第112話 来訪者
アリスちゃんからさんざん弄り倒された後、『
「ん?」
と、同時に明らかな違和感を覚えた。
『私の箱庭』は基本的には入った時と同じ場所に出る。ならば僕はソファに座っている筈なのだが、尻の下や背に感じるのは生温くゴツゴツとした不思議と懐かしい感触。そして、昔よく嗅いだ煙草の仄かな香り――これは⋯⋯。
僕の正面では、おそらく今の僕と同じ状態になっているであろうアリスちゃんが、にこにこしたテセアの膝の上に座る形になっており、憮然とした表情を浮かべている。その左右にはドレスに着替えているノエルとフィオナ。何故着替えたのかはわからないが、どうやら僕らが中に居る間に皆移動したらしい。結果、アリスちゃんはテセアの上に出ることになったのだろう。
それはまあいいのだが⋯⋯だとしたら僕は誰に座っている?
間違いなく、僕もアリスちゃんのように誰かの膝の上に居る。恐る恐る左右を見ると、中に入った時と同じように――いや、純白のドレス姿になっている店長。そして、反対には普段着のシアラ。部屋の中に、エルとソフィの姿は見当たらない。
そもそも、彼女たちの誰かであったならば、これ程逞しい感触ではないはずだ。
一号さんならば可能性はあったが、彼は変わらず二号さんと共に正面のソファの後ろに立っている。
いや――これが誰かなど、僕は既にわかりきっている。そうであってほしくないと、辟易する事実を認めたくないだけだ。
とっくに忘れてしまった感覚だと思っていたのに、こうしていると何もかもを思い出してしまう。
一体何故、こんなところに居るんだ――
「よお、ノイル。久しぶりだな」
「帰って、父さん」
僕は後ろからかけられた懐かしい声に、げんなりとしながら振り返らずに応えるのだった。
◇
短く整えられた黒髪に、黒い瞳。
どうせ適当に選んだのであろう麻のシャツ越しでもわかる無駄に鍛えられた身体。
僕と違う精悍で野性味のある無駄に女性受けの良さそうな顔には無精髭が生え、右目は眼帯で覆われている。目尻などに皺が順調に増えている所以外は、僕の記憶と殆ど違いのないその姿。
「でかくなったなおい。まだ俺の方がでけぇし顔も俺の方が男前だが」
僕の正面のソファに腰掛けた父さん――グレイ・アーレンスは火のついていない煙草を加えたまま、にかっと男らしい笑みを浮かべた。僕は半目でそんな父さんを見る。
「何でいるの?」
「ま、気にすんな。お前はどっちかといえば母親似だからな」
「話聞けよ」
「おいおい、せっかくの再会なのに何だその態度は、反抗期かよ?」
「とっくに終わったよそんなもの。素だよ」
面倒くせぇ。本当変わらないな。
僕は自らの膝を打って尋ねてきた父さんを見て、そう思った。
一つ息を吐き、僕は改めて訊いた。
「で、何でここに居るわけ?」
いや、別に来るのは構わない。
ただ、来るなら来るで事前に連絡とかするだろう普通。僕がどれ程驚いたと思ってるんだ。適当なのはいい加減にして欲しい。僕が言えたことじゃないが。
「手紙見てねぇのか? 星湖祭が近くなったら一度王都に行くって報せてたろ」
「手紙?」
「届いてるはずなんだがなぁ」
父さんは腕を組んで不思議そうに首を傾げる。
そう言われても手紙なんて⋯⋯
「あ」
「お?」
⋯⋯⋯⋯一時期全部捨ててたな。
例のフィオナの努力が実を結んだ成果と共に、仕分けるのが面倒だからフィオナとノエル個人宛の物以外は読まずに捨ててたな。
あの中にあったのか⋯⋯?
いやだって多かったし⋯⋯。
店長には一応ちゃんと許可とってたし⋯⋯。
僕個人宛に届く手紙なんて殆どないし⋯⋯。
「見てないね⋯⋯」
「お前⋯⋯読まずに捨てやがったな?」
「そんなことより、よく僕がここに居るってわかったね」
胡乱げな目を向けられ、僕は話を逸した。
まったく、適当なのはいい加減にしてくれよ。
やれやれ、といった様子で父さんは首を振るとソファに深くもたれかかる。
めちゃくちゃくつろいでんな。自由な人だな。
それだけに留まらず、何か不満があったのか片眉を上げた父さんは、ソファに寝そべり始めた。自由が過ぎる。
僕の両隣に居るシアラとテセア以外は、皆気を遣って立ってくれているのに、一人でソファを占領し始めやがった。遠慮という言葉を知らないのかな?
横向きに寝転がった父さんは、肘をついた手で頭を支えると、僕の座ったソファの後ろに立っているフィオナへとひらひらと空いている方の手を振った。シアラとの面談でも着ていた空色のドレスを纏った彼女は、瞳を輝かせ手を振り返す。
「フィオナちゃんに聞いてたからな」
ああ⋯⋯そういえば挨拶に伺ったとか言ってたね。本当やめてほしい。
「ま、王都に個人的な用事もあったし、ついでにたまには顔でも見とくかって思ったわけだ」
「そっか、いつ帰るの? 今? お土産渡すからちょっと待って」
「ゆっくりさせろや」
「⋯⋯⋯⋯ちっ」
「ノイルはどうでもいいが可愛いシアラにそんな態度取られると俺でも泣くよ?」
シアラが舌打ちすると、父さんは縋るような目で僕らを見た。いやまあ、流石に冗談だよ。まさか家族に対してそんな酷い扱いをするわけないじゃないか。
それで、本当はいつ頃帰るのかな? 二時間後くらい?
「テセア、お前の兄はひでぇ奴だな。何なんだこいつは?」
あんたの息子だよ。
あと、何で僕だけなの? いやまあいいけどさ。
「え、えっと⋯⋯あはは」
「おい信じられるかノイル。こんなに可愛い子が俺の娘なんだぜ?」
「やかましい」
困ったように笑い頬を指で掻くテセアを見た父さんは、ばっと顔を僕に向けてそう言ってくる。
テセアは照れた様子で俯き、膝の上で手をもじもじと動かす。
「ノイル、ちょっとそこどけよ。可愛い娘二人の間に異物が挟まってんだ」
「異物じゃねぇよ」
息子だよ。
どうやら僕とアリスちゃんが『私の箱庭』の中に居た間、テセアが家族になったという話はしたらしく、父さんは予想通り何の躊躇いもなくそれを受け入れていた。「可愛い娘ができるとか、得しかねぇじゃねぇか。俺はどんな徳を積んだんだおい」とか言ってきたのが鬱陶しかった。
「ふふ⋯⋯お義父さんと、仲がいいんだね」
ノエルがくすくすと穏やかに微笑んでそう言った。おとうさんの言い方が少し引っかかるが、きっと気のせいだろう。
それよりやり取り見てなかったのかな? いやまあ⋯⋯仲は悪くはないけどさ。
あと、何でフィオナといいドレス姿なんだろう。正装しなきゃいけない用事でもあったのかな?
ノエルが身に纏っているのは赤色のドレスだ。彼女の魔装と少し似ており、薄いレース生地が各所にあしらわれ、スカートの部分は⋯⋯なんだろう、確か⋯⋯魚⋯⋯釣り⋯⋯違う、フィッシュテールという形だったか。つい昨日フィオナが服を選ぶ際に色々と語っていた中で、そんな種類もあると、多分言っていた。フィッシュだから辛うじて耳に引っかかり覚えている。
身体の前は膝上程の短さだが、後ろの部分は長い、魚の尾に似たデザインのものだ。
それにヒールを履き、レース生地の手袋をつけている。
ぐっと大人びた格好だが、本当何でそんな格好してるんだろう。
まさかこのおっさんが来てるからじゃないよね? よく見てよ。このおっさん適当な麻のシャツに適当なズボンだよ。
「あ、煙草吸っていい?」
ほらただのおっさんじゃん。
「構わぬぞ、別にここは禁煙ではないからのぅ。灰皿もあるぞ」
父さんもといおっさんに、店長が微笑んで鷹揚に頷いた。
店長も店長で、あなたそんなドレス持ってたのね。
店長のドレスは、真っ白なドレスだ。
多分種類的にはノエルと同じものだが、お⋯⋯⋯⋯⋯⋯オフショルダー? フィオナと同じく肩から胸元までを大きく露出している。そして、腰には大きなリボンがアクセントとして巻かれていた。
髪もいつもは何もしていないのに、ドレスに合わせたのか後ろで纏めている。
あなた一人でそんな事できたんだね。いや、誰かに手伝ってもらったのかな。料理とか絵とか結構不器用なとこあるしね。
僕の後ろはパーティ会場か何かかな?
アリスちゃんも、まあドレスといえばドレスだし、ちょうどガードマンみたいな一号さんと二号さんもいるし。高貴な方々のパーティ会場かな?
前は休日のおっさん、後ろは華やかなパーティ会場。落差が凄すぎる。飛び降りたら一生落ち続けて下につかないレベルだ。
おっさんがポケットを無雑作に探り、ライターを取り出した。いっちょ前に立派な装飾の入った紺碧の上等なライターだ。
おっさんがその蓋を開けると、キィンという高く、上品な音が響いた。おっさんの癖に、いい音を出す。昔からこのおっさんはずっと同じライターを使っている。
僕は――この音と煙草の匂いが嫌いではなかった。一瞬懐かしさに頬が緩んでしまったのがわかる。
「⋯⋯やっぱ外で吸うか、美しい女性たちの前で、吸うもんじゃねぇな」
しかし、父さんは煙草に火をつけず、ライターの蓋を閉じた。そして「よっこいせ」と言いながら身体を起こす。
このおっさんは、昔から恥ずかしい台詞を平気で言う。それもごく自然にだ。若い頃は、それはそれはモテたらしい。物凄くどうでもいい話だ。
「おうノイル、ちょっと付き合えや。外で男同士――」
「てめぇ⋯⋯いや、おっさん⋯⋯それは⋯⋯」
おっさんが立ち上がりながら僕を誘おうとすると、アリスちゃんが震える声でおっさんの声を遮っておっさんと呼んだ。
皆の視線が、呆然とした様子で目を見開いているアリスちゃんに集まる。
「おっさんじゃねぇお兄さんだ」
「おっさんだよあんた」
もう三十八でしょうが。
「おっさんじゃねぇ父さんだ」
「やかましい」
いい顔で僕へ親指を立ててきたので、僕は立ち上がってその手を叩いた。
おっさんは腹の立つ顔で「やれやれ⋯⋯」と言うと、両手を腰に当て、アリスちゃんに視線を向ける。
「んで? どうした嬢ちゃん? あん? そういや嬢ちゃんは何て名前だ?」
「⋯⋯んなこたどうでもいい。そのライター⋯⋯いや、魔導具は⋯⋯」
「おうお目が高えな。そう、こいつは魔導具だ。世界一のライターだよ。『
「『
「んん?」
おっさん――父さんが顎に手を当てて、不思議そうな顔で僕を見てくる。こっちを見るな。僕だって何が何だかわからない。当事者っぽいあんたがわからないのにわかるわけがないだろ。
一体アリスちゃんはどうしたと――
「アタシが、今は『創造者』だ」
何時だって強気で傲岸不遜なはずのアリスちゃんは、どこか泣きそうな表情でそう言った。
父さんが僅かに目を見開き、ライターとアリスちゃんの顔を交互に見る。
「答えろおっさん⋯⋯何でクソババアのライターを、持ってやがる⋯⋯それは⋯⋯世界で唯一のもんのはずだ⋯⋯『創造者』謹製の魔導具ライターなんてふざけたもん⋯⋯二つとありゃしねぇ⋯⋯あのババアは、そう言ってた」
「それは――俺がそのふざけたもんを創ってくれって頼んだ張本人だから、だな」
父さんは一度ライターを宙に放ると、再び掴み取り底面をアリスちゃんに向ける。長年使っている筈なのに、擦り傷一つ見当たらないそこには、銘が刻まれていた。
彼女が愕然とした様子で目を見開く。
「今は初代になんのか? 『創造者』――ロゥリィ・ヘルサイトのババアによ」
にかっと、父さんは笑みを浮かべた。
「そうかそうか⋯⋯そういうことか。でかくなったなぁ。アリスちゃん」
そして、僕に会ったときよりも遥かに嬉しそうな声を上げると――
「ん? やっぱそうでもねぇな。この中で一番小せえもんな」
腕を組んで首を傾げ、思い直したようにそう言うのだった。
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