第130話 違和感
「これでよしっと」
部屋に備え付けられた化粧台に向かい、切ったばかりの髪を整えていたフィオナは、満足そうな笑みを浮かべて立ち上がり僕へと振り返った。
「どうですか? 先輩っ!」
すっかり短くなってしまった空色の髪は、サイドの一部が幅広の黒いリボンと共に編み込まれていた。
「いいと思うけど、何で黒にしたの?」
女性らしく可愛らしいとは思うのだが、どうせならもっと明るい色のリボンにしたほうがいいのではないだろうか。いや、黒でも十分似合うけども。
「先輩の髪の色と同じですから」
「あ、はい」
「これなら、私と先輩が常に混じってるみたいですよね!」
「あ、はい」
訊かなきゃよかったなぁ。
別に黒髪なんて普通に僕以外にも居るし、そうはならないと思うけどなぁ。
僕は自分の髪を指先で摘みながら、染めたらリボンの色も変わるのだろうかなどと考えてしまう。
しかし⋯⋯目立つようになっちゃったな《
フィオナの後ろ姿の映った鏡を見ながらそう思う。今ままでは長い髪で隠れていたが、うなじがはっきりと見える程に短くなったことで、《愛》はこれまでよりその存在を主張していた。
せめてもう少しファッションだと思えるデザインならいいのだが、下手をすれば一般家庭のペットの方がお洒落な首輪をつけている。
どうにかならないだろうか。
どうにもならないだろうな。
「さて、それじゃあ先輩っ。私に命令してください」
「何で?」
ほらね。
フィオナは喜色満面といった様子で、当然のように僕にそう言ってくる。
「私は先輩の所有物ですから」
わっかんないなぁ。
これ、何を言ったらいいのかもうわかんないなぁ。フィオナが何を求めてるのか全然わかんないよこれ。
僕らは果たして会話が出来ているのだろうか。
「⋯⋯そう、じゃあ自由に生きて」
とりあえず、僕はそう言っておいた。
すると、フィオナは益々瞳を輝かせる。
眩しいなぁ。きらっきらしてるもん。
「はい! 一生先輩を愛します!」
そうなっちゃうかぁ。
やっぱり僕は地獄に落ちるんだろうな。
「先輩、私は先輩なら、必ず【
しないよ? 必ず帰ってくるつもりではあるけど、そんなことはしないよ?
怖いこと言わないで。
フィオナは胸に両手を当てながら一歩僕へと距離を詰めてくる。僕は一歩後ろへと後退った。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
そのまま無言でフィオナはまた一歩距離を詰めて来たので、僕も後ろに下がる。
そうして、何度か同じやり取りをした結果、僕はいつの間にか壁に背をつけていた。
フィオナが笑みを浮かべ、僕は視線を逸らす。
「ですから、私は先輩の帰りを待っている間、自分を磨き直します」
「そう⋯⋯無理しなくていいからね」
「先輩のためなら、どんな事でも無理とは思いません」
「あ、はい」
フィオナが距離を詰め、壁に背を預ける僕の目と鼻の先で止まった。汗がだらだらと流れてくる。フィオナが僕の胸に手を当てた。
「次からは、私は先輩の側を離れません。絶対に」
そのままフィオナは、僕の胸に寄りかかり、一度目を閉じて静かに深呼吸をする。
しばしの間そうしていたフィオナは、やがて目を開けて僕からゆっくりと離れた。
僕は内心ほっと胸を撫でおろす。
「それじゃあ、行ってきますね」
「え、どこか行くの?」
「あの二人に、遅れを取るわけにはいきませんから」
フィオナは自信に溢れた艶やかな笑みで答え、僕へと背を向けた。あの二人とは、シアラとノエルの事だろうか。
彼女は部屋の入り口まで歩き、そこで一度僕へと振り返った。
「愛しています。先輩」
そう言って微笑むと、フィオナは部屋を出ていった。
彼女の居なくなった部屋で、僕は一度息を吐き出し、頭をかく。
窓からは夕陽が差し込んでおり、間もなく夜となるだろう。
とりあえずフィオナはもう大丈夫そうだ。
いや、大丈夫ではないが大丈夫そうだ。
なら、彼女について悩むのはまた今度にしよう。今は明日の事を考えなければならない。
一先ず、今夜はここに泊めてもらうことになっているので、お風呂を借りるとしよう。
僕はフィオナの涙をたっぷりと吸った自分の服を見ながらそう思い、部屋を後にするのだった。
◇
「なあクライス兄ぃ⋯⋯湯に浸かれよ」
『
僕の隣で入浴しているレット君が、半目でそう言った。
視線は何故か僕らの正面で湯に浸からず浴槽の縁に腰かけ、大股を開いているクライスさんに向けられている。
もちろんタオル等で隠してはいないため、全開となった彼の股の間の立派なモノと僕らを隔てるものは何もない。
いや男同士だし、別に気にする必要はないのだが、こうも見せつけられているようでは嫌でも気になってしまう。
しかも、僕はクライスさんがどちらでもイケる事を知っているので、余計に気になってしまう。身の危険を感じてしまうのだ。多分僕とレット君は、お互いにいざとなればお互いを犠牲にしようと考えている。
「いや、俺はここでいいよ」
クライスさんが音が聞こえてきそうな勢いで僕らへとウィンクを飛ばし、僕とレット君は潜水してそれを躱した。
「ハッハッハッ!」
再び湯面に顔を出し、顔を拭う僕らを見て、クライスさんは白い歯を輝かせながら爽やかな笑い声を上げる。
一人膝をパァンッ! と叩きながら笑う彼を、僕とレット君は冷めた目で見ていた。
股の間のモノが大きく揺れている。
「はぁ⋯⋯マジで変な気は起こすなよクライス兄ぃ」
「心配性だなぁレットは。そんなことはしないさぁ!」
レット君が濡れた髪をかきあげながら疲れたように言うと、クライスさんは何故か脚を開いたり閉じたりしながら応える。この人は、どこまでが冗談でどこまでが本気なのだろうか。
「ああ、心配と言えば、彼女のことはもう大丈夫なのかい? マイフレンド」
クライスさんは僕へと脚を開き、そう尋ねてきた。本当にふざけているのか真剣なのかわかりづらい人だ。
彼が訊いているのはフィオナのことだろうが、真面目に答えるべきなのかわからない。せめて脚を閉じてくれ。
「⋯⋯元気には、なったみたいです」
「んー、それは何よりだねぇ」
「でも⋯⋯」
「あん? どうした?」
レット君がクライスさんに手でお湯を飛ばしながら横目で尋ねてくる。股間にお湯が直撃しているが、クライスさんは全く動じる様子はなかった。
「いや、あれで良かったのかなってさ⋯⋯」
「何やったか知らねぇけど、元気になったんならいいんじゃねぇの?」
「⋯⋯僕、地獄に落ちると思うんだよね」
お湯を飛ばすのをやめ、レット君は僕の肩に手を置いて頭を振る。
「それは違うぞノイルん。そうはならねぇ」
「そうかな⋯⋯」
肩に手を置いたまま、レット君は大きく頷いた。
「ああ、ノイルんはもう地獄に居るからな」
「やめてよ」
僕が真顔でそう言うと、レット君は快活な笑みを浮かべ、頭の後ろで手を組んだ。
「まあ安心しろって、どこ行こうが付き合うからよ」
「⋯⋯そっか、ありがとう」
レット君って結構僕を見捨てるよね。そうは思ったが、お互い様なので素直に感謝しておく。マブダチとはいいものだと思った。
「んもちろん! 俺もさぁっ!」
クライスさんが自分の膝をまるでボンゴのように叩き、軽快なリズムを刻みながら白い歯を輝かせ、軽快なリズムで揺れる股のモノにレット君が再びお湯を飛ばすのだった。
◇
お風呂と夕飯を済ませた後、僕はエルの部屋へと向かった。
明らかに様子のおかしいアリスちゃんの事を聞き出すためだ。
しかし、部屋の前で僕はノックするのを若干躊躇っていた。やはり店長についてきてもらえばよかったかもしれない。だが、何やらソフィが熱心な様子で店長と話していたため、邪魔をするのも悪いかと結局一人でここまで来てしまった。
まあ、そもそもアリスちゃんのおそらくプライベートな話を聞こうとしているのだから、一人で来たのは間違いではないだろう。
僕は覚悟を決めて、部屋の扉をたた――
「どうぞ、入ってくれノイル」
まだ叩いてない。
まだノックしようとしただけだよ。
なのに何で返事が返ってくるんだろう。
気が早いよ。
僕は一つ息を吐き、思い切って部屋の扉を開いて中に入った。
「この部屋燃やさない?」
そして、思わずそんな言葉が口から漏れた。
エルの部屋は相変わらず僕の人形で埋め尽くされており、物凄く不気味だ。どこを見ても僕が見返してくる。軽くホラーでしかないその部屋で、木製の丸テーブルにつき、エルは優雅にお茶を飲んでいた。
「ああ、今すぐボクらの愛で燃え上がらせたいところだが、明日に差し支えるからね。非常に惜しいが今夜は止めておこう」
違う。違うよエル。
僕は物理的に焼却しようって言ったんだよ。
まあ⋯⋯流石にそれ程過激な事はしないけど、そのくらいこの部屋は居心地が悪い。エルには申し訳ないが、発狂しそうになる。
「キミがここに来た理由は、大体わかっているよ。アリスのことだろう? 確かに、キミも知っておくべきだ」
薄いワンピースの寝衣姿であるエルは、そう言いながら手招きする。誘われるがままに僕は彼女の正面に座った。
流石はエルといったところだろう。察してくれていたのなら話は早い。僕がこの部屋をどう思っているのかも察してくれないかな。
エルは座った僕を満足そうな笑みで迎えると、何やら可愛らしいリボンを取り出し自分の頭にのせる。
「それはそうと、スライム美容液のお礼を考えていたんだが、ボク自身がお礼というのはどうかな?」
「真面目な話をしようか」
「考えておいてくれ」
んー、却下かなぁ。
というか、お礼なんてしなくていいよ。そもそもスライム美容液が皆へのお礼なんだから。お礼のお礼を受け取っていたら延々に終わらないよ。
エルはくすくすと笑いながらリボンをしまうと、片手を上げた。
すると、ふわふわとティーポットとカップがテーブルに浮いてきて、お茶を注ぎ始める。僕の前にお茶が共されると、彼女は手をおろし、ティーポットは近くの木製のワゴンの上にふわりと置かれた。
便利なものだと僕は感心しながら、湯気のたつカップをじっと見つめる。
果たして、これを飲んでもいいのだろうか。エルには怪しげな蝋燭の前科がある。部屋に二人きりの状況で彼女に出された物を口に入れるのは躊躇われた。
「大丈夫。何も入れてはいないよ」
「あ、はい」
普通はそうなんだけどね。
そんな風にだめ押されること自体おかしいんだけどね。
まあ、先程エル自身が言っていた通り、今夜は何かする気はないのだろう。エルは少々おかしいが聡明な人だ。明日のことも考えず、変な気を起こしたりはしない。
それでも僕は恐る恐るカップを口へと運んだ。爽やかなハーブの薫りが鼻を抜け、ほんのりとした甘さが口の中に広がる。思わずほっと息を吐いた。疲労が抜け落ちていくようだ。
「さて、キミとはいつまでも話していたいところだが、今夜は早々に休んだほうがいいだろう。本題に入ろうか」
エルも一度お茶で口を湿らすと、微笑を浮かべながら話を始めた。
「アリスがこれ程までにマナストーンに拘っている理由は、彼女の師、そして育ての親である初代『
「課題?」
「ロゥリィさんの創った魔導具の箱を、同じく魔導具で開けるという課題だね。アリスはより上質なマナストーンを使用することで、箱を開けようとしているのだと思う」
エルは簡潔にわかりやすく、アリスの事情を話してくれた。
「でも、こんなに焦らなくても⋯⋯」
「ロゥリィ――アリスのお婆様、いや母親なのかな⋯⋯彼女の命はね、今まさに尽きようとしているんだよ」
憂いを帯びた表情を、エルは僕に向ける。
「自身の創った魔導具により延命してはいるが、次の星湖祭の日に、マナは尽きる」
「次の星湖祭って⋯⋯」
「今日を含めて六日⋯⋯実質あと五日の命だということだね。アリスは『
「だから、急いでマナストーンを取りに行こうとしてるわけか⋯⋯」
「うん、マナストーンを手に入れ、それから魔導具を創るのにも時間がかかる。最低でも一日、二日は欲しいところだろう」
「だとしたら、アリスちゃんに残された時間は――」
「三日程度。アリス自身も、三日以内での攻略を目指すと言っていただろう?」
確かに、先程の会議の際にアリスちゃんはそう言っており、店長は楽しげに同意し、『精霊の風』の皆は難しい顔をしていた。
「制限つきの採掘跡が短期間で攻略できるものだとしても、ランクS、加えてなんの情報もない【湖の神域】を三日以内で攻略できるのかは、ボクにもわからない。もちろん慎重になりすぎて危険な採掘跡内に長く留まるのも逆に危険だが、勇み足に進みすぎれば、取り返しのつかない致命的なミスを犯す可能性は跳ね上がる。理想的なのは、自分たちに可能な範囲で迅速に歩みを進めることだ。だが、今のアリスは間に合いそうになくなった時、暴走してしまうかもしれない。だから――」
違和感。何か違和感がある。
アリスちゃんが、初代『創造者』――ロゥリィさんが生きている内に課題を達成したいから焦っている、というのは何か違和感がある気がする。
理由としては納得はできる。
アリスちゃんにとってロゥリィさんが大切な人であり、プライドも高い彼女ならば、生きている内に課題を見事達成した姿を見せたい、という気持ちはおかしくはない。
けれど、何か――ズレがある気がするのだ。
何だろう、何かはわからない。
プライドが高いのに、より上質なマナストーンに頼ろうとしている歪さだろうか。
そもそも既にあまり時間がなかったにも関わらず、『浮遊都市』に何故アリスちゃんは潜入しようとした?
魔導具の箱を開ける手がかりを得ようとしたのか?
『浮遊都市』という『神具』から何かを学ぼうとした? それは少しおかしい気がする。
何故、ろくに実態の掴めていない『浮遊都市』を参考にしようとした?
たまたまタイミングが良かったから、打つ手がなくなり藁にもすがる思いだったのか?
全くの空振りに終わるかもしれないのに、あまりにもリスクが高く、無駄に時間を費やす可能性があるような選択を、アリスちゃんがするのか⋯⋯?
創人族としての好奇心ならばまだ理解はできたが、他に関心ごとがある状態でプラスになるかもわからない『浮遊都市』にわざわざ出向いたというのが、どうにもアリスちゃんと繋がらない。
ハイリスクでリターンが不明の行動を、彼女は取るだろうか。それこそ、無駄な選択が許されない程に時間のない状況で、だ。
たとえば、今回だってかなり無茶ではあるが、マナストーンという確実な見返りは期待できる。
アリスちゃんの行動は無茶でも無謀でも、その先に確かな利益を見据えているはずだ。
参考にできる
だとすれば――『浮遊都市』にはアリスちゃんが確実に参考にできるであろう、何かがあったのではないか?
ただ、実際に『浮遊都市』の内部を見たからだろうか、そこが今の彼女の行動と繋がらない。
確かに『浮遊都市』は別格の『神具』だった。
しかし、魔導具の箱を開ける、という課題の参考になるようなものがあったとは思えない。
あそこにあったのは――
「ノイル?」
「え?」
「大丈夫かい?」
エルに心配そうに声をかけられ、僕は自分がいつの間にか深く思考に没頭していた事に気づいた。
「ああうん、大丈夫だよ。ごめん」
「⋯⋯こちらこそすまない。邪魔をしてしまったようだね」
「え? いや、気にしないで」
何故かしょんぼりと肩を落としたエルに、僕は慌ててそう言った。勝手に考え込み過ぎた僕が悪い。所詮何か微妙な違和感がある程度の事に過ぎない。
ここで重要なのは、今のアリスちゃんは危うい状態だということなのだから。
まあしかし⋯⋯こうなってくると父さんとロゥリィさんの関係なんかも気になってくるな。
考えることは多い。でも、それは【湖の神域】を無事攻略してから考えることにしよう。
それからでも、遅くはないはずだ。
「エル、明日は頼りにしてるから」
だから僕は、未だしょんぼりとした様子のエルへと笑顔を向けた。
「ああ、任せてくれ。帰ったら子作りをしよう」
そして、返ってきた花咲くような笑顔とおかしな言葉に、笑顔を引き攣らせるのだった。
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