第35話 後部座席
クルマに戻ると多村は後部座席に近藤を通し、並んで座った。近藤の出方によっては荒っぽい手段をとるかもしれないが、ここは本郷東警察署の管轄ではなく、誰かに見られて通報でもされたら厄介で、あらかじめ窓に取り付けたカーテンを閉めておいた。それでもまだ車内には陽が射し込んでいて、ルームランプを点ける必要はなかった。
「何の用かわかりませんけど、時間がないので、手短にしてもらえますか」
近藤はポケットから出したスマートフォンで時間を確認した。
「冬休みはまだですか」
多村は落ち着いた口調で、事件とは関係のない質問をした。
口では何の用かわからないと言っているが、実際は警戒しているだろう。ガードを固めた相手にがむしゃらに打ち込んでも効果はない。まずは力を抜かせること。それに、いまは任意で話を聞いているに過ぎず、無理やり引き留めることはできないから強くは出にくかった。
「今日が最後で、明日から休みです」
近藤は淡々と答えた。質問をすれば、それに答える。会話のキャッチボールをする関係を構築するのも多村の狙いだった。
それにしても1日遅かったらずっと先になるところだった。多村は安堵したが顔には出さない。
「今日は劇団の稽古は?」
「稽古はありません」
「『稽古は』というのは?」
「今日はボランティアです。児童養護施設を訪問して一緒にクリスマスパーティーをするんです」
逢友社のボランティア活動か。始めたのは柳田ではないか。そんな気がした。
「お芝居をするんですか?」
「劇もしますけど、基本は子供たちと一緒に歌を歌ったりゲームをしたり。レクリエーションです」
多村の頭に娘と一緒に歌った『サンタが街にやってくる』が流れた。劇団員たちもサンタクロースの格好をして歌を歌うのだろうか。それが殺人犯なら異様な光景だが、子供たちはそんなことを知る由もない。
「何時からですか?」
「5時です」
時刻は3時になろうとしていた。
「場所は?」
「中野です。間に合わなくなったら困るので、用があるなら早めに済ませて下さい」
中野なら1時間あれば着くからまだ時間はある。もっともそんなことを気にしている場合ではなかった。
「逢友社のみなさんが訪問するんですか?」
「そうですよ。毎年の恒例行事なんで」
そう言ってから、近藤は呆れたように隣を見た。
「用がないんなら、もう行っていいですか?」
その言動は刑事を刺激したが、顔には出さずに質問を続けた。
「稽古場を移転したんですね」
「そうですけど」
「何でまた」
「そんなこと僕には分かりませんよ。他の人に訊いて下さい」
そう言うと近藤はまたポケットからスマートフォンを出して時間を確認した。
「理由を聞いていないんですか」
「僕は一番下っ端なので、言われた通り従うだけですよ」
「新しい稽古場はどうですか」
「そんなことを訊いてどうするんですか」
近藤はまた呆れたように、今度は薄ら笑いを浮かべて言った。
「いい加減、用がないんならもう行きますけど」
ドアに手をかけた。
そろそろ本題に入るか。多村は大きくゆっくりと息を吐いた。そして静かに、しかし怒りを込めて言った。
「お前は自分が何をしたのか分かってないのか」
近藤は横目で隣を見たがすぐに正面に戻した。
「何のことですか」
「とぼけるんじゃねえよ」
多村は声を荒げたが、頭は冷静だった。近藤の顔色を窺いながら、次に何を言うのが効果的かを考えていた。
「お前たちが何をしたか、全部分かってるんだよ」
「何をしたって言うんですか」
近藤の口元にはまだ笑みが浮かんでいた。余裕があるのはバレていないと思っているからか、それともただの強がりか。
「バレないと思ってるのか。警察舐めんなよ」
多村は前のシートに肘を掛け、隣の近藤に正対した。
近藤はため息をついて窓側を向いた。
「人が話してんだからこっち向けよ」
多村はシートの背中を平手で叩いた。声を荒げる多村に、近藤は笑みを消して言った。
「さっきから何を言ってるんですか?」
「お前たちが会田を殺したんだろ」
そう切り出すと多村は近藤の表情を観察した。じっとこっちを見つめたまま変化はなかったが、顔に出さないようこらえているようにも感じられた。
「何を」
「調べはついてるんだよ」
多村は近藤の言葉を遮った。
それでも近藤の表情に変化はない。
どこまで知っているか、腹を探っているのだろう。脅してしゃべらせようとしているがそれには乗らない、犯罪を犯した人間はそう考える。口を割れば刑務所行き、そうはなりたくないから口をつぐむ。近藤もそうだったが多村は知っていた。
「お前もエチュードはやるのか」
近藤の顔が強張ったのが多村にもはっきりと分かった。
「会田にダメ出しされた口か?台本がないと何もできないのかって」
近藤は多村から目を背け、フロントガラスの方を向いた。
「ストーカーやらピンハネやら、ありもしない話を並べて会田を乗せて、挙句の果てには台本を利用して突き落とした。それじゃ会田も浮かばれないだろう」
眼鏡を上げた近藤の指が震えていた。自分でも気づき、すぐに手を下した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます