五章
第157話 器の形
自分の右腕を持ち上げ、矯めつ眇めつ眺める。
「ふむ⋯⋯」
一度拳を握り開いて、失くしてしまったものの感触を確かめた僕は、こんな感じだったかと小さく呟いた。
予想通りではあるが、どうやらこの世界では僕の右腕は存在するらしい。
何処までも続いているかのように見える平原に、小さな丸池、そして池から少し離れた位置には『
『
僕はいつもの様にそこを訪れていた。
ここは基本的に僕の潜在意識というかイメージによって様相を変化させるため、右腕が存在したままなのだろう。
片腕の状態に慣れてしまえば、いつかはこの世界でもそれが当たり前となるかもしれない。
まあ、ここなら生やそうと思えば腕を生やすことも出来そうだ。
だがとりあえずそんな事よりもだ。
「ああ⋯⋯! ノイルさん⋯⋯! ノイルさん⋯⋯!」
この子、どうしよう。
先程から僕にしがみつき、すりすりと胸に頬ずりしている魔法士ちゃんをどうするべきか、僕は澄んだ青空を眺めながら考えていた。
この世界に来た瞬間に最早タックルのように押し倒されてしまい、魔法士ちゃんはずっと涙を流しながら僕に抱き着いている。
いつも積極的な魔法士ちゃんだが、今回いつも以上に取り乱している理由は――
「ごめんなさい⋯⋯! 私の、私が腕を⋯⋯!」
これである。
どうやら守護獣を僕の腕ごと《魔法士》で凍りつかせてしまった事に、責任を感じているようだ。
でも大丈夫だよ?
あれ僕が勝手にやった事だし。
ちぎられた時点でもう再生不能なくらい噛み砕かれてたし。
あの緊急事態ではそうするしかなかっただけだ。
しかし、そう言った所で止まる魔法士ちゃんではない。というかもう伝えた。けれど中々離れてくれない。責任を感じてしまうような力の使い方をした僕が百悪いので、離れてくれとも言い辛かった。
「いい加減離れなさいって! ずる⋯⋯ノイルが困ってるでしょ!」
顔を真っ赤にした狩人ちゃんが、必死な様子で魔法士ちゃんを僕から引き剥がそうとしているが、魔法士ちゃんはそれ以上の力で僕にしがみつき微動だにしない。
魔法士ちゃんって能力からは想像できない程に素の身体能力高いよね。
ここでは皆
「はぁ、はぁ⋯⋯ごめんなさいノイルさん⋯⋯」
やばい。
魔法士ちゃんの息が荒くなってきている。
「も、もういいから⋯⋯」
本当に。
悪いの僕だからさ。というか、絶対にもう伝わってるよね? ねぇ、わざと胸を押し付けてない?
こうなったら僕だって実力行使するぞ。やり辛いが、無理矢理引き剥がしてやる。だってこの子絶対もうわかってるもん。よからぬ事を企んでるもん。
「はぁ、はぁ⋯⋯お詫びに⋯⋯私を受け取ってください⋯⋯」
ほうらね。
流石にこれ以上は付き合うわけにはいかなくなった僕は、両腕で魔法士ちゃんの肩を押し上げ――
「ふわっ!?」
「ダメですよノイルさん⋯⋯まだお詫びが済んでません⋯⋯」
いつの間にか分厚く大きいローブの前を開けていた魔法士ちゃんに、両腕ごとローブの中に抱きこまれた。
疾い――。
何だ今の手の動きは。
油断していたのもあるが、魔法士ちゃんの両手がいくつもあるように見えた。手品かな?
「やめ、やめなさいってばぁっ!」
愕然としていると狩人ちゃんが涙目になって魔法士ちゃんの背中をぽこぽこと叩き始める。が、魔法士ちゃんは全く意に介していない。
爛々と輝くアメジストの瞳を僕に向け、息を荒くして笑みを浮かべている。口端からは涎が⋯⋯涎垂れてるよ。
僕はがっちりとホールドされた腕からの脱出を試みているが、思いの外というか力強い。ねぇ何でそんなにパワフルなの? 身体能力高いなぁとは思ってたけど、それとも何か技でも使ってるのこれ。素の僕じゃぴくりとも動かないとは流石に予想外だよ。
不味い⋯⋯魔法士ちゃんってローブを滅多に脱がないけどローブの下はノースリーブにショートパンツと薄着なんだよね。
つまり何が言いたいかと言うと、密着感が凄い。体温がダイレクトに伝わってくる。
いつの間にか捲られていたシャツの下で、汗ばんだ素肌がダイレクトに触れ合っている。ノイルくんがノイルさんになってしまう。
魔法士ちゃんがどうやってるのかはわからないが、僕のズボンと自分のショートパンツを擦り合わせて脱がそうとしている。
そんな器用さはいらないよ。
「ノイルさん⋯⋯はぁ⋯⋯やっと一つに⋯⋯」
血走った眼と首にかかる吐息で何とか理性は保てているが⋯⋯というか怖い。
しかし、しかし大丈夫だ。
ここは僕のイメージで何とかなる世界だ。
落ち着け、煩悩と恐怖を振り払ってこの窮地を脱する事のできる自分をイメージしろ。
だからお願いします下半身を擦り合わせるのはやめてください。僕男の子だから集中が乱れるんです。
「魔法士、それはよくない」
「いい加減にしろ」
「本当に厭らしい女ね」
魔法士ちゃんの攻めに耐えて必死にムキムキな自分をイメージしていると、変革者、守護者さん、癒し手さんが呆れ果てたように魔法士ちゃんを引き剥がしてくれた。
「ちっ⋯⋯」
流石に三人の力には敵わなかったのか、僕から離された魔法士ちゃんは眉を顰めて大人しくローブの前を閉じる。何か舌打ちが聞こえた気がしたけどきっと気のせいだ。
というか冷静に考えてみると、皆が居る場で致すつもりだったのかこの子は。
救ってくれた三人に感謝しつつ、ほっと息を吐き出してうるさい心臓を落ち着けながら身体を起こす。
「う、うぅ⋯⋯よがっだ⋯⋯ごわがっだよぉ⋯⋯」
側では狩人ちゃんがへたり込んで泣いており、ただ一人動かず釣り糸を垂らしている馬車さんに目を向けると、さっと視線を逸らされた。
わかるよ。
邪魔をしていたら後で魔法士ちゃんに何と言われるかわかったものじゃないもんね。
だから僕は馬車さんを薄情だなんて思わないよ。レット君で慣れてる。
「まったく⋯⋯貴女はもう少し落ち込んでた方がいいんじゃないかしら?」
癒し手さんが胸を押し上げるような妖艶な仕草で腕を組む。
魔法士ちゃんがむすっと不機嫌そうに頬を膨らませた。
「だって⋯⋯私がいつまでも塞ぎ込んでたら、ノイルさんが罪悪感を感じちゃうじゃないですか。だから愛し合おうと⋯⋯」
だからの後がちょっと何を言っているのかわからない。
しかしそこまでわかってくれているのに、何故魔法士ちゃんは暴走してしまうのだろうか。
いや、それでこそ魔法士ちゃんか。
そう思いながら、僕は立ち上がる。
「ふぅ⋯⋯ん?」
ぱんぱんと身体を払っていると、皆が僕をじっと見ている事に気づいた。正確には、身体を払っていた右腕を。
しまったな、慣れで右腕を使ってしまったが【
僕がやりたいからやった事だし、アリスの件もあったから本当に気に病む必要はないのだが⋯⋯。
それに腕を失ったのは僕がヘマをしたからだ。アリスとミーナは疲弊しきっていたし、ソフィは距離が離れていた。唯一どうにかできた僕がちょっと失敗しただけだろう。
かといって皆に気にしないでと言った所で気休めにはならないはずだ。
ならば僕のやるべき事は――
「ありがとう、今回も皆のおかげで助かったよ」
力を貸してくれた皆へ、いつも通り感謝を伝える事だ。ただ、いつも通り。
僕が笑みを浮かべると、皆は一度顔を見合わせどこか仕方なさそうに笑みを返してくれる。
「ゔぁぁぁああああああノイルぅううううううううあばぁぁあああああ」
ただ一人、狩人ちゃんだけは号泣しながら僕の腰の辺りに抱き着いてきたが。
途端、魔法士ちゃんが眉を吊り上げ動き出そうとしたが、変革者、守護者さん、癒し手さんに再び押さえつけられる。
「離して、ください⋯⋯! 何で狩人ちゃんは止めないんですか!!」
「あの子は子供だからいいのよ」
「ああ」
「狩人は問題ないよ」
「あぶああああああのいぶぁあああああああああ」
「鼻水! 狩人ちゃん! 鼻水っていうか何か色々ついてる!」
場が騒がしくなる中、馬車さんだけは我関せずとばかりに釣り糸を垂らしているのだった。
◇
飴玉を上げて狩人ちゃんを落ち着かせた後、僕らは『白の道標』によく似た建物――『六重奏』の皆の拠点へと移動した。
アリスに器を創って貰う上で、僕は皆の容姿を良く覚えて置かなければならない。
一人一人を改めて観察し少しでも記憶に残すため、僕は今皆の私室を周っていた。
私室といっても、僕の部屋に酷似した一室以外はどこもほとんど同じなのだが。
正直ここでの記憶を現実に持ち込めないため、この行為に意味があるのかは果たしてわからないが、やらないよりはましだろう。
なので僕は割と真剣なのだが⋯⋯
「さあノイルさん! 私の全てを見てください! じっくりねっとりと! 舐め回す様にみた後、舐め回してください!」
「服を脱がないでね」
この子どうしよう。
僕が入室するなり畳に叩きつけるように、勢い良く厚手のローブを魔法士ちゃんは脱ぎ捨てた。
そのままショートパンツに手をかけようとしたので、僕は努めて平静を装い慌てて彼女を止める。
そんな所までは見ないよ。
しまったな。一番厄介そうな魔法士ちゃんを一番にしてしまったのは間違いだったかな。
時間がかかりそうだぜ。
「でもノイルさん! ちゃんと見てくれないと! もし変な形になったらどう責任を⋯⋯いやそれはそれでありか⋯⋯どう責任を取ってくれるんですか!」
何か今間で呟かなかった?
というか、どこがかな?
「乳首や「あー!」です!」
あっぶねぇ。
人の心を読んだ上でなんて事を言うんだ。
何とか声を被せられたが、あっぶねぇ。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「私の「あー!」」
止めなさい。
本当に止めなさい。
変な空気になるから。
僕は魔法士ちゃんの両腕を掴んだまま、冷や汗を流していた。魔法士ちゃんは少し楽しそうな顔をしているが。
「ノイルさんは知っておくべきだと思うんですよ。感触や形や匂いや味も」
「大丈夫、大丈夫だから⋯⋯」
「それにですよ、今やっておけば器に私が移った場合ノイルさんは二度も私の初めてを――」
「よーしそこまでだこいつめ!」
「お得だと思いませんか?」
そこまでだって言ったじゃん。
何で平然と続けるのさ。
それに、そういった事はお得だとかお得じゃないとかそういう話ではないだろう。
一つ息を吐き、僕は魔法士ちゃんの両肩をぽんぽんと叩く。
「とにかく⋯⋯その辺りはアリスに任せて大丈夫だから⋯⋯」
アリスが女性で本当に良かった。それに彼女は器の創造には決して手を抜かないだろう。限りなく人体に近いものを創り上げてくれるはずだ。
魔法士ちゃんの懸念している⋯⋯部位の話は、彼女にお任せで問題ない。
馬車さんと守護者さんは⋯⋯大丈夫だよ。
僕だってもう結構な人数にノイルくんの形まで知られてるからね。大した事じゃないようん。僕らは仲間だ。
「⋯⋯ふん、どうですかね」
魔法士ちゃんが不服そうな顔でそう呟いたのに、僕は苦笑する。
そして、極めて健全に彼女の姿を記憶に刻みつけていくのだった。
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