第145話 タイムオーバー


 一人の少女が泣いていた。


 無惨に破壊された馬車、赤黒く飛び散った大量の血液。

 そこには少女の母と父のものも混ざり、両親の血で真っ赤に染め上げられた少女は、ただただ恐怖で震え上がり泣きじゃくることしかできなかった。


 自身が何をしてしまったのか、幼い彼女には理解できない。心を壊すまいとする防衛本能は、少女の頭から悲惨な記憶を消し去る事を選択していた。


「⋯⋯⋯⋯ガキ、じゃねぇか」


 右眼からだくだくと血を流す男が、やるせなさそうに頭をかきむしりながらぶっきらぼうな声を発する。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯驚嘆」


 片腕をぶらりと垂らした獣人族の男が、短く小さな声を洩らした。


「どうするよ? 素直に報告したら、研究対象か⋯⋯処分、だろうな」


「しなきゃいいだろう」


 片目の男に、初老程の女性が堂々と応えた。

 銀の髪に、赤の毛束が入り混じり、鋭い眼光を細めた彼女は、ニヤリとガラの悪い笑みを浮かべる。


「丁度、後継者を探してたところさね。可愛いガキは、アタシが拐っちまうよ」


「はっ、言うと思ったぜ」


「⋯⋯⋯⋯任せろ」


 そうして、女性はガラの悪い笑みを浮かべたまま、泣きじゃくる少女の前にかがみ込んだ。


「おぉおぉ、大丈夫だ。アンタは悪くないさ。怖かったねぇ」


 シワの寄った手で、女性はその顔つきに似合わない手付きで少女を抱きしめた。その温かさに縋るように少女は女性の背を力一杯握りしめる。

 少女の背をぽんぽんとあやすように叩きながら、女性はふっと表情を弛めた。


「この子は、アタシが育てるよ」


 そして慈しむような、優しげな笑みを溢すのだった。







「はっ⋯⋯!」


 アリス・ヘルサイトは、夢から目覚めた。

 呆然と大理石のような天井を眺めた後、飛び起きるように身体を起こす。


「⋯⋯つぅ」


 同時に痺れるような痛みが身体に奔り、顔を顰めながらも辺りを素早く見回した。


「アリス様が、お目覚めになられました」


 自分の眠っていたベッドのすぐ脇に立っていたソフィが、テーブルについていたノイル、ミーナへと声をかける。


「おはようございますアリス様、お身体の具合は如何でしょうか?」


「何が⋯⋯あった⋯⋯?」


 ソフィの質問には答えず、アリスは逆に問いかける。だが、答えを聞かずとも、駆け寄ってくるノイルとミーナの表情を見れば、何が起こってしまったのか、なんとなく理解はできた。


 ノイルは休憩所の位置をしきりに気にしていた。おそらく万が一に逃げ込む算段をつけていたのだろう。そして――万が一の事態が起こった。


 意識を失う直前の事を、アリスは思い出す。

 神獣から放たれた閃光に成すすべなく吹き飛ばされた瞬間を。


 つまり――負けたのだ。

 負けて、逃げ帰ってきた。


「どのくらい⋯⋯寝てた⋯⋯?」


 最悪の想像を頭から振り払おうと、アリスは震える声でソフィに尋ねる。

 しかし、返答はなかった。


「アリスちゃん!」


「よかった、目覚めたのね」


 ベッドの側に来たノイルとミーナが、安心したような表情を浮かべる。

 しかし、アリスはその二人の安堵に苛立ちを覚えた。


 よかった⋯⋯だ?


「アタシはッ! どれくらい寝てたッ!!」


 思わず、アリスは叫んでいた。

 そして、自分を囲む皆の表情を見て、察してしまう。

 ふらり、とアリスはベッドから下りた。治療のためか何も身に着けてはいなかったが、そんな事はどうでも良かった。


 顔を逸らすノイルの胸ぐらを、両手で掴み、怒声を上げる。


「どれくらい寝てたかって訊いてんだッ!!」


 両手は震え、知らずうちに涙がこみ上げている事に、アリスは気づかない。

 そっと、ソフィがノイルに詰め寄るアリスの肩に、毛布をかけた。


 そして――


「多分⋯⋯二日。今日は【湖の神域アリアサンクチュアリ】に入って、五日目だ」


 ノイルの言葉に、アリスの全身からは力が抜ける。


 五日、目⋯⋯?


 ぐるぐると、アリスの頭を理解したくない言葉が巡り、彼女はその場にへたりと座り込んだ。


 呆然と、虚ろな瞳で虚空を見つめながら、アリスは何もかも、終わってしまった事を悟った。

 もうどう足掻いても間に合わない。


 既に今日は、星湖祭の日であった。







「リミット、だ」


 辺りに何もない平原で、グレイ・アーレンスは紫煙を吐き出しながら小さな声で呟いた。


「ま、元々俺は反対だったが⋯⋯一応ギリギリまで待ったぜ、アリスちゃん」


 言いながら、グレイは携帯灰皿に煙草を入れ、蓋をするとポケットにしまう。

 彼はアリス・ヘルサイトと、ある約束を交わしていた。


 それは、星湖祭の日までは、ロゥリィ・ヘルサイトを『延長時間オーバータイム』の中から出さないという約束。


 しかし、アリスは戻れなかった。


 ならば、もはやグレイはやり残した仕事を遂げるだけである。


「結界は?」


「既に」


「うしっ! んじゃまあ、始めっとすっか」


 グレイは傍らに立つ自らの相棒とも呼ぶべき存在、『沈黙の猫サイレントキャット』に確認を取り、大きく伸びをする。


「しっかしあれだな⋯⋯まさかお前が四人を連れてくるとは思ってなかったぜ」


「助っ人さ。頼もしいメンバーだろ?」


 そして振り向き、二号へと苦笑する。

 両手を広げた彼女の後ろには、シアラ、フィオナ、ノエル、テセアの四人が立っていた。


「ちげぇねぇ、でもテセアは危ねえから下がってろよ?」


「⋯⋯⋯⋯私は?」


「シアラは⋯⋯力を試してぇって目してんじゃねぇか」


「⋯⋯⋯⋯まあ、けど、扱いの違いに、絆は減った。縁を切る可能性も、なきにしもあらず」


「父さん泣くよ?」


「あはは⋯⋯」


 二人のやり取りに、テセアが苦笑する。


「ノエルちゃんもフィオナちゃんも、マジで危ねえぞ?」


「大丈夫ですお義父さん。心配ありがとうございます」


「家族のためですから、お父様」


 まだ、父親じゃねえんだが⋯⋯。


 そう思いながら、グレイはぼりぼりと頭をかいた。

 一体ノイルはどうするつもりなのかと一瞬だけ考え、どうでもいいかと直ぐに思考を投げ出す。

 息子の事は、息子が考えればいい。


 酷く適当な結論を出したグレイは、側に立つもう一人の男へと視線を向けた。


「アリスちゃんが心配か?」


「いや⋯⋯そうだが⋯⋯今はやるべきことに集中する」


 スーツ姿の一号は、サングラスを指で上げ、呟くようにグレイに応える。

 義理堅い男だ、とグレイは笑った。


 一号は『曲芸団サーカス』のメンバーではない。たまたま二十年前のあの日、同じ依頼を受けただけの間柄だ。実力も『曲芸団』には遠く及ばない。

 しかしそれでも彼は、二十年前のあの日からアリスを見守り続けて来た。

 二号――かつてグレイが愛した者と共に。


「回復は、私に任せてくださいね」


「おう! 前回はミントが居なくて大変だったからなぁ」


「心強いが、無理をするなよ?」


 やや離れた位置に立つミントが穏やかな声をかけると、グレイがにかっと笑い片手を上げて応え、『沈黙の猫』が妻の身を案ずるような視線を向ける。


「心配性だな、なーくん」


「その呼び方は妻だけのものだ」


「だっはっはっはっ!」


 『沈黙の猫』の肩に手を置いて、グレイは大笑いし、そしてばんばんと背中を叩いた。


「わかったよ。やろうぜナクリ・・・


「ああ、グレイ」


 『狂犬マッドドッグ』――グレイ・アーレンスと、『沈黙の猫』――ナクリ・キャラット。かつて王都を騒がせた悪友の二人はにやりと笑みを交わした。


「さて、と」


 グレイは平原に置かれた揺り籠のような魔導具――『延長時間』へと歩み寄る。アリス・ヘルサイトの屋敷から二号が運び出したものであり、当然ながら中ではロゥリィ・ヘルサイトが眠りについていた。


「あー、どうすんだこりゃ⋯⋯」


 ぼやきながらグレイは『延長時間』を弄くり回し――


「おっ」


 ガラスのような膜が中央から二つに分かれ、ロゥリィの身体が外気に晒された。

 『曲芸団』の皆が、一度彼女の元へと集まってくる。


 グレイは煙草とライターを取り出し、キィンという高く澄んだ音を鳴らして火をつけた。

 その音に反応したのか、閉じていたロゥリィの瞳がゆっくりと開く。


「⋯⋯⋯⋯ああ、アンタら、か⋯⋯」


 嗄れ、掠れた声を発したロゥリィは弱々しいながらもガラの悪い笑みを浮かべた。


「悪ぃなババア、最期に見るのが俺たちの顔でよ。ほら」


 グレイはそう言いながら、火をつけた煙草をロゥリィの口元へと運び、咥えさせた。

 もはや手の上がらない彼女の代わりに、手を添え、ロゥリィに煙を吸わせる。

 彼の持っている煙草は普段吸っているものではなく、往年ロゥリィが好んでいたものとなっていた。


「ごほ⋯⋯こほ⋯⋯ああ、こいつぁいい⋯⋯」


 咳き込みながらも、ロゥリィは煙草を味わい、満足そうな表情となる。


「残念ながらアリスちゃんは居ねぇんだ」


「⋯⋯かまわない、さ⋯⋯あの子とは⋯⋯もう充分⋯⋯過ごした⋯⋯満足さね⋯⋯それに、見せない、で済むなら⋯⋯それに越し、たこたぁ⋯⋯ない」


 敢えてアリスが今危険な場所に居ることは伝えず、グレイが悪ガキのような顔で笑うと、ロゥリィは全て察しているかのようにぽつぽつと呟いた。


「どう、しようもない⋯⋯ガキ、だったよ⋯⋯最後まで⋯⋯あんな、箱を開けるのを⋯⋯躊躇ってねぇ・・・・・・⋯⋯」


 『曲芸団』の皆は、微笑みながらかつての仲間の言葉を聞いていた。


「おかげで⋯⋯余計に、長生きしち、まった⋯⋯⋯⋯アタシも、馬鹿さねぇ⋯⋯こほっ⋯⋯ごほ⋯⋯」


 添えられた煙草を吸いながら、ロゥリィは今までの人生を懐かしむような瞳を、晴れ渡る紺碧の空に向ける。


「ああ⋯⋯きれいな⋯⋯色だ⋯⋯あの子の⋯⋯髪と瞳の、いろ⋯⋯可愛い、可愛い⋯⋯アリスちゃん⋯⋯」


 ふっと、ロゥリィは瞳を閉じる。


「最高さね⋯⋯アンタ、たちにも⋯⋯会えて⋯⋯アタシは⋯⋯もう、まん、ぞくだ⋯⋯」


「おうババア、ゆっくり眠れ。死んだらまた会おうぜ」


「世話になった。本当にな」


「ロゥリィさん、貴女に会えて、私は幸せでした」


「ロゥリィ、あんたはいつまでも、私らの仲間だよ」


 かつての友人たちが、眠りにつくロゥリィへと声をかける。

 それを穏やかな表情で聞きながら、彼女はゆっくりと紫煙を吐き出した。


「あばよ⋯⋯最高の、仲間ばかども⋯⋯あとは⋯⋯たの、むよ⋯⋯」


 それが、ロゥリィの最期の言葉だった。


 微笑みながら、彼女の最期を見届けたグレイたちは、ゆっくりとその場を離れる。


「ぐす⋯⋯ロゥリィさん⋯⋯」


「お前が泣くのかよ」


 サングラスをずらし目元を拭う一号を見たグレイが、呆れたように笑った。

 そしてロゥリィが吸っていた煙草を携帯灰皿へと落とし、ポケットにしまうと空を見上げる。


「さーて! 来るぞお前らッ!」


 声を張り上げたグレイは振り向き、にかっと笑った。


魔装マギス――《狂戦士バーサーカー》!!」


 彼の身体を黒紫の禍々しい鎧が包み込む。

 それはどこか――ノイル・アーレンスの《白の王ホワイトロード》、シアラ・アーレンスの《魔女を狩る者ウィッチハンター》を掛け合わせたような姿であった。


 身の丈程もある無骨な剣を背から取り、彼は肩に担ぐ。


 瞬間――ロゥリィの身体から黒い靄が噴出した。


 それは、彼女が魔導具により身体に封じ込めていた――魔導具。

 かつて、アリス・ヘルサイトが創り出し、グレイの片目を奪った存在であった。


 ロゥリィの死と共に解放されたそれは、真っ先に穏やかな表情で眠る彼女へと手の形となった靄を伸ばす。


 それを――グレイが神速の剣戟で払い、黒き靄を吹き飛ばした。


「ババアに手ぇ出したら、殺すぞ」


 彼は『延長時間』を抱きかかえ、後方に跳び退る。

 地にゆっくりとロゥリィを下ろしたグレイの元へと一号が駆け寄った。


「後は任せろ。次こそは守り抜く」


「おう」


「魔装――《双璧》」


 一号の両手に、分厚く堅牢そうな彼の身の丈程の盾が出現し、それを確認したグレイは後を任せて前へと出た。


「雪辱を果たす」


「無理しないようにね。《救いの杖ヒーリングロッド》」


 ナクリが腰から剣を引き抜き、片足を引いて切っ先を黒き靄に向け、ミントが白き杖を手元に出現させる。


「アンタ達、出番だよ」


 二号がサングラスを外し、にやりと笑った。


「《魔女を狩る者ウィッチハンター》、バトルドレス」


「《披露宴ウェディング》」


「《天翔ける魔女ヘブンズウィッチ》」


 漆黒の鎧をあたかもドレスの様に纏ったシアラが、白と紅の入り混じったウェディングドレスを着たノエルが、周囲に風を纏い銀翼を生やしたフィオナが、彼女の前へと踊り出た。


「私は、《解析アナライズ》でサポートするね。頑張って!」


 そして、眼鏡をかけたテセアが控え目に二号の後ろから声援を送る。


「おう⋯⋯おっかねぇなぁ⋯⋯ノイルも大変だなこりゃ」


 グレイがぼりぼりと、鎧の兜をかいた後、改めて黒き靄へと視線を戻す。


「あ、りす⋯⋯ちゃ、ん⋯⋯と、も、だ⋯⋯ち⋯⋯あ、り、す⋯⋯」


 黒き靄は、まるで人の様な形を取り、身の毛のよだつ様な声で、ぶつぶつと呟いていた。


「⋯⋯お前は、アリスちゃんの友達にはなれねぇよ」


 グレイは大剣の切っ先を黒き靄に向ける。


「あの子を泣かすような奴だからなッ!」


 叫び、グレイはかつて敗北した相手に向かい地を蹴るのだった。

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