第22話 評判

 多村はかつて会田が所属した劇団の先輩で、劇団『ひいらぎ』の主宰である倉本俊夫に電話を掛けた。演劇界での滝沢淳の評判を知るためだ。訪問した際に連絡先を交換している。


 滝沢は人気劇団だった頃の逢友社の期待の俳優で、『別れの哀殺』のリバイバル上演でも主要キャストに選ばれ、演劇誌の表紙も飾っているのだから無名とは思えない。世間的にはともかく演劇界では知られた存在ではないか。


 多村が連絡を取れる演劇関係者は倉本しかおらず、分からなければ分かる人を紹介してもらいたかった。


「お久しぶりです」


 電話口から倉本の大きな声が聞こえてきた。舞台俳優だけあって、声が腹から出てくる。会った時にも感じたが、電話だと余計に耳に付いた。


 逢友社の舞台を観たとチケットを貰った礼を言うと、評判よかったみたいですねと、返ってきた。そういった情報は倉本にも入っているようだ。


 簡単な挨拶をすませ、多村が、滝沢淳について知りたいと告げると、刹那沈黙が流れた。前回会った時に、会田の死に疑いがあると話している。それに関連する事だと、電話の向こうで構えたのが伝わった。

 一呼吸おいてから出た、どのようなことをお知りになりたいのですか、との倉本の声のトーンは下がっていた。多村は、滝沢のことならなんでもいい、知っていることを教えて欲しいと言った。


 主宰に就いた事は知っているが、以前観劇した時に挨拶を交わした程度で連絡先も知らず、詳しいことは分からない。そう言った後、隠し立てする義理もありませんと言い加えた。


「でしたら、誰かご存じの方を紹介していただけませんか」


 多村の頼みに、「それならちょうどいい」と声のトーンがまた上がった。

 倉本は俳優業の傍ら、演劇教室の講師も務めていると話していた。『ひいらぎ』は専用の稽古場を持たず、公民館や体育館を借りて、定期的に演劇教室を開いている。今日はちょうど東京で開かれ、講師を務める劇団員が上京する、彼に訊いたらどうかと勧めてくれた。


 たまたま電話を掛けた日に上京するのは何かの縁。多村が是非と頼むと、折り返し電話させます、と言ってくれた。

 倉本さんはいらっしゃらないんですか?との問いには「デパートで開くカルチャー教室ですから、受講生も若い女性が多いんです。私みたいなおじさんより若い劇団員の方が受けがいいんですよ」と笑った。


 10分ほどして多村のスマートフォンが鳴った。『ひいらぎ』の団員は江木えぎと名乗った。江木もやはり声が大きかった。

 江木は、滝沢と付き合いはなく期待に沿えないと言ったが、多村は些細なことで構わないと頼んだ。折角の機会だから、僅かでも話を聞きたかった。


 江木は、今日は夜の7時から90分のレッスンを行い、終了後茨城に帰るから始まる前なら時間が取れると言った。多村はデパートへ行くと言って約束を取り付けた。何か事件に関する事ですか?と訊かれたが、その辺は申し訳ありません、と言葉を濁した。倉本は細かいことは説明しなかったようだ。その方が警戒されずに話を聞けるから助かるが、あまり期待できないのは電話口から伝わった。



 多村は5時過ぎに署を出てデパートに向かった。都心の駅ビルにある大型店で、何度も買い物に来ているが、カルチャー教室があるのは知らなかった。

 地下鉄を降りて少し歩くとデパートに着いた。地下1階の食料品売り場の奥の、あまり目立たないところにあるエレベーターで8階まで上がると『カルチャースタイル』があった。


『カルチャースタイル』は、このデパートが運営しているカルチャースクールで、多種多様な講座が開かれている。エレベーターを降りると、正面右側がインフォメーションカウンターになっていて、その前にあるロビーは、洒落たイスとテーブルが並び、ホテルのような印象を受ける。


 想像していたよりも広いスペースがとられていて、案内図を見ると、20近い教室があり、それぞれ異なる講座が開かれている。一番手前にあるAルームで今行われているのは茶道教室だった。インフォメーションボードを確認すると、Gルームに『19:00~ 演劇ワークショップ』と表示されていた。


 多村はコートを脱ぎ、ロビーの椅子に腰かけ、時計を見た。約束の6時の15分前。劇団員は時間厳守と倉本が言っていたのを覚えていた。


 声を掛けてきたのはすらりとした長身で、細身ながら端正な顔立ちをした男だった。倉本がいっていた通り、彼目当ての受講生もいそうだ。今もロビーにいる女性の視線が江木に向けられたのを感じた。


 お忙しいところ申し訳ありません、と多村が立ち上がって挨拶すると、こちらこそお越しいただいて恐縮です、と笑顔で返事をした。その顔もさわやかだった。歳は30代前半と言ったところ。ジャージ姿は劇団員のトレードマークの様だ。


 江木は多村の向かいに座った。

「滝沢さんのことですよね。電話でお話しした通り、個人的な付き合いはないのであまり詳しいことは分かりません。『ひいらぎ』の団員にも訊いたんですがこれといってわかることはないようで、お役に立てそうにありませんが」

 申し訳なさそうな顔をしたが、他の劇団員にも訊いてくれたようだ。見た目通り誠実な性格の様だ。


「分かる範囲で構いませんよ」

 多村はリラックスさせるように、柔らかい口調で言った。


「うちの劇団は茨城にあるので、よそとは交流が少ないんです。公演の時は劇団以外の方に出演してもらったり、逆に出演したりとか、『客演』というのですが、それも限られますし」

 倉本も出演者が欠けると代わりを見つけるのが大変だと言っていた。会田が『ひいらぎ』の舞台に出演したのもそういう理由からだった。

「それでも、うちの主宰と会田さんが親しかったので、逢友社さんの公演は何度か拝見しています。ですので滝沢さんのお芝居も何度か観たことがありますし、挨拶はさせてもらいました」


「どういう印象をお持ちですか?」

 劇団員の目に滝沢はどう映るのか、興味がある。


「僕が言うのもなんですが、芝居はお上手でした。というのも、柳田さんの芝居に似ている気がしたんですよね。間の取り方なんかはかなり影響を受けているんじゃないでしょうか」

 多村は先日の舞台を思い返したが、滝沢の出番は少なかったから、あまり印象に残っていない。しかし柳田に憧れていたのだから、感化されていることは想像がついた。


「柳田さんの舞台は3回しか観たことないんですけど、それでもやっぱり記憶に残ってるんですよね。素晴らしい俳優さんでしたから。滝沢さんに限らず、同じ劇団にいたら、誰だって影響を受けると思います」

 その言葉には、羨ましさが含まれていた。

「後は以前『ひいらぎ』が東京で公演を行った時に観に来てくれました。もう一人、男性が一緒でした。その方も逢友社の役者さんでした」


 西野佑樹だろう。


「正直滝沢さんに関する事だとそれぐらいですかね・・・」

 あらかじめ伝えてあるのだから、記憶の糸をたぐったはず。それでもわずかしか出ないのだから、やはり滝沢のことはあまり知らないようだ。それならば多村の方から訊くしかない。


「滝沢さんは、演劇界では有名なんですか?」


「逢友社と言えば真っ先に名前が挙がるのが柳田さんですよね。亡くなってかなり経ちますが、今でもそうだと思います。後は小林美恵子さんぐらいじゃないでしょうか。滝沢さんを知っている人は少数だと思います。僕は芝居が柳田さんに似てるっていう記憶があっただけで。舞台を観たからと言って、出演者の名前を覚えているわけではないですから」

 江木は壁に掛かった時計にちらりと目をやって、時間に余裕があるのを確認して話を続けた。

「演劇好きの、観劇が趣味っていう人なら知っているかもしれませんけど、役者だと、よそのことはそれほど気にしません。もちろん噂になるぐらいの人だと別ですが。逢友社さんは一時はかなり人気がありましたから、滝沢さんの名前も知っている人もいるかもしれませんが」


 有名ではないということか。『別れの哀殺』が予定通り再演されていれば状況は違っていたのかもしれない。


「会田さんは有名だったんですか?」

 多村の質問に

「会田さんはそうですねぇ。亡くなる前ですよね」

 江木は苦笑いを浮かべて続けた。

「正直有名ではなかったと思います」


「あまり評価されていなかったんですか?」


「先日もうちの舞台に出ていただいたんですけど、キャリアのある役者さんですからお芝居自体はしっかりしているんですけど。これといって特徴を感じなかったというか、正直に言ってしまうと華がないっていうんでしょうか。顔もそうですけどあまり印象に残らないんですよねぇ」

 歯切れの悪い物言いも、会田の評価を物語っていた。


「逢友社は、以前はかなり人気があったんですよね?そういう劇団の主宰者でも、そういうものですかね」


 多村の言葉に江木は、こういうこと言うのは良くないかもしれませんけど、と故人に配慮してから続けた。

「柳田さんが亡くなったのは大きいんですけど、逢友社さんの人気が落ちたのは、公演内容と無関係ではないようです。柳田さんが亡くなった後の公演は会田さんの脚本が多かったみたいなんですけど、評判は良くなかったようです」


 会田の書く脚本は面白くないということか。『復讐するは我になし』の後の演劇関係者らしき人の、ほとんど滝沢さんが書いたんじゃないの?と冗談めかした発言は、会田に面白いものが書けるわけがないと思っていたからこそか。実際滝沢が大幅に手を加えたのだろう。


 会田は俳優としても、脚本家としても評価されていなかった。


「気の毒だとは思いますけどね、間近に柳田さんみたいな人がいるとやりにくかったと思います」

 江木はフォローするように、同情を口にした。


 柳田と会田、才能で言えば肩を並べるはずのない二人が、親友であったために、隣に並んで同じ道を歩んだ。その道は途中で二つに分かれ、一方は陽の当たる道を、もう一方は人目につかない日陰を歩いた。しかし最後は両方とも道半ばで崩れ落ちた。


 そこまで考えて、多村はそっと苦笑した。滝沢のことを聞いていたのに、いつのまにか柳田の話になっていた。


 その後も参考になる情報は得られなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る