデザインだけあってかなり洒落ている。丸太や樹木の形をそのまま利用した柱や壁に、二階まで吹き抜けとなっている天井。一階にはリビングとキッチン、暖炉、奥の扉の先にはお風呂やトイレ、洗面所などがある。


 入ってすぐに左を見れば二階へと続く階段があり、天井から吊り下げられた照明は、アンティーク調で温かな光を放ち、室内を照らしている。


 リビングスペースには絨毯が敷かれ、テーブルと椅子が置かれており、暖炉の前には二人掛けのソファと、僕には勿体ない程の洒落具合だ。師匠とクライスさんが建ててくれてから、殆ど手は入れていないのでおかしな所はないはずだが。


「どうかしたの、アリス?」


 テセアが首を傾げて、片眉を上げているアリスに尋ねる。


「いや⋯⋯おいクソダーリン」


「あ、はい」


 クソダーリンではないが、多分僕の事なので返事すると、アリスはすっとソファ――正確にはそこに座っていたまーちゃんを指差した。


 ははーん、なるほど。

 アリスは創人族だ。素晴らしすぎるまーちゃんの存在が気になっても仕方ないだろう。彼女は非の打ち所がないからな。


 しかし流石はアリスだ。お目が高い。今までレット君や師匠以外は誰もまーちゃんに興味は示していなかったというのに、その愛らしさに一瞬で気がつくとは。

 思わず気分が良くなってしまう。恋人を褒められると嬉しいものだ。


「もしかして、たまに言ってたまーちゃんってあれのことだったのか?」


「ああ、そうだよ」


 僕は得意になり満面の笑みで頷く。

 テセアが何故か苦笑しているが、僕は上機嫌でアリスに彼女の紹介を始めた。


「彼女は最高さ。うっとりする程のフォルムから性能まで本当に完璧で、この世のものとは思えない程に綺麗だよね。まーちゃんと出逢えたのは運命としか思えないよ。ああ、本名は――」


「魔釣り竿」


「え?」


 恍惚とまーちゃんの事を語っていると、アリスが僕よりも早く彼女の名を口にする。

 驚いてアリスを見れば、彼女はやや頬を染め、何か満足そうな、穏やかな笑みを浮かべていた。


「知ってたんだ?」


 いや、まーちゃん程に素晴らしい存在ならばアリスが知っていてもおかしくはないか。そう納得していると、アリスはまーちゃんへとゆっくりと歩み寄る。


「知ってるも何も――こいつはアタシが創った魔導具だ」


「は?」


「え?」


 何を言われたのかわからず、僕は口をぽかんと開ける。テセアも目を丸くしていた。


 今――アリスは何と言った?


「昔クソババアから出された課題の中に、釣り好きを唸らせる魔導具を創れってのがあってよぉ⋯⋯当時は何だそのクソふざけた課題はと思ったもんだぜ」


 呆然としている僕の前で、アリスは懐かしむように慈しむようにまーちゃんを撫でる。


「で、とりあえずアリスちゃんの趣味じゃねぇが創ってよ。そしたら今度は匿名で市場に流して売れたら合格だとかクソみたいなことぬかしやがった。バレねぇように魔導具名まで単純なもんにしてよ。まあアタシは元々魔導具に銘は刻んじゃいなかったが⋯⋯天才アリスちゃんの魔導具だと知らずに、どこの物好きがバカ高い釣り竿を買うって話だ。案の定、魔導具店の隅で長い事埃被ってやがった」


 リールは別売りとかいうこすい売り方してあったしね。


「売れてるのを見た時は、ざまあみやがれクソババアって思ったぜ。どこのどいつが買ったのかまでは知らかなったが――」


 アリスは満ち足りたような笑みを僕に向けた。


「てめえだったんだな、クソダーリン」


 その声は言葉こそ乱暴だが、とても柔らかくて、愛が込められているように感じられて、僕は思わずドキッとしてしまった。


 だから――


「良かったな、この世のものとは思えない程に綺麗だってよ」


「嘘だッ!」


「⋯⋯⋯⋯あ?」


 優しげな笑みでまーちゃんに声をかけているアリスを指差し、そう叫んだ。認めたくなかった。

 テセアが何故かがっくりと肩を落とし、アリスが片眉を吊り上げて僕を見る。


「そんな嘘で僕を懐柔しようとしてもそうはいかないぞ! 僕はまーちゃんを良く知ってる! 彼女はもっと心の綺麗な人が生み出したんだ! 僕を騙そうったってそうはいかないぞ!」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯おい、テセア」 


「うん⋯⋯」


「て、テセア! 何を!」


 アリスの一声で、テセアが背後から抱き着いてきた。どうやら拘束しているつもりらしい。力尽くで振払おうと思えばできるだろうが当然テセアに対してそんな真似は出来ず、見事に身動きを封じられる。


「ごめんねお兄ちゃん。でも、今のはお兄ちゃんが悪いと思う」


 申し訳なさそうでそれでいて咎めるような声が背後からかけられる。


「くそっ! テセアを洗脳したな!」


「されてないから⋯⋯」


 今度は呆れたような声をテセアは発した。


「そんなバカな!?」


「今バカなのはお兄ちゃんだと思う⋯⋯」


「!?」


 グサッときた。

 何故だろう、プライドはないし自覚はあるはずなのに、テセアにそういう事を言われるとグサッとくる。というより、もはやテセアの前で良い兄で居るのは無理かもしれない。せめて見捨てないでほしい。


「おい、クソダーリン」


 一瞬目の前が真っ暗になった僕は、アリスの鋭い声で何とか意識を保てた。

 頭を振って彼女を改めて見ると、その手には僕の最愛の人が握られていた。


「ああ! まーちゃん!」


 僕が駆け出そうとすると、テセアがぎゅっと抱きしめてくる。くそう、何と強力な拘束なんだ。動けない僕は、凶器を向けてくる相手を落ち着かせるかのように、左手を前に出した。


「話し合おう⋯⋯! まだわかり合える筈だアリス⋯⋯!」


 しかし、僕の必死の懇願を無視して、アリスはまーちゃんを程よいサイズに伸ばすと、グリップの辺りにもう一方の手のひらをゆっくりとなぞらせた。

 そして、一つ息を吐き僕にグリップ部分を見せつける。


「おら、これでどうだ?」


「!?」


 そこには、アリス・ヘルサイトの銘が刻まれていた。落雷に打たれたかのような衝撃が身体を奔り抜け、僕は言葉を失う。


「アタシは嘘なんてついてねぇ。これが証明だボケ」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 魔導具は、基本的にはそれを創造した者にしか銘を残せない。厳密にいえば後から彫るなどして偽造は可能だが、創った本人が刻んだ銘は絶対に消えることはなく、見分けるのは容易だ。そして、今しがたアリスが見せたように、創造した本人ならば時間を要することなく銘を残す事ができるらしい。


 まーちゃんには銘が刻まれていなかった。

 アリスは目の前で自身の名を刻んだ。


 それはつまり、まーちゃん――『魔釣り竿』が疑いようもなくアリスの創った品である証だった。


 冷静に考えてみれば、釣り竿とはいえまーちゃん程の性能を持つ魔導具など、そうそうに創れるものではないだろう。そんなものに銘が刻まれていなかった理由――それはアリスがこれまでロゥリィさんの最後の課題を達成できず、自身の魔導具に名を残そうとしなかったからだ。


 もう、認めるしかない。


 僕はテセアに抱きつかれながらも頭を垂れた。


「ずっと前からファンでした!」


「いや嘘つけよ」


 冷めたような声が聞こえたが、嘘じゃない。

 僕はまーちゃんと出逢ってからずっと、名も知らない彼女の生みの親のファンだったのだ。

 今の発言に嘘偽りなどない。


 だというのに、何故この僕の熱い気持ちや想いが伝わらないのだうか。

 顔を上げるとアリスはゴミを見る様な目を僕に向けていた。僕の心を深い悲しみと焦燥が襲う。


「お義母さま! 何故そのような目を向けるのですか!」


「やめろぶっ殺すぞ」


 お義母さまはこれ以上ない程に顔を顰めて、そう吐き捨てなされた。本当に何故そうなるのかわからない。僕はただ、素晴らしい娘さんと出逢わせてくださったお義母さまに、感謝の意を述べさせて頂いているだけなのに。


「お義母さ――」


「次にそう呼んだらその口塞いでやる」


 お義母さ⋯⋯アリスは、僕を睨みつけながらドスの効いた声でそう言った。

 そして、まーちゃんをソファに置き直すと、額に手を当てて俯き、大きく息を吐き出す。


「はぁ⋯⋯一発だ」


「え?」


「テセア、そのまま押さえとけよ」


「うん、任せて」


 顔を上げたアリスは、鋭い眼光を僕に向けたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「あいつを大切に扱って、この上ない程の賛辞をもらった事に免じて、アリスちゃんを疑って、ナメた口利いてくれた事は、一発で許してやる」


「え」


「良かったね、お兄ちゃん」


「え」


 やばい。僕はどうやらアリスを怒らせてしまっていたようだ。一体何が悪かったのだろうか。僕のこれまでの人生だろうか。


 ぐるぐると、肩を回しながらアリスは僕に近づき目の前で立ち止まった。


「少し屈め」


「え」


「屈め」


「あ、はい」


 僕はアリスの命令に大人しく従う。そして、アリスの手が無理せず届くだろう高さでぎゅっと目を瞑った。

 アリスの素の力がカリサ村の子供以下だということはわかっている。しかし今着ている水着だって、魔導具の可能性はある。というよりその可能性が高い。

 だとすれば、少なからず痛いだろう。普通に怖かった。

 しかし一発程度で許してくれるのなら――


「優しくお願いします」


 男らしく受けようじゃないか。


 アリスからの返事はなかった。

 ビクビクしながら衝撃に備えていると、ふわりと両頬に小さな手が当てられ――ぐいと引き寄せられる。


「ん!?」


 次いで、唇に熱く柔からな感触。

 驚いて目を開ければ、瞳を閉じたアリスの顔が間近にあった。


「わぁ⋯⋯」


 テセアの呆けた様な声が聞こえ、何故か彼女は僕の左腕を押さえる。

 顔を引こうとすると、アリスの両手が頭の後ろに回され、更に引き寄せられた。この力、やはり水着は魔導具らしい。


「んん⋯⋯!」


 そんなどうでもいい事を考えている内に、口内にはアリスの舌が侵入し、舌と舌が絡められる。

 いつかのようにゲロ臭い、ロマンチックさの欠片もない口付けではなく、脳がくらくらとするような甘美なキス。


 背伸びをしたアリスは、殆ど僕にぶら下がるかのようにしてキスを続ける。


「ぁ⋯⋯は」


 僅かに空いた口の隙間から、彼女の蕩けるような吐息が漏れ、僕は堪らず身体を起こし身を引いた。離れた口から一瞬繋がる銀の糸。

 アリスは大人しく手を離し、僕から一歩離れた。


「はぁ⋯⋯!」


 少しでも上がってしまった熱を冷まそうと、僕は肺いっぱいに空気を吸い込んで、吐き出す。バクバクとうるさい心臓に混乱する頭が、少しだけ落ち着いたように感じられた。


「な、何を⋯⋯」


「一発、だ」


 呆然とアリスを見ると、彼女は赤く染まった頬を吊り上げ、ニヤリとした笑みを浮かべていた。


「クヒヒっ、ちゃんとしたやつはまだだったからな。これで許してやる」


 アリスはそう言うと、小悪魔のようにウィンクを飛ばした。


「んじゃ、さっさと腕と器を創るための作業始めっか、クソダーリン」


 この時初めて――僕は彼女が本気で結婚する気なのだと悟った。

 弾む足取りで二階に上がっていく彼女の背を眺めながら、僕は左手を唇に当てる。


 そして、何故こうなったのかふわふわとした頭で考える事しかできなかった。


「ああ、ここを出る前にお互いに歯は磨くぞ。外の奴らにバレたら面倒くせぇからな」


 二階から手すり越しに顔を出したアリスがそう声を掛けてきて、僕ははっと意識を戻す。

 同時に、顔が熱くなるのを感じて頭を振った。


「クヒヒ!」


 二階からは機嫌の良さそうな独特の笑い声が聞こえてくる。

 少し気持ちを落ち着かせてから向かおうと、僕は呆然と椅子に座ろうとして――


「お兄ちゃん」


 未だにテセアが抱きついている事を思い出した。

 今のを見られていたという事実に、思わず左手で顔を覆う。


「あぁ⋯⋯」


 もう僕は本気でダメかもしれない。

 妹の前で何ということを。


「やっぱりアリスと結婚しちゃおうよ」


「こら」


 無邪気な笑みでそう言ったテセアの頭を、僕はわしゃわしゃと撫でるのだった。

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