三章

第55話 反省会?


「ではでは、今回の反省会を始めたいと思います」


 いつもの真っ白な空間で、皆がいつも通りの席に座る中、何故か僕を膝の上に乗せた魔法士ちゃんが大変朗らからな声でそう言った。

 厚手のローブの中に包まれ、両腕はがっちりと僕の身体に回されている。まさぐるようにすりすりと両手が動き、肩の辺りから顔を出した彼女の吐息が首や耳にかかる。暑い程に密着している筈なのに、ゾクゾクとした寒気と汗が止まらない。


「あの⋯⋯」


「はい、何ですか? ノイルさん」


「とりあえず、離れない?」


「⋯⋯たまにしか、会えないのに⋯⋯?」


 囁くにようにそう言って、魔法士ちゃんはより身体を密着させてきた。ローブの中は割と薄着な彼女の胸が背へと押し付けられる。

 僕の肩に顔を乗せた彼女の瞳は切なげにこちらを見つめており、今にも泣き出してしまいそうな程に潤んでいた。

 ずるくない? その表情はずるくない?


 至近距離でうるうるされると、たとえ計算でやっているのだとしても何も言えなくなってしまう。僕はオラオラ系では無く気の弱い男なのだ。女性の涙には頗る弱い。しかも、がっちりと回された両腕はまったく緩む気配もない。何か言ったとしても、逃れられはしないだろう。

 まあ、とりあえずこれ以上は何もする気はないらしいので、大人しくしていよう。

 ぐいぐいと押し付けられる熱く柔らかなものを、努めて意識しないように僕は改めて皆へと目を向けた。


 心底呆れたような表情の馬車さん。

 顔を赤くして睨んでいる狩人ちゃん。

 どこか機嫌良さげな守護者さん。

 穏やかな笑みなのに目は笑っていない癒やし手さん。

 そして――


「魔法士は積極的だね」


 正面の椅子、そこに新たに加わった、どちらかわからない変革者。


「別に、普通だよ。変革者くん・・


 明らかに普通じゃない行動を取っている魔法士ちゃんは、にっこりと変革者に微笑みかける。

 そう言われた彼? 彼女? は思案するように顎に手を当てた。


「うーん⋯⋯くん、というのは止めてくれないか? 自分は女性なんだ。それに、今回は自分にノイルを譲ってくれてもいいんじゃないか?」


「確かに、今回一番活躍したのは変革者くん・・で、ようやくノイルさんに会えたばかり、というのもわかるよ?」


「だから⋯⋯くん付は――」


「でも、譲るつもりはないから変革者くん・・。というより、いつだって何があろうと、譲ったりしないよ変革者くん・・。それに、今後出番があるかもわからない変革者くん・・より、これからも使ってもらえる私と、ノイルさんは絆を深めるべきだと思わない変革者くん・・?」


 やたらとくん、を強調する魔法士ちゃん。僕は結局変革者がどちらなのかまたわからなくなる。何ていうか、うん、もうどっちでもいいかな。変革者は変革者ってことにしよう。その都度その都度、都合がいい方に解釈しよう。


 しかし、確かに魔法士ちゃんの言う通り、この先、《変革者》を使う機会があるかはわからないな、と僕は困ったような表情を浮かべている変革者を見る。

 ソフィを助ける為に創り出した力は、あまり使い勝手が良いとは思えないし、応用も効かない。そう気軽に奮えるものではないだろう。

 この場に居る僕の友人たちが、力を発揮することで絆を感じてくれているというのならば、申し訳ないことをしてしまったのかもしれないと思ってしまった。

 そんな僕の視線に気づいたのか、変革者は優しげな笑みを浮かべる。


「そんな顔をしなくてもいいんだよノイル。自分は、ノイルにとって都合の良い存在で構わないから」


「あ、はい」


 僕の考えなどお見通しだとばかりに、変革者はそう言った。僕は変革者を都合良く解釈するのは止めようと思った。罪悪感が凄かった。


「⋯⋯なら、ノイルは私と仲を深めたほうがいいと思うんだけど?」


 隣に座る狩人ちゃんが、やや頬を染めこちらを見ずに小さな声でそう呟いた。はっきりと主張はしなかったが、唇を尖らせた横顔からは、今のこの状況が不満だということが窺える。

 まあ確かに、《狩人》は僕の中で最も使い勝手の良い魔装だ。仲を深めることでより力を発揮してくれるというのならば、僕は彼女とコミュニケーションを取るべきなのだろう。こんな密着したりする必要はないけど。

 しかし、だ。それは魔法士ちゃんが許さない。


「なぁに? 狩人ちゃん。もっとはっきり言ってくれなきゃわからないなぁ。ちゃんと言ったらどうなの? 狩人ちゃんって本当そういうとこあるよね。ずるいよね? ずる賢いよね? そんないじらしく構って欲しそうな態度で気を引こうとするなんて、卑怯な女だと私は思うなぁ。ノイルさんだってそういう子は好きじゃないからね? 面倒くさいと思ってるよ? でも優しいから構ってあげちゃうの。だからね、ノイルさんの優しさに甘えるのは止めようね?」


 ほらね。

 怖いもんこの子。


「いや、僕は別に⋯⋯」


「ノイルさんも、あんまり狩人ちゃんを甘やかしちゃダメですよ? よく使ってもらえるからって、自分がノイルさんの一番だって勘違いしちゃってるんですから狩人ちゃんは。気をもたせ過ぎるのも、可哀想ですよ?」


「あ、はい」


 思わず僕は頷いてしまう。圧が、圧が凄かった。あと、魔法士ちゃんの両手が僕の下半身へと向かおうとしたので、そうする他なかった。

 狩人ちゃんが顔を真っ赤にして立ち上がる。


「そ、そんなんじゃないもん!」


 もはや素が出てしまっていた。


「そ、それに! ノイルは私のことちゃんと好きだもん! ね?」


「⋯⋯⋯⋯」


「の、ノイル!?」


 いや、違うんだよ。愕然とした様な声を上げた狩人ちゃんに、僕はそう言いたかった。

 違うんだ、何も言わなかったのは決して狩人ちゃんを嫌ってるからとかじゃないんだよ。

 頷こうとしたら魔法士ちゃんの手がまるで僕の口を塞ぐかのようにまた下半身へと進み始めたんだ。

 口を塞ぐのに下半身へと手を伸ばすって意味がわからないよね? 僕もわからない。ただ、効果は絶大だった。

 狩人ちゃんの目に見る見るうちに涙が溜まっていく。


「の、ノイルぅ⋯⋯」


「⋯⋯」


 ごめんなさい。本当にごめんなさい。何か喋ろうとすると、しなやかな手がすすすと下へと動くんです。


「す、好きだよね⋯⋯? ノイルは私のこと⋯⋯好きだもんね⋯⋯?」


「⋯⋯⋯⋯」


 縋るような目と震える声でそう聞かれても、僕は何も言えない。

 好きか嫌いかと言われれば、もちろん好きだ。だけど、それを伝える術を僕は持たない。全てを封じられてしまっている。

 狩人ちゃんへと視線を向けようとするだけでも、僕の下半身には危機が迫るのだ。

 タマを握られそうなのだ。


 いや、だけど大丈夫、大丈夫だ。狩人ちゃんはきっとわかってくれる。わかってくれるはずだ。何度も死線を潜り抜けてきた仲なんだ。言わなくても伝わるはずだ。頼む、今僕が何故何も言えないのか、どんな状況なのか理解してくれ。泣かないで、お願い。


「ほら、ね? 狩人ちゃん?」


 しかし、そこで無慈悲にも魔法士ちゃんが口を開く。絶妙なタイミングで、弱りきった獲物を確実に仕留めるかのように。僕の鼠径部辺りを擦りながら。どっちが狩人かわからない。


「――わかったでしょ?」


 狩人ちゃんが、崩れ落ちた。


「そ、そんなぁ⋯⋯」


「ごめん⋯⋯」


 何とかそれだけを小さな声で僕は伝える。魔法士ちゃんも見逃してくれた。

 だがしかし、弾かれたように顔を上げた狩人ちゃんの絶望したような表情を見て、僕は逆効果だったことを悟った。冷静に考えてみたら今のタイミングで謝罪するのは、まるで狩人ちゃんを振ったようではないか。僕はアホだった。魔法士ちゃんが何故見逃したのか理解した時には、もはや後の祭りであった。


 そんなつもりは全く無かったのだが、一度吐いた言葉は戻らない。


「うぇ⋯⋯うぇぇぇぇぇぇぇん!」


 ぼろぼろと涙を零して、狩人ちゃんは蹲ってしまった。今度ちゃんと説明して謝ろうと、僕は心に決めた。今は魔法士ちゃんの手がさわさわ動いてるから無理だけど。


「うふふ⋯⋯」


「まったく⋯⋯余裕のない女って嫌よねぇ」


 耳元で聞こえるどこか淫靡な笑い声に僕が固まっていると、癒し手さんが呆れたようにそう言った。美しい碧眼が変革者へと向けられる。


「ねぇ、変革者ちゃん?」


「ん? うーん自分はノイルが幸せなら別にいいんだけど⋯⋯幸せそうには見えないかな」


「そうよねぇ、ああいう迷惑な女にならないように、私たちは気をつけましょう」


 これみよがしに、こちらに聞こえるように、癒し手さんはそうおっしゃった。

 世間話をするかのような態度だが、明らかに魔法士ちゃんを煽っている。というか、お前は迷惑な女だとはっきりと言っていた。


「あらあら? 今回も出番の無かった人が何か言ってますね?」


 それに対して、魔法士ちゃんはにこりと微笑んだ。

 癒し手さんがこちらを向き、二人は笑みを交わす。


「私の出番が無いということは、素敵なことなのよ? 誰もノイルちゃんの前で大怪我をしなかったということなのだから」


「うわぁ、余裕のある女はやっぱり言うことが素敵です! だから今後も一生使われないといいと思います!」


「そうね。そんな事より、いい加減ノイルちゃんから離れたらどうかしら?」


「あれー? 気になるんですか? 余裕のある女なのに? でも、嫌です。私は余裕のない迷惑な女なので」


「⋯⋯はしたない女ね」


「⋯⋯あなたに言われたくありません」


 おかしいな、二人とも笑顔なのに恐ろしい程に空気が張り詰めている。この世は不思議だなぁ。何故だか汗が止まらないよ。


 僕は救いを求めて守護者さんへと縋るような視線を向けた。こんな時は守護者さんだ。彼なら、彼ならこの場をなんとかしてくれるはずだ。

 しかし、そんな頼りになるはずの守護者さんは、どこか浮ついた様子で一人釣りを楽しんでいた。その姿に僕は愕然としてしまう。

 何故だ、いつもの守護者さんならこの空気の中あんなに穏やかにのほほんとしていないはずなのに。毅然とした態度で二人を止めて、場を纏めてくれるはずなのに。これではツッコミ役がいないではないか。


「あー、今の守護者は頼りにならねぇぞ」


 僕が絶望していると、隣の馬車さんがぽつりとそう言った。今まで我関せずといった様子で釣りをしていた彼は、疲れたような顔で僕を見て、小声で話しかけてくる。


「あいつさ、今浮かれてんだよ」


「え、何で?」


「今回、大活躍だったろ? お前に直接礼を言われたしさ。何よりそれがすげぇ嬉しかったみたいでな。余韻に浸りまくってんだ。だから今のあいつは呆けてて頼りにならねぇ」


「何それ⋯⋯」


 何て可愛らしい人だ。

 たったそれだけの事が嬉しくて堪らなかったのか。いつもの雄々しく精悍な守護者さんからはとても想像が出来ない。彼の表情は締りがなく緩んでおり、それを見ていると僕の心まで温かくなってくる。何というギャップだろうか。僕の中の守護者さんへの好感度はうなぎのぼりだった。


「まあだから、そっとしておいてやれ」


「うん」


 言われるまでもなくそうするよ。今の守護者さんは見ているだけで癒やされるからね。

 だがしかしそうなるとだ。


「助けて馬車さん」


「⋯⋯⋯⋯」


 馬車さんは無言で釣りを再開した。笑顔で睨み合っている魔法士ちゃんと癒し手さんには絶対に関わりたくないらしい。そりゃそうだ、僕だって未だ魔法士ちゃんにがっちりと捕まってさえいなければ、とっくに逃げ出している。彼を非情な人間だと責めることなど出来ない。

 狩人ちゃんはいつもの様に泣いており、守護者さんはいつも通りじゃない。

 となれば、残るは一人しかいない。

 僕は新たな友、変革者へと助けを求めようとして――


「そういえばノイル。君は最近魔法士も含め、色んな人とキスをしていたけど、誰が一番だった? 自分にされても嬉しいかな?」


「空気読んで」


 マイペースな変革者にツッコミを入れる事となった。

 僕に回された魔法士ちゃんの両腕にぎゅっと力が入り、癒し手さんの目つきが鋭くなる。

 変革者はごく真面目な顔で僕を見ていた。


「もちろん、私が一番ですよねノイルさん?」


 魔法士ちゃんが耳元でそう囁く。


「ノイルちゃん、良かったら私が本当のキスを教えてあげるわよ」

 

 癒し手さんが淫靡な口調でそう言って、艶やかに唇を舐めた。


「自分としたくなったらいつでも言ってくれ。君の望むようにするよ」


 変革者がにこりと微笑んだ。馬車さんがちらとこちらを見て、僕と目が合うと一瞬で明後日の方を向く。守護者さんは機嫌良さそうに釣りを続けていた。


「う、うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 と、その時突然蹲っていた狩人ちゃんが叫んだ。そして僕と魔法士ちゃん――いや、魔法士ちゃんへとがむしゃらに体当たりする。


「なッ⋯⋯!」


「うわっ!」


 当然密着していた僕もそれを受けたが、衝撃で彼女の手が離れ、僕らは別々に地面へと倒れた。

 守護者さん以外皆が呆気に取られたように見ている中、狩人ちゃんは仰向けに倒れた僕へ覆い被さり、そして軽く――触れる様なキスをした。


「の、ノイルは、私のことちゃんと好きだもん」


「あ、はい」


 涙を流しながら顔を真っ赤にしてそう言った彼女に僕はこくこくと頷く。

 それと同時に、世界が揺らいだ。


「狩人ちゃん⋯⋯」


「ひっ⋯⋯」


 起き上がった魔法士ちゃんが底冷えするような声を発し、狩人ちゃんの顔が一瞬で青ざめる。


「た、助けてノイルぅ⋯⋯」


 怯える彼女の声を聞きながら、僕の意識は白い世界から離れていくのだった。

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