第115話 名探偵の姐さん


「くぁ〜こりゃ最高だなぁおい」


 『精霊の風スピリットウィンド』のパーティハウス、その大浴場で広々とした浴槽に浸かりながら父さんが気持ち良さそうに声を上げる。

 浴槽のへりに両手を広げ、大きく脚を伸ばし、実に快適そうだ。

 一方の僕はその隣で膝を抱えて湯に浸かりながら、何故こんな事になってしまったのかと、真剣に悩んでいた。


 まず、今日は一日父さんに付き合わされた。何の目的もなくぶらぶらと王都を巡り歩き、僕の貴重な時間は浪費された。いや、別に父さんが嫌いなわけではないのだ。嫌いなわけではないのだが、このおっさんはちょっと濃すぎる。一時間も一緒に過ごしていれば、僕のような人間は胸焼けを起こすレベルだ。久しぶりに会ったというのに、僕はもう辟易とし始めていた。

 シアラとテセアが一緒でなかったら、僕は父さんがトイレにでも行っている間に静かに帰っていただろう。


 家族水入らずということで皆も気を遣ってくれたのか、いつもは何処へ行こうが絶対に付いてこようとするフィオナも、今日は大人しく『白の道標ホワイトロード』で待っていてくれた。出掛ける際、勝ち誇ったような笑み浮かべるシアラに女の子がしてはいけない顔をしていた気がするが、きっと見間違いだろう。


 そうして、夕刻頃に『白の道標』に戻ると、昨日購入した大量の荷物が届いていたのだ。その中からこっそり用意したスライム美容液を皆にプレゼントしたまでは良かったのだが⋯⋯同時にエルが壊れた。


 自分の分はないと勘違いしてしまった彼女は、ここぞとばかりに有頂天な様子で煽りに煽るフィオナにすら何の反応も示さず、ソフィに支えられたままぶつぶつと聞くもおぞましい事をひたすら早口で呟いていたので、僕は慌ててエルの分は『精霊の風』のパーティハウスに送ったと伝えたのだ。

 すると、途端に彼女は花の咲くような、実に美しい笑みを浮かべた。怖かった。


 そして、大変上機嫌にお礼にと大浴場を貸してくれ――今に至る。


 なるほど⋯⋯大体僕のせいか。


 まあ正直『白の道標』のお風呂を代わる代わる使うのと比べたら非常に助かるのだが、昨日の今日でここには来たくなかったというのが本音である。

 断りたかったが、上手く断る理由が何も思いつかなかった。最悪なのは、僕と父さんだけではなく皆ぞろぞろとついてきた事だ。僕は内心気が気でなかった。


 エルは泊まってくれてもいい、むしろそうしてくれと言っていたが、お風呂から上がり次第すぐさま退散しなければならない。


 ミーナは未だ部屋に閉じこもっているらしく、彼女が痕跡も消してくれたのかエルにはバレていないようだが、長居はするべきではないだろう。というより、色々と思い出してしまいそうなので、したくない。

 これ以上彼女に迷惑をかけるような事もしたくない。


 隣で暢気に鼻歌を歌い始めたおっさんは放っておいて、僕はもう上がるとしよう。


「ところでノイル、もう解決の目処は立ってるらしいけどよ――身体は大丈夫か?」


「え?」


 立ち上がろうとした瞬間、ふいにそんな事を尋ねられた。入浴中でも外さない眼帯をつけた横顔を、思わずじっと見てしまう。

 やはり⋯⋯父さんは――


「⋯⋯⋯⋯気づいてたんだ」


「そりゃな。シアラが家に来た日、突然ぶっ倒れたお前を誰が背負って帰ったと思ってんだ? あの日からしばらく病気でもねぇのに寝込みやがってよぉ、ようやく起き上がれるようになったかと思えば、妙に弱っちぃ奴になっちまってたからなぁ」


 こちらを見ないまま、父さんは楽しげに話を続ける。


「まさか自分の中に別人を、それも複数人宿してやがったとはな。流石の俺でも驚いたぜ。原因がわからねぇわけだ」


 父さんは「んでよ」と、天井を見上げた。


「大丈夫か?」


「大丈夫」


「潰れちまわねぇか?」


「むしろ、支えてもらってる」


「いい奴らなんだな」


「父さんよりもね」


 お互いの顔を見ることなく、僕らは会話を交わし、父さんは「そうか」と満足げな声で呟いた。そして、何故か突然勢いよく立ち上がる。僕は思いっきり水飛沫を浴びた。


「なら、礼を言っとかねぇとな!」


「ちゃんと服着てる時にしなよ」


 ぽたぽたと髪から水滴を垂らしながら半目でそう言うと、父さんは再び豪快に湯に浸かる。当然僕は再び水飛沫を被ることとなった。このおっさんどうしてやろうか。


「それもそうだな!」


 にかっと笑うおっさんに応えず僕は手で顔を拭い、びしょ濡れになった髪をかきあげる。


「⋯⋯もしかしてさ、魔導学園に僕を送り出したのって、それが目的だった?」


 訊かなくとも、もうなんとなくわかってはいた。魔導学園に入学させた本当の目的は、僕の異常の原因を突き止めるためだったのだろうということは。

 しかし、いくら世界有数の研究機関でもある魔導学園とはいえ『神具』によって複数人の魂を身体に宿したなど、解明できるはずもない。

 もしかしたら父さんは、ずっと心配してくれていたのかも――


「いや? 違うぞ」


 うん、あ、そう⋯⋯。

 ちょっと柄にもなくしんみりしてた気持ち返してもらっていい?

 何言ってんだこいつ? みたいな目で見ないでもらえる? 死にたくなるから。


「お前とシアラがくっつきそうだったからなぁ⋯⋯正直仲が良すぎて父さん引いてたんだわ」


「何言ってんだこいつ」


 顎に手を当てて眉を顰めている父さんに、今度は僕がそういう目を向ける番だった。


「いやまあ、血は繋がってねぇし別にいいとは思うんだけどよぉ⋯⋯」


「いいわけないだろ」


 あんた父親だろうが。


「お互いに、もっと広い世界を見てみるべきだと思ってな。お前なんかより良い男はごろごろ居るわけだし、騙されてるみてぇで可愛い可愛いシアラが不憫に思えてよ」


「⋯⋯⋯⋯」


「お前、邪魔だったんだよなぁ⋯⋯ま、結局シアラは可哀想なことに⋯⋯ん? おいどうしたノイル? もう出るのか? おーい」


 僕は頭のおかしいおっさんを一人残して、無言で大浴場を後にする。

 後ろから何か聞こえていたが、振り向くことはなかった。


 身体をタオルで拭き、脱衣所に入る。


「⋯⋯⋯⋯」


 すると、そこには何故か僕の服を袋に詰めているソフィが居た。

 僕は肩にかけていたタオルを手に取り、とりあえずノイルくんを隠す。

 この子は⋯⋯何をやっているんでしょうか。


 ソフィは僕が大浴場から出てきた事に気づくと、一度ぺこりと頭を下げ、再び僕の服を流れるような手つきで袋に入れていく。


「随分とお早いのですね。湯加減はいかがでしたでしょうか?」


「良かったよ⋯⋯何やってるの?」


「だ⋯⋯ノイル様の衣服を回収しています」


「何で?」


「ご心配なく。新しい物をこちらでご用意しておりますので」


「そっか、ありが⋯⋯何で?」


 僕ちゃんと着替え持ってきたよ?

 新しい服準備する必要ないよ?

 何で持ってきた着替えも別の袋に詰めるの?


 ソフィは二つの袋それぞれに、今日着ていた物と、持ってきた着替えを詰め終えるとそれを両手に抱えて脱衣カゴの置かれた棚から少し離れた位置に立った。


「マスターがご使用になられるそうなので」


「なにに⋯⋯いや、いいや⋯⋯」


 訊いてはいけない。それだけはわかる。


 僕は一つ息を吐き、諦めてソフィの用意してくれた服を着ることにした。

 棚に置かれているのは、何時もの僕の服一式だ。出掛ける際にガルフさんの服からは着替えたので、取られたのも僕の服一式だが。


 持ってきた着替えの分と二セット、そっくりそのまま入れ替えられていた。下着も含め全く同じ物が置かれていて、頭がおかしくなりそうだ。


 まあ⋯⋯あれだ、着古した服が綺麗になって良かったと思うことにしよう。

 やったぁ、新品になってるぅ。


 僕はもう一度息を吐き、服を手に取る。

 そしてまず下着から穿こうとして――


「⋯⋯⋯⋯」


「いかがなされましたか?」


 ソフィが出ていかずにじっとこちらを見ていることに気づいた。

 彼女は不思議そうに首を傾げ、僕から視線は外さない。


「いや⋯⋯」


 見てるんだ⋯⋯何で見てるんだろう⋯⋯。

 別にいいんだけどさ⋯⋯それほど見つめられていると気にしてしまう。僕は果たしてこのタオルを本当に外してもいいのだろうか。まあソフィは特段何も思っていないだろうし、既に一度ノイルさんへと成長した姿も見せてしまっているため今更なのだが⋯⋯。


 僕は腰にタオルをしっかりと巻き直し、可能な限り素早くノイルくんを露出しないように下着を穿いた。一安心し、次はズボンへと手を伸ばし――


「だ⋯⋯ノイル様」


「何?」


「昨晩は――ミーナ様とお過ごしになられたのですね」


 思わずズボンを取り落とした。

 心臓がどきりと跳ね、ばくばくと煩く鳴り始める。


「なん、で⋯⋯」


 ソフィが⋯⋯知っている?

 痕跡は、残っていなかったはずだ。あのエルですら、僕が昨夜ここを訪れたことに気づいている様子はなかったのだから。

 だとしたら、一体何故ソフィにバレた?


 服を着るのも忘れ、僕はぜんまい仕掛けの人形のように彼女の方へと顔を向けた。生きた心地がしなかった。

 ソフィは僕をじっと見つめたまま、坦々と口を開いた。


「ソフィはこの屋敷の事なら、どんなに些細な変化であろうと気づく自信があります。今朝戻った際は、少々――綺麗になりすぎていました・・・・・・・・・・・・


 衝撃を受ける僕を置き去りに、ソフィは袋を丁寧な仕草で近くの棚に置くと、何故かどこかから取り出したまるで探偵のような頭頂部にリボンがついた帽子――ディアストーカーハットを被った。そして、口にはこれまたどこかから取り出したパイプを咥える。

 最後に、またまたどこかから取り出しねえ、どうやってしまってるのそれ?

 とにかく、インバネスコートをばさりと羽織った。

 洞察力は驚異的だが、行動は意味がわからない。


「そう、まるで⋯⋯来客の痕跡を消し去ったかのように、です」


 なにそのキャラ。

 口調はいつも通り坦々としているだけに、失礼かもしれないが物凄く珍妙だ。

 僕の焦りと緊張感はもはや消し飛んでいた。

 

「この時点で、ソフィは妙だな⋯⋯と思っていました」


 ソフィは無表情のままパイプを吸って煙を吐き出すような仕草をする。もちろん、煙は出ない。ただ、フヒューという息の音がしただけだ。ねえソフィ、それ何の影響受けたの?


「マスターは気づいていませんでした。それも当然です。マスターは精霊に異常がなかったか尋ね、精霊からは異常なしとの報告を受けたのですから。屋敷の微妙な変化に気づいたのは、ソフィだけでした。ソフィ、だけだったのです」


 あ、ちょっと得意気だ。


「すぐにお伝えするべきでしたが、ソフィの勘が働いたのです。これは少し様子を見てみるべきだ、と。これが――女の勘」


 うーん⋯⋯うぅん⋯⋯。

 ソフィなりの決め顔で言われても、その言葉のチョイスは合っているのか合っていないのか⋯⋯凄くリアクションとコメントに困る。

 ソフィは大きすぎて少しズレた帽子をさっと直し、一本指を立てた。


「次の違和感は、ミーナ様でした。ミーナ様は前日の夕刻から、はつじょ⋯⋯年に一度の例の症状が出ておられました」


 気を遣えるようになったんだなぁ。ほとんど言っちゃってるけど。


「ところが、今朝になるとはつじょ⋯⋯例の症状はほとんど落ち着いていたのです。念の為にまだ部屋に籠もっておられますが、こうしてだ⋯⋯ノイル様とグレイ様を屋敷にお招きできる程に、です」


 ソフィは顎に手を当てる。


「まあお一人で鎮める事も可能――」


「ソフィ、ソフィ」


「何でしょう?」


「巻いて巻いて」


 ノリノリのところ申し訳ないけど、全部聞いてたら物凄く長くなりそうだ。湯冷めしちゃうし父さん出てきちゃう。


「かしこまりました」


 ソフィはぺこりと頭を下げると、探偵セットを手早くどこかにしまった。本当にどうなってるんだろうあれ。手品かな?


「端的に申し上げますと、ミーナ様の発情期が治まり、来客の痕跡を消した事から、昨夜その人物と性的行為に及んだ事実を隠蔽したのだと推測いたしました」


「僕だってわかったのは?」


「ミーナ様と親しい男性で、ここまで念入りに隠し通さなければならない相手、加えて今朝の提案。可能性が一番高いのはだ⋯⋯ノイル様です。確証はありませんでしたが」


「なるほど」


 僕はソフィの話を聞きながらも静かに額を床につけていた。


「事故⋯⋯だったんすよ。ソフィの姐さん」


 情けなくも、弁解を試みる。


「――ああ、わかってるよぉ。そんなとこじゃねぇかと思ってたんだぁ。頭を上げなぁ」


 すると、ソフィが物凄い棒読みだけどノリノリで僕の肩に手を置いてそういった。

 顔を上げると、しゃがみ込んだソフィは役作りなのかいつの間にか前髪をかきあげている。


「安心しなぁ、誰にも言わねぇよぉ。アタイの口から言うべき事でもねぇしなぁ」


「姐さん⋯⋯!」


「まったくぅ、愛ってやつぁ、最高に素晴らしくて、最高に厄介なもんだぜぇ」


「へへ⋯⋯」


 言っている意味がわからなかったが、僕は鼻の下を指で擦り、ソフィの姐さんに手を引かれて立ち上がったあと、訊いてみた。


「ソフィってもしかしてお芝居好き?」


「割と好きです」


 ソフィはこくりと頷きながら即答するのだった。

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