第27話 ノイルと愉快な仲間たち③


 僕はただ《馬車》を走らせる。

 ただただひたすらに。考えているのは釣りの事だけだ。

 今はそれしか考えたくなかった。


 僕は逃げた、逃げたのだ。全てのしがらみから解放され、自由な釣り人として生きる為に。

 目的地は海だ、王都からは距離があり僕の《馬車》でもそれなりの日数が掛かってしまうが、マナボトルなら大量にくすねてきたから行きの問題はない。そして帰りの心配もいらないだろう。

 もはや僕は『白の道標ホワイトロード』に帰るつもりなどないからだ。


 海までたどり着いたら、どこか港町にでも移り住もう。そしてまーちゃんと二人だけの穏やかな人生を送るのだ。


 酷い男だと思うだろうか? 僕が心配だと言ってくれたノエル。そしてこんな僕でも慕ってくれているらしいフィオナ。店長は⋯⋯まあいいや。

 そんな二人に別れも告げず、全てを放り出して逃亡した僕はきっとろくな人間じゃないのだろう。


 だが今回に限って言わせてもらえば、これは仕方ない。

 フィオナが帰ってきた事でまさかあんな事態に陥るとは思わなかった。というより何だいあれは? 地獄かな?


 フィオナはともかくとして、ノエルがあんな風になるとは⋯⋯何が悪かったのかはわからないが、きっと僕に問題があったのだろう。店長は⋯⋯うん。


 だから僕は消えようと思う。無責任かもしれないが、僕が居なくなったほうが平和になるのなら喜んで消えよう。というかあんなの耐えられない。僕は心の弱い人間なんだ。


「海が⋯⋯俺たちを呼んでるな」


 《馬車》の上で胡座をかいた魔人族の少年が、太陽を見上げながら雰囲気たっぷりに呟く。

 逆立った短い鈍色の髪に少し幼さの残るダークブラウンの瞳を輝かせ、まだだいぶ気が早いがすでにその身には釣り用のベストを着込んでいた。


「うむ」


 少年の隣で腕を組んでクールに立っている黒猫の獣人族のナイスガイが鷹揚に頷く。

 鋭い深緑の瞳と艶のある黒毛に、ぴしっとしたタキシード。頭にはミニハットを被っていてとても格好いい。


 彼らは僕が王都に住む内に出来た釣り仲間だ。


 魔人族の少年は、レット・クライスター。

 『精霊の風スピリットウィンド』というパーティーに所属する採掘者マイナーだ。

 ランクはなんと驚きのBランク。事実上のほぼ最高ランクがAであるため、かなり優秀だと言える。

 もっとも、彼曰くランクが上がったのはパーティーの功績によるものが大きいので、個人の力はCといったところらしい。


 それでも十六歳という若さを考えれば十分過ぎる。採掘者のランクはSからFまでの七段階あるが、多くの採掘者が辿り着けるランクはDまでであり、そこから上に上がるには才能や運が必要だと言えるからだ。


 そんなレット君はアポなしで夜中に突然自宅を訪ねた僕に最初は驚いたようだったが、海釣りに行こうぜ! と誘うと「その言葉を待ってたぜ⋯⋯!」と迷いなく了承してくれた。


 最近【採掘跡】の探索を終えたばかりで割と暇だったらしい。パーティーメンバーにも知らせず、自宅に書き置きだけを残して意気揚々と着いてきてくれた気の良いやつである。後で怒られても僕は知らない。


 彼を誘った理由だが、一緒に釣りをするのがこれで最後になるかもしれなかったのと、単純に道中の護衛を確保したかったからである。野盗や魔物が怖いしね。


 あと夜逃げした僕はほぼ無一文だからお金もちょっとだけ貸してもらおう。年下に借りるのは少し気が引けるが、背に腹は変えられない。なに、海までの運賃だよ運賃。


 黒猫の獣人族であるナイスガイなお方は僕らの釣りの師匠である。

 師匠は⋯⋯師匠だ。名前も年齢もわからなければ何処に住んでいるのかも、何の仕事をしているのかも知らない。ミステリアスでダンディな男だ。

 ただ釣りが上手いのとやたらクールで格好良いので僕らは師匠と呼んでいる。


 師匠は普段何処にいるのかもわからないし別に誘った訳でもないのだが、僕とレット君が王都を出発しようと門に向かったら、既にそこに居た。

 そして驚いて目を丸くする僕らに荷物を背に持った彼は振り向かずにこう言ったのだ、「行くのだろう⋯⋯?」と。


 実にクールだ。僕とレット君もそれ以上は何も言わずクールな笑みを浮かべて師匠と共に王都を出た。


 そうして現在、僕は最高の仲間たちと海へ向かっているのだ。

 夜中からここまで休みなく《馬車》を飛ばしたおかげで、既に王都からはかなり離れている。若干寝不足気味なテンションも手伝ってもはや僕らを止められる者などいなかった。

 今日はもう行けるところまで行くつもりである。


「しっかしノイルん。今更だけどよ、急にどうしたんだよ?」


 レット君が本当に今更なことを今更聞いてくる。ノイルんというのは彼が僕を呼ぶ時の愛称だ。魔人族特有の変なとこが出てるが嫌いじゃない。


「⋯⋯理由って必要かな?」


「へへっ、まあ要らねぇな」


「ふっ⋯⋯」


 僕がなんとなくニヒルな感じで答えると、レット君は良い笑顔で指で鼻の下を擦り、師匠がクールに微笑む。友情の前では言葉など必要ないのだ。


「いや、まあ実は仕事辞めようと思ってさ、逃げてきたんだよ」


 しかしこの旅が一生の別れになるかもしれないので一応事情を説明しておく。お金も貸してほしいし。


「え、遂にあの変ななんでも屋辞めるのか?」


「それがノイルんの選択か⋯⋯」


 レット君が驚いたような声を上げ、師匠が悟ったように呟く。因みに師匠もノイルんって呼ぶ。


「うん、まあ⋯⋯」


「何かあったのか? つーかあの化物女はどうすんの?」


「覚悟の上、か」


 レット君が化物女と呼んだのは当然ながら店長の事である。

 以前三人で釣りをしていた時に店長が現れ、レット君と少し喧嘩になったことがあった。釣りの邪魔をされて気分を害してしまったのだ。結果、彼は店長にぼこぼこにされ、僕は引きずられて『白の道標』へと連れ去られ、師匠はクールに一人釣りを続けていた。

 それ以来レット君の中で店長は化物扱いされている。実に正当な評価だと思う。

 

「昨日の夜フィオナが帰ってきたんだけど⋯⋯」


「ああ⋯⋯帰ってきたのか」


 僕がそう言うとレット君は微妙な表情を浮かべる。彼のフィオナへの印象は特に悪くはなかった筈なので少し気になった。


「? どうかした?」


「あ、いや⋯⋯」


 レット君は歯切れ悪そうに頬をかく。そして、衝撃の事実を語りだした。


「言ってなかったけどよ、あの女さぁ⋯⋯旅に出る前に採掘者協会に来たんだよ」


「え、何しに?」


「喧嘩売りに?」


 僕は頭を抱える。


「何か、これからはあなた方は大人しく【採掘跡】にだけ潜っておいてくださいって⋯⋯」


「何それ⋯⋯」


「王都に集まる依頼は『白の道標』が全て解決しますから、余計なことはしなくて結構ですってさ、笑顔で言って出てったんだよ」


 何やってんのあの子。

 その道のプロの方々に対して失礼にも程があるだろ。それで何? 『白の道標』が依頼は全部解決するって? 

 普通に無理だからね。当時の従業員三名だよ? 

 今でも四名しか居ないよ。あ、僕が抜けたからまた三名か。そんな誤差どうでもいいね。


「皆さん怒ってなかったですか⋯⋯?」


 恐る恐る聞いてみる。


「そりゃ怒ってる奴もいたぜ? まあ大半は呆れてたというか変なもん見たって反応だったけどよ。うちのボスが怒ってる奴も宥めてたから大した問題にはならなかったな」


「なんかごめんね⋯⋯」


 ありがとうございますレット君のパーティーリーダーの方。どんな人か興味も無いから知らないけど。


「いや、別にいいよ。それよかやべぇ女が帰ってきてどうしたんだ?」


 レット君の中ではフィオナもやべぇ奴扱いになっていた。

 まあやらかしたのは彼女なので妥当なのかもしれない。僕も含めて『白の道標』にはまともな人など居ないらしい。いや、ノエルはまともか。まとも故に今回の事件が引き起こされてしまったのだろうか。悲しい話だね。


「『白の道標』で新しく働くことになった子とちょっと喧嘩になっちゃって」


「それって女?」


「そうだね」


「あー⋯⋯なるほど」


「修羅場、か⋯⋯」


 二人は何か得心がいったように頷いた。今のやり取りだけで理解できるとは察しが良くて助かる。


「原因はノイルんだろ?」


「まあ⋯⋯そうなのかな」


 正確には僕の部屋に入る資格がどうだとかいう話だった。

 改めて考えてみると心底どうでもいい。フィオナとノエルは何故そんなゴミにあれ程拘っていたのか。不法侵入じゃなければ誰でもフリーパスだよそんなもの。まあ多分売り言葉に買い言葉でお互い引くに引けなくなっちゃっただけだろうけど。


「そんで、居辛くなって逃げた、と」


「うん⋯⋯あとは⋯⋯いや、これはいいや」


「何だよノイルん気になるだろ」


「⋯⋯言いたくない」


 正直に言ってしまえば、逃げた最大の要因は店長のキスである。

 一体何をとち狂ってしまったのか⋯⋯あの行為のせいで店長のことが更に理解できなくなってしまった。


 顔を合わせるのも気まずい。しかしそれを素直に認めるのも何だか癪なので出来るだけ考えないようにしたかった。まあ、そう思ってる時点で気にしてしまっているのだろうけど。


 僕はもやもやした気持ちを振り払うように無駄に熱を持ち始めた頬を両手で叩いた。


「お、おおぅ? 急にどうした?」


「⋯⋯そういう時もある」


 突然の行動にレット君が戸惑ったような声を上げ、師匠は冷静に呟く。


「ま、言いたくねぇなら無理には聞かねぇけどよ、何かめんどくせぇなぁ」


 レット君が呆れたようにそう言って手を頭の後ろで組んで寝転がる。


「レット君のパーティーはそういうの無いの?」


「ねぇな、興味も無いし。だからよノイルん、仕事も辞めたんなら『精霊の風うち』に入らねぇか? 俺と一緒に【採掘跡】で最高の釣り場を探そうぜ」


「いや、僕もう王都に戻る気ないし⋯⋯」


 僕はレット君の誘いを断る。彼は度々こうしてパーティーへと勧誘してくるのだが、そもそも僕は採掘者ではないしなりたくもない。わざわざ危険な【採掘跡】に潜るなんて御免こうむる。


 確かに【採掘跡】の釣り場というのは気になるが、そんな所で釣れるものは大抵魔物だろう。釣りに貴賤はないので魔物釣りも嫌いではないが、釣った魔物の処理に困るし危険なので僕はあまりやらない。

 レット君はまだ見ぬ釣り場を求めて採掘者になった変わり者だった。


「はぁ!? ノイルん王都から出てくのか?」


「え、うん⋯⋯逃げたわけだし」


「旅立ち⋯⋯か」


 僕の言葉を聞いてレット君が飛び起き、師匠は目を伏せる。

 どうやら彼らは僕がちょっくら気分転換に海釣りへ行くだけだと勘違いしていたらしい。ほとぼりが冷めたらまた王都に戻るつもりだとでも思っていたようだ。


「王都に居たら『白の道標』に連れ戻されるじゃん」


 いや⋯⋯別にそうでもないかもしれないな。今回の件でノエルとフィオナには愛想を尽かされただろうし、店長も僕がしばらく居なくなればじきに興味を無くすだろう。

 流石に少し寂しい気もするが僕なんてそんなもんだ。まあ、念には念を入れてやはり王都には戻らないのがベストかな。


「んなもん俺が匿ってやるって! なぁ考え直せよ、寂しいだろ!」


「レット君⋯⋯」


「我らの友情は不滅だ」


「師匠⋯⋯」


 熱い二人の言葉に目頭が熱くなる。

 と、その時だった。


「――――来る」


「ん? どした師匠?」


 師匠が意味深に呟き《馬車》の後方へと振り返った。レット君が彼が見つめている方向へ目を細め、何かに気づいたように立ち上がる。

 しかし、僕の位置からでは何が起きているのかよくわからなかった。


「どうしたの?」


「ノイルん、もちっと飛ばせるか?」


「え、無理だけど」


 《馬車》は既にトップスピードだ。これ以上速度を上げることは出来ない。


「接触は不可避、か」


「オーケー、なら撃ち落としてやるぜ」


「え、何か来てるの?」


 怖いんですけど。

 レット君が左手の親指を立て人さし指と中指を空へと向けた。指鉄砲の形である。

 そのまま彼はにやりと笑い、高らかに声を上げた。


「喰らいやがれ、〈炎の弾丸フレイムバレット〉!!」


 その声と共に彼の指先には小さな炎が出現し、高速で射出される。これはレット君が好んで使う魔法だ。

 敵の体内へとめり込み、内部から燃やし尽くす割とえげつない魔法である。しかし、そんな強力な攻撃を放ったレット君は驚愕したように目を見開いた。


「嘘だろ!? 避けやがった!」


 あんなに自信満々だったのに。


 レット君の驚きようからすると簡単に躱されたらしい。ていうか後ろから何が来てるの? 彼の攻撃を避けるような相手とか本気で怖いよ。まあ店長には欠伸しながら撃ち落とされまくってたけど。


「にゃろぅ⋯⋯! これならどうだ!」


 レット君は右手で左手を支えると、次々と〈炎の弾丸〉を放つ。まるで激しい雨のような連射だ。


「オラオラオラオラァ!! ⋯⋯って何だよ! ぜんっぜん当たらねぇ!」


 景気よく魔法を撃ち続けていた彼だが、それでも敵には全く効果が無いようだ。やがて諦めたのか連射を止め悔しそうに地団駄を踏む。


「ちぃッ⋯⋯! ちょっと遠すぎるか? それなら――」


「待て」


 舌打ちをして次の手を打とうとしたレット君の肩に師匠が手を置いて止める。


「んあ? んだよ師匠、何かわからねぇけど、早いとこあいつ何とかしねぇと追いつかれちまうぞ」


「⋯⋯確かにプレッシャーは感じるが敵ではない、よく見ろ」


「んん⋯⋯?」


 師匠の言葉を受けたレット君は額に手を当てて目を細める。ていうかレット君さ、何かもよくわかってなかったのに攻撃するの止めない? 血気盛ん過ぎない?


「あ⋯⋯あれってもしかして⋯⋯」


「うむ」


「ねぇ、何が来てるのほんと?」


 そろそろ二人だけで盛り上がってないで僕にも詳細を教えて欲しい。尋ねると師匠とレット君はゆっくりと振り返った。


「《馬車》を止めろ」


「え? あ、はい」


 そして師匠が僕に指示を出す。疑問は残るが師匠が言うなら僕は何も言わず従う。だって格好良いからね。

 《馬車》が停止すると、何故か二人はそれぞれ荷物を持った。レット君が気まずそうに頰をかく。


「あー、ノイルん?」


「どうしたの?」


「悪ぃんだけどさ、あれは無理だわ」


「は?」


「というわけで」


「また会おう!」


 師匠がよく通る声でそう叫ぶと、レット君がその背に飛び乗り二人は迅速な動きで馬車の上から降りて平野を駆け出す。レット君が申し訳なさそうに師匠の背でこちらに手を合わせていた。


 全く止める暇がない身のこなしである。僕が呆然としている間に二人の姿は既に豆粒のように小さくなってしまった。


 そして、取り残されてわけがわからずに御者台の上でぽつんと座っていた僕の前に、一陣の風を引き連れて――一人の女性が空から現れた。


 見慣れた空色の編み込みハーフアップ。

 均整の取れた身体を包むのは過剰過ぎない露出が目立つ衣服。そしてその背には彼女の魔装マギスである銀翼が輝いてる。


 ふわりと着地した彼女がその容姿に不相応な重厚感のあるゴーグルを外すと、髪と同じく美しい空色の瞳、端正な顔立ち、そして花の咲くような笑みが現れる。


「迎えに来ましたっ、ノイル先輩」


 そう告げる僕の後輩――フィオナ・メーベルを見ながら僕は思った。


 友情って儚いなぁ⋯⋯と。 

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