第38話 for you

 火曜は美容院の定休日。マンションサンフラワーの1階にある店も閉まっていた。店の明かりがないせいで、昨日より時間が早いのに前の通りは薄暗く、人通りも少ない。誰もいない美容院の中に、傘立てほどの高さのクリスマスツリーが見えた。闇の中で息を潜めているようだった。


 多村は運転席に座ったまま周囲の様子を窺っていた。時刻は5時を過ぎたところ。クリスマスパーティーが始まる頃だが、近藤は無事養護施設に到着しただろうか。道具が届かなくてはパーティーは始められず、開始が遅れているかもしれない。バッグに入っていたのはサンタクロースの衣装かゲームの類か。「道具」と言っていたからプレゼントではなさそうだ。


 多村は近藤が座っていた後部座席を振り返った。今しがた身に降りかかった出来事を滝沢たちに打ち明けただろうか。パーティーどころではなくなってしまうから終了後にするか。自分の心の中だけに留めておくかもしれない。

 しかし殺人事件への関与を刑事に告白して平静でいられるはずがない。あれだけ泣き腫らした後だ。滝沢なら表情で異変に気づくかもしれない。


 多村ははっと気づいて周囲を見回した。 


―誰かがDVDを回収しに戻ってくるのではないか―


 到着の遅れている近藤に劇団員が連絡を入れる、あるいは近藤の方から連絡する。そこでさっきの出来事が話され、誰かが殺人の証拠となるDVDを処分しに来る。考えられることだ。


―ぼやぼやしていられない―


 多村はポケットから出した白手袋をはめてクルマを出た。美容院の横の階段を降りると、『劇団逢友社』という表札が掲げられていたが、前の稽古場にあった銀に黒字ではなく、黒に金色の文字で『逢友社』と書かれていた。移転に際し新調したようだが、会田色を一新しようとしているのを表札も示していた。


 耳を澄ませてみたが物音は聞こえない。チャイムを2度鳴らしてみたが人の気配はなく、窓もなかった。

 近藤から教わった通り、ドアの横に郵便受けがあった。ステンレス製のシンプルなもので、開けてみると中身は空っぽだった。ここに鍵を隠してあると言っていたはずだが。


-すでに誰かが戻っているのか-


 多村はとっさに身構えた。耳を済ませたがしんとしたまま。もう一度チャイムを鳴らしてみたものの変化はなかった。

 思い出したように郵便受けの上部をまさぐってみると鍵があった。天井にマグネットシートが貼られ、鍵に付いたストラップがそこにくっついていた。さすがにむき出しでは置かないか。これぐらいの仕掛けはよくあることだ。


 鍵を鍵穴に入れて回すと開錠する音がした。静かにドアを開ける。中は暗く、寒々としていた。電灯のスイッチは分からないし点けるのもためらわれる。そのまま靴を脱いで上がった。


 多村はスマートフォンのライトを点灯させて部屋中を照らした。以前の稽古場同様フローリングのスペースが広がっている。片側にテーブルといくつかの椅子が並べられていた。クリスマスパーティーの打ち合わせでもしていたのだろうか。ここにも会田の遺影は見られなかった。


 奥にドアが2つ並んでいた。近藤の言った通り、右側のドアに『更衣室』と表示されていた。多村はライトで照らしながらゆっくりとドアを開けた。


 その瞬間、中から悲鳴が上がった。


 金切り声に続いて「誰か!誰か来て!」。聞き覚えのある声だが何が起きているのか、とっさには理解できなかった。


 稽古場にぱっと明かりが灯り、もう一つの部屋のドアが開いた。


「何やってるんだ!」


 怒鳴り声を浴びせたのは滝沢だった。


「警察の人だな」


 滝沢は多村を検めた。多村は状況が呑み込めず、とっさに外に逃げようとしたが、玄関のドアが開いた。


「悲鳴が聞こえたが、何事だ」


 ドアを開けたのは西野だった。


「逃がすな」


 滝沢の指示で西野はドアの前に立ちふさがった。逃げ場を失い、多村は立ち尽くすしかなかった。


 滝沢の110番通報で駆け付けた警察官により、多村は連行された。


 侵入する様は、稽古場に設置された防犯カメラに全て収められていた。動かぬ証拠だった。



 多村はパトカーに乗せられ、所轄署で取り調べを受けた。顔に見覚えはあるものの面識はない中年の刑事が相手だった。

 多村は全ての事情を明かした。会田の飛び降り死から始まり、映像の存在、そして殺人の疑いを持って個人的に捜査をし、近藤に接触して自供を取り、このような事態に至ったと。


 どこまで信じてもらえたかは分からなかった。無断で稽古場に侵入したのは事実で、かつては多村自身も被疑者の弁明を、見苦しい言い訳と一蹴した側だった。


 欲しかった物証が手に入る。焦りが募っていただけに浮ついてしまった。稽古場への侵入はあまりにも軽率だった。


 取調室のドアが開き、別の刑事が入ってきた。同様に面識はないが、表情が険しいのは分かった。


「お前の話を滝沢さんに確認したんだが、逢友社はそういったボランティア活動は一切していないそうだ。中野区にある児童養護施設にも当たってみたんだが、そういった予定のあるところはなかった」


 多村は口を開けたが、言葉は出てこなかった。


「それと、国村さんの話だが、親父さんは本当の父親だ。子供の頃からずっと“国村”で“柳田”とは縁もゆかりもない。訳が分からないと、怒りを通り越して呆れていたよ」


 刑事も呆れ顔でため息をつき、そもそも、と続けた。


「柳田優治の弟さんはご健在だ。偶然ここの署員に知ってるのがいて、行きつけの居酒屋の店長だそうだ。ああいう形で亡くなったから大ぴらにはしていないが常連は知っていて、生前に撮った二人の写真を見たことがあるらしい。生前って柳田優治のだぞ」


 小ばかにした笑みを浮かべて言った。


「近藤は、お前と会って話をしたことは認めたが、少し話しただけですぐに別れたと言っている。DVDなんて知らないと」


 もはや弁解する気も起らなかった。何を言っても無駄なのが分かった。


 思い込みによる過った正義感が暴走し稽古場に侵入した、それを嘘で取り繕おうとしていると捉えているのだろう。これ以上殺人の話を持ち出せば狂気の沙汰と顰蹙を買うだけだ。


 滝沢は次の手を打つと懸念していたが、それが自分に向けられていたと、今更気付いても遅かった。


 近藤の話も全て滝沢が書いたシナリオだろう。あの日稽古場を訪問したことで、警戒を強めたのかもしれない。様々なケースを想定して、対応策を用意しておいた。逢友社について調べれば柳田優治に行きつくことも織り込み済みで。


 近藤はクルマを降りた後すぐに連絡し、滝沢たちが一芝居打った。多村はまさに飛んで火にいる夏の虫だったわけだ。


 近藤は、あの映像が滝沢の作品だと言っていた―それも滝沢が書いた台本だろうが―が、それは間違いだった。ここまで、この逮捕までが、滝沢の描いたシナリオだ。国村も近藤も、多村までもが出演者だった。本当のラストシーンは、今まさに繰り広げられていた。もはや会田の死の真相を追うものは誰もいない。


 多村雅彦警部補は住居侵入容疑で書類送検された。懲戒処分を受け、依願退職した。


 警察の不祥事はマスコミでも報じられ、被害者である『逢友社』の名が連呼された。


 やがて満員の観客を迎え、逢友社結成20周年記念公演『別れの哀殺』が幕を開けた。


―完―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る