第159話 どちらだろうと
「ああ⋯⋯落ち着く⋯⋯」
心がおっぱ⋯⋯不安定になった時に頼れる存在といえば、やはり守護者さんだ。
僕は彼の大きく逞しい背中に抱き着いて、その安らぎを与えてくれる温もりに頬ずりしていた。
ベッドの上に座った守護者さんは、そんな僕に余計な言葉は何もかけず、ただ受け入れてくれる。
「ふふ、そうか」
この包容力。
守護者さんは何時だってそうだ。
どっしりと構え、例えこのように常軌を逸したような行動をしても優しく受け止め包み込んでくれる。
彼は僕の心の清涼剤でありオアシスなのだ。
守護者さんの筋肉は僕を癒やしてくれる。
彼が居るから僕は過ちを侵さないで済んでいるのだ。
「ちょっと力こぶを作ってもらえますか?」
「ああ、構わんぞ」
僕の要求に応えて、守護者さんは片腕を持ち上げるとぐっと力を込めてくれる。隆起した腕の筋肉に僕は瞳を輝かせた。
「これこれ、この硬さですよ。最高です」
力こぶをさわさわと擦りながら、僕はその確かな存在感の虜となる。硬くそれでいてしっかりと柔軟性を備えている事がわかる筋肉は、鍛え上げた男の証だ。僕の頭がおかしくなることもない。
「ふっ⋯⋯少しくすぐったいな」
「ああすみません、つい」
「いや、構わん。お前が喜んでいるようで何よりだ」
微笑を浮かべながら、守護者さんはそう言ってくれる。もし僕が女性であったのならば、彼になら身体を許しても構わないとすら思ってしまう。
当然他の皆と差をつけるつもりなど微塵もないが、守護者さんの器はしっかりと創ってもらおう。この逞しく美しく優しき身体を、しっかりと再現してもらわなければならない。
僕の側には守護者さんが必要だ。
もし可能であれば、僕だけの守護者さん人形も創ってもらえないだろうか。最高の抱き枕になるはずだ。頼めば一緒に寝てくれそうではあるが、流石にそれはまずいだろう。何も問題はないのだが、色んな意味で周囲の目が怖い。
しかし⋯⋯そうか。
ほんの僅かに、ほんのちょっぴりだが、エルが僕の人形を作った心境が理解できてしまった。僕はもう駄目かもしれない。
「⋯⋯随分と、悩んでいるんだな」
「⋯⋯ええ、まあ⋯⋯」
相変わらず守護者さんの筋肉をさわさわしていると、彼は僕へとその落ち着ける低く響きのある声をかけてくる。僕は筋肉をさわさわしながら頷いた。
「無理もない。しかしあまり焦る必要はないぞ」
「でも⋯⋯」
「俺はあまり恋愛ごとに詳しくはないが、好意を相手に伝えるという事は、相手に責任を負わせるという事でもある。そんなつもりはなくともな」
「⋯⋯⋯⋯」
「それを理解せず想いを伝える者も多いが、お前に好意を抱いている者たちは、しっかりと理解した上で行動しているだろう」
守護者さんは僕の頭に安心できる大きな手を乗せ、優しげな笑みを浮かべた。
「魔法士も含め過激な者たちだが、答えを焦る必要はない。考えず、感じて、自分のタイミングで結論を出せばいい。それぐらいは許される。だからあまり思い悩むな、と言っても難しいかもしれんが、お前はいつも通り過ごしていればいい。ノイルらしくな」
「⋯⋯はい」
「相談には乗るからな」
「ありがとうございます」
⋯⋯本当に、アリスに守護者さん人形を創ってもらおうか。
僕は守護者さんの筋肉をさわさわしながら、本気で検討し始めるのだった。
◇
「ノイルって⋯⋯」
「ん?」
「⋯⋯男が好きなの?」
こいつ覗いていやがったな。
ベッドに腰掛けてやや視線を逸らしながらとんでもない事を尋ねてきた狩人ちゃんを見て、僕は彼女が何をしていたのか察した。
いや、魔法士ちゃんと癒やし手さんの二人に予想以上に時間がかかったせいで待たせてしまったのは悪いが⋯⋯こいつ覗いていやがったな。
しかも最悪な誤解をしている。
違うよあれはただ癒やされていただけなんだよ。狩人ちゃんもやってみればわかる。あの筋肉は癒やしだ。
僕は一つ息を吐いて肩を落とす。
「そんなわけないから⋯⋯」
僕は至って健全な男だ。
いや別に男同士の恋愛を否定はしないが、僕は違う。
狩人ちゃんが勢い良く立ち上がる。
「でも、でもノイルが自分から触る事って滅多にないもん!」
そりゃ女性はね。
自分からさわさわしてたら変態じゃないか。
そういった気が一切ない相手だから気軽にさわさわできるんだよ。
しかし説明しても納得はしなさそうだ。
どうするべきか考えた僕は、膨らませている狩人ちゃんの頬を指で優しく突く。ぷしゅうと空気が抜けた。
「ほら、触った」
我ながら苦しいかと思いながらも、指を当てたまま狩人ちゃんを見ていると、彼女は次第に頬を染めてにっこりと笑みを浮かべた。
「そ、そうだねえへへ⋯⋯」
この子は⋯⋯大丈夫だろうか。
簡単すぎないだろうか。
いつか悪い人間に良からぬことをされたりしないだろうか。
まあ狩人ちゃんは僕と守護者さんに全く気づかれない程の卓越した能力を持っているので、大丈夫だとは思うが。
これで狩人ちゃんは元は暗殺を得意としていたらしいから、人は見かけによらない。いや、見かけだけなら納得か。
問題は普段の臆病さとポンコツさである。
「ノイル、ノイル。こっちもこっちも」
狩人ちゃんは僕が指を当てている反対の頬を指差す。そちら側も指で突くと、狩人ちゃんは一層の笑みを浮かべた。
「ふへへ、はさまれひゃっひゃ」
「大変だぁ」
楽しそうだ。実に楽しそうに屈託のない笑みを向けてくる。多分、もうクールに振る舞う事すら忘れている。
しばらくうりうりと狩人ちゃんの頬を笑い合いながら弄っていると、彼女ははっと目を見開いて何か思い出したように僕から離れた。
そして腕を組み、ふいとそっぽを向く。
「ふ、ふん! それで、私の姿を覚えるんでしょ? 早く始めるわよ」
「あ、はい」
もう無理だよ。もう無理があるよ狩人ちゃん。
さっきの笑い合った時間は何だったんだよ。
そのキャラはアリスのぶりっ子以上に貫き通すには周りの優しさが必要だよ。
狩人ちゃんはその場でくるんと華麗に一回転する。薄紫のポニーテールがふわりと僕の鼻に石鹸のような香りを届けた。
ぴしっと止まった狩人ちゃんは、一度髪をクールな仕草でかき上げ、腕を組み直す。
実にクールだ。
「そ、そそそれじゃ⋯⋯どどどどうする? ふ、ふふ服って脱ぐの?」
声は震えまくりで表情は絵に描いたように緊張しているが。
「服は脱がないでいいよ」
とりあえず、僕は何も突っ込まないでおくことにした。
狩人ちゃんがほっとしたように息を吐く。
しかし狩人ちゃんの服装ってかなり露出が多いと思うんだよね。動き易さを追求した故なのか、お臍は丸出しで、身体に張り付くような布地は薄く面積も少ない。
こうして改めて見ると、かなり大胆な格好ではないだろうか。狩人ちゃんって結構恥ずかしがり屋なのに、この服装は恥ずかしくないとは不思議なものだ。
そう思いながら顎に手を当ててまじまじと眺めていると、狩人ちゃんの身体が震えている事に気づいた。顔を見てみれば真っ赤になって瞳には涙を浮かべている。
少々無遠慮すぎたと、僕は今にも泣き出しそうな狩人ちゃんを見て猛省した。
慌てて彼女から離れて頭を下げる。
「ご、ごめん⋯⋯」
「う、ううん⋯⋯だいじょぶ⋯⋯触る?」
震えながらも、上目遣いで尋ねてきた狩人ちゃんに不覚にもドキッとしてしまう。
え、何これ。
凄く悪い事してる気分になってくる。
背徳感が凄い。
ごくりと、生唾を飲み込んだ。
「い、いや⋯⋯」
「私は⋯⋯いいよ⋯⋯ノイルなら⋯⋯」
何これぇ。
何かこう、叫びたい。
うおおおおおおおって。叫びたい。
狩人ちゃんは鎖骨の辺りに片手を置いて、僕を窺うように見ている。やめて、ちょっと首を傾けないで。変な気分になってくる。
しかしこれは必要な事だ。
大丈夫、変な触り方をするわけじゃない。
ちょっと肌の質感とかを確かめるだけだ。
さっきも普通に触ったじゃないか。
あんな感じでいいんだ。あんな感じだ。
「じゃ、じゃあ⋯⋯」
「ん⋯⋯」
狩人ちゃんはぎゅっと目を閉じて、何故か鎖骨の辺りを差し出してきた。背徳感が増した。
僕は一瞬躊躇い、ゆっくりと手を伸ばす。
そして、ぴとりと狩人ちゃんの鎖骨に触れた。
「ぁ⋯⋯」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
狩人ちゃんが妙な声を発し、僕は叫ぶのだった。
◇
「あっははは! 随分騒がしかったね」
「⋯⋯いや、ちょっと色々とあってさ」
狩人ちゃんと何故か背徳感を感じる時間を過ごした僕は、最後になってしまったが変革者の元に訪れていた。
変革者は実に愛らしい笑みを浮かべながらベッドにちょこんと腰掛けている。
抱き締めたい。
瞬間的にそんな事を考えてしまった僕は、慌てて頭を振ってクールさを取り戻す。
変革者を最後に回した理由は、覚悟が必要だったからだ。何の覚悟かは言うまでもないだろう。
今、この時この瞬間、変革者の性別が明らかとなるからだ。
男性か、女性か。
知りたいようで、知りたくない。
だから時間が必要だったのだ。
もしこれで⋯⋯もしもこれで、変革者が男だった場合、僕の中で何かが大きく変わるだろう。それは目覚めかもしれないし、一種の悟りかもしれないが、僕は果たしてそんな自分を受け入れられるのだろうか。
緊張しきっている僕に一度蠱惑的な笑みを向けた変革者は、すっと立ち上がり距離を詰めてきた。目と鼻の先に長い睫毛に深青の瞳、整った小さな鼻と小ぶりのぷるんとした唇が迫る。
「それじゃあ、始めようか」
囁くような、誘惑するかのような声に、心臓が大きく脈打った。
「どうやって確かめる? 自分の身体を触ってみるかい? それとも、服を脱ごうか?」
いつの間にか、変革者は僕にそっと持たれかかり、耳元でどこか淫靡な雰囲気を醸し問いかけていた。
「ノイルの望むやり方で、構わないよ」
ちくしょう。
どうしたらいいんだこんなの。
今すぐぎゅっと抱き締めたい衝動を必死で堪える。
すごい、すごいいい匂いがする。
心を持っていかれる。でも持っていかれてもし男だったらどうするんだ。
狩人ちゃんの誤解が誤解じゃなくなってしまうぞこれ。
「迷っているのかい? 大丈夫だよ。もしノイルが期待した方と逆だったならば、自分はノイルに合わせるから」
「それは⋯⋯」
「自分は性に拘りはないんだ。どっちだって構わない。ノイルの好きな方になるよ」
変革者の言葉は、何処までも蠱惑的な響きを伴っていた。
止めてくれ、これ以上僕を惑わさないでくれ。
男だろうが女だろうが構わないと思ってしまうじゃないか。
しかし⋯⋯それの何が問題なのだろうか。
ふと、そんな考えに辿り着いてしまった。
別にいいじゃないか。
そんな事は些細な問題だ。
だって変革者はこんなにも愛らしい。愛らしいものを好きになる事の、何が問題なんだ?
もはやこれは、性別という壁を超えた尊い感情なのではないだろうか。
僕はきっと、真理に辿り着いたのだ。
そう、変革者は――変革者だ。
ならばもう確かめる必要などない。
僕は変革者の両肩を掴み、そっと離れる。
「確かめないのかい?」
こてん、と小首を傾げて変革者は尋ねてくる。
僕はクールな笑みを浮かべた。
「ああ、変革者は変革者だからね」
「つまり⋯⋯?」
「君とアリスに任せるよ」
変革者の好きなようにしてくれればいい。どちらだろうと、僕はもう気にはしない。
変革者は眉尻を下げ、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「そうか⋯⋯でも、残念だ。ノイルはあまり自分に興味がないのかな」
「それは違う!」
僕が声を上げると、変革者は驚いたように目を丸くする。
「どっちでも大丈夫だってことだ! どっちだろうが愛せる!」
自分の気持ちを、僕は真っ直ぐに変革者に伝えた。変革者は目を見開いたまま、ほう、と吐息を漏らし、潤んだ瞳に頬を染めてにこりと微笑む。
「⋯⋯⋯⋯やっぱり男も好きなんだ」
そのまま変革者と微笑み合っていると、いつの間にやら扉の隙間から狩人ちゃんがまた覗いていた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯変革者、だけだから」
僕はじっとこちらを見つめている狩人ちゃんに、首だけを振り向かせて誤解だと訴える。
変革者がぎゅっと抱き着いてきたが、もはやそれどころではなかった。
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