第53話 女子会
ミーナ・キャラットは、衝立を片付けた自室を眺めながら、複雑な表情を浮かべていた。
ノイル達がパーティハウスを去ってから、数日の間はエルと三人でソフィの部屋に寝泊まりしていたため、自分の部屋で過ごすのは久し振りだった。
邪魔な物が無くなった広々とした部屋は、最早誰にも気を使う必要など無い、自分一人だけの安らぎの空間のはずだ。ずっと、早くこうなる事を望んでいた。ノイルを部屋に泊める必要がなくなる事をだ。そもそも、本来ミーナは一人の時間を大切にするタイプである。妙な同居人から解放され、心は晴れやかなはずなのだが――
「⋯⋯何か、違和感あるわね⋯⋯」
ミーナはそう言って首を傾げると、片付けたはずの衝立を再び元の位置に並べ始める。そして、一仕事終えた彼女はパンパンと手を払うと、腰に両手を当てて改めて自室を見回した。
不思議なことに、先程よりもしっくりくる。だが、まだ何かが足りなかった。
ミーナは自分のぬいぐるみのコレクションの中から、一際やる気の無さそうな顔をしたクマのぬいぐるみを手に取り、衝立で仕切られた部屋の片側に置くと腕を組み、顎に手を当てながらそれをじっと眺める。
「違うわね⋯⋯」
これでは少し可愛らしすぎると、ミーナは今度は白いシーツをクマのぬいぐるみに被せた。
そして、その上からペンで顔を描いていく。
出来上がったのは、クマのぬいぐるみより更に数倍やる気を感じられない目に、へらっとした笑みを浮かべた男の絵だった。
会心の出来である。
ミーナは満足そうに頷くと、腕を組んで完成した部屋を眺めた。
部屋を二分する衝立。
自分のベッドが置かれていない側にあるのは、畳の上に直に座るように置かれた、死んだ目をした男が描かれたシーツを被ったぬいぐるみ。
彼女は、一つ息を吐いた。
「ふぅ⋯⋯うん、いい感じね」
そして思いっきりペンを畳へと叩きつけた。
「って! 何やってんのよあたしはぁッ!」
一人自分の行動にツッコミを入れ、急いでぬいぐるみに掛けたシーツを取り払おうとする。
と、そこでミーナの耳と尻尾がピンと立った。誰かの視線を感じたのだ。
まさか、今の自分の恥ずかしい行動を誰かに見られていたのか。
ミーナは視線を感じた先――部屋の入り口へと恐る恐る振り向いた。気のせいであってくれと願いを込めて。
「ソフィは、みーたー」
しかし彼女の願いは虚しく、そこには何故か扉の隙間からこちらを覗き込んでいるソフィが居た。
ミーナの頬を嫌な汗が伝う。
「てれれーてれーてれれれー」
ソフィは平坦な声で何か聞いたことのある曲を口ずさみながら、部屋の中へと入ってくる。
これは以前、エルと共に三人で観に行った劇で流れていた曲だった筈だ、とミーナは思った。
確か内容は、一人の男を女が奪い合うというドロドロとした恋愛物で――
「ち、違うのよソフィ⋯⋯」
「てれーてれててーてれれー」
「あのね⋯⋯? ソフィ⋯⋯」
「ててーてーてれれれーばばーん」
「⋯⋯」
最後まで歌ったらしいソフィは、そこで一礼し、顔を上げると、どこか遠くを見るような表情を浮かべ、ぽつりと呟いた。
「愛とは、時に恐ろしいものですね⋯⋯」
「違うからッ!!」
ミーナの叫びが屋敷に響き渡る中、ソフィはそれを気にした様子もなく、淡々と告げる。
「そろそろお時間です。ミーナ様」
いつも通り、しかし、明らかに少し浮かれた様子のソフィに、ミーナはがっくりと肩を落とすのだった。
◇
屋敷での一件に引き続き、ミーナの気分は暗く沈んでいた。
何故かと言えば、現在彼女が居る場の空気が、かつて感じたことがない程に張り詰めているからだ。
修羅場、これは修羅場だ。
そうミーナは思った。
正直な事を言えば、今すぐこの場から逃げ去りたかった。
「さて、それじゃあ始めようか」
「うむ」
グラスを掲げたエルの言葉に、『
「『
地獄が始まったと、ミーナは自分の前に並んで座る『白の道標』の三人を見ながら思った。
この交流会に、ノイル・アーレンスは参加していない。
こちらのメンバーもエルとソフィ、そして自分と、女性メンバーだけである。
所謂、女子会というやつだった。
言葉の響きだけを聞けば、実に楽しそうな会だ。普通の女子会であったならば、ミーナも喜んで参加しただろう。だが、ソフィとミリス以外の目は笑っていなかった。
揃いも揃った美女たちが和やかな笑顔を浮かべて乾杯するのは、とても華やかだった。外野から見ればさぞ美しい光景に見えただろう。だがその内情は、一人の男を巡ったドロドロとした争いでしかない。全く美しくない。ミーナは普通に笑えなかった。
大体、女子会を開くというのならもっとお洒落な店にするべきである。
この『炭火亭』という酒場は、『白の道標』行きつけの店らしいが、女子会には相応しくない。ノイルからいい店だと聞いてはいたが、女子会には相応しくない。雰囲気は嫌いではないが、女子会には相応しくないのだ。
ミーナは、そう言ってしまいたかった。
それにだ、『白の道標』の三人は何故あんなにダサい格好をしているのだ。
いや、一応推察することは出来る。これはおそらくだが、ノイルの涙ぐましい努力によるものなのだろう。可能な限り彼女たちを目立たせない様にしたかったに違いない。
しかしそれならばだ、何故彼は居ないのにそれでも着てくるのだ。まるでおろしたての取っておきの勝負服を着ているかのような表情をするんじゃない。
ミーナは、そう言ってしまいたかった。
けれどぐっと堪えた。エルが一瞬羨ましそうな視線を向けたのにも気付いていたが、ぐっと堪えた。彼女はこの
努めて心を無にしながら、ミーナは丸テーブルの中央でパチパチと小気味の良い音を立てる炭火にだけ意識を向けることにした。
「それじゃあまず、改めて自己紹介でもしようか。ボクはエルシャン・ファルシード、皆も知っての通り、ノイルの妻だ」
初手からミーナの心は揺すぶられた。
だがしかし、膝の上で拳を握り、ツッコミたい気持ちをぐっと抑える。
さも当然かのような表情でおかしな事を宣った親友は、満足そうに膝の上に座るソフィの頭を撫で、次の方どうぞとばかりに手を差し出した。優雅な仕草だ。けれど、こんな親友など見たくはなかった。
「では、次は私が。私はフィオナ・メーベルです。ノイル先輩の所有物で、結婚を前提にお付き合いしています」
ミーナは唇を噛んで正気を保つ。
一発一発が重い。少しでも気を抜けばツッコんでしまいそうだった。
無駄にでかい胸に手を当てながら艶やかな笑みで自己紹介を終えた無駄に胸のでかい女は、笑みを浮かべたまま、手を差し出す。
次の衝撃にミーナは備えた。
「えっと、じゃあ次は私ね。私はノエル・シアルサ。ノイルの友達、かな」
はにかみながらそう言ったノエルに、ミーナの肩からは力が抜ける。何だか拍子抜けである。てっきり彼女も狂気じみた発言をするかと思っていたのに、出てきたのは意外にもまともな自己紹介であった。ミーナは、密かにほっと息を吐く。
「
ガードを下げさせた後に打ち込んでくるな。と、ミーナは自分の膝を殴る。
屋敷での言動から油断してはいけないとわかっていたはずなのに、気を緩めた自分が愚かだった。
やはりこの女も頭がおかしい。危ないところだった。
「では我じゃな。我はミリス・アルバルマ。ノイルの雇い主じゃ。まあつまり、ノイルは我のものということじゃな」
ミーナは、遠くを見つめる事にした。ここではなく、どこか遠くを。微笑みを交わし合うこの頭のおかしな美女たちにもう関わりたくなかった。ぼうっと、店の壁に貼られたメニューを眺める。本日のオススメは何だろうな、と思った。
そんなことを考えている内に、ソフィがエルの膝の上から降り、深々と頭を下げる。
「自己紹介の前に、先ずはどうか謝罪をさせてください」
頭を下げたままソフィはそう言った。
「今回の件で、皆様には大変なご迷惑をおかけしてしまい――」
「必要ありません」
フィオナがソフィの謝罪をきっぱりとした口調で遮る。ソフィは驚いたように顔を上げた。
「ですが⋯⋯」
「ソフィさん、確かに最初は貴女に怒りを感じていました。けれど、今回の事件のおかげで⋯⋯うふ、ふふふ⋯⋯」
途中から、堪えきれなくなったように俯いて肩を震わせ、笑いを零し始めたフィオナの不気味さに、ミーナは若干引いた。
そして蕩けるような表情で顔を上げた彼女に、完全にドン引く。背筋にぞわそわと悪寒が走り、耳と尻尾の毛が逆立った。
「先輩にぃ⋯⋯綺麗だと言ってもらえましたぁ⋯⋯」
頬に手を当て、涎を垂らしそうな程に陶酔した顔で――いや、垂らしている。その口の端からは確かに涎が垂れている。
そして、彼女の隣に座るノエルの目付きがえらいことになっているのにも、ミーナは気づいた。
エルから歯を噛みしめるような音がしたのにも、ミーナは気づいた。
気づいたが、本日のオススメのことだけを考えることにした。
「熱い口づけも⋯⋯」
「ふむ、ならば我も――」
「駄目です」
「駄目だ」
「駄目だよ」
ミリスが当然かの様にそう言おうとすると、フィオナ、エル、ノエルの三人が一斉に彼女に釘をさす。ミリスは「何故じゃ」と目を瞬いた。
ミーナにはよくわからないし、わかりたいとも思わないが、どうやらこのエルと遜色ない程の美女が一番厄介な相手というのは、三人の共通認識らしい。
フィオナが一度咳払いし、呆然とした様子のソフィへと視線を向ける。
「まあ、そういうことですから、私に謝罪は不要です」
「我にも必要無い。この程度の些事、元より気にしてはおらぬからのぅ」
「私ももう怒ってないよ。ノイルはちゃんと帰ってきたし」
『白の道標』の三人にそう言われたソフィは、困惑した様子でどうすればいいのかわからないという風にエルへと視線を向けた。そんなソフィへと、エルは優しく微笑む。
「ソフィ、自己紹介を」
ソフィは少しだけ考える素振りをして、しかしエルの言葉にこくりと頷くと、皆に向き直った。
「ソフィは、ソフィ・シャルミルと申します。マスターと、だ⋯⋯ノイル様の、養子にしていただく予定です」
そして、とんでもない自己紹介を始めた。フィオナとノエル、二人の笑顔が固まり、ミリスは何故だか愉快そうに笑う。エルは良くできたとばかりにソフィの頭を撫で、頭を撫でられたソフィは嬉しそうに微笑み、エルの膝の上へと戻った。
ミーナはこのままでは不味いと考え、慌てて立ち上がる。
「あ、あたしはミーナ・キャラットよ」
強引に空気を変えようとしたミーナの頬が引き攣る。フィオナとノエル、両名の冷ややかな視線が一斉に自分へと向けられたからだ。
完全に、悪手であった。
「ああ⋯⋯メスね⋯⋯ミーナさん。そういえば、貴女は結局先輩の事をどう思っているんですか⋯⋯?」
「部屋に居る時、随分楽しそうに話してたよね⋯⋯? まさか好きになったりしてないよね⋯⋯?」
「ないわよ! あるわけないでしょ! 大体何で知ってんのよ!?」
ミーナは慌てて必死に否定する。まさかそんな事があるわけがないだろう。確かに思ったよりも気が合った事は否定はしないし、意外にも男気がある人物だということはわかっている。けれど、そう容易く恋愛感情を抱くなどありえない。
ノイルとはそう、友人だという言葉がしっくりくる。というより、この二人は部屋でのやり取りなど知らないはずだ。
「我の『神具』の中に、ノイルの様子を観る事が出来るものがあってのぅ」
「はぁ!?」
ミーナは悲鳴のような声を上げた。今のミリスの言葉が真実ならば、ずっと部屋を覗かれていたということになるからだ。別に覗かれて困るようなことは一切していないが、普通にプライバシーの侵害である。だが、そんな正論はこの女たちには通じないことも、ミーナは嫌でも理解していた。
「ミーナ、言っておくがボクは約束通り部屋の中は覗いていないよ」
「エル⋯⋯!」
親友の言葉に、ミーナは涙が出そうになった。やはり、エルだけは自分を信じてくれている。ノイルが関わると多少ポンコツになるが、エルだけは違う。ミーナは救われた気持ちになった。
「けれど⋯⋯それだけ慌てているところを見ると⋯⋯怪しいね。詳しく聞かせてくれるかな?」
このポンコツめ! と、ミーナは思った。
しかし、ここで屈してしまえば負けである。ミーナはこの状況で、あえて薄い胸を張り、強気な態度を取った。勘違いしているこの女共に、はっきりと言ってやるのだ。自分はノイルになど興味がないということを。
「ふん! 馬鹿馬鹿しいわね。あたしはあんなやつに興味なんか無いわよ! 出ていってくれてせいせいしたわ! 本当にやっと――」
「てれれーてれーてれれれー」
聞き覚えのある平坦な声とメロディに、ミーナの全身から嫌な汗が吹き出した。
「てれーてれててーてれれー」
「ソ、ソフィ⋯⋯?」
ミーナは錆びついたぜんまい人形のような動きで、懇願するような目を声の主に向ける。
「ね、ねぇ⋯⋯?」
「ててーてーてれれれー」
「お、お願い⋯⋯ねぇ、ソフィ⋯⋯」
「ばばーん」
しかし、ミーナの願いも虚しく――
「ソフィは、みーたー」
ソフィは無表情でそう言うのだった。
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