第16話 超人


「さて、それではそろそろ向かうとするかのぅ」


 カリサ村から少し離れた平野、辺りには視界を妨げるものがなく、草原が広がる場所で、ミリス・アルバルマは一匹の魔物の死骸から降り立ち、呑気な声でそう言った。


「しかし、流石にこのままにしておくと迷惑じゃしのぅ⋯⋯そうじゃ! 丁度良いから持っていくかのぅ」


 彼女は先程まで腰掛けていた死骸を持ち上げる。ミリスの身の丈を優に超えるそれは、一匹の巨大なドラゴンであった。


 何故ミリスがドラゴンの死骸を抱えているのか。

 時は、数刻ほど前に遡る。







「ふむ、やはり⋯⋯」


 カリサ村の周囲の調査と警戒を行っていたミリス・アルバルマは、一見すればなんの変哲もないように思える地面を眺めながら呟く。


「下か」


 奇しくもノイルが事の真相に気づいたのとほぼ同じタイミングで、ミリスも同様の結論に辿り着いていた。もっとも、彼女の場合は昨日のスライム襲撃を退けた時点で、ある程度の予想は立ててはいたのだが。

 ミリスは片足を軽く上げ、地面を踏む。するとごく小さな穴がそこには空いた。

 人や固形の生物ならば通れそうもないが、スライムならば十分に通り抜けられるだろう。

 しかし、自分の考えが的中していたにも関わらず、ミリスはつまらなそうに息を吐いた。


「本体はここではないのぅ」


 ミリスは今回の一件は何者かの手により引き起こされたものだと予想していた。十中八九、何かしらの手段で力を得たスライムであると結論している。

 昨日倒した大量のスライム、その全てが別個体ではなく同一の個体であることを、彼女の目・・・・は見抜いていたからだ。

 つまりこれは、大量発生したスライムが知能を持ったわけでもなく、何者かの手によりスライムが操られているわけでもない。ただ一匹のスライムにより引き起こされた事件だということだ。


 とんでもなくでかいマザースライムが現れたとか⋯⋯。


「ふふ⋯⋯」


 ノイルが言っていた事を思い出し、ミリスは思わず笑みを浮かべた。

 彼はよく考えてそう言ったわけではなく、ただスライムが沢山いるならスライムの親玉がなんかやってるのだろう。という程度の考えでしかなかったが。思い返してみればノイルが真っ先に出した適当な結論は、当たらずも遠からずだったわけだ。


 もちろんミリスもそれは理解しおり、大したことでもないとも思っている。しかし彼女はそれでもいつでもオチの付くノイルの言動を好ましく感じていた。

 その好意をミリス自身がどのような感情としてどこまで自覚しているのかはわからないが、もはや彼女はノイルを手放しはしないだろう。

 本当に、良い拾いものをしたものだ、とミリスは思っている。


「ふむ⋯⋯」


 先程からミリスには、彼女にしかわからない微細な振動・・・・・が途切れていることに気づいていた。

 それは彼女がノイルへと常に貼り付けている視認出来ぬほど極細の魔力の糸――所謂マーキングである。

 ノイルが魔装を纏ったり、彼かミリスが戦闘を行えば切れてしまう程度ものだが、それ故に誰にも看破されることはない。当然だがノイルも気づいてはいなかった。


「戦闘でも始まったかのぅ」


 ミリスは森の方をじっと見つめて口の端を吊り上げる。

 彼女はのんびりとストレッチを開始した。本来そんなものはミリスには必要ないのだが。雰囲気というやつである。


「む⋯⋯?」


 ストレッチを楽しんでいたミリスは、森とは別の方向へと視線をむける。

 何かそちらから力を持った存在が向かってくるのを感じ取ったからだ。

 大きな目をミリスは細めた。

 彼女の身体強化は頭抜けている。ノイルの使う《狩人》の魔装マギスを持ってしても、ミリスには及ばないだろう。

 

「はぁ⋯⋯これは困ったのぅ」


 ミリスとしては、今すぐおそらく今回の黒幕と戦闘を繰り広げているノイルの所へと向かうつもりであったが、こちらも無視できる存在ではない。今はそんな気分ではないとは思いつつも、彼女は駆け出した。

 まあ、ノイルであれば問題なく持ち堪えるだろうと結論して。ノイル本人がこの考えを聞けば、過大評価も甚だしいと嘆いただろう。


 村から距離を取ったところでミリスは腕を組み、仁王立ちして来たるべき相手を待ち受ける。

 やがて巨大な風切り音とともに、激しい音を立て、地を震わしてミリスの前に現れたのは、見上げる程に巨大な一匹のドラゴンであった。


 赤黒く堅牢な全身を覆う鱗、二対の膜質の翼。四本の鋭利な鉤爪を備えた太く逞しい脚に、長く伸びた強靭な尻尾。噛み砕けぬものはないと思わせるような牙に爬虫類のような瞳には、暗く金の瞳が獰猛な輝きを放っている。


 その姿は、紛れもなく竜種だ。


 竜種とは、一般的にドラゴンと呼ばれる魔物だ。魔物の中でも最強種と呼ばれておりその力は言うまでもく、生息域や種類などによって呼び名は変わるが、そのどれもが大きな脅威となるのは間違いない。


「クリムゾンドラゴンか、ノイルと狩ったのと同種じゃのぅ」


 しかし、ミリスはその威容を前にしても動じることなく、それどころかどこか嬉しげにそう言った。

 ノイルとの楽しかった思い出に浸っているようだ。


「チイサキ、ニ、ンゲンヨ⋯⋯ワガ、トモヲ、アヤメ、タノハ⋯⋯キサマカ?」


「ほほぅ、言葉を解するか。中々に長命な個体のようじゃな。しかし、少々辿々しいのぅ。無理はせんでよいぞ?」


 臓腑を握られるようなドラゴンの声音にもミリスは動じない。まるで日常の一時かのように彼女は振る舞っている。


「貴様らは所詮、竜人へと至らなかった出来損ないじゃ。トカゲ風情には人様の言葉は難しかろぅ」


 ミリスは挑発的な笑みを浮かべる。

 ドラゴンの瞳に憤怒の輝きが宿り咆哮する。地を震わせるほどの衝撃が辺りに走った。

 だが、ミリスは瞳を閉じて耳を指でふさいだだけだ。


「あーうるさいのぅ。これじゃから力はあっても知能はないトカゲじゃと言うのに」


 彼女はドラゴンの咆哮によって起きている風圧で髪を靡かせながら面倒くさそうに告げる。


「それから、貴様の友人じゃったか? 我は知らんぞ。確かにノイルと共にクリムゾンドラゴンは狩ったが、あれが貴様と関係あったかは知らんしのぅ。あったとしてもあれは人に被害を出しておった。狩られても仕方なかろぅ。自業自得じゃ」


 こともなげに言ってのけるミリスに、再びドラゴンは激昂したように口を開いた。


「ヤハリ! キサマ――ガッ!?」


 しかし、咆哮する前に跳躍したミリスの踵がその鼻頭へと振り下ろされ、深々と突き刺さり、地面へと叩きつけつけられた。

 地へと這いつくばったドラゴンに足を乗せたまま、ミリスは冷たい声を発した。


「うるさい、と我は言ったのじゃ。聞こえんかったかのぅ?」


 驚愕したような瞳を向けるドラゴンに、ミリスは続ける。


「本来なら貴様と遊んでやっても良いのじゃが。生憎今は用があってのぅ。ノイルの所に向かわねばならぬのじゃ。今ならば見逃し⋯⋯いや、もっと我が遅れて行ったほうがノイルは面白いことをやるかのぅ⋯⋯のぅ? どう思う?」


 突然態度を変えて瞳を輝かせ始めたミリスから、ドラゴンは逃れようともがき、強靭な尾を彼女へと振り払う。しかし、ミリスは意にも介さぬようにそれを躱し、ドラゴンへと両手を広げた。


「ああ、すまぬの。口が塞がっていては喋れぬか。さぁどいてやったぞ?」


「キ、キサマ、ハ⋯⋯⋯⋯」


 顔から真紅の血をぼたぼたと垂れ流しながらドラゴンは体勢を整え、しかし、怯えたように一本後ずさった。

 ミリスは気にした様子もなくドラゴンに答えを催促する。


「どうしたら良いと思うかのぅ? 我としてはノイルがギリギリまで追い詰められたら面白いものが見れられると思うのじゃ。あやつは中々やる気を出さぬからな。少しくらい厳しくしてやったほうが良いと思うのじゃが。いや、しかしそれはちとやりすぎかのぅ。ノイルに嫌われるのは我としても望まぬことじゃしのぅ。しかし、ちょっとくらいなら⋯⋯いや、やはり嫌じゃ。それでノイルが本気で逃げ出したら困るからのぅ。それにそうじゃ、ノイルが追い詰められればあの娘も危ないからのぅ。あまり興味はないが流石に見捨てるのは可愛そうじゃ。別に嫌いではないしのぅ。しかしノイルはあの娘に少々優しすぎるのではないか? ノイルが何だかんだお人好しだということはわかっておるが⋯⋯我よりも気にかけているように見えるのじゃ。もしやノイルはあの様な娘が好みなのかのぅ? のぅ? どう思うかのぅ? 我も見習ったほうが良いのか? そうすればノイルはもっと我に構ってくれるようになるのかのぅ? ああ、すまぬ。貴様は事情を知らんのじゃったな。しかしそれならそれで今までの我の話を聞いて、第三者からの意見というのを述べても良いと思うのじゃ。それが普通じゃろう? この我が慈悲をかけてやっておるのじゃから。それとも難しいことは考えられんのかのぅ? 所詮はトカゲじゃしな。人へと至れぬ貴様には少々難解にすぎたかのぅ。長く生き言葉を解すと言ってもまだ千年も生きておらぬのだろぅ? ならば小僧じゃから仕方ないのぅ。そもそも劣等種である貴様に答えを求めた我が悪かったのじゃ。しかしのぅ、貴様のような存在にもついつい意見を求めてしまうほど我はノイルを気に入っておるのじゃ。貴様も友を思う気持ちがあるのじゃからわかるじゃろ? こういったものは理屈じゃないからのぅ。我は別にノイルを苦しめたくはないのじゃ。しかしおもしろそうだと感じるのも事実でな? どうしたものか悩んでしまうのじゃ。あの娘のことに関しても、ノイルが気に入ったのなら多少は許してやってもよいとも思うのじゃ。なんなら結ばれても良かろう。それぐらい許す度量は我も持っているつもりじゃ。まあ、それで我と関係を断つというのなら考えねばならぬがな。なに、絶対にそんなことにはならぬから問題ない。じゃからノイルはもう少し我に構ってくれても良いと思うのじゃが⋯⋯⋯⋯ふむ、そう考えるとやはりわざと追い詰めるのは不味いのぅ。手放すつもりはないが、無駄に嫌われては元も子もないしの。じゃからちょっとだけじゃ、ちょっとだけ遅れて行くとするかのぅ。感謝するぞ。貴様のおかげで考えがまとまったのじゃ。ほれ、今後人に害をなさぬのなら、もう逃げても良いぞ」


「ガ⋯⋯ァ⋯⋯⋯⋯」


 一頻り話終えたミリスは、ドラゴンにもう興味がないかのように手を振った。まるで虫でも追い払うかのようなその仕草に、気圧されていた様子だったドラゴンが竿立ちになる。


「ナ、ナメ、ナメルナァァァァァァァァァア!!!」


 咆哮と共にその鋭利な牙の生えた口からは、眩い程の輝きが上がる。

 クリムゾンドラゴンが放つ最大級の一撃、全てを灰燼と帰すブレスは――


「グブッ!? ⋯⋯バ⋯⋯ァ⋯⋯⋯⋯ア?」


 ミリスの下方からの跳び蹴りにより、ドラゴンの口腔内で暴発した。

 自らのブレスの逆流を体内に浴びたドラゴンは地を響かせながら崩れ落ちる。

 しかし、それでもまだドラゴンには息があった。この程度では絶命はしない、手痛いダメージではあるが動くこともできたはずだ。


「何じゃ逃げぬのか?」


 そこに、不思議そうな表情を浮かべたミリス・アルバルマが立っていなければ。


「生息域以外に死体が残ると面倒なんじゃが⋯⋯」


 彼女はゴミの処理に困るかのようにつぶやくと、ゆっくりとその細くしなやかな脚を持ち上げ――


「ま、よいか」


 躊躇なくドラゴンの頭部を蹴り砕いた。

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